Lv.3 素直になりたいけれど④
「むぅ……」
蛬の鳴く声が聞こえてくると、夏の訪れを感じさせるそんな夜。あたしは、机に向かって一切れの紙と睨めっこに徹していた。
その正体は、生徒会が担当する体育祭の追加種目の考案について。
一週間ほど前に生徒会長から、痛い忠告を受け、生徒会を追放された前科があるから、名誉挽回の為にも粗雑な真似は出来ない。
それに、生徒会を追放される前に与えられた仕事だし、尚更大事。実は、これを機に、生徒会への復帰が出来ないかと目論んでるんだけど、そう容易くはいかないかもしれない。
幸か不幸か、三連休最終日の祝日の今日という日になって、ふとそれの存在に気づいた。それも夕食を摂っている最中だったから、思わず食事中にむせそうになった。
しかし、これが意外と難航した。それでもあと半日ほどの猶予はあるし、お風呂にでも入って、ゆっくり考えようという浅慮があったのがいけなかった。
十時を回っても、依然プリントは白紙のまま。これでは徹夜も覚悟しなければならない、そう自分の行く末を遠視していると、ふとあいつ――香月の事が脳裏に過ぎった。
あいつはどうしてるんだろう。体育祭は毎年のように種目の移り変わりが激しいらしいけど、入学前から生徒会に憧れていたあいつにとって、こういう仕事に心血を注ぐのが本望なんだろう。参考にはなるかな。
メッセージアプリを起動して、あいつのプロフィールを開く。あとは電話のアイコンをタップする、ただそれだけ。
押しちゃえ、押しちゃえばいいのよ。別にカップルじゃなくたって異性の友達同士でも電話で話す時代だし、躊躇うことなんてないじゃない。ああもうっ、どうにでもなれ……っ。
発信音とともに、ドクンッ、ドクンッと拍動が早くなる。そう言えば、同年代の異性と電話で話す経験なんて、あたしにはなかった。
同性の友達と話すのとは、わけが違う。まぁ、あいつ以外の異性と話すなんてそれこそ反吐が出るくらい嫌だけど。
色々、考えてたら気もそぞろになって部屋中を歩き回ったり、気持ちを落ち着かせるために夜風を肌に感じたりした。何これ、今時リア充男女はこんな照れくさいことを平然とやってのけてるんだ……。
かれこれ、数分くらいで発信音には聞き飽きた。いや、実のところはあたしの気持ちばかりが早まって、それ程時間は経っていなかったんだけどね。
ていうか、あいつもあいつで何ですぐに出ないのよ。女の子のあたしからの電話でしょ、飛び上がるほど嬉しいでしょ? あ、そっか。どうせ、バカ香月のことだから、緊張しちゃって色々心の準備が必要なんだ。
まぁ、あたしも突拍子もなく電話しちゃったし? 部屋の中であたふたしてるんだろうけど、女の子を待たせるなんて感心できないな……なんて、この発信に対するやましい気持ちを心中で正当化させていると、
「……何だ、なんか用?」
あたしは、完全に虚をつかれた。
「な、何で電話に出んのよ!」
「はぁ? かけてきたのお前の方だろ……」
不意打ちなんてずるい。こっちがどれほどの神経を削るような思いをしてスマホを立ち上げたのか、絶対分かってない。
でも、身勝手なことばかり言う口とは裏腹に、あいつの声を聞いた途端、心拍数が上がってそれだけでもう十分幸せだった。
やっぱり、好きなんだってしみじみと思う。
「用がないなら、切るけど」
「ああっ、ちょっと待って、用ならある!」
またつっけんどんな態度。あたしじゃ不満なのかな。
「忙しいから、手短に頼む」
「よ、用がないのにあんたなんかに電話するわけないでしょ。構って欲しいとかそんなんじゃないからっ」
「その言い方じゃ、マジで構ってほしいみたいだな……ま、お前に至っては有り得ない話だけどな」
はは、と子気味よく笑う声がスマホから伝播する。何だか新鮮な気分。直接、会って話してるわけじゃないのに、それに匹敵するくらい拍動が早鐘を打っていた。
あいつの声があたしの体に電流みたいに流れ込んできて、口元のニヤニヤが止まらない。分かったようなこと言っちゃって……ほんとはあたしのこと何一つとして分かってないんだから。
「……お〜い、聞こえてるか? そろそろ、本題に入りたいんだけどさ」
「……へ?」
「へ? じゃねぇよ。何だか今日のお前はいつもよりポンコツだな」
幸せすぎて恍惚としていたら、あろうことか全ての音を遮断しちゃってた。やっちゃった。こんなテンパり具合じゃ、いつ恋心を口滑らせるか分かったもんじゃない。まぁ、例えそうなっちゃっても、一縷くらいは期待してる自分がいるんだけどね。
「その……あれよ、体育祭の追加種目の考案用紙。ちょっと、参考にあんたに聞いてみようと思って」
本来の目的(まぁそれも口実に過ぎないんだけど)を話題に出すと、急に声が聞こえなくなった。
かと思えば、唖然とした声が漏れてきた。
「……わ」
「わ?」
「……忘れてた! やべぇっ、それ締切いつだっけ!?」
呆れた。あれだけ身を粉にして頑張ってきた生徒会の活動を忘れるなんて。
ほんと、情けないんだから。これじゃあ、参考にならないじゃない。体育祭に関してなら、女子よりも男子の意見も聞いておきたいと思ってたのに。
「……全くしょうがないわね。あたしも一緒に考えてあげるわよ。そもそも、それを聞こうと思ってたんだし」
「え……? そうなのか? 手伝ってくれるのは嬉しいけど、俺の案パクるなよ」
「誰があんたの陳腐な発想を模倣するのよ。ペットにでも聞いた方が遥かにマシよ」
「相変わらず減らない口だよな、まぁいいや、すぐに上がるからちょっと待ってくれ」
……えっ、上がる? 何を?
呆気にとられていると、ガタガタと生活音がノイズとして入り込んできて、すぐに水の流れる音が耳朶を刺激する。
「あと、体流すだけだからちょっと待ってろよ」
「あ、あ……あんた、何して――」
「大丈夫だって、俺のスマホ防水だから」
「そ、そういう問題じゃないわよっ!」
思わず、声を荒らげてしまった。階下にいる妹に聞こえちゃったかも。
しかし、バカ香月の名は伊達じゃなかった。
「何か言ったか? シャワーの音でよく聞こえなかったんだが」
「べ、別に何も言ってないし……っ」
あたしだけ変に意識しちゃって、バカみたい。でもでも、この前のキス未遂の件で初めて感じた男子の体。服越しでは分からなかった腕の逞しさとかが直に伝わってきて、妙にトギマギしたことを数日経った今でも昨日のことのように覚えてる。
スマホの向こうのあいつは、今あられもない姿で腕とか背中とか足とか洗ってて、他にも……って何考えてんのよ!?
これじゃあ、あたしがえっちな子みたいじゃない。でもでも、好きな人のことを知りたいって思うのは、自然な感情だと思う。この気持ちは誰にも止められないんだ。
でも、高校生の男子なんてみんな変態だって言うし、悶々とあたしを思ってその……ナニをしてたり……ってダメダメっ、考えてたらキリがないし。
「……おい、まだ起きてるか?」
「あんたが待ってろって言ったんでしょっ」
「いや、減らず口のお前がえらく静かだから、ちょっと気味悪くて」
いつもなら、我先に足で打擲したり、罵詈雑言を並べたりしてたけど、ここはグッと我慢しなきゃ。また押し問答が始まったら、話が進まない。
「それで、お……お風呂はもういいの?」
「まぁな。んじゃ、考えるとするか」
それから、ようやく本題に入った。借り物競争は物が紛失する恐れがあるから、ずっと承認が通ってないだとか、近年は安全面を考慮して、騎馬戦とか組体操が盛り上がりに欠けていること、もっと学校の特色を生かしたいだとか熱心に話し合った。
二人とも、元生徒会庶務だけあって討論になると、自然と力が入る。
ふと自室の壁掛け時計に目をやると、既に日を跨いでいた。どうやら、二時間ぶっ通しで話し込んでたらしい。奇しくも、話題が尽きることはなかった。
丁度、話も一段落したし、名残惜しいけどそろそろ至福のひとときにも終止符が打たれるんだろうな、とそう思っていたら、図らずも寂しげな笑みが音となって零れた。
「ん? 何がおかしいんだ?」
「ううん、何でもない」
深夜テンションと瞼が重くなりつつある影響か、あたしはそこで思わず口を滑らせてしまった。
「あんたってさぁ、好きな人いるわけ?」
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