秘密の重み

 その悪魔エル・ディアブロの顔が今、苦痛に歪む。

 高周波の唸りを上げる超振動型雷撃器が、人食い鰐の腹を目掛けて振り抜かれる。

 FESの監視チームが偵察昆虫レコンフライによってラ・カンパニアの軍事キャンプに高価値目標HVT――グスタボの姿を確認したのが七時間前。待ちわびた瞬間だった。

 すぐさま連邦警察と陸軍内の信頼の置ける部隊に出動の手配を依頼――捕縛作戦の情報漏洩を警戒し、彼らには重要拠点の攻撃以上の情報は伝えない。また、買収されている地方警察の目を欺くため、部隊の一部は、この時のためにあえて今まで手を出さずにおいたカルテルの罌粟ケシ農場の摘発に出向いてもらう。

 そして深夜――作戦が始まる。

 闇夜の静寂を切り裂くMi−17ヘリコプターのローター音。四方八方から発せられる銃撃音。監視塔に警備詰所、そして兵舎が次々と爆発。地面に降り立った降下班が教会へと素早く移動。リアンが石造りの壁を粉砕。投げ込まれる閃光音響弾フラッシュバン。漆黒の特甲児童の突撃。捕縛チームがうねる蛇のように教会内部へ侵入。二点射撃。敵兵士に非致死性ノン・リーサルにまで出力を下げた超振動型雷撃器を叩き込む。

 そして目に入る大ボスの姿――グスタボ。護衛が倒されると同時に、腰の拳銃を抜きリアンの頭部に向けて連射。リアンは銃撃を気にもかけずに、そのままグスタボの腹部にフックを押し込む。

 ダイヤルは――致死性リーサル

 一五トン級の装甲車をも横転させる鋼の拳が、グスタボの腹部をボディアーマーごと爆散させる。両断されたグスタボの肉体が床を転がり、血霧と化した内蔵が壁一面にぶち撒けられる。いつぞやの刺青男の脳漿が描き出した模様――その拡大版。

 リアンをカバーしていた隊員らは目の前の光景に一瞬あっけを取られる。が、すぐに動き出す。リモンがウェストポーチから携帯端末を取り出し、上下両断された死体の顔を撮影する。顔認証ソフトが、グスタボの顔写真と死体の顔が九割以上の確率で一致することを告げる。

「――目標殺害タッチダウン!」

 グスタボの死はすぐさま無線でチーム全体に共有される。

 死体袋を持つ隊員が現れ、ふたつに分かれたグスタボの死体を一緒に包みこむ。抵抗者のいなくなった教会内で、メディアというメディア――パソコンのドライブからメモ用紙にいたるまで――が隊員たちによって回収される。

 五分後――リアンを含めた降下班はグスタボの死体と押収品一式を抱え教会を脱出。別班が確保しているヘリのランディングゾーンLZまでひた走る。

 教会の外ではキャンプを防衛するグスタボの護衛隊エスコルタと地上班の戦いが続いている。頭を失った――そのことにも気づいていない護衛隊エスコルタは右往左往しながら散発的に反撃を行うだけ。人食い鰐が築いた王国は呆気なく焼け堕ちていく。

 降下班は回収地点まで容易に辿り着く。

 ローターが巻き起こす下降気流ダウンウォッシュが髪を撫でる。リアンは紅く濡れた自分の拳を見つめている。リモンがその背中を叩く。時間にすれば僅か数秒ばかりの自失。気づけば、先にヘリに乗り込んだ隊員が自分に向け、手を差し伸ばしていた。その手を恐る恐る掴む――躰が力強く引き上げられる。最後にヘリに乗り込んだリモンが大きく頷いてみせる――安心しろ、とでも言うように。他の隊員たちも一緒に頷く。

 降下班とグスタボの死体を収容したヘリが離陸する。

 リアンは真実を吐き出せない。

 

 同日、未明――エル・ココドリーロの死に関する、正確さの欠いた噂がネットを駆け巡る。

 同日、九時十八分――大手通信社が、アメリカ政府内の匿名の情報源ソースによるリークを根拠として、ラ・カンパニアの首領カポが軍との銃撃戦のさなかに死亡した、という内容の報道を行う。メキシコ治安当局はこの報道を認めない。

 同日、十一時三十分――予定されていたメキシコ治安当局による記者会見が急遽キャンセルされる。

 同日、十二時八分――内務大臣が十三時より改めて記者会見を行うと発表。

 同日、十二時三十三分――メキシコ治安当局、大手マスコミに対して軍と共同作戦を行ったことは事実であると認める。

 同日、十三時二十分――米国連邦麻薬取締局DEAのサイト内に掲示されている最重要指名手配リストからグスタボの名前が消える。それがアメリカ政府による事実上の公式発表となる。

 同日、十三時二十五分――メキシコ大統領がSNS上にて治安当局及び軍の働きに対して謝意を表明。

 同日、十四時――連邦警察のヘリコプターが海軍基地の格納庫の前に集まるジャーナリストたちの前に到着。連邦警察長官、連邦検事総長、海軍省大臣が降り立ち、すでにこの国の誰もが知っている情報を改めて発表する。

 グスタボ・アンガリータ――ラ・カンパニアの首領カポの死を。社会に恐怖と混沌をばら撒き続けた公共の敵パブリック・エネミーの死に大衆は歓喜する。政権発足以降、悪化の一途を辿る国内治安に対して手をこまねき続けていた大統領官邸ロス・ピノスもこの成果に飛びつく――組織犯罪対策の大きな躍進を示す一例として人食い鰐の殺害を大々的にアピール。

 数日後、作戦に参加したFES隊員らに対して、グスタボ殺害に関する法的調査が行われる。

 聴取では、グスタボの死を目撃した教会突入班、その全員がこう証言する――殺害は、隊員の命を守るためにやむを得ない判断だった、と。

 FESの隊員は誰もが人食い鰐の死を望んでいた。捕縛という命令に率先して逆らわないのは、あくまで軍人としての矜持がそうさせているだけ。もし仲間の誰かがとしたなら、その誰かさんには喝采を送ってやりたいと、内心ではそう考えている――だからリアンに不利になるような証言をするものはいない。

 政府や治安当局、軍としても、今さらグスタボ殺害に関して法的な問題があった、とは発表できない。調査は形式的なやり取りに終始する。

 結局、リアンはグスタボ殺害に関して責を問われない。

 CIA――パトリックは納得しない。訓練の際の隊員らの挑発的態度――幾度となくグスタボ役の隊員を殺害してみせる――から、意図的な殺害だとしてサルセド提督に抗議する。殺害が「やむを得ない」ものだったことを証明する証拠として、突入隊員がボディカメラで撮影していた作戦映像の公開を要求する。提督はその要求を突っぱねる。

 リアンは一度、提督の執務室に向かう途中のパトリックとすれ違う。挨拶も軽口もなし――無言。こちらから声をかけることもできない。

 逃げるように基地内の宿舎にある自室に戻る。ルームメイトの女性隊員から、秘密演習場に缶詰になっていた間に届いていた郵便物の束――殆どがDM広告――を受け取る。その束の中に、ネット通販サイトからの荷物が紛れ込んでいる。包装に貼り付けられた伝票の記載によれば、中身は新品のスマートフォン。注文した覚えはない。ちょうどいっぱいとなったゴミ袋を縛り、宿舎の裏手のゴミ置き場へと持っていく――その荷物も一緒に手にして。

 ゴミ置き場でその包装を破り捨てる。数カ月前に発売された最新モデル。同梱物は充電用ケーブルと、最低限の起動方法だけ記載された簡素な取扱説明書、そして保証書。隙間からメモ書きがひらりと落ちる。リアンはそれを宙で掴みとる。

 メモにはルシアの署名が記されている――そして新たな「お願い」も。

 秘密は新たな秘密を生む――そうして際限なく秘密は増え続けていく。秘密を抱える主がその重みに押し潰されるまで。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る