Lv.9 素直になりたいけれど⑩

 夏休み二日目の日曜日。何とかあいつと会う約束を取り付けられたのは良いものの、二人っきりじゃなくて少々、落胆した。

 まぁでも、いきなりデートなんてあたしにはハードル高すぎかな。緊張のあまり、何も話せない気まずい雰囲気になるのは目に見えてるし、由姫乃達がいる方が幾分かはマシかな。


「ねぇ、真面目に探してる?」

「俺はいつも真面目だろ、まぁ任せとけって」


 はぁ……折角新調した水着を失くすなんて、ついてない。


 香月は嬉々として言うけれど、イマイチ信用出来ない。

 今日のこいつは、いつもに増して変態でスケベでエッチ。おまけに、由姫乃のプロポーションに見惚れて、デレデレ鼻を伸ばしてた。にも拘らず、ウォータースライダーでは、あたしの弱所を責めてきた。


 分かってる。この年頃の健全な男子は、幾ら見た目が人畜無害かろうと、皆等しくそういうこと考えちゃうんだってことくらい。

 女子に免疫がない香月のことだもん、あたしがちょっと扇情的過ぎたのかもしれないしね。そういう意味では、意識させることが出来たのかなぁ。


 自然と口元が緩む。ニヤニヤしてるのがバレたら、絶対こいつはからかってくる。何とかバレないようにしなくちゃ。


 けれど、そんな努力は結果的に無価値だった。


「そういや、お前の水着ってどんなのだっけ?」

「……えっ」

「いや、水着の色とか種類が分からなきゃ、探し用がないだろ」


 違うよ、そういうことじゃないでしょ香月。何で覚えてないの? ずっと近くにいたのに、あんたの目に焼き付いてるのは、由姫乃の水着姿なの?

 じゃあ、なんだあたしバカみたいじゃない。今日という日を心待ちにして、夜はなかなか寝付けなくて、新調したピンクのフリルはあどけなく見えるんじゃないかって、懸念して。


「……何で」

「……ん?」

「何であんたはいつもそうやって……そんなにあたしのことが嫌い!?」


 胸の内が溢れ出して、気づけばそう口にしていた。


「急にどうしたんだよ、俺何かしたか?」

「自分の胸に聞いてみなさいよ」

「今は押し問答してる場合じゃないだろ、さっさと――」

「――うるさい! あんたは何気なく言ってるのかもしんないけど、あたしにとっては――っ!」


 おもむろに伸びてくる香月の手を目一杯振り払った。口をついた言葉に、感情的になった自分に愕然とする。同時にそんな自分が酷く愚かに感じた。

 言わなきゃ伝わらないこともある。でも、それはあたしには酷く難しいことで、素直になれない。冗談で笑い飛ばせたらどんなに良かっただろう。どちらにしろ、狭量なあたしには鼻から無理な話だけれど。


「……あたしがどんな気持ちで、ここにいるのか何にも分かってないくせに!」


 感情の発露。胸の内から溢れ出したそれは、酷く惨めな団塊となって、香月を打擲する。


「こんなのって……」


 あたしは、脇目も振らずに身を翻して水中を懸命に駆けた。下半身は、幸い水の中に隠れているから、周囲には気づかれない……と思う。

 けれど、終始水中に身を置くわけにもいかないし。後先考えずに行動に移してしまうあたしの悪い癖。


 きっと、一方的に香月に心ない言葉をぶつけたヤキが回ったんだ。


 香月は、不思議と追ってこなかった。そっと後ろを盗み見ると、立ち尽くしたままの香月がいる。もう随分と離れてしまったので表情は見えないけれど、どうやら肩を落としてるみたい。


「はぁ……」


 自然と溜息が零れる。どうせなら、もう少し空気の読める人間なら良かったのに。素直とか実直など煽てる言葉は幾らでも見つかるけれど、いずれもまやかしだ。


「ふふっ、今の玲奈ちゃんの心中を代弁すると、『本当は今すぐ謝りたいけど、今更合わせる顔がないよ』というところでしょうか」


 視界の殆どが二つの大きな起伏で占められた。

 この胸の所為で……でも、あたしがこんな爆弾みたいな胸を装備したら、それはそれでアンバランスな気がしてならない。


「だったら、何だってのよ」


 あたしは、投げやり気味に答える。視線は行き場を失って、水面に注がれたままだった。


「この事態を前向きに捉えましょう」

「……は? あんたも見てたんでしょ? 何よ……この期に及んでまだあたしをからかうつもり?」

「あらあら、私は玲奈ちゃんのことを第一に考えてますよ?」

「別に仲直りしたいなんて、言ってないし。余計なお世話だし!」


 由姫乃は、あたしの心を見透かしたような発言をする。終始絶えない彼女の笑みが奇しくも、不敵に見えた。

 そんな由姫乃がちょっぴり怖くてあたしはまた『撤退』を選んだ。踵を返して、歩を刻む。“戦略的撤退”などという聞こえのいい言い訳で己の気持ちを押し殺した自分は、世界で一番卑怯者なんじゃないかと錯覚してしまう。


 しかし、結果的にあたしの足は止まった。


「玲奈ちゃんはいつもそうやって、逃げるんですね」

「べ、別に逃げてるわけじゃないし! ……それに、元はと言えばあんたの所為じゃない! あんたが男の視線もろとも香月の目まで奪っちゃって……挙句に、香月あたしのことなんて一縷も気にしてない」


 胸の内に溜まっていた鬱憤が堰を切ったように溢れ出した。こんなもの詭弁にも程がある。身体の差は、どう足掻いたって容易く変えられるものじゃないのに。


 それでも、己を正当化したくてあたしは言葉を継いだ。


「素直にものが言えるあんたにはどうせ、あたしの気持ちは分かんないのよ……」


 淀みなく吐き出した言葉は、酷く惨めで幼い子供の駄々ごとのようだった。

 女の魅力では、由姫乃の足元にも及ばない。それどころか、心持ちさえその差は歴然だった。


「でも、その理論なら上谷君も同じなんじゃないですか」

「……同じ?」

「私が玲奈たんと視界を共有出来ないように、香月君の場合も例に漏れずと言うことですよ」


 けれど、香月は不躾に私の水着の色を聞いてきた。じゃあ何、あの発言は香月の本位とは限らないってこと?


「いつもは毎日学校で会えるからいいのかもしれないけど、今は夏休み中だから、溝が出来ちゃうかもしれませんよ〜?」

「それは……」

「言わなきゃ伝わらないことって、玲奈たんに限られた話じゃないと思うな〜」


 由姫乃は、何故か他人事のように言った。由姫乃の掌の上で踊らされているようで些か癪だけれど、的は射ていると思う。冷静に考えてみれば、あたしもちょっと早とちりだったのかも。

 本当のところは、そんなの建前であたしの心は、香月と確執を生んだまま疎遠になるのを恐れてるんだ。


「……分かった、あんたの言葉信用したげる」

「あらあら、素直じゃありませんね」

「分かってる……! その……ありがと」

「あらあら、何の話でしょう?」


 けれど、あたしはその言葉を受け流して、去り際に皮肉たっぷりに言ってやる。


「玲奈たん言うな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る