地獄に落ちて

 ――パトリックの説明。

 グスタボ捕縛作戦の演習期間中にリアンに与えられた休暇――厳重な監視が付けられる。最高機密扱いの秘密作戦の詳細を知る隊員、それもかつてラ・カンパニアに所属していた殺し屋シカリオ――敵にとってはあまりに魅力的な餌。あえて無防備に泳がせる。

 差し込まれる弁明――ちなみに俺はその計画プランには反対だった。だからあの時わざわざこれ見よがしに姿を現して、お前を付け狙う存在に対して牽制をしたつもりだった。

 ルシアと呼ばれるチオンがリアンに接触したことも直ちに把握――脅迫の内容から、ラ・オルミガとグスタボのパートナー関係の破綻が判明。裏付けのための情報収集――実際、ラ・オルミガはラ・カンパニアとは敵対関係にあるカルテル「血盟」と幾度も接触をしていた。だが肝心の血盟は持ちかけられた業務提携に及び腰。彼らの懸念――ラ・オルミガのビジネスパートナーとなることで、あの凶暴な人食い鰐から逆恨みされるのではないか。更に、FESや特甲児童による強襲の対象になるのではないか。

 その懸念を解消してやるべく、あえてルシアの要求通り、リアンのグスタボ殺害を黙認し、押収作業の写真も流出するに任せてFESを活動休止に――CIAが隊員の資産を退避させ、折を見て政治的支援を行うことを条件にサルセド提督に承諾させる。

 懸念の解消された血盟は喜んでラ・オルミガとの商談に飛びつく。血盟は軍隊型組織のラ・カンパニアと違い、中小のカルテルの寄り合い所帯――情報は組織内部に広く共有され、また諜報員を潜り込ませる隙も多い。提携が実現すれば、ラ・オルミガを追う糸は以前に比べて格段に多くなる。除隊となったFES隊員は民間軍事会社で雇用――血盟との商談のために姿を現すはずのラ・オルミガを追う影の部隊に。

「敗走したとみせかけて別働隊で後ろを突く――古典的な作戦さ」

 自慢するほどのことじゃない――嫌味の欠片もなく、いつもの涼し気な顔でそう言いのける。

「ルシアとの会話も知ってたってことは、まさか盗聴器――」

「何度か付けさせてもらった。悪いな」

 何度もこの肩を叩いてくるパトリック――自分の迂闊さに頭を抱える。

「……なんで教えてくれなかったの」

「お前は演技が下手そうだからな」

 あまりに堂々とした物言い。それが仕事なんだ、と、こちらを騙したことについて気後れする様子は微塵もない。愕然がくぜんとして硬直しているリアンの肩を再びぽん、と叩くパトリック。

「お前が素直に泣きついた場合を想定して、他の手立てだって用意していた。だから言ったろう。子供は大人に何でも相談しろって。ちなみに今のじゃ、盗聴器BUGは付けてないぞ」

「あったりまえだろっ!」 

 憤慨したのち、リアンは遅れてあることに気づく。

「……もしかして、あの事も知ってる?」

 あの事――自分が必死に守り続けてきた秘密。そのために自分は仲間を裏切り、そのけじめをつけるためルシアとあんな死闘を演じた。

 パトリックが作業の手を止め、こちらの目をしっかりと見据えて言う。

「……あの時、お前がオヒナガにいたことは――サルセド提督以下FESの隊員全員が知っている。死体を焼いても、検視をすれば彼らの多くが鋭利な機械義手によって命が奪われたということはわかるし、お前は擁刃肢ヨンレンツーを身に着けたまま軍に保護された」

 突きつけられる――ここのところの自分の右往左往、その全てが間抜けな独り相撲だった事実。襲い来るとてつもない虚脱感――そして今ではすっかり心の一部と化した罪悪感が、いつもよりも余計に暴れ始める。あの秘密を知ってもなお、この自分を受け入れてくれた仲間たちを、自分は裏切った。

「……リモンも?」

 リモンが搭乗しているサテュロスに目を向ける。

「――ああ、知ってたよ」

 気まずいことを告白するような言い方――本来、真実を告白するべきはこの自分なのに。正しいことをする――つい先程した決心を思い起こす。今がそれを実行する時。

 リアンはルシアから渡されたメモリーカードを懐から取り出しリモンに投げ渡す。黒山羊が太い指でそれを器用にキャッチする。そして息を吸い、ゆっくり、口を開く。

「あたし、たぶんあんたの兄貴を殺してるんだ。今まで黙ってて……ごめん。その中に、映像が入ってる――それを隠そうとして仲間FESを――」

 告解を聞き終えないうちに、リモンが手にしたメモリーカードを粉々に握り潰してみせる。リモンの予想だにしない行動に驚いて、リアンは口の動きを止めてしまう。

「兄貴を殺したのはグスタボさ――お前はグスタボを殺し、俺の命も救った」

 今となっては遠い昔の出来事のように思える、いつぞや事業部長エル・フェレンテの捕縛作戦――リモンを踏み潰そうとする軍用機体を押し留めたこと。

「でも、あたしのせいでリモンもみんなもFESを――」

「はしゃぎすぎた俺らも悪い。それにお前は、最後には仲間を売らずに戦うことを選んだ――お前は正真正銘のFESの一員だ」

 リモンが顎で周りを指し示す。通信越しに会話の内容を聞いている他の元FES隊員たち――彼らも頷いている。頬を涙がつたう。喉奥から漏れ出す声を押し留めることができない。顔を俯けて、たまらず泣き喚いてしまう。

「あー、でも俺はもうFESじゃなかったな。でも気にするな。こっちのほうが給料が良いんだ」

 隻腕の少女の涙に狼狽えたリモンがおどけた調子で取り繕う。一通り涙を絞り出し、少しばかり気持ちを落ち着かせてから顔を上げてみせる。震える声で彼らに伝える。

「……ありがとう」

 気恥ずかしさからか彼らは返事をしない――その視線や仕草で、自分の謝罪を、感謝を受け入れてくれている。

「――さて、しこりも取れたことだ。仕事の続きに取り掛かるぞ」

 リアンと元FES隊員のやりとりを横目にして、いつの間にか作業を再開していたパトリックが、携帯端末の画面を睨みながら言う。

「仕事って……」

 リアンが腫れた目元を拭いながら尋ねる。

「ラ・オルミガを追う。実のことを言うと奴を血盟との商談に誘き寄せたところまでは良かったんだが、そこで盤面が膠着した――ちょうど今が商談の真っ最中なんだが、会談場所を八つも用意されてしまってな。血盟内部にいる情報提供者インフォーマントもどれがデコイで、どれが本命か絞り込めず――FESを一度手放すことにしたばかりに、全ての場に人員を配置するための人手も足りずって状況だ」

 この男にしては珍しく自分の不甲斐なさを恥じるような台詞――それが小気味よくて少しだけ元気がでる。

「それで、どうやってラ・オルミガを追うっていうの?」

 パトリックが携帯端末と接続した擁刃肢ヨンレンツーを掲げてみせる。

「この擁刃肢ヨンレンツーがラ・オルミガへと導く糸になった。これに撃ち込んだのは、アメリカ国内の超高度AIマスターサーバーと接続するための中継装置で――超高度AIマスターサーバーが主権範囲外にある端末にアクセスするのは国際法違反なんで接続できるのは二秒だけだが――それで擁刃肢ヨンレンツーの制御システムを解析したところ、オンラインでその動作を監視するプログラムが仕込まれていた」

「……なんだってわざわざそんなものを?」

 まるで強迫神経症患者のように自分の足跡を入念に消し去ってきたプリンチップ社の亡霊――そんな男がやることにしては、あまりにお粗末な仕掛け。

「ラ・オルミガ――蟻骨イークーは元々、中国人民解放軍の非公式の工作部隊率いる隊長だった。チオンというのも本来はその部隊を指す暗号名コードネームで、構成員は戸籍を持たない黒孩子ヘイハイツから選ばれた。軍は擁刃肢ヨンレンツーに停止コードを仕込み手足を人質とすることで、国家への忠義心の薄いチオンたちの裏切りを抑制していたが、プリンチップ社が安全装置セーフティを取り外した――そのおかげで奴は晴れて自由の身となり、今こうしてこの国で悪行を積み重ねている。奴もかつての自分の上司ボスと同じことをしたのさ。それも停止コードどころの話じゃない、リアルタイムでモニタリングしてる――自分が裏切り者なだけに余計他人の裏切りを恐れていたと見える。信号の発信先が、商談の場として設定された場所のひとつと一致した――蟻骨イークーがそこにいる可能性は高い」

 パトリックの解説を聞きながら、リアンはルシアと最後に相対した時のあの顔を思い出す――湧き出てくるのは怒り。

 彼女は死力を尽くしてこの自分を殺そうとしていた。確かにその動機は忠義によるものでなく、この自分に対する私怨だったのかもしれない。だがラ・オルミガはきっとそれも織り込み済みでルシアを差し向けてきたはず。つまり彼女の働きを疑っていたということは、彼女の憎しみを疑っていたということ――それが我慢ならなかった。

 いつの間にかまた固く握られているその右手を見て、パトリックが言う。

「まだ戦えるか?」

 顔を振り上げる。予想だにしていないその申し出。今の自分が戦力になるとはとても思えない。むしろただの足手まといでしかないはず。それなのに目の前のこの男は、お前も来るか――自分にそう聞いてくれている。

 ラ・オルミガ――彼がこの国にやってきたことが、結果として自分とルシア、二人の人生を大きく変えることとなった。もちろん、彼女を見捨てたこと、村の人々を殺したこと、FESの仲間たちを一度は裏切ったこと、それぞれついて、最後は自分が負うべき咎だということ――それは理解している。自分がラ・オルミガを恨むのはただの八つ当たりなのかもしれない。

 それでも、最後は見届けたかった――黙って頷いてみせる。

 男がわざとらしく肩を竦める。

「まったく、大した闘争心だよ」

 パトリックが手にした擁刃肢ヨンレンツーをリモンに投げ返し、リアンを軍用機体に乗せるよう指示をする。そしてサテュロスに再搭乗しようと、展開した腹部装甲に手をかける。

「ねぇ、その擁刃肢に仕込まれたモニタリングプログラムとか、停止コードとかって外せる?」

 リモンが掴んでいる擁刃肢ヨンレンツーを指差し、リアンが言う。

「制御ソフトの解析データは手元に転送されているから、可能だ。何をするつもりだ?」

 自分の意図を説明しようとリアンが口を開きかけたちょうどその時――遮るように発せられる掠れ声。

「――営頭イントウには会わせないわよぉ」

 その場にいた全員が、声の主に向けて一斉に振り向く――手にした銃を構える。リアンがその射線を遮るように素早く前に飛び出て、彼らを制止する。

 僅かに関節の残った右手を使い、ルシアが瓦礫の隙間から這い出てくる。白い髪は煤で黒く染まり――顔も半分赤黒く焼け爛れている。とても戦えるような状態ではない。

「――ルシア」

 上半身だけをなんとか瓦礫の上に投げ出し、仰向けに倒れながら、ルシアがこちらを睨みつける。

「あなたたちは……ここで死ぬんだから……」

 血の泡を吹き出しながら発せられる呪詛。激しく咳き込む。痛々しいその姿――それでも彼女は自分を殺すことをまだ諦めていない。ルシアをそこまで追い込んだのは、グスタボ、フェルナンド、ラ・オルミガ――そして何よりこの自分。一度は胸の奥深くにしまい込んだはずの自責の念が再び溢れ出す。

「もうやめろ。投降するんだ……あたしがまた守ってやるから……」

 贖罪をさせて欲しかった――なかったことには出来ずとも、やり直せると信じたかった。

 ルシアが露出した表情筋から血を垂れ流しながら、口角を無理矢理吊り上げる。

「……もう遅いのよ――言ったでしょ? 今更、だって」

 焼け焦げた白髪がずるりと滑り落ちる。露わとなった頭部――その奇怪な姿形に、その場に居合わせた全員が息を飲む。頭頂から後頭部にかけて異様なへこみ――頭蓋の中身が丸ごとくり抜かれている。あるべき脳がそこにない。

「……お前、その頭っ――!」

 彼女の顔から笑みが消え失せる――命の灯火が急速に弱まっていく。

「――それでもまだ私に気をかけてくれるなら、最後のお願いを聞いて頂戴……私と一緒に地獄に落ちて――リアンお姉ちゃん」

 そう言い残し、ルシアが擁刃肢ヨンレンツーの刃で自らの首を掻き切る。空気の抜けるような小さな断末魔が傷口から漏れ出る。

 地平線の薄闇が白めき始める――夜明けの到来。それと同時に、一帯を包み込んでいた静寂が、金属質の咆哮によって引き裂かれる。空気をびりびりと震わせる何物かの鳴動――まるで巨大な鉄塊同士が擦り合わさっているかのよう。

 発生源――工場と隣接する河川、その上流。激流のような水飛沫をぶち上げて、屹立する細長い鋼色の巨体。まるで骨格標本のように露出した肋骨――その胸がエメラルド色に発光し始める。

 突如出現した鋼鉄の大蛇――その姿を見上げたパトリックが、ぽつりと呟く。

「――犠脳体兵器だ」

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