Lv.20 君だけを見つめて④

 翌日の土曜日は、最近の異常気象とも呼べる猛暑日に比べて、幾分か過しやすい気候となった。


 例の如く寝付けが悪くなると危惧して、昨日は早めにベッドに入った。そのおかげか、寝坊することなく、こうして三十分前に待ち合わせ場所まで来られた。

 どうやら、玲奈はまだ来ていないみたいだ。まぁ、折角二人での待ち合わせなんだから、玲奈を待たせるような真似は男としての矜恃が揺らいでしまう。まぁ、一体いつ現れるのだろうとソワソワしてしまうのは些か心臓に悪いんだけどな。

 特に今日のように時間に少し余裕があると寝癖がついてないか、目の下にクマができてないか、爪は切ったかなどと普段は少々無頓着なことが気がかりになってくる。


 しかし、洗面台で容姿を整えているうちに玲奈とすれ違いになれば、男としての面目が立たない。ダメだ、気にしたら結局堂々巡りだ。


「……何辛気臭い顔してんのよ」


 駅前広場の時計台の前で落ち着きなく周囲を歩き回っていると、不意に背中に声が掛けられた。


「ま、今回はちゃんと早く来たみたいだし? 別にそれくらいいいんだけど」


 要約すると、あたしの為にちゃんと待っててくれたんだ! って感じか。いや、いくらなんでも自惚れ過ぎかもな。だが、玲奈の行動は俺と同じ天邪鬼なので、言動と本音は対極にあるのだろう。


「はぁ……」

「何、今から心配事?」

「いや、俺昔からすげぇ子供に懐かれるっていうか、舐められるんだよ……」


 因みに、今日は二人とも学校指定の制服を着用している。

 一応、学校を介したボランティアなので原則制服着用となっているのだ。改めて、玲奈の私服姿を拝めないのは誠に残念だが、ルールには逆らえない。

 だが、今の状況を鑑みればもしやこれは所謂制服デートというやつでは……? 玲奈と話しながら、心中はすっかり高揚していた。


 そんな俺の隣を歩く玲奈は、からかうように笑う。


「やっぱり、その覇気のない目つきが原因じゃない?」

「いや、単に目つきが悪いのなら純粋に怖がられると思うぞ……園児はなんて言うかその、容赦ないからな」


 少々、幼い出で立ちが原因の一つと考えられるが別段、低身長というわけでもない。恐らく、少々狂った一面を持つ俺を純真な心で見据えてしまう園児達には面白く映るのだろう。


「ふ〜ん、そ、そんなに嫌なら無理して来なくても良かったんじゃない?」

「バカ言え。折角、生徒会に戻れるチャンスを棒に振ってたまるかよ」


 あの保科会長のことだから、約束を反故にすることはないだろう……いや、確証はないけれど。冷静に顧みれば、あの人の発言は無茶苦茶だった。生徒会復帰を餌にして、俺達二人を意のままに利用している節も捨てきれない。だって、あの人普通に変人だし。

 だが、そんな保科会長の半ば暴挙とも言える振る舞いを受け入れた最たる理由は、性懲りもなく玲奈と一緒に過ごしたいという気持ちだ。もう自分に嘘なんてつかない。


 トンネルを抜け、駅のホームに入ってきた地下鉄を眺めながら、小さな決意を固めた。



 ◆ ◆ ◆



「今日はみーんなの為にお兄さん、お姉さん達が幼稚園に遊びに来てくれました。みんな、元気に挨拶しましょう〜!」

「「「こーんにーちはー!」」」


 先生の掛け声に合わせて、園児達が挨拶をしてくれた。正直、バラバラでぼーっとしている子や自分の世界に浸っている子もいたけれど、こうして眺めていると案外可愛いものだ。幼稚園時代のあたしはどんな園児だったのだろう。今度、お母さんに聞いてみよう。


「お、おおっ……えええ園児が……モンスターチルドレンが一杯……」

「ちょっとシャキッとしてよ、こっちが恥ずかしいんだから」


 過去に何らかのトラウマでも植え付けられたのか、一回りも年下の園児達の前で物怖じする香月。相変わらず情けないけれど、一つ不可解な点がある。

 どうして無理を承知でボランティアを承諾したのか。それは駅でも尋ねたことなんだけど、結局生徒会に戻りたいの一点張りだ。

 確かに香月の生徒会の仕事に懸ける思いの強さは、ずっと隣で見てきたあたしは十分に知っている。知っているのに……いや知っているからこそ、香月の本音が見えない。嘘じゃないことくらい分かってるけれど、心なしか、最近では本音を隠す建前のようにしか聞こえなくなってしまった。


 けれど、香月がそうした本音をひた隠しにしているわけは直ぐに判明した。


「上谷〜、もしかして緊張してんの〜?」

「逆に何でお前らは平気なんだよ……っ」

「上谷がおかしいんだって〜、ね? 玲奈ちゃん」

「う、うん。そうかも」


 突然話しかけられたので、当惑しつつも何とか返答出来た。赤崎さんはあたしの返答に満足したのか、その後は私語を慎んで園の先生の話に耳を傾けていた。


 一方、香月は未だに緊張した面持ちを崩さない。

 恐らく、香月はあたしに対して後ろめたい気持ちを抱いているんだと思う。香月の奉仕の精神は本物だと思うけれど、苦手な幼稚園に足を運ぶ決定打となったのはあたしじゃなくて、赤崎さん。香月の中で、彼女の存在は大きいんだと思う。


「おねーちゃん、どうしたの?」


 園児達と折り紙で遊ぶ時間となった。あたしはあやふやな記憶を頼りに、香月の指導を思い出しながら、不格好な兜や鶴を折った。

 けれど、心の片隅では終始香月のことばかり考えていた。何処か上の空のままだったから、眼前の女の子は不思議に思ったらしい。心配気につぶらな瞳であたしを覗き込んでいた。


「ごめんね、おねぇちゃんちょっとぼーっとしてたね」


 精一杯取り繕って笑いかけるが、女の子の表情は晴れない。そして、何故だかあたしの目元を指で掬った。


 ――あたしは泣いていた。


「何で泣いてるの?」

「……ううん、ちょっと上手く出来なくてへこんじゃっただけ」


 咄嗟に言い訳を見つけていた。

 どうして、純粋な子供達の前で嘘をつかなきゃいけないのよ。あたしみたいな往生際の悪い人間が眼前の邪気のない女の子に折り紙を教える資格なんてあるのだろうか。


 痛くて苦しくて、幾らもがいてもあいつの背中は遠い。そんなやるせなさが体現した涙だった。故に、頬をつたる雫の勢いは留まるところを知らない。


「うっ……ぐずっ……」


 啜り泣きが活気溢れた教室に落ちる。

 周囲の園児達が目敏く異変に気づいた。


「なんで泣いてるの」 「どうして?」 「何かされたの?」


 好奇心の団塊が群がってきて、騒ぎが大きくなってしまった。それなのに、溢れた涙は止まらない。やだ、こんなぐちゃぐちゃで不細工なあたしを見ないで。早く誰か助けてよ……。


「玲奈ちゃん……取り敢えず一回外でよ?」


 赤崎さんがいち早く駆けつけてきてくれた。すっかり足に力が入らなくなったあたしを外まで連れ出してくれた。そして、園の先生が園児達に片付けを促す声が聞こえる。室内に活気が戻っていく。


「……ここでいい」


 あたしにもう誰かを気遣う力なんて残っていなかった。ぶっきらぼうに呟いて、廊下の端に座り込むと赤崎さんを無言で追い払った。我ながら、自分勝手だと思った。

 よりにもよって、恋敵に助けられるなんて惨めな話だ。これであたしの完敗。あの女の子には悪いことしちゃった。でも、もう何もかもどうでも良くなったしそれでいいかも。

 こんなことなら、最初から出会わなければ良かった――なんてそれだけは駄目だったのに、抑えなくちゃいけなかったのに、その時のあたしは思ってしまったのだった。

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