不意の一撃

 立て続けにこの脳天へと叩き込まれる不意の一撃サッカーパンチ――ただし、今度のそれは物理的なものではない。

 特甲の転送を察知した軍が到着するには早すぎる。それにこの国でサテュロス型アームスーツを配備している部隊はサルセド提督直下のFESだけ――目の前の黒山羊たちにFESの部隊章はなし――所属不明。そして何より――何故パトリックがここにいる?

 湯水のように次々と湧き出る疑問――何から尋ねればいいかもわからない。

 自分の混乱を察したかのように、いないはずの男の声を発するサテュロスが言う。

「説明は後だ」

 台詞に合わせるように、倉庫内の照明が一斉に消灯する。暗視装置NVDを備えたサテュロスたちは狼狽えない。天井から気体が噴出するような音。躰にうっすらまとわわりつく水滴――霧。頭部装甲を展開しているリアン――彼女だけがその雫に独特の匂いがあることに気づく。

「――ガソリン⁉」

 その単語を聞いたサテュロスたちが躰を寄せ合い、隻腕の特甲児童を覆い隠す。どこかで打ち鳴らされる甲高い金属音――擁刃肢ヨンレンツーの刃同士がぶつかり合い火花を散らす。

 着火――連鎖する燃焼――膨張する空気――高熱の嵐が倉庫内を吹き荒れる。

 生き残りの蟲たちがその嵐に紛れ、次々に倉庫から脱出を試みる。しかし倉庫の外を取り囲む軍用機体の機銃と狙撃班のライフルが、彼らを一匹たりとも逃しはしない。鋼の手足が千切れ飛び、黒い中国服が土の上を跳ね転がる。

 押し寄せる炎の波が過ぎ去るのを見計らい、一頭のサテュロスが、円陣を離脱――ライフルグレネードの吸着した擁刃肢ヨンレンツーチオンの肩から力任せにもぎ取る。それで用は済んだと、四頭のサテュロスが、侵入に使った大穴へと素早く舞い戻る。

 リアンは動かない。炎から顔を守るために、一度は閉じた頭部装甲を再展開する。頬を撫でる熱気――懐かしい感触。

「何をしている⁉」

 パトリックの叫び声――屋根の鉄骨が穴を塞ぐように崩落。固く拳を握った右手を掲げ、地面に刺さった鉄骨の向こうにいる男に応答してやる。意味もへったくれもないサイン。ここに残るのは自分の意思である――それさえ伝わればいい。

 酸素が急速に燃焼していく。時間がない。呼吸を最小限にして、白い中国服の姿を探す。

 確信――あの女は逃げない。窮地に陥ったとき彼女は動かない。動けない。それがルシア――マットレスの上で縮こまっていた在りしの姿を思い出す。

 ぎりぎりと握った拳に力を込める。待っていろ。必ず引きずり出してやる。


 ルシアはラックの影で息をひそめてる――まるで不可視の結界がその身を包んでいるかのように、彼女の周りだけ火が燃え広がっていない。なんてことはない――可動するスプリンクラーを調整しガソリンの降りかからない場所を創り出した上で、予め用意していた不燃性の耐熱溶液を頭から覆いかぶさった。濡れた白色の衣服が、その細い体にピッタリと張り付いている――生体部分と擁刃肢の接続部の幾何学的な凹凸模様も顕わに。

 とはいえ、あくまで一時しのぎに過ぎない。いずれは高熱の空気に肺を焼かれるか、一酸化炭素中毒で意識が遠のき、この紅蓮の海の中で倒れることになる。

 左目のコンタクトレンズの極小スクリーンに投影される情報――外に逃がしたチオンたちの反応が次々と消えていく。倉庫の包囲は万全。そしてその万全な包囲を敷いていることをこちらにまったく気づかせなかった――倉庫の周囲数ブロックに渡って、入念に見張りアルコンを配置していたはずのなのに。

 相手はとんでもない手練――一体どこの部隊だ?

 特甲児童の確保に動きだした部隊は、あの未亡人ウィドウから紹介された政府内部の協力者――転送塔の掌握も彼の仕業――が足止めをしているはず。まだ到着するはずがない――なによりあれほどの練度と装備を持つ部隊は、この国にはそういない。まさかFES? しかし、まだ活動休止命令は解かれていないはず。

 奥歯を強く噛み締めながら、自分の左手を見下ろす。この状況で任務を完遂する方法を思案する。せめてあの女だけはこの手で――。

「――ルシアぁっ!」

 熱された空気を震わす絶叫――背にしたラックが砕け散る。飛び舞う破片と火の壁を突っ切り、一直線に突進してくる黒い特甲児童。振り抜かれる雷撃機を右手の擁刃肢ヨンレンツーで絡めて、その軌道を反らす――相手が勢いそのままに隣のラックに突っ込む。炎の熱で支柱が溶解しつつあったラックがあっけなく崩れ落ちる――まるで二人を遮るように倒壊し、壁代わりの瓦礫を地面にばらまく。

 揺らめく炎の向こうで、漆黒の影が立ち上がる――頭部装甲を展開しており、素顔のままこちらを見つめている――瞳に宿るのはこの自分を決して逃しはしないという強靭な意思。

「ここで終わらせてやる」

「――上等よ」

 にやりと口角を吊り上げてみせる。嘲笑っているわけではない。心の底から喜んでいる――彼女が自分と同じ考えであったことに。

 横たわるラックの残骸が弾け飛ぶ――懲りずに再突撃。飛び上がり、進行方向に向けて空中から貫手を放つ。相手は右手の雷撃機を地面に叩き込み、急停止――攻撃が躱される。

 舌打ちしながら着地――迫る特甲の右フックをスウェーバックで避ける。

 返しの裏拳を今度は身を屈めて躱し、足払いを仕掛ける。片腕での立ち回りに慣れない相手――避けきることができずに、転倒。すかさず追撃の手刀を振り下ろす。

 上半身の撥条バネだけで素早く起き上がる相手――手刀は頭部装甲から飛び出した毛髪を数本刈り取るだけに終わる。

 踏み込んでくる相手に合わせて蹴りを放つ――アッパーカットがギリギリで胸元をすり抜ける。濡れた肌に感じる強烈な風圧。

 片腕でもこれほどの圧――当たり前。

 統一規格の安価な量産品でしかないこちらの手足と違って、あちらの手足は先進国の軍や司法機関ですら数えるほどしか配備できない最高級品。例えるならこれは乗用車とフォーミュラカーの戦い――例え相手が半壊だろうと、そもそも地力があまりに違う。

 ――だがそれこそがこの女の命取りになる。

 本人が気づいているかどうかは知らないが――特甲を転送してからというもの、繰り出される攻撃はあまりに単調のものばかり。おそらくは、その無敵の装備に対する過度な信頼――それが、あの一等優秀な殺し屋シカリオ――特甲を使わずにこちらの蟲を五人も殺した!――を、ただのブレーキの壊れた暴走列車に貶めている。

 付け入る隙――なのに何故だか耐え難い。

 距離を取る――相手が再突進してくる。再び下段に足払い――飛び上がってそれを避けたその躰に向けて右手の刃で斬り込む――超振動型雷撃器であえなく受け止められる。接触した関節が粉微塵になり、腕の中央から先が千切れ飛んでいく。気にせず、勢いをそのままに回し蹴り――無防備な胴を見事に捉える。脚を相手から離さずその下半身に絡ませて、関節の接続を解除――最高級の装備に身を包んだあの女が、燃える地面を転がり這いつくばる。

 これで十分な距離を取れた――右手と右脚を犠牲に動きも封じた。

 左手による貫手――この瞬間まで取っておいた、もう一本の爆薬を仕込んだ擁刃肢ヨンレンツー――をここぞとばかりに、迷いなく放つ。

 避けてみろ――受け止めてみろ。

 そして知れ――希望が時に枷となる事実を。いつか彼女が自分を助けに来てくれる、その希望が私を地獄に留まらせた。

 想像しろ――地獄を生き抜いた末に、自身をその場所に囚えていた枷――希望であった彼女が、とっくの昔に逃げ去っていたという事実を突きつけられた時の絶望を。

 何故希望を与えた。何故手を差し伸べた。何故善人のままでいられなかった。

 答えてみせろ――。


 知っていた――彼女の狙い。右手と足技を中心とした攻撃。頑なに使わない左手――何かを仕込んでいる。

 考えるまでもない。十中八九、自分を吹き飛ばした、あの自爆機能付きの擁刃肢ヨンレンツー

 あの時もそう――配下の蟲に攻撃を任せ、自分はここぞという瞬間に、こちらにそれを掴ませるための一撃を放っただけ。

 おそらくあの擁刃肢ヨンレンツーは正規品ではない。なぜなら通常、自爆攻撃カミカセを仕掛けるのに擁刃肢ヨンレンツー――チオンを使う必要はまったくないから。戦術的優位性など当然なく、更に生身で自爆テロを引き受ける人間もこの世にはごまんといる。

 自爆型あれは自分――特甲児童と戦うために急遽こしらえた改造品。自分が用意していた手製の煙幕弾と同じ。

 つまり、彼女は恐れていた――戦闘に伴う衝撃で、起爆装置に不具合が生じることを。

 爆弾は繊細な芸術品、とはあの人食い鰐の訓練キャンプで爆破課程を担当していた教官の台詞。些細な欠陥や動作不良が、容易に事故や不発に直結する――爆弾と比べれば玩具も同然の自分の煙幕弾ですらそうだった。

 だから、その左手は万全な状況まで使わない。使えない。

 だから、用意してやった――万全な状況を。

 相手は擁刃肢ヨンレンツーでこの脚を封じたつもり――直前で右脚を折り、実際に絡められたのは左脚だけ。わざと両脚を拘束されたような仕草で転がってやった。

 案の定ここぞとばかりに放たれる、左手による貫手。ルシア――右腕は真ん中から砕け、右脚も自分を拘束するために切り離した。残った左脚は貫手を支えるために、地面に突き立てられている。自身の躰を爆風から守るための盾はもうない――捨て身の一撃。

 火に照らされたその白い顔――自らの目的を完遂するために、あらゆる苦難をねじ伏せると決め込んだ、戦士の顔。

 それから逃げてはならない。それに応えなければならない。

 選択――果敢に前進。

 超振動型雷撃器が激しい稲光を放つ。獣の慟哭のような唸りを上げる――最大出力。拳の先端から発せられる高周波が、右腕に纏わりつく火をたちまち吹き消す。

 灼熱の炎を薙ぎ消す漆黒の杭。

 それを思い切り振りかぶる。防御もへったくれもない。投球フォームのような豪快な動作で、大きな弧を描きながら打ち抜かれる拳――突き出される貫手を真正面からカウンター。

 激突――爆風と打撃の熾烈なぶつかり合い。

 熱。光。音。電気。化学。運動。

 ありとあらゆる種類のエネルギーが炸裂し――噴出する。

 世界がひっくり返る――吹き飛ばされている。慌てて頭部装甲を閉鎖。視界が遮られる直前に目にした光景――自分と真反対の方向に吹き飛ぶルシア。広がる衝撃の波に耐えきれずに瓦解する倉庫の屋根と壁――その基礎構造に蓄積したダメージがついに限界を超えた。

 倉庫の倒壊に伴う地響きが、頭部装甲内の暗闇に反響――まるで世界が終わる音。

 躰が硬い何かにぶつかる――違う、受け止められている。無骨な装甲越しにも伝わる、衝撃をほんの少しばかりでもやわらげようとする気遣い。覚悟していた、瓦礫の雨がこの身を打つ感触――なし。

 激しい耳鳴りの後、先程の轟音が嘘のように思えるほどの静寂がやってくる――そしてやがて聞こえてくる、がさごそと瓦礫を掻き分ける音。砂がぱらぱらと体に降り注ぐ音。

「顔を出していいぞ」

 安心する声――言われるがままに頭部装甲を展開。目に入るのは、残り火が発するオレンジ色の明かりに照らされた、もうもうと舞い散る粉塵と――無骨で無機質な黒山羊サテュロスの頭部。

「まったく、手のかかるお姫様プリンセスだ」 

 姫様プリンセサ――その言葉を聞いて、自分が今どのように抱えられているのかをやっと把握する。背中と膝裏に回された巨人の手――お姫様抱っこ。

 こんな状況でもその手の感情は素直に反応する――顔にたちまち熱が帯びる。反射的に黒山羊の胸を押し退け、腕から転がり落ちる――瓦礫の山に頭から突っ込む。

 変に声をかけられ、さらに惨めな気持ちになる前に、素早く立ち上がる――両足と右手が無事であることに驚く。脚に関しては、カウンターを繰り出した際に、擁刃肢ヨンレンツーの巻き付いた左脚を踏み出していたことで、それが衝撃を殆どを吸収してくれたらしい――巻き付いたそれに手を触れると外殻がぼろぼろと剥がれ落ちる。

 右腕は全体に無数の亀裂が走っている――無事というよりは辛うじて形状と機能を維持しているだけという方がしっくり来る。雷撃機をまた起動させようものなら瞬く間に砕けてしまいそう――それでもあの爆発を真正面から受け止めてなのだから奇跡的と言っていいのかもしれない。

 ひび割れた指先で顔を拭う――煤だらけ。紅潮した顔は見られずに済んだ。ほっと胸を撫で下ろし、サテュロスを見やる。

 爆発の衝撃と倉庫の崩落に巻き込まれ、あちらも満身創痍という言葉がよく似合う――腹部装甲が展開し、灰色のパイロットスーツを来たパトリックが地面に降り立つ。

 初めて見るスーツ以外の格好。リアンの所感――こっちのほうが板についている。

 男がリアンの視線に気づく。

「……ああ、これか。これでも准軍事作戦要員パラミリの経歴の方が長くてね。実はこの手の服の方が着慣れてる」

 思わず凝視していたことを遅れて自覚し、それを誤魔化すために慌てて疑問をぶつける。

「あんた、国に帰ったんじゃ――」

「表向きはな」

 答えになっていない答え。二人のそばに一頭のサテュロスが駆け寄る。手には倉庫内でチオンから剥ぎ取った擁刃肢ヨンレンツーを持っている。

「よう、リアン姫様リアン・ラ・プリンセサ

 そのサテュロスからも聞き慣れた声。

「――リモン! どうして……?」

「リモンだけじゃない――除隊したFESの隊員はある警備会社が雇用リクルートした。麻薬カルテルによるパイプラインからの石油抜き取りに頭を悩ます大手エネルギー会社数社が出資し起ち上げた民間軍事会社PMSCで、こうしてCIAが荒事をしなきゃならん場合に利用する」

 リモンから差し出された擁刃肢ヨンレンツーを受け取りながら、パトリックが言う。彼以外にも続々と寄り集まってくる味方部隊――サテュロス、軍用機体、歩兵。一個小隊ほどの数。パトリックの説明通り、リモン以外にも見知った顔がちらほらといる。

「――どういう……?」

 パトリックが自機のバックパックから携帯端末を取り出す。それから擁刃肢ヨンレンツーに吸着したライフルグレネードの弾頭からコードを伸ばし、それに接続する。

「悪いな、実はかなり前からお前をマークしていた。お前がルシアって女に脅されてグスタボを殺したのも、リモンの写真を流出させたのも、すべて把握していたんだ――俺もFESもな」

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