犠脳体兵器

 気の進まない任務だった。胸糞が悪い、そう表現してもいい。 

 男――メキシコ陸軍の少佐は、部下が運転する指揮車両の助手席で不機嫌そうに黙り込んでいた。

 下された命令――脱走した海兵隊所属の特甲児童の追跡・確保。そのための任務部隊タスクフォースを急ぎ編成し、今は現場に向かっている。歩兵部隊と機械化部隊を中心としたその構成――相手が相手だけに兵員装甲輸送車APCや軍用機体も用意――規模は二個中隊に相当する。

 男の不満――海兵隊の連中がしでかした不祥事の尻拭いに何故、陸軍がわざわざ出向かねばならないのか。もちろん、上の連中の考えることはよく理解している。連続する不祥事で、大統領官邸ロス・ピノスの政治家どもは、海兵隊をもう信用していない。陸軍の上層部はこの機会に海軍に対して貸しを作りたい。同時に、自らの有用性を証明したいと考えている――あの人食い鰐を始めとするGAFEの面汚しらのおかげで、この麻薬戦争において陸軍は随分と煮え湯を飲まされてきた。

 理解はする――だからといって、自分と自分の部隊が政争の具として使われるのはまったくもって耐え難い。

 さらに、命令それ自体に不可解な点が多いことも男の不安を加速させた。与えられた特甲義肢に関する資料によれば、装備者がその兵装を使用した場合、すかさず通知が軍に届く同時に、装備者の行動や周期の状況を逐一モニタリングできる仕様となっている。にも関わらず、特甲の転送を感知してから確保の命令が下されるまでに不自然な間があり――更には、特甲のセンサー類から得られる情報、現場の具体的な状況についても一切知らされぬまま出撃を強行させられた。

 もちろん、この国の腐敗した官僚組織の怠慢や無能ぶりは名の知れたもので、この手の遅滞や情報の欠落は日常茶飯事ではある。

 だが聞けばあの兵装はアメリカ政府の所有物――一歩対処を誤れば、外交問題にも成りかねない爆弾。北の大国に媚びへつらうしか能のない腰抜けの現政権がそんな怠慢を許すはずがない――とすれば何か隠された意図がある。

 陰謀の匂い――それも閣僚クラスに近いかなり上層の人間が関与した痕跡。自分はどこぞの誰かが画策した策謀の糸に絡め取られた。糸に操られるままでは、それを吐き出した主に食い殺される――無理に引き剥がそうとしても同じ結末を辿るだろう。今後の振る舞いについては慎重にならねばならない。

「――少佐」

 隣の部下の呼び声によって、思索の海から引き上げられる。ハンドルを握る若い下士官――彼が、今まさに夜明けを迎えようとしている空を呆然と見上げている。

「あれは……」

 男が目線を正面上方向に向ける――日の出によって白み始めている空。地平線の付近にインクを垂らしたような黒い滲み。その滲みの数が徐々に増えていく――増殖は加速度的で、瞬く間に地平線の一端を埋め尽くす。

 白雁――? 彼らが越冬のため到来する保護区や自然公園はこの近辺には存在しない。そもそも渡り鳥たちは北からやってくる。この車両の進行方向は南。とすればあの影は一体――。

 迫りくる黒い滲みが空に描く軌跡――翼ではありえない変則的な軌道。それがある種の飛行体のみが見せる特有の動きであることに気づいた時、男はすでに事態がどうしようもなく手遅れであることを知る。

 車列を緊急停止させ、急ぎ散開を指示――兵士たちや軍用機体が道路脇の木々や岩場の影に身を隠そうとする。

 彼らに向けて迫る無数の小型マルチコプター――ドローンの群れ。逃げ惑う獲物の姿を捉えたそれが楔型の隊形に。先頭の個体が急降下――積載した高性能炸薬を爆裂させる。他の個体も追随――次々に自爆。

 爆炎が灼熱の槍となり地面に向けて降り注ぐ。

 男の懸念は現実のものとなる。


「――お前を確保するために派遣された部隊が壊滅した」

 上空七〇〇〇メートルを飛行中の無人偵察機UAVから送られてくる偵察映像――それをサテュロス内のモニターで確認したパトリックが、忌々しげにそう吐き出す。傍らにはリアンの姿。壁に背を持たれながら、右手で破損した左腕の残骸を生体との接続部から無理矢理引き剥がしている。

 廃工場内の一室――あの怪物が起動に手間取っている隙に、部隊を分散させ近場の堅牢な建物内に退避。その判断はひとまずは正解――鋼鉄の大蛇が胸から吐き出したドローン群は、この場に接近しつつあった別の脅威に向けて飛び去った。

「あのエメラルド色の発光――転送兵器っすね、あれ」

 部屋の奥から窓に向け対物ライフルを構えるもう一頭のサテュロス――リモンが言う。

「うちの大事な資産アセットのための転送塔が利用されているんだろう。つまりはあの化け物は無尽蔵にあの自爆ドローンを吐き出せるということだ」

 その化け物は現在、数十機のドローンを纏いながらその身を河に浮かべ動きを停止したまま。胴はこちらの軍用機体――二〇トンサイズ――の数台分の長さはある。胴から肋骨のように伸びる細長い骨組みをを河に浸すと、周囲の河の水がたちまちに氷結――分厚い氷がその身を覆い隠した。氷結装甲――骨組みから散布された特殊な溶液によって凍結したその氷は軍用の特殊土嚢並みの強度を誇り、水分が供給される限り無限に修復し続ける。

「その、ぎのうたい兵器って――」

 靴裏にひっついたガムのように頭から離れないあのルシアの死に様――中身をくり抜かれた頭部。彼女はあんな状態で自分と戦っていた?

「通常、先進国の都市圏であの手の大型兵器を使用しようとしても、都市管理システムである超高度AIマスターサーバーの電子介入によりシステムを強制停止させられてしまう――犠脳体兵器はシステムの中枢に人間の脳を用いることで、その電子的防衛システムに対抗できる唯一の兵器群だ。あの化け物の腹の中にはあのルシアって女の脳があり、彼女の肉体の死が起動の引き金トリガーとなった」

「脳が無事なら、まだ助け――」

「人間の脳が、あの巨大な構造物を自身の身体として認識するために必要な通過儀礼イニシエーション、それが死の経験だ。自死の知覚が個としての意識を消失させ、機械システムとの完全なる融合を促す。文字通り怪物に生まれ変わるということだ……ルシアと呼ばれる女の人格はもうこの世に存在しない」

 一縷の望み――あえなく打ち砕かれる。黒山羊の無骨な手が肩に回される。

「――お前が終わらせてやれ」

 リアンは奥歯を噛み締めながら、黙って頷く。河の方向から氷塊の軋む音が鳴り響く。

「動きだしました。ドローンも散開――動きからして、何かを探してますね。まぁ俺らのことでしょうが」

 リモンがライフルのスコープ越しに見える光景について報告する。

「システムの完全起動にえらく時間がかかったな……抱えている技術者の質が大分落ちてると見える」

ですけど、UCAVからヘルファイアミサイルでドカン、ってわけにはいきません?」

「残念ながら我々の頭上を飛んでる機体は非武装だ。それにアメリカ政府所有の無人機からの攻撃はそちらの大統領官邸ロス・ピノスもこちらの大統領官邸ホワイトハウスも承知しないだろう」

「でもあのドローンの群れがいる限りは俺らはここで釘付け――軍がを沈めてくれる頃にはラ・オルミガはまたどこかに逃げちまうでしょう」

「だから、我々でを処理するしかあるまい」

「……あんた、意外と無茶を言い出すタイプなんですね。姫君ラ・プリンセサと気が合うわけだ」

 黒山羊が大げさに肩をすくめてみせる。パトリックが手にした対物ライフルの残弾を確認する――無駄のない動作。その所作には逸りも怯えもない。無謀でも自棄でもなく、この男は本気であの怪物を仕留めるつもりでいる。

「さて、相手は装甲も攻撃手段も無尽蔵。対する我々は精鋭といえど少数、武装もあの手の大型兵器と戦うためのものはない。どうしたものかな……ん、何をしている?」

 パトリックが脇のリアンを見やる。すっかりと剥き出しとなった左肩の特甲接続部、リアンがそこに先程受け取った擁刃肢ヨンレンツーをあてがっている。

「あたしの特甲、擁刃肢ヨンレンツー用の接続部クッションをそのまま流用してるの。丸ごと付け替えるのは身体への負担が大きいからって、だから多分――」

 カチリと接続部同士がはまる音。擁刃肢ヨンレンツーの各関節が根本から先端に向けて滑らかに動き出していく。

「ほら、動いた」

 自在に動く鋼の指先を自分の顔の前に掲げながら、リアンが言う。珍しいことにパトリックの返答が僅かに遅れる――やがてサテュロスのスピーカーから小さな笑い声が漏れ始める。

「諸君、まずはひとつ朗報グッドニュースをお知らせしよう。我らが姫君プリンセスは、その自慢の闘争心を僅かばかりも喪失していない」

 全隊員に向けて無線報告――他の隊員たちからの囃し声が無線内に響く。

「だから、それはやめてって――」

 パトリックに口を塞がれて、抗議の台詞が途中で遮られる。そして頭部装甲の耳の裏のあたりを指で突かれる――無線システムのリンク作業が終了したという合図。リアンは無線をオンに――沈黙。聞こえるのはパトリックとリモンの息遣いだけ。

 窓の外をかすめるようにローター音が横切っていく。窓から差し込む朝日に影が落ちる。小型犬サイズと推察されるドローンのシルエットが多数――忙しなく動き続けている。

 リアン、パトリック、リモン――三人が顔を見合わせる。別の建物に隠れている味方による報告――ドローン群が建物を取り囲み、この部屋を中心に寄り集まりつつある。

〈――走るぞ〉

 無線越しに発せられるあまりに単純過ぎる命令。それに対して了解を伝える間もなく、全員が一斉に動き出す。ほぼ同時に弾け飛ぶ背後の壁――瞬く間に瓦礫と粉塵に変貌。飛び散る破片を背に受けながら、床を力強く踏み抜く――コンマ数秒で全力疾走に移行。立ち込める粉塵の中から飛び込んでくるドローン群――柱や壁に向けて突進し自爆していく。

 止むことのない爆発音――聴覚センサーが死んでいることにこの時ばかりは感謝する。バイザー内のスピーカーは鼓膜にダメージを与えぬよう、その音量を調整してくれるだろうが、それでもこの轟音を耳にし続けていたら頭が割れてしまう。

 リアンらが建物から飛び出し、寸分遅れて押し寄せる爆風の波が玄関口を吹き飛ばす。追い打ちにように鳴り響く、建物を支えていた重要な何かが軋みだす音。敷地を囲むフェンスを二頭のサテュロスがタックルで押し倒し、リアンがその上を飛び越えていく。

 後方でつい先程まで自分たちが潜んでいた建造物――鉄筋コンクリート造の三階建て――が呆気なく内側に向けて倒壊し、一帯に巨大な土煙を撒き散らす。爆破解体を思わせる鮮やかさ――恐るべきことにあのドローンは無目的に自爆するわけではなく、対象を破壊するための最適な爆発を計算し、実行している。

 息をつく間もなく第二波に取り囲まれる――狭い路地へと飛び込み、変幻自在の軌道を制限させつつ、サテュロスが発煙弾発射機スモークディスチャージャーから煙幕を展開。ドローンの索敵手段がわからない今、それに効果があるのかは不明――だが、これに対する反応でそれを推察できる。

 脚部のホイールから火花を散らしながら二頭のサテュロスが路地の地面を、時には壁を駆け抜けていく。サテュロスを追うリアン――特甲義肢の右手と擁刃肢ヨンレンツーの左手、その重量差から思うように躰のバランスが取れず、彼らに僅かに遅れる――煙幕を物ともせずドローンがその背に迫る。

 遅れを取る突撃手をフォローするため、リモンの搭乗するサテュロスが腕に仕込んだサイドアームの小銃をドローン群に向けて連射。群れの先頭を走る機体が撃ち抜かれて爆散――後続が次々と誘爆し、路地の囲む建物の壁が崩落する。瓦礫に進路を塞がれたことで追いすがるドローン群が迂回を選択。それによって少しばかりの幕間インターバルが生み出される。

 逃げるだけで精一杯。このままではあの怪物を仕留めるどころか、河辺に近づき一矢報いることすら不可能。この男ならなんとかしてくれる――その淡い期待によって奮い立たせた闘争心が早々に折れかける。畜生、褒められたばかりなのに。パトリックは一体どうやってあれを――かつてルシアだったあの化け物を倒すつもり?

〈さらなる朗報が舞い込んできたぞ。あの自爆ドローンは我々を攻撃するだけでなく、群れの幾つかは首都を始めとした近郊の大都市に向かっている〉

 その一瞬を逃さず、パトリックが無線通信で状況を報告。

〈それのどこが朗報なの⁉〉

 すっかり息の上がった声でそれに返答する。待ち伏せをしていたドローンが一機、路地の正面から飛び出してくる――爆破圏外から擁刃肢ヨンレンツーの手刀で真っ二つにし、そのまま走り抜ける。この左右非対称な躰の動かし方のコツを掴みかけつつある。

〈先程の陸軍部隊の壊滅も合わせて、大統領官邸ロス・ピノスはすっかりと怯え縮こまってしまったようだ。プリンチップ社製兵器との実戦経験が豊富なこの国唯一の部隊に泣きついた〉

〈それってつまり――〉

〈FESが動けるぞ。たった今、サルセド提督に転送塔の奪還を要請した〉

 騎兵隊の出撃の報――あ、やっぱりなんとかなるかも、と気分が転身。少し前から自分でも驚く程気持ちの上げ下げが激しい。昨晩からあまりに事態の急変を重ねているせいで、戦闘高揚コンバットハイとはまた違う――精神科医ならそれらしい名前を諳んじてくれそうな、何か特別な精神状態に。ルシアの変貌に対する悲嘆。仲間たちFESの復帰に対する安堵。無数の感情が混濁――何種類もの絵の具を水に垂らしてかき混ぜたよう。

〈兎にも角にも、今はこの攻撃を凌ぐだけだ。何が何でも生き残れ〉

 男の下す命令で雑念が吹き飛ぶ。思考が一瞬で研ぎ澄まされる。

 生き残れ――そう、今集中するべき事柄はそのひとつだけ。他の感情に向き合うのは生き残った後でいい。

 一行が路地から道路に躍り出る。河の方を見やる――河岸を囲むフェンスの向こうで巨大なエメラルドの輝きが激しく明滅。空を覆い尽くす勢いで吐き出され続ける自爆ドローンの大群。離れた場所から爆発音。おそらく自分たち以外の味方部隊も発見された。

 自分たちの姿を発見した一群が、すかさずこちらに向けて急降下してくる。

 来るなら来い。何が何でも生き残ってやる。

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