隠された者たち〈ロス・タパドス〉

 かつて国境の北エル・ノルテを目指していた時とは違い、今はリアンが黙ってルシアの後を追っている。

 モールの地下駐車場。その奥へ奥へと、ルシアは迷いのない足取りで進んでいく。

 リュックの口のジッパーを、拳ひとつ分だけ開いておく。中にはベレッタ BU9 ナノ――非番の際に持ち歩いている護身用の拳銃がある。使わずに済めばいいが、おそらくはそうはならない。

 必死に頭の中を整理する――言い訳ならいくらでも思いつく。

 司令官コマンダンテはルシアをアメリカに連れて行ったと言っていた。

 カルテルを逃げ出した時、ルシアの居場所を自分は知らなかった。

 あの時逃げていなければ、自分は間違いなく殺されていた。

 そして何より、生きているとは思っていなかった。

 それでも――二年前、自分がルシアを置いてラ・カンパニアを逃げ出したことは、取り繕いようのない事実。

 ルシアが足を止める。薄暗い駐車場の一角。古びた蛍光灯がチカチカと点滅している。

 リアンは周りを見渡す。その一角だけ示し合わせたかのように車が停められておらず、がらりと空いている。少なくとも視える範囲に、誘拐犯御用達のワンボックスカーの姿はなし。

 拉致が目的ではなさそう――とはいえこんなところにまで連れてきたのだから、世間話をしに来たわけでもないはず。

 かつて自分を姉と呼んでいた少女が、再び目の前に現れた――その印象は大きく変わっている。

 記憶の中のルシアは触れただけで粉々に砕けてしまいそうな、脆い硝子細工のような少女。

 目の前にいるルシアは、同じ硝子だとしても、まるで医療用の針――脆さはそのままでも、皮膚を穿つらぬく冷徹な意思を秘められている。

 何が彼女をここまで変えたのか? 容易に想像はつく。それでも確かめずにはいられない。

 だからリアンは意を決し、その背に向けて尋ねる――馬鹿げた質問を。

「……あれから――どうしてた」

「どうしてた?」

 その言葉から滲み出るのは、憤りと――敵意。

 ルシアがくるりとこちらへ振り向く。

 リアンはすかさずリュックの中の拳銃に手をかけようとする。しかし、ルシアの右手がうねるように伸び、銃を掴むよりも先に、彼女の指先が自分の首元に触れていた。

 冷たく鋭い、その指の感触。ルシアの右手に被さっていた人造皮膚が破け、その下に隠されていた蛇腹状の金属関節が露わになる。

 擁刃肢ヨンレンツー――変幻自在に伸縮する近接戦闘用の多関節義肢フレキシブル・ユニット。外縁は超硬質鋼材で出来た刃となっており、機械仕掛けの力で振り下ろされる手刀は、ボディアーマーを着込んだ人体をも容易く両断する。また、各関節は脱着可能な統一規格品で、例え千切られたとしても、破損部分をパージするだけで容易に再接続、修復ができる。

 プリンチップ社の流出兵器レガシー――そのひとつ。

 ルシアは左手で頭に被っていたウィッグを外す。その黒髪の下から、長い白髪がするりと滑り落ちる。

「頭の悪い質問。地獄が待ってた……ただそれだけよ」

 リアンの背後の柱から二人の少女が現れる。カフェでルシアと一緒に座っていた女学生たち。床にまで垂れ下がっているその両手は、自分の首に押し当てられたものと同じ機械義手――擁刃肢ヨンレンツー

 まるで金属製のムカデのような手を持つ女学生が三人。リアンは自分を取り囲んでいる彼女たちの正体を知っている。

 隠された者たちロス・タパドス

 四肢に擁刃肢ヨンレンツーを移植された殺し屋シカリオ――チオンだけで構成されたグスタボ直轄の暗殺部隊。構成員は全員がグスタボが直々に殺しの訓練を施した、ラ・カンパニアに家族を殺された孤児たち。

 自らに向けられる強い恨みと殺意、それをへし折ることのみが、完璧無比な兵士ソルダードを創り出す唯一の方法――人食い鰐の歪んだ信念の結晶。

 かつてオスマン帝国は、改宗させた異教徒の若者だけを寄り集めて帝国最強の近衛歩兵軍団イエニチェリを組織した――その現代版。

 しかし、その部隊構想は頓挫したはずだった。なぜなら、自分が組織を抜ける際に部隊に選抜されるはずだった少年少女たちを皆殺しにしたから。

 グスタボが組織のボスとなったことで部隊を再建した?

 だがこの二年間、軍とラ・カンパニアとの戦いの中で、擁刃肢ヨンレンツーを装備したチオンの姿は一度たりとも確認されていないはず。

 そんな部隊を持っていたのなら、何故今の今まで投入しなかった? ラ・カンパニアの拠点は次々と潰され、今さらチオン――機械化兵士を投入したところで巻き返せる戦況ではない。

 ましてや、かつての裏切り者にこうして刺客として送り込んでいる状況でもない。

 考えられる可能性――捕縛作戦に関する情報が漏洩した。とするなら、作戦に参加する自分に接触する理由はある。

 ただし、あくまでそれは自分が軍属の特甲児童であることも知られている場合。

 だから次の言葉は慎重に選ぶ。

「……その腕、そこまで動かせるようになるまで、どれくらいかかった? あたしはとんでもなく苦労したよ……そのバケモノみたいな腕を自分の腕だと認識するために、それこそ血の滲むような訓練が必要だった」

「わたしも同じよ――自分の体を真っ二つにできるこの凶器が、自分の思い通りに動かないんですもの。手足を動かそうとするたび、次の瞬間、自分の首が飛んでいるんじゃないかって――ずっと怖くて堪らなかった」

「それで、あたしに泣きつきに来たってか。助けて、リアンお姉ちゃん、って」

 ただ自分を殺しに来ただけなら、こんなやり取りをする必要はない。今すぐこの首を刎ねればいい。彼女の意図を確認しなければならない。

「まさか……でも貴方にお願いがあるのは確かね。やっぱり泣きついたほうがいいかしら?」

「昔みたいにか? 泣き虫ルシアルシア・ラ・ヨローナ

 ルシアが浮かべている薄ら笑いが、僅かに引きつる。

「……久しぶりにそう呼ばれたわ。でもわたしもあの頃とは随分変わったのよ」

「そうみたいだな。部下を二人も連れて、とても偉そうじゃないか」

 背後にいる二人のチオンは、先程からずっと擁刃肢ヨンレンツーをだらりと垂れ下げたまま。命令次第でいつでも動けるように――ただ待機しているだけ。この場の主導権はルシアが握っている。

「二人? とんでもない」

 駐車場の天井に縦横無尽に張り巡らされたダクト。その各所にはめられた格子窓の蓋が一斉に外れ、床へと落ちる。暗い穴の中で、何本もの擁刃肢ヨンレンツーが不気味に蠢いている。

「……あたし一人を相手に、大袈裟なんだな」

 心の中で毒づく――あの野郎、いったい何人の子供をチオンにした?

「特甲児童を相手にしているんですもの、用心に越したことはないわ」

 予想通り、自分が軍属の特甲児童であることは割れている。それならばと、次は軍属であることを傘に来て説得を試みる。

「……軍に投降しろ。そうすればその腕を外して……普通の腕に戻すこともできる。今のあたしなら、悪くしないよう取り計らえるし、そのために必要な金だって――」

「言ったでしょう? 貴方に泣きつくためにこうしてわざわざ出向いたわけじゃないって」

 だが提案はにべもなく拒否される。

「……ならお前の言う、お願いってのはなんだ」

「あの鰐を殺してほしいのよ」

 予想外もしていなかった言葉。リアンは混乱する。ルシアの望みは鰐――グスタボの死? 隠された者たちロス・タパドスはグスタボの配下ではない?

「あの人食い鰐の命数が残り僅かなのはわたしも知っているわ。ただ、生け捕りにされるのは困るのよ。貴方は特甲児童で突撃手。戦闘の中であの男と遭遇する可能性は高い――だからその時にちょっとだけ、やり過ぎて欲しいの」

 そしてその望みは、ついこの間まで自分が抱えていた望みと同じ。首筋から汗が滲み出す。

 ゆっくりと息を吸い、思考を落ち着かせる。

 グスタボが昔と同じように組織に家族を殺された孤児たちをチオンにしていたとするなら。グスタボが自らに向けられた殺意を制圧することに失敗したのなら。

 チオンたちがグスタボの死を望むのはそう不思議なことではない。

 そして隠された者たちロス・タパドスが、グスタボの支配下から離れたとして、政府や軍に投降しない理由――それはただひとつしかない。

「お前、今はラ・オルミガの犬ってわけか」

 ルシアはその問いかけに応えない。しかし微動だにしない彼女の口角が、指摘が事実であることを肯定している。グスタボ以外にこれだけの大量の擁刃肢ヨンレンツーの手配・整備・運用をできる人間は、あのプリンチップ社の亡霊――ラ・オルミガしかいない。

「それで、あたしがそのお願いとやらを素直に聞くと思ってるのか?」

 グスタボとラ・オルミガはビジネスパートナーだった。ラ・オルミガがグスタボの死を望むとすれば、やはりあの男が何か決定的な情報を持っていることを意味する。パトリックの言葉は正しかった――グスタボがラ・オルミガを追う糸となる。

「あら、聞くわよ。貴方はわたしに借りがあるのも。それを返してもらわなきゃ」

 ルシアが擁刃肢ヨンレンツーを蛇のようにくねらせながら、リアンの体を上から下へと優しく撫でていく。その繊細な手付きが、ルシアが経験したという地獄を何よりも雄弁に物語る。

 借り――逃げたこと。置いていったこと。助けられなかったこと。

 その贖罪のために何でもするつもりだった。いっそ殺されてもいい――だから言われるがままに、こうして見え透いた罠へも飛び込んだ。

 しかし、FESを、パトリックを裏切ることはできない――リアンの固い決意。

 リュックの中で、今一度ベレッタ・ナノの銃把を強く握る。

 血路に飛び込む瞬間が近づいている。

 銃撃に反応して繰り出された最初の一撃は避けずに受け止める――「身体への重大な打撃」を特甲が感知すれば、安全装置セーフティが解除される。すかさず転送を実行し背後の二人を迅速に無力化。その後は出たとこ勝負アドリブ

 だがルシアが次に発する一言が、リアンの決意を、あまりにも簡単に打ち砕く。

「それにわたしの手元にはあの映像がある――ねぇお願い、わたしにこんなことまで言わせないで」

 ――あの映像。

 天から振り下ろされる鉄槌の如き台詞。瞬く間に、指先から力が抜けていく。

がなくったって、あの鰐が貴方の秘密を話せば。それでお終いじゃない? あの男はわたしと貴方、二人にとっての邪魔者ってわけよ。だから協力しましょう?」

 ルシアの甘言に、一度は胸の奥深くに仕舞い込んだ懸念をほじくり返される。

 やはりグスタボは殺さなければならない――を守ろうとする小さな自分が心の中で堪らず叫びだす。呼吸が、心拍が、加速度的に早まっていく。

「協力? ならお前はあたしに何をしてくれる?」

 精一杯の虚勢――声に滲む震えも隠せない。

 ルシアは応えない。あの映像――その一言だけでもう十分とばかりに、説得の言葉を発しない。

 体に絡まる擁刃肢ヨンレンツーが解けていく。もはや肉体的な脅迫は必要ないというルシアの判断。

 事実上の勝利宣言。

 だがそれが、リアンの中に溢れ出させる――罪の意識が封じていた怒りを。

 理性では理不尽と、彼女が自分にする仕打ちは当然と、そう理解しながらも抑えられない――

 リアンはベレッタ・ナノをリュックから抜かず、そのまま構えて引き金を引く。

 発射された銃弾は合成皮革を突き破り、ルシアの額を目掛けて正確に直進――が、あえなく鋼の腕に阻まれ、弾は火花を散らしてどこかへ弾け飛ぶ。

 背後の女学生二人が遅れて反応し、擁刃肢ヨンレンツーを振りかぶるが、ルシアがそれを制止する。

「……ずっと銃に手をかけているのは知ってたけど、まさか本当に撃てるだなんて……驚いちゃった。ちょっとだけ」

 あの一瞬で頭に巻き付けた擁刃肢ヨンレンツーを解き、ルシアは蛇のようにつり上がったその目でリアンを睨む――怒りとも喜びとも取れる表情。

「ふふっ――それじゃ、お願いね」

 ルシアは鋼鉄製の指先同士を打ち鳴らす。不快な金属音が駐車場内に響き、それが合図となって一帯の照明の光が突然消える。

「――ルシアっ!」

 暗闇の中、リュックを引き抜き、ルシアのいる方向に見当をつけ、弾倉が空になるまで連射する。マズルフラッシュが、闇に蠢くルシアの眷属たちを照らし――そのおぞましい姿を一瞬だけ浮かび上がらせる。

 激しい明滅の中、うねるチオンたちの中心にいるルシアともう一度目が合う――その顔に張り付いているのは、冷え切った嘲笑。

 弾を撃ち尽くしてから数分後、駐車場に再び明かりが灯る。

 リアンは一人残され、呆然と立ち尽くしている。

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