予期せぬ再会

 リアンは首都シウダ・デ・メヒコの中心街にあるショッピングモールにいる。

 久々の休暇。

 いかにも軍属です、と言わんばかりの普段の無骨な服装と違い、幾分か柔らかめのファッション――少し大きめの白いパーカーに紺色のジーンズ、スポーツスニーカー。肩にはリュックサック。普段は掛けていないリムレスの眼鏡。

 機密保持のためグスタボ捕縛作戦の中枢コアユニットとなるFES隊員らは現在、密林奥深くの秘密演習場に缶詰となっている。リアンは幸いにも、児童労働に関しては国際条約による厳しい規制――軍属の特甲児童と言えど無視できない厳格なもの――が課せられており、そのおかげでこうして息抜きに街へと繰り出せている。

 繰り返される演習が、自分が再びグスタボと相見える可能性について、冷静に思考する時間を与えてくれた。FES隊員の個人情報は最高機密扱いで、任務中は特甲で顔も覆い隠されている。自分が生きていることを奴に知られる心配はない。

 だから大丈夫――きっと。

 リアンは買い物を済ませた後、モール内のカフェで遅めの昼食を注文する。アイスコーヒーとサンドイッチを載せたトレイを手に、テラスにある二人がけ用のテーブルに腰を下ろす。すぐ近くのテーブルには、自分と同年代の――いかにもお嬢様然とした三人組の女学生の姿。

 もしかすると麻薬商の令嬢ブチョナかも。リアンは女学生らの会話に耳をそばだてる。

 聞こえてくる内容はテレビ小説テレノベラや学校生活、色恋、家族について――特別気に留めるほどの内容はなし。

 当たり前といえば当たり前――もし家族に麻薬密売に関わる人間がいたとして、街中のカフェで友達と裏稼業ピスタ・セクレタの話をするわけがない。

 にも関わらず、つい聞き耳を立て続けてしまう。自分が彼女たちの仇でないことを確認したかったし――何より話されている内容があまりに聞き慣れないものだったから。

 その会話には、七〇ドルぽっちで殺しを請け負う子供や、売人達が死の聖母サンタ・ムエルテに敵の生首を捧げる恐ろしい儀式、選挙のたびに十数人単位で殺される立候補者たちに関する話は飛び出してこない。

 この十数年で、麻薬戦争の犠牲者の総数は二五万人を超えた。この数字に失踪者や、アメリカを目指す中米の不法移民がメキシコ国内で殺害されたケースは含まれていない。

 大手の麻薬カルテルはそれぞれ数千人規模の準軍事組織パラミリタリーを抱え、ラ・カンパニアのように政府を相手に公然と宣戦布告をした組織もある。

 そんな状況であっても、大都市の中心部では商業用の高層ビルやショッピングモールが立ち並び、彼女たちのように消費活動を存分に堪能している人々がいる。

 純然たる事実として、メキシコは国内総生産GDPが一兆ドルを超える先進国である。

 経済誌の長者番付には、麻薬カルテルのボス以外にも(少なくとも表向きは)合法的な事業で富を築き上げたメキシコ人の億万長者が十人以上名を連ねている。確かに一部の寡頭資本家オリガルヒに富や権力が集中している傾向はあるものの――それはどこの先進国でもそう変わらない――豊かな中産階級も存在し、公的サービスも行き届いている。

 そして実のところ、麻薬戦争には、この表面上の平和と繁栄が不可欠だ。

 不思議な話にも聞こえるが、当然の話でもある。

 麻薬密売人ナルコの目的はあくまで金儲け。

 政府へ宣戦布告する組織があっても、それはあくまで経済的利益を守るため。

 そして金は使えなければ意味はない。表の資本主義経済が発展していなければ、裏稼業ピスタ・セクレタで稼いだ金を合法的な金に洗浄することも、その洗浄した金を使うこともできない。

 この麻薬戦争は、センセーショナルなニュースが発するイメージよりもずっと複雑なものだ。暴力と豊かさが薄皮一枚隔てて、共存している。

 ペーニャ隊長夫妻の受け売りを思い浮かべながら、リアンはアイスコーヒーのストローに口をつける。

 今の自分は、こうして泥水を啜らずとも、清潔な水で作られたコーヒーを飲めるようになった。食事だって、店の裏手のゴミ箱から残飯を漁らずとも、正面から堂々と入店して料理を注文すればいい。

 自分は恵まれている――だがその生活は、手足を失い特甲児童となったからこそ得られたもの。

 隣のテーブルにいる彼女らは生まれながらにして、そして暴力とは無縁のままそうした生活を享受できる立場にある――薄皮一枚向こうの存在。

 思わず考えてしまう。

 もしかして自分にも、彼女たちのような――薄皮の向こうにある人生もあり得たのだろうか。あの時、国境の北エル・ノルテにさえ辿り着けていたとしたら。

 リアンは、すぐにその夢想を一蹴する。

 あたしは辿り着けなかった――それが事実だ。

 女学生たちの存在を意識から追い出し、サンドイッチに手を付ける。

 食事を終えると、つい先程書店で購入したばかりの参考書をテーブルの上に広げる。軍属の特甲児童と言えど、義務教育で定められたカリキュラムはこなさなければならい。こんな状況でも、学力試験は間近に迫っている。

「演習場に軟禁されていると聞いていたがな、黒犬ブラックドッグ

 背後から聞き慣れた声。振り向くと、相も変わらずいつの間にかいるスーツ姿の男――パトリック。基地にいる時と寸分も変わらないその姿。まるでそれ以外の服など持っていないかのよう。

 手には買ったばかりと思われるアイスコーヒー。霜で指先が濡れないよう、プラスチックカップにハンカチを巻いている。

「……もしかしてあたしのこと尾けてるの?」

「半分正解で、半分不正解だ。俺も大使館に用事があって首都こっちに来てたところ。お前もちょうど休暇オフで首都にいるという話を聞いてな。当たりを付けて探してみたら見事的中ビンゴだ」

 首都この街の人口は約九〇〇万人。当たりをつけられたからといって、たったひとりの人間を探せるものでは決してない。

「それ、どうやんの?」

「職業上の秘密だ。座ってもいいか?」

 パトリックはリアンの正面にある空いてる椅子を指差す。

 これから勉強をするつもりだったんですが――机の上に広げられた参考書を指差し、無言で拒否を告げる。だが、パトリックは立ち去る素振りもなく、いつもの涼しい顔のまま――リアンの返事を待っている。

「――いいけど」

 最終的にリアンは折れる。無事に着席の許可を得た男が、手に持ったコーヒーをテーブルに置いて腰を下ろす。それから、対面に座る少女のいつもとは違う姿を物珍しそうに観察し始める。リアンは自分の眼鏡姿を初めて見られていることに気づく。

「あたしが勉強しているのがそんなに変?」

「いや、殊勝だと思っている……学校に行きたいのか?」

 まるで、先程までの自分の思考を覗き見していたかのような、ピンポイントな質問。

 FESの任務と通常の学業の両立は不可能――基地では大卒で教員資格を持つ隊員らが教師役となり、勉強を教えてくれている。

「別に……ただ、ビクトリアがテストでいい点をとれば、特甲児童以外の職業を選択できるかもしれないって。あたしは別に特甲児童この仕事を辞めるつもりとか特にないんだけどさ」

 学業成績次第で、職業選択の幅が広がるのは事実。

 ただし、制度上は可能となっていても、実現することは難しい。

 リアンの四肢に移植された特甲義肢は、アメリカ政府の所有物。リアンが特甲児童以外の職業を選択するのであれば、特甲義肢を返却した上で、自腹で新たな義肢を購入する必要がある。

 幸いFESにおけるの伝統から、リアンは年齢に不相応な額の貯金を持っている。安物でない、それなりの高性能義肢を購入することはできるだろう。しかし義肢の定期メンテナンスや身体の成長に合わせたパーツ換装など、購入後の維持費用を賄えるだけの給与を得られる児童労働は片手で数えるほどしかなく――そうした仕事は概ね軍・警察関係に限られる。

「ビクトリア……ペーニャ隊長の奥方か」

「会ったことある?」

「米帝国主義の犬と面と向かって罵られたよ」

 パトリックは自嘲的な笑みを浮かべる。リアンはどう答えたものかと思案するが、気の利いた返しは思いつかず。

 近くに座っていた女学生グループが席を立つ。彼女らが立ち去る様子を眺めて、パトリックはふと何かを思い出したかのように言葉を続ける。

「……本来、特甲児童は三人一組で運用されるものでな。特甲の転送を担う転送要員も今でこそAIが担っているが、ついこないだまでは接続官コーラス――特甲児童の仕事だった。お前みたいに同世代の戦友のいない特甲児童はなかなか珍しい……例外な存在イレギュラーと言ってもいい」

「……あたしは気にしてないけど」

 FESに配属されてから、孤独を感じたことはない。FESの隊員たちは、自分のことを戦友として、仲間の一人としてちゃんと認めてくれている。

「年端もいかない子供が特殊部隊の先鋒として戦っているんだ。もちろん特甲児童には精神的重圧ストレス心的外傷トラウマから精神こころを守るための予防措置が幾重にも取られている。三人一組チームでの運用も本来であればその予防措置のひとつなんだが、アメリカ政府内部の小便の飛ばし合い――政治的要請の折衷の結果として、お前を独りで戦わせてしまっている……それについて負い目がないわけじゃない」

 リアンはパトリックの告解を複雑な気分で聞いている。

 自分にやたらと構うのはその負い目とやらが原因なのか――ビクトリアがパトリックを米帝国主義の犬と呼んだ理由をリアンはなんとなく理解する。この男はまるでそれが当然のことであるかのように、自分個人とアメリカという国家を重ね合わせている。

「お前のその見事な戦いぶりは、俺の懸念を吹き飛ばしてくれるがな。とはいえ、お前はまだ一四歳だ。大人に頼るのは恥じゃない。要望があるなら遠慮せず頼み込めばいいし、悩みごとがあるなら相談してみたっていい」

 先日のブリーフィングを思い返す。パトリックはやはり気づいていたのかもしれない。

 あんたは何を知っている? 

 そんな疑問が思わず喉元までせり上がる――だが、結局は切り出せず。

 黙り込んでいるリアンの姿を、「勉強を邪魔されて不機嫌になっている」と勘違いしたのか、パトリックはそそくさに席を立ち上がる。

「別に頼る相手は俺じゃなくてもいいが――これでも大学では心理学を専攻していたし、カウンセリング資格も取得している。になる自負はある。さて、邪魔をして悪かったな」

 そう言い残し、リアンの肩をまた軽く叩いて歩き去る。

 リアンは数拍遅れて、中身の残ったプラスチックカップがテーブルにそのまま残っていることに気づく。ちゃんとゴミは捨ててけ――そう文句を言おうと、その背を追おうとしたが既に手遅れ。人混みの中にそのスーツ姿を見つけることはできず。

 いつものようにふらりと現れ、ふらりと消えていく。

 残されたコーヒーをじっと眺める――どうも一度も口をつけなかったらしい。

 まったく、何しに来たんだ。

 しばらくしてから、筆記具を掴み直してテスト勉強を再開しようとする。

 だがその瞬間、先程までパトリックが座っていた椅子に今度は別の人間が腰を下ろす。

 リアンは顔を上げ、新たな邪魔者の姿を確認する。

 学生服を着た、自分と同い年ほどの少女――少し前まで近くのテーブルに座っていた女学生三人組のひとり。首元で切り揃えられた黒いボブカット。病的に白い肌。紙細工を思わせる華奢な体つき。

「ひさしぶりね」

 少女が不敵な笑みを浮かべて言う。生憎あんたのようなお嬢様と知り合いになった覚えはない――そう言い返そうとした時、その冷たい薄ら笑いが、リアンの記憶の奥底をほじくり返す。

「すぐに気づいてくれないなんて、わたし、とっても悲しいわ――ねえ、

 思わず手にしたボールペンを落としかける。死者の日ディア・デ・ムエルトスは先日終わったばかり――にも関わらず、死んだはずの人間が、こうして目の前に座っている。変わり果てた姿で昔と変わらず自分を姉と呼ぶ。リアンも少女の名前を口にする――決して忘れてなどいない。忘れるはずがない。

「――ルシア」

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