Lv.14 もっと近くにいたい④

 夏祭りの会場は、予想よりも遥かに数多の人々でごった返していた。


「ちょっと上谷早くしなよ〜!」


 境内の先で、赤崎さんが手を振っている。往来で無邪気な笑顔を振りまく彼女の笑顔に、通りすがりの人々がチラチラ視線を向けている。

 そんな身軽な格好に対して、袖の長い浴衣を身に纏っているあたしは今にも人の波に呑まれそうになっていた。


「おっと、気をつけないとはぐれるぞ」


 何の気なしに香月があたしの手を掴んできた。瞬間、胸の動悸が早くなって、この早鐘を打った拍動が触れ合った手を介して、血液のように伝わっていくんじゃないか。

 そんな心配をしたけれど、当の香月は特に気にした風もなく人の間を掻き分けて歩いていった。


 ねぇ、そんなに急ぐのはあの子が待ってるから? あたしよりも可憐で女子っぽくて、色香も立ち振る舞いもどれをとってもあたしじゃ太刀打ち出来ない。夏の風物詩のはずの浴衣も、結局、歩きづらいというハンデを生んでしまった。


「大丈夫か足、辛くないか?」

「別になんてことないし」


 香月は恐らく純粋に心配してくれているだけ。幾ら普段憎まれ口を叩きあっているからといって、こんなところで無碍な扱いをされるようなことはない。

 だけど、あたしよりも男子を虜にしてしまうような魅力を併せ持つ赤崎さんといつ強敵を前にして、普段より躍起になってしまっていた。


「別に自分で歩けるしっ」


 階段の前に差し掛かったところで、香月の手を強引に振り払った。至福のときを自ら打ち壊してしまったのだ。


「……そうか、でもその身なりと下駄じゃ階段上るのも一苦労だろ」

「別にこれくらい平気だし」

「お前が大丈夫でも、万が一にでも転ばれちゃこっちが後味悪いんだって……分かったら、早く掴まれよ、ほら」


 差し出された手を前に一瞬、逡巡する。境内の下で、依然として手を振る赤崎さんが視界に過ぎった。念願の初デート……というより二人っきりを邪魔された報復に、彼女に二人の仲の良い所を見せつけてやるのもアリかも。

 余裕をなくしていたあたしは、香月の好意を己の利潤の為に利用した。己の性格の悪さが現出した瞬間だった。あたしを突き動かしたのは一途に香月を想う気持ちか、はたまた醜い嫉妬と独占欲か。


 恐らく八割を後者で占められた前者だ。


「ははっ、何だかんだ言って結局最後は素直なんだな」

「あんたがしつこいからでしょ」

「さっきまでは『別に大丈夫だしっ』って意地張ってた癖に?」

「……っ、あんた覚えてなさいよ」


 言葉とは裏腹にあたしの心は満たされていった。そうこの感じ、お世辞にも仲の良い男女には見えないけれど、憎まれ口を叩きあって互いを揶揄し合う二人だけの空間。あたしにとって、かけがえのないもの。


 今度は絶対に離れることのないように、ぎゅっと香月の手を握った。いつか恋人繋ぎまで発展する未来がくるその日を願って。


「そんなに強く握らなくても、離さないって」

「別にそんなんじゃないし」

「じゃあ何なんだよ?」

「そ、その……あれよ、念の為! ま、まぁ? 普段、ろくに気の利かないあんたに気を遣わせるくらいなんだから、ここは素直に従ってあげるってこと」

「感謝とは一体……」

「うるさい!」


 あたしが叫んでやると、香月はおどけたように笑った。この石段を頂上まで上り終えるまでは、二人の時間。誰にも阻害されない至福の時。

 しかし、幸せな時間もつかの間。鳥居に背中を預けて夜空を仰いでいた赤崎さんの元へ辿り着いてしまった。


「遅かったじゃん、せっかくの祭りの時間が減っちゃうぞ〜?」

「そんなに焦らなくても、祭りは逃げないから」


 可笑しそうに笑う香月の笑顔は、普段よりも柔らかい印象を受ける。これも赤崎さんの影響なのかもしれない。そう思うと、胸がきゅっと締め付けられた。


「ねねっ、聞いてよ上谷。この前宮川会長にあってさ〜」


 香月を挟んで右にあたし、左に赤崎さんの並びで歩いていた時、不意に赤崎さんが口火を切った。

 香月を上目遣いで覗き込むようにする仕草は、不覚にも同性のあたしでさえ可愛いと思えた。


「えっ? あの半ニートの宮川会長に? どんなエンカ率だよ」

「そうなの、私もびっくりしちゃって!」


 あたしの踏み込めない領域の話が弾む。


「生徒会……か、懐かしいな」

「何言ってんの、上谷は今も生徒会入ってんでしょ?」

「ああ……いや、それは色々あって……な」


 赤崎さんの質問に相槌を打った香月があたしに水を向けてくる。


「あ、そっか〜えっと……神谷さんだっけ。上谷と神谷! なんか変な感じっ」

「あ、うん、不幸なことにね」

「うるせ、こっちの台詞だ」


 普段はすかさず憎まれ口を叩き返してくるのに、赤崎さんの前で見栄をはりたいのか香月は笑ってやり過ごした。


「もー、ややこしいから、玲奈ちゃんって呼んでいい?」


 この子があたしに好意を持っているなどとは到底考えらんない。あたしを蚊帳の外に追い出せる話題を選んだのも唯の偶然じゃないはず。

 但し、あからさま過ぎても香月があたしに気を遣うんじゃないかと懸念して、こちらにも話題を振ってきたんだと想う。最も、これは香月があたしを気にしてくれる前提の話なので、あたしが傲慢なだけの可能性も捨てきれないけれど。


「……うん、あたしもそっちの方がいいかも」

「そっか、じゃあ玲奈ちゃん、色々ってどんな事情があったの?」


 端麗な面持ちが一変、子供のように無邪気なものへと変わる。爛々と眼を輝かせて、興味津々といった様子だ。


「実はこいつとの不仲が原因で、生徒会を勘当されちゃって」

「えー、実際そんなことってあるんだねー」


 彼女の瞳の魔力に乗せられて、あたしは思わず口を滑らせてしまった。強敵に有益な情報を与えてしまったのだ。

 対して、あたしの方はというと赤崎柚月という人間と中学時代の香月を知らない。これは大きなハンデとなり得る。


「でも、それならどうして二人は今もこうきて一緒に居るわけ? 寧ろ逆効果じゃん」

「それは……」


 痛いところを突かれてしまった。確かにこの点は当初より曖昧となっていた部分で、香月の提案に何の躊躇いもなく承諾したあたしには明確な答えを提示することは出来ない。それは、最早告白と同義だから。

 でも、どうして香月はあの時あんな提案をしたのかなぁ。勝負に勝った方が生徒会に残って、負けた方が去る。一見、理にかなっているように思えるけれど、不仲なあたしと態々顔を合わせるように仕向けるだろうか。もしや、あたしに好意を持ってるんじゃないか、という希望的観測がちょっぴりあったり……。


「こっちの事情で色々あって、その結果が今の現状」


 赤崎さんが中学時代の香月を知っているように、あたしは高校での香月を知っている。

 さっきまでは気が動転しちゃって頭が回らなかったけれど、つまるところ、赤崎さんの知らない高校での香月を知っているってこと。


「……ふ〜ん」


 赤崎さんは意味あり気な呟きとともに、不敵な笑みを零す。余裕に満ち溢れた笑顔。学校で恐らくモテるだろう彼女は、補填された算段という弾丸を幾つも含有しているのだろう。


 屋台の立ち並ぶ往来を三人で歩いていると、りんご飴の店先の前で赤崎さんが立ち止まった。カラメル状の砂糖をまぶした赤の結晶に目を奪われたかのように、一点に見据えている。彼女には珍しく、隙のある表情だ。


「二人とも、ちょっとそこのベンチで待っててくれ」


 香月は優しげな微笑を見せたと思えば、屋台に並ぶ列の最後尾へと急行していった。

 取り残されたのはつい小一時間前までは、初対面同士だった女子高生。


「……座ろっか」


 僅かな無言の空気が漂った後、そう促される。素直に首肯したあたしは、ちょっぴり隙間を開けて、赤崎さんの隣に腰を下ろした。

 でも座ったはいいけれど、一体何を話せばいいのか。それこそ話題なんて、生徒会か香月のことくらいしか思いつかないし。


「……ねぇ、いきなりで悪いんだけどさ、上谷とは距離置いた方がいいと思うよ?」

「え……?」


 間が持たないんじゃないか、という懸念は忘却の彼方へ。赤崎さんの歯に着せぬ物言いがあたしの心に確かな動揺を生ませた。

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