虐殺の記憶

 いつから夢に見なくなったのだろうか――あの日のことを。

 オヒナガ――山間の窪地にある、小さな村。村民の数は五〇人ほどで、村の生計はトウモロコシとトマトの栽培、養豚により支えられている。

 その日、数年前に村を出て軍に入隊した若者が、棺に収められた姿で帰村する。棺を運んできた同僚兵士とその上官が、若者の父母に報告する――彼は麻薬密売人ナルコとの戦いの中で殉職した、と。

 村人総出で彼の葬儀が執り行われる。兵士たちは葬儀の警備を申し出る。彼らは、麻薬カルテルによる報復を警戒している。

 葬儀はつつがなく進行し、遺体は村の一角にある墓地へと埋められる。静謐な葬送――何も起きたりはしない。兵士たちは胸を撫で下ろす。生前の若者と親しかった兵士たち数人を残して、部隊は村を去る。

 村を囲む密林――その奥深くで、ギリースーツに身を包み息を潜めるグスタボと隠された者たちロス・タパドスは、その瞬間を心待ちにしている。

 葬送されたばかりの若者はFESの隊員。彼は数日前に実行された、ラ・カンパニアの筆頭幹部ペス・ゴルドに対する暗殺作戦にて殉職した――その報復が、チオンとなったリアンに課せられた最初の任務となる。

 政府内部に潜む内通者より殉職した隊員の個人情報を得たグスタボは、擁刃肢ヨンレンツーの操作訓練を終えたリアンと、移植手術を待つ他の隠された者たちロス・タパドスを引き連れ、この村にやってきた。

 村へと続く道路では、軍による検問がなされている。GAFE在籍時、武装蜂起した農民に対する鎮圧任務で、密林でのゲリラ戦を幾度となく経験したグスタボは、若き兵士ソルダードと共に村を取り囲む山々を踏破する。

 顔全体を暗緑色のフェイスペイントで塗り潰した司令官コマンダンテが、無線で攻撃を合図する。シダの茂みに隠れ潜む狙撃手――訓練キャンプで狙撃の教官を務めるコロンビア人傭兵――が手にしたM40A6狙撃銃の引き金をゆっくりと絞り落とす。音速を超える速度で飛来する弾丸が村に残っていた兵士の頭蓋を砕き、僅かに遅れて銃声が谷間に反響する――それが虐殺の火蓋を切る。

 隠された者たちロス・タパドスが村人を追い立てる。狙撃を生き延びた二人の兵士が、何人かの村の男たちを連れて、石造りの平屋に立て籠もる。彼らからの銃撃を擁刃肢ヨンレンツーで受け止めながらリアンは窓から屋内へと飛び込む。異形の手足を持つ少女の姿に驚く男たち――そのうちの一人を手刀で素早く両断。腰を境に上下に分断された男の影から飛び出て、次の男――兵士の一人の顔面に貫手を打ち込む。肩に衝撃――被弾。もう一人の兵士の拳銃による反撃。手近なソファーの裏へと飛び込み、それを持ち上げ兵士に向けて投げつける。殆ど同時に、裏口からAR15自動小銃エルレを手にした隠された者たち《ロス・タパドス》がなだれ込み、ソファーの下敷きになった兵士を蜂の巣にする。

 抵抗らしい抵抗はただそれだけで終わる――それから一時間もしないうちに、村民たちは全員、トウモロコシ畑に掘られた大穴に横たわることになる。

 その大穴を前にして、司令官コマンダンテが満足げに笑みを浮かべる。この任務の目的は隠された者たちロス・タパドスを経験させることにはない。を経験させることにある。眼下に広がる光景は十二分過ぎる成果と言えた。

 司令官コマンダンテが咥えていた煙草を手に取って、指で弾く。吸い殻がガソリンで濡れた死体の山に吸い込まれていく。

 熱気が頬を撫でる。

 ――オヒナガの虐殺。あたしはその場にいた。彼らを殺した。

 

 深夜――リアンは密かに基地を抜け出す。

 この手の軍事基地は侵入に対する備えはともかく、脱走に対する備えは緩い。

 唯一の懸念は内務調査部による監視――やる気のない見張りが宿舎の出入り口で欠伸をしているだけ。深夜の酒の買い出しによく使われる抜け道を使い、難なく外に出る。

 二度目の逃走――フェルナンドの邸宅の時と同じで、自分はまたも逃げ出している。

 あの時と決定的に違うこと――逃げ込む先がもう存在しないこと。カルテルとFES、どちらも裏切ったこの自分を受けて入れてくれる場所など、もうこの世界にはどこにも存在しない。

 ほんの少しばかりの思案の後、リアンはその考えを訂正する――ひとつだけある。自分の居場所は。今はもう、ただそこに向けて邁進するしかない。

 途中、農場でピックアップを盗み出す。機械義肢の力で、ドアロックとエンジンキーの差込口を破壊。ラ・カンパニアの訓練キャンプで教わった通りに点火装置の配線を結線――無事エンジンが始動する。ピックアップで市内まで出てから、大型スーパーマーケットの駐車場でそれを乗り捨て、今度はセダンに乗り換える。

 夜が明けて自分の不在が発覚すれば、すぐに追跡が始まるだろう。そうなればこの特甲の発する信号を探知され、おそらく一時間もしないうちに拘束される。自分に与えられた時間は精々が五、六時間程度――それで決着を着けなければ。全ての。

 およそ三時間ほどのドライブで四台の車を乗り換える。同じ道を何度も周回し、尾行の有無を確認――思わず苦笑がこみ上げる。あの訓練キャンプに送られた過去が、巡り巡って自分をここまで追い詰めた――なのに、この窮地にあってあの場所で叩き込まれた技術を余すことなく活用している。

 辿り着いた先は河岸に面した、保税工場の集まる一帯――麻薬カルテルによる厳しいみかじめ料の取り立てから逃げるため、企業は数年前に撤退。隣接する工場労働者のための住宅街は、貧民層が移り住みスラムとなったが、こちらは放置され、朽ちるがままになっている。

 リアンは工場のひとつ、その敷地の脇に車を停める。それから助手席に無造作に置かれたスポーツバッグから拳銃を取り出す。いつも携帯している私物のベレッタ・ナノではなく、グロック19――マイクロダットサイトにウェポンライト、多弾数マガジンを備えたカスタムモデル。内部パーツは丹念に磨き上げられており、トリガープルは軽めに調整されている。同僚の銃器オタクナードの私物で――かつてはどこぞのカルテルの殺し屋シカリオの所有物だったもの。押収作業の折にかき集められた麻薬密売人のガンコレクション、そのうちのひとつ。写真の流出の一件以後、内務調査部に奪われないよう、基地内の倉庫の隅に隠し置かれていたもの。「灯台下暗し」との本人の弁を、他の隊員たちは笑い飛ばしていたが、驚くべきことに手付かずのままでいる――自分が手を付けてしまったが。

 弾倉マガジンを抜き、弾がしっかり詰まっているかを確かめる――それを銃把グリップに収め、弾倉の底を引っ張り、しっかり挿入されたかチェック。続けてスライドを少しだけ引き、薬室の中を覗き込む――空。そのままスライドを引き切り、初弾を装填する。

 ラ・カンパニアのキャンプで射撃術を担当していた教官はイスラエル人傭兵で、ホルスターから銃を抜き撃つその瞬間まで薬室に初弾は装填しないスタイルを好んだ。一方、FESはアメリカ式で予め薬室に初弾を装填しておく――抜銃ドロウと同時にスライドを引く癖の矯正に四苦八苦したことを思い出す。

 次にアクセサリー――ウェポンライトとダットサイトを点検する。ダットサイトの輝度を調整――やや暗めに。光が外に漏れないよう、ハンドルの下の影でウェポンライトを点灯しバッテリーの充電具合を確認する。

 ズボンと腹部の隙間にあるインサイドウェポンホルスターIWBに銃を収める。痩せた体に成人男性サイズのアーミージャケットという出で立ちのおかげで膨らみはそれほど目立たない――とはいえ注意して観察されれば見抜かれるだろう。構わない。あちらも自分が丸腰だと思っていないはず。

 上着を捲りつつホルスターから銃を抜いて構える動作を何度か繰り返す。自分の手の大きさだと、複列式弾倉ダブルカラムマガジンは少しに余る――握力でカバーする必要があるのだが、機械の手を持つ身としては、これが意外に難しい。銃把を何度も砕き、叱咤された。だから今でも銃は好きじゃない。とはいえ、選り好みをしている状況ではない。

 車を降りる。夜空には雲ひとつない。目的地は更に数ブロック先。スポーツバッグを背負い、月明かりによって伸びる影に注意しながら移動する。数分で目当ての場所である、屋根の崩落した家電工場に到着。敷地を囲む塀――大人三人分はあろう高さのそれを、助走をつけ、一気に飛び越える。敷地内に着地すると、手近な窓から建物の中に侵入する。

 屋内は暗い。目が慣れるまでじっとしてる。拳銃のウェポンライトは使用しない。自分の存在を直前まで相手に気取られたくなかった。

 パトリックは数日前に帰国した。結局はあの時の喫煙所でのやり取り――それが最後の会話となる。自分の腑抜けた姿に、あの男は失望しただろうか。だとしても、おそらく、これからより大きな失望に直面することになるだろう。どう転ぼうと、この夜が明けた後には、文字通り全てが明るみに出る。

 いつかはこうなることはわかっていた――なら最初から真実を吐き出せば良かったはずなのに。だがそうはならなかった。自分が真実から逃げ出したから。

 慎重に建物内を歩き進んでいく。リアンは出荷製品を保管していたのであろう倉庫区画に足を踏み入れる。高い天井――その天井まで届く背の金属製のラックが、等間隔に二列で並んでいる。折板屋根は所々が剥ぎ取られており、そこから星明りが差し込んでいる。

 腕時計を見て時間を確認する。時刻は午前四時――指定された時間通り。床に散在する木製パレットの残骸を避けつつ、奥へと進む。ちょうど倉庫内の中央部分に辿り着いたところで、照明が点灯――とは言え、通電している照明は全体の三分の一程度に過ぎず、あちこちにまだ夜の闇がそのまま残っている。

「あら、時間どおりね」

 頭上から声――あの日から幾度となく、頭蓋の中で反響し続けているの声。

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