Lv.4 素直になりたいけれど⑤

 思い出すだけで拍動が早鐘を打ち本人の前でもないのに、妙にトギマギしてしまう。これが想い人の顔を浮かべながら、夜な夜な三大欲求の一つを己の手で満たす時のような背徳感と同等のものだろうか。いや、知らんけど。

 しかし、不可解なこともある。果たして、相手をデレさせる為だけにあれほど大胆な行動をとるだろうか。もし、因果関係が逆なのだとしたら……いやいや、玲奈に限ってそれはないだろう。


 最近は、あの公園でのキス未遂が体にまとわりついて離れてくれない。高校生カップルの大人のキスも刺激的だったが、何よりも目と鼻の先に見た玲奈は、意外にあどけない顔立ちをしていて、けれどその反面、触れた吐息や桜色の唇、うっとりした表情の玲奈は正直、エロかった。

 高校生は所詮、子供。けれど、同年代の俺からしてみれば、十分に女の色香を感じてしまったのだった。再度、玲奈の魅力にまんまと惹かれた自分が不甲斐ない。もうベタ惚れだ。


「人の気も知らないで……」


 正直、心の何処かでは微かな期待をしている自分がいるのは紛れもない事実だ。けれど、そんなものは希望的観測に過ぎなくて、男子高校生あるあるの思春期特有の勘違いというやつだってことくらい分かっている。

 玲奈がキスを許容したのだって、俺をデレさせるハニートラップに過ぎないということも冷静に考えれば、分かることだし。


 玲奈も思春期真っ盛りの女子高生だ。そりゃ、キスくらいに興味を示しても何らおかしいことはない。学校では男子生徒から人気を博しているらしいし、告白されている所を何度か見かけている。けれど、毎回のように冷たくあしらっていて誰とも付き合った試しがない。ある時、疑問に思って尋ねてみると、


「あたしだって相手くらい選ぶわよ、こ、心に決めた人もいるから……」


 相手を振るための方便だと思っていたフレーズをしかめつらしい表情で言われては、茶々を入れることも出来なかった。つーか、誰だよ心に決めた人って。羨ましいなぁ、ちょっと顔貸せや、大丈夫痛くはしねぇ、兄ちゃん。

 しかし、彼女が特有の男と仲良くしている所なんて見たことはない。別段、仮面を被っているわけではないのだけど、俺以外の男子に対しては分け隔てなく優しいのだ。


 本来ならば、ここで「もしかして、俺の事好きなんじゃね?」と盛大な勘違いをやらかすのがモテない男子高校生の典型なのだが、俺は違う。

 確かに玲奈とは、何かと顔を突き合わせることが多いがそれが仲の良さに必ずしも比例するわけではない。


 現実にツンデレなんぞ有り得ない。あれは、平面の世界だからこそ輝くのだ。あんなものが眼前に出て来て、いきなり怒り出すなんて身勝手にも程がある。

 畢竟、玲奈のつっけんどんな態度はツンデレという高貴なものではなく、本気で……嫌われてるのか、若しくはからかわれているのか。えぇ……割とへこむな。


「ああもう、よせよせ! 今は考えたってしょうがないだろ……!」


 気を取り直して、風呂で呑気に鼻歌を歌っていると、にわかにけたたましい着信音が鳴り響いた。音が反響する風呂場だったから、余計に焦ってしまって湯船で背中を打った。本当に運が悪い。


「何、だと……」


 着信音の表示を見た途端、俺は動揺を隠せなかった。


『神谷玲奈』、何度目を擦っても凝らしても、揺るがないポップアップ。迸った妄想が見せた幻想か。

 いや、でももし本当だったら早く出なければ居留守を使ったことになってしまう。べ、別に動揺なんてしてないぞ、今時異性と電話するなんて普通だ。落ち着け、落ち着くんだ上谷香月。夜のリア充共は、息をするように異性と暇電し、息をするようにキスをするんだ。はい偏見ですねすいませんごめんなさい。

 でも、非リア充の俺は、息をするようにこの『応答』をタップするんだ。階下のお父さんお母さん不甲斐ない息子でごめんなさい。でもこれ、俺の分相応なんだよね、許して。


 そんな取り留めのない言い訳をしながらも、確固たる意志かはたまた燻った恋心に突き動かされたのか。小刻みに揺れた人差し指が新たな世界への扉をこじ開けたのだった。



 ◆ ◆ ◆



 これは、世のカップルやリア充共が興じる暇電というやつなのでは……? 俺にもそう思っていた時期がありました。

 しかし、話の大筋を聞けば、今の今まですっかり忘却の彼方にあった体育祭の追加種目の考案を一緒に考えろというものだった。何だよ業務連絡か……日本人はプライベートまで仕事に侵されてんのかよ……。


 イマイチ釈然としなかったけど、スマホ越しに聞こえてくる玲奈の声は、普段と違った味があって、心なしか弾んでいるようにも聞こえた。

 今の今まで玲奈のことばかり考えていたから、もしや邪な妄想が見透かされているんじゃないかと内心、冷や汗でいっぱいになる。


 最初は、真面目に話し合っていた俺達だったが、徐々に集中力も途切れ途中、何度も微睡みの中で電話をしていた。

 そんなこんなで、一時を回った頃。何の前触れもなく、玲奈が口火を切った。


「あんたってさぁ、好きな人いるの?」

「……え?」


 その一言は、眠気を一気に吹き飛ばす力を含有していた。


「だからぁ、いーまー、好きな人いるのかってきぃてんの〜」


 寝ぼけているのか、それとも演技なのか。訥々と言葉を紡いだ


「すぅ……んで、どうなのぉ? 男なら、スパッと答えるのが普通ぅ! んふぅー」


 受話器越しに無防備に伝わってくる電気信号は、妙に蠱惑的で少しグズった声は俺の男心は、完全に掌握された。

 面と向かって話していたら、確実に押し倒していた。現に、何を血迷ったのか、スマホが体の下敷きになっていた。

 いや、勿論現実はそう甘くない。まずそんな不純異性交遊の一歩手前まで来れるものなら、とっくに告白している。

 ん……、 告白……?


 もしや、これはまたとないチャンスなんじゃ? しかし、電話で告白というのも玲奈に失礼な気がしてならない。早まって思いを告げたって、後々気まずくなるだけだ。

 けれど、今なら言えるような気がする。


「その前に質問なんだけど、お、お前はさ、俺の事どう思ってんのかなぁ……なんて」


 ヘタレで定評のある俺は、皆様の期待を裏切りませんでした……と。

 玲奈に探りを入れつつも、告白ではなくちょっと気になるだけなんだからね風を装う問い方。我ながら、せこい。


「…………」

「あ、いや。嫌なら別に答えなくてもいいんだ。出来れば聞きたいなぁって感じだから」

「…………す」


 もしや、その後に続く言葉はあれですかリア充が彼女に囁くあの言葉ですかそうなんですか……え、あでもマジだったら俺どうすんの?

 漠然としか玲奈とのカップル像が浮かばない。やべ、なんか鼻息荒くなってきた気がする。息止めよ。


「………………」

「ほ、放置プレイはあんまり好みじゃないな」

「……すぅ」

「……へ?」

「……すぅ」

「……………………え、もしや寝ちゃってますパティーンです?」


 しかし、次の瞬間耳を疑うような甘い声が耳朶を震わせた。


「すぅ……んふっ、ちょっ、そん……な……がっつか……ん…………すぅ」


 んのらあじゃあああああああああああああ――――っ!


「はぁはぁはぁ……」


 プツッ……。思わず電話を切ってしまった。


 …………いや、ちょっと待て待って待てよ、可愛すぎません?


 最初に素っ気ない態度とってからの無防備な女の色香を垣間見せるギャップ萌え、トドメに扇情的な寝息、か。そうやってまたお前は、一人男を落としていくんだな……


「……うわあああっ、もう何だよ、天使か天使なのか!」


 天使は降臨したのだ。玲奈を産みなさった御両親には、頭が上がらない。キュン死……いや、尊死か? 尊い。

 そして、深夜テンション真っ盛りの俺はいても立ってもいられなくてベッドにダイブした。

 これ以上、男の羞恥を赤裸々に描写するなんて需要ないからしないけど、身悶えることって本当にあるんだな……。


「こりゃ、今夜は眠れないな……」


 取り敢えず、当たり障りのなさそうな種目案を即興で考えて、メッセで送っておく。そこで魔が差してしまって、散々翻弄された意趣返しに、「寝落ちしたからお前の負けな」という意味不明な価値を宣言して、トークを閉じた。もう思考がはたりゃかない。


 七月十六日。この日、上谷香月のガラスのハートは、精神作用によってキュン死した。

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