黒い特甲児童
二十一世紀、先進諸国に押し寄せる超少子高齢化の波――労働人口の急激な減少への対応が各国の喫緊の課題に。
移民という対応策は、多文化共生社会への移行に必要な政策の欠如と、それを原因とする排外主義の躍進により、十分な効果を発揮できず――極端な経済格差を一層促進するとともに、歪んだ民族主義の台頭という禍根を刻み、その出口は未だ見い出せぬまま。
飛躍的に進歩した機械工学技術による労働の効率化も焼け石に水でしかなく――段階的に「児童の労働の権利の保障」という概念が解禁される。
そしてその不足する労働力を児童で補う、という発想は、不足する兵力に頭を悩ませる軍においても早々に導入されることになる。
特甲児童――最新の機械工学で能力を底上げした児童たち――の登場。
その専用兵装――〈特殊転送式強襲機甲義肢〉、通称〈特甲〉。オーストリア兵器開発局が発明した革新的転送兵器。四肢に移植されたメリアー体が、転送された情報を元に最新兵器を搭載した特甲構造に造換。例え損耗しても再転送により瞬時に、そして無限に復旧――質量保存の法則を無視したかのような魔法の兵装。
開発計画を主導していた研究者たちの不審死により、システムに
現在では約二〇〇名の特甲児童が、世界十七カ国の軍や法執行機関に配属されている。
メキシコ海軍基地――リアンは運動場の片隅にある喫煙所で紫煙をくゆらせている。
その日は朝から特甲の整備点検と身体検診。無事解放されたころには、太陽は既に地平線へと傾き始めていた。
日々変化する十四歳の身体に合わせて、特甲を微調整――成長期の少年少女に特甲を装備させる上で避けることのできない作業工程。とはいえその費用込みでも、成人に特甲を装備させるより圧倒的に安上がり――特甲児童という存在が誕生した
この無敵の手足を振り回せるのは、大人たちが経済効率性を追求してくれたおかげ。
リアンはカンナビノイドの薬理作用に身を任せ、グラウンドを周回する海兵隊員たちを眺める。教官らがすぐそばで彼らを怒鳴りつけている。訓練か何かでヘマをやらかした罰――重そうな砂嚢を背負い、息を切らせながら必死に脚を動かしている。
「職業柄、口にするのも
まるで最初からそこにいたかのように、パトリックがいつの間にか横に立っている。毎度のことなので特別驚きはしない。
「
本人がどういうつもりか知らないが、この男の気配を捉えるのは例えしらふでも難しい。
「俺も遠い昔に
男がスーツの内ポケットから煙草の箱を取り出し、それを手で振る――しかし中身を取り出すことなく、そのままポケットにしまってしまう。
「吸わないの?」
「副流煙は体に毒だ」
「あたしの健康を気にしてる? 別に気にしないけど」
「お前はこの国唯一の特甲児童で、
いつもと同じ。同調すると思わせてからの批判と説教。しかし今日はリアンにも反撃の手札がある。
「言っておくけど、あたしのこれは医療用。ちゃんと処方箋も貰ってるから」
この大麻喫煙が合法であること証明する紙切れを懐から取り出して、男の顔の前でひらひらと振ってみせる。
「処方箋? 理由は?」
「幻肢痛。失くした手足が時々痛むの」
実は嘘。でも自分以外にそれを証明する術はない。さぁおとなしく引き下がれ――だが男はリアンの予想と大きく異なる反応を示す。
「それは特甲が原因か? とすれば由々しき事態となる。
男が柄にもなく深刻そうな口調でまくし立てる。
「特甲の問題じゃないって。特甲はいつでも最高――」
「精密検査をするべきだ」
「メンテナンスは終わったばかりなんだからそんな必要は――」
リアンが慌てて説得しようとすると、男がついに吹き出す。子供のように遠慮のない笑い。こちらの冷ややかな目線も気に留めていない。
「――すまん、からかった」
「……あんた、いい性格してるよね」
お互い様だ、とパトリック――おそらく幻肢痛の話が嘘だと見抜いている。
しばらく、沈黙と紫煙が二人の間をたゆたう。
すっかり短くなった煙草を、灰皿代わりに置かれている水を張った一斗缶に投げ捨てる。その様子を見ていた男が再び口を開く。
「……何年か前にも、特甲児童と一緒に仕事をしたことがある。そいつは未成年ながら俺と同じく
黒犬――自分と別の黒い特甲児童。昔どこかで見た覚え――詳細は思い出せず。
「そいつの煙草は取り上げたの?」
「一緒に吸った仲だ」
「ずるい」
「重要な任務に挑む前だったからな。特別だ」
「じゃあ、あたしの任務は重要じゃないんだ」
「いや、とても重要だ」
いやに真面目なその返答――意外に嬉しいことに遅れて気づく。夕日の一端がいよいよ地平線に触れる。男が言葉を続ける。
「……その闘争心は見事なものだが、お前は元々ラ・カンパニアの
限界を来した海兵隊員の一人がついにトラックの上で倒れる。すかさず罵声が響き渡る。
「仲間も何も……あたしの手足を切り取った連中だし、それにあたしが生きているのを知ればあっちがあたしを殺そうとするはず」
「つまり、カルテルの連中が殺そうとするから殺す?」
「……うん」
「単純だな」
その声には僅かに落胆の色が混じっている。
「……ならそういうあんたの戦う理由ってのは、なんなんだよ。
一人の脱落が更なる脱落者を誘発する。グラウンドに轟く怒声がますます激しいものとなる。
「ふむ。実を云えば俺の戦う理由というやつも、
男はそう言うとこの肩をぽん、と叩いて喫煙所を後にする。
答えをはぐらかした上に随分と気安いボディタッチ。だが去り際の不敵な笑顔が、不思議と気を許させる。人たらし――それもきっと
今でも時々信じられなくなることがある――自分が、こんな温かい食卓の席に着けることに。
テーブルに並んでいるのは、白身魚とズッキーニのグリル、豚肉とサボテンの煮込み、アボカドディップ、トルティーヤ。
食卓を囲んでいるのはFESの荒くれを率いるヘラルド・ペーニャと、その家族――妻と双子の娘。
そして自分。
週に一度、リアンはペーニャ家の晩餐に招かれる。
ペーニャはリアンの後見人を務めている。背の低い、立派な口ひげを蓄えたFESの隊長は、かつてはしきりに養子縁組を勧めていたが、リアンはそれを固辞した。
隊長の譲歩――定期的に自分の家族と一緒に夕食をとることを提案。断る理由もなく、リアンは毎週こうして団欒を楽しむ。
十歳の誕生日を迎えたばかりの娘たちは、FESでのリアンの活躍に興味津々だ。
とはいえ、カルテルとの凄惨な戦いについて事実を話せるはずもなく、ペーニャとリアンは、軍用機体相手にリアンが大立ち回り、という話を際限なく膨らませることで(その話の中で鋼鉄の
ビクトリア・ペーニャは双子と違ってリアンの戦いを称賛しない。口にこそ出さないが、十四歳の少女を麻薬戦争の前線に立たせるFESに憤りを覚えている。
食事が終わると、翌日に学校を控えた双子が名残惜しそうに寝室に向かう。リアンも隊長夫妻に礼を言い、食卓を後にする。
野球帽を深々と被り、裏口から外に出る。扉の横では、武装したリモンが歩哨として立っている。
「お帰りかな、
「だからそれはやめてって……」
リモンが無線で車を手配する。ペーニャ家には二十四時間体制で重武装の警護が付けられている。カルテルの連中は
「ねえ」
ふと頭に浮ぶ疑問――ぶつけてみることにする。
「ん? なんだ?」
「リモンはなんでFESに?」
カルテルが送り込む内通者への対策として、FESは志願制ではなくスカウト制を導入している。カルテルと戦う強い動機や過去がなければそもそも声は掛けられない。
「……兄貴がオヒナガにいてな」
それで十分だろう? とでも言うような簡潔な答え。リアンもそれ以上掘り下げようとはしない。リモンのためにも。自分のためにも。
割れた窓から、月明かりが差し込んでいる。
寂れたマキラドーラ――一九九〇年代末に隆盛したアメリカ企業傘下の工場群。現在ではより安い労働力を求め多くの企業が中国に移転――残ったのは廃工場の群れ。
廃墟の一室――かつては工場のラインを監視していたであろう
月光に煌めく長い白髪。白い肌。痩せた薄いその体に張り付く白色の中国服。まるで廃墟を彷徨う
埃の積もったモニター群が、数秒ほどの映像をリピートし続けている。
ファックサインを掲げる漆黒の特甲児童――頭部の装甲が砕け、その素顔が露わに。
少女はその映像を飽きるほど、繰り返し、繰り返し眺め――やがてひっそり独り言を漏らす。
「――やぁっと、見ぃつけた」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます