死線〈ゾナ・デ・ムエルテ〉
星明りの下で、リアンは緑の茂る密林の中を走り抜けている。
左翼から銃撃。鋼鉄の義手で飛来する弾丸を受け止める。
被弾は三発。うち一発が関節の接合部にめり込む。
リアンは近くの岩陰に飛び込む。銃撃を受け止めた機械義手――
攻撃された際に確認できたマズルフラッシュの数は三つ――つまり左翼の敵は三人。とはいえ追手は彼らだけではないだろう。先程二人の追手を殺害した際、その正体を確かめた。
自分と同じく、あの人食い鰐の地獄の訓練を生き延びた子供たち。自分を除けば、その数は一一人。二人は殺した。残りは九人。
リアンは
幸い、自分を追っている
とはいえ、戦況が深刻であることに変わりはない。
勝機があるとすれば、追手と自分の目的の違いにある――敵方の目的が自分を殺すことにあるのに対して、こちらの目的はあくまで彼らから逃げ切ること。彼らは自分を逃さないために、ただでさえ頭数の少ない部隊を更に分割して包囲網を敷かなければならない。こちらは少人数の敵を各個撃破すればいい。
リアンは泥にまみれた自分の格好を今一度確認する。
腹部の露出したパラソル型のミニスカート。頭に柔らかな耳飾り。背にふわふわの翼。尻にくるくるの尻尾。ビキニスタイルの上半身――胸元にはトランプのスペードの9をあしらった意匠。ぴっちりと張り付いた黒いソックスに白の印字――Schwarzer Engel Pike……そこから先は擁刃肢を伸縮させた際に破れており、読み取れない。
凶悪なまでに間抜けな格好――フェルナンドが用意していた衣装。せめてボディアーマーのひとつでも奪ってくれば、胴体を守るために
リアンは四肢を蛇のように這わせ、音を立てずにひっそりと岩陰から移動する。
紅く濡れた指先を見やる――フェルナンドの血。
――リアンが
邸宅に着くなり、リアンはこの馬鹿げた衣装に着替えさせられ、二階の主寝室へと通される。
主寝室ではこの屋敷の主――フェルナンドが待ち構えている。邸宅の上品な意匠とは裏腹に、悪趣味という言葉を体現するような黒尽くめの
カウボーイハットを脱いだフェルナンドはリアンに向けて手を差し出す――恐る恐るその手を掴むと、いきなりベッドに押し倒される。
汗に濡れた大きな手が、偽装用の人造皮膚を被せていないリアンの機械の腕を掴み、手首を、肘を、二の腕を、そして肩――機械部分と生体部分の接合部――を、順番になぞっていく。
「肌を白くする手術はあるのかと医者に聞いたんだが、どうもべらぼうに時間がかかるらしくてな」
手足だけでは飽き足らず、まだこの体を弄りたいらしい。男の頭皮に滴る汗と、甘ったるいコロンの匂いが混じり、鼻孔を刺激する。
あの廃工場でこの男に選ばれた日から、いつかこうなることは予期していた――そうなることがわかっていて、その申し出を受けた。
それなのに――この男に押し倒される段となって、途端に自分の身と心が縮んでいくような感覚に襲われる。まるで蟻の群れが足元から這い上がってくるかのように、悪寒が全身に広がっていく。そして、金のバックルの付いたベルトの下から、フェルナンドのその醜悪な肉塊が露出した瞬間に、自分が最初から覚悟なんてものを持ち合わせていなかったことを知る。
自分がか弱い子供のままでいればまだ、最悪の事態は免れた――だがこの鋼鉄の四肢はフェルナンドのフェルナンドの脂肪の詰まった躰をいとも簡単に、やすやすと破壊する。
存外に甲高いフェルナンドの断末魔を耳にした護衛たちが、慌てて主寝室に駆けつける。彼らが眼にしたのは、屋敷の主の死体を前に、呆然と直立する少女――すぐに我に返ったリアンは急いでバルコニーから地面に飛び降りる。バネ状にした
そして密林を舞台にした追跡劇が始まる。
眼下に、
残りの二人――少年と少女は奇襲に即応――頭上から舞い降りた鋼の手足を持つ敵に向けて素早く小銃の引き金を引き絞る。
両断した死体の片割れを盾にするが防ぎきれず――判断ミス。最初の一人は殺すのでなく人質にするべきだった。仕方なく片腕を胴に巻き付け、即席のボディアーマーに。力の加減を間違えれば、
死体を投げ捨て、少女に素早く接近――心臓に貫手を打ち込む。突き刺した貫手は引き抜かずに、機械仕掛けの膂力にまかせて少女の体を少年に向けて振りかぶる。少年の頭部が投げ飛ばされた少女の胴と樹木の幹に挟まれ、無残に押し潰される。
胴体に巻き付けた
銃撃音を聞きつけた他の追手が、数分もせずに駆けつけてくるだろう。すぐに移動しなければならない――にもかかわらず、思わず自分が殺した少年少女たちの死体に見入ってしまう。
あのキャンプを共に生き延びた子供たち――殊更に仲間意識を持つまでには至らなかったにしろ、大して逡巡することもなく彼らを殺してしまった。
どうやら自分は、自分で思うほどの善人ではなかったらしい。
思えば、あの主寝室で自分はフェルナンドにルシアのことを尋ねなかった。
何故?
きっと彼女のことを持ち出されたら、我慢できてしまうから。そして自分は、もう我慢したくなかった――フェルナンドがルシアを
果たされることのない約束のために自分はいつまで耐えればいい?
残りの追手が、遠巻きにこちらの様子を探っている。気配は三方向――包囲されている。リアンはそれでも動けない。
だらりと両手の
あの列車に乗ったことが間違いだったのか――それともシェルターでルシアに手を差し伸べたことがそもそもの間違いだったのか。
包囲は着々と狭められていく。罠を警戒して、追手たちはあえて攻撃を仕掛けない。
ここで自分が死ねば――カルテルの連中も多少なりとも溜飲を下げ、どこかで囚われているルシアにも害が及ばずに済むかも知れない。それなら、少なくともあの時、彼女に手を差し伸べたことの責任は取れる。
追手たちの銃口が、リアンの無防備な胴体を捉える。そのうちの一人が星明りに照らされるリアンの口元を目にする。浮かんでいるのは――笑み。
闇夜の静寂が銃声によって引き裂かれる。
二週間後、ベラクルス州にある海軍基地で機械化された四肢――そのほとんどを欠損した少女が保護される。
その作戦は、拍子抜けするほど簡単に終わる。
グスタボの居城であった教会、そこから押収された証拠品から、ラ・カンパニアの残存拠点の位置がいくつか判明する。
FESはそのひとつ――ダミー会社を通じて組織に運営されている
残党集団を指揮するのはラ・カンパニアの
追い詰められた
制圧後は定例の押収作業が始まる。強欲さでも名を馳せる
だからいつものように、リモンを始めとした若い隊員たちが、両手いっぱいに戦利品を抱えてリアンの前に集まってくる。
だがリアンは、七人の小人を侍らせる白雪姫の真似事をする気分になれない。差し出された貢ぎ物は丁重に辞退する。それでも追いすがろうとするお調子者たちを、ペーニャ隊長が一喝して追い払う。
隊長が、浮かない顔をしているリアンを気遣い、どうかしたのか、と尋ねる。リアンの返答――生理。見え透いた嘘。出撃前には専属医による簡易検診が必ずある。身体に不調があるのなら予め報告される。とはいえデリケートな話題。隊長はそれ以上掘り下げることを諦める。
リモンがいつものようにスマートフォンを取り出し、仲間たち数人と押収作業の記念撮影をする。リアンはその様子を確認してから、
リアンはウェストポーチからスマートフォン――ルシアからの贈り物を取り出し、画面を確認する。カメラロールに次々と写真が保存されていく。保存されているのは――リモンのスマートフォンが撮影した写真。
リアンは自分が来た道を振り返る。壁のあちこちに弾痕が穿たれた一直線の廊下。誰の姿もない。
かつて自分は、
先に進む。引き返す。どちらの選択肢を選んでも、待ち受けているのは――破滅。
逃げ場はない。
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