難易度:STANDARD
Lv.11 もっと近くにいたい
体力を蝕む暑さがこれから本格的になってくる魔の八月に入った。八月初旬の今日、余暇を楽しむ為という名目で夏の課題を仕上げる勉強会が俺の家で開催されることとなっていた。
しかし――
「はぁ……!? 二人とも来れなくなった!?」
スマホを耳に当て、素っ頓狂な声を出す玲奈。やがて通話を終えると、怒りに任せて地団駄を踏んだ。おーい、お嬢さんそれ俺ん家の床ですけど。
「……どうすんのよこれ」
「どうするも何も勉強するんだろ」
淡々と告げると、玲奈は不承不承といった様子で教材を開いた。不服な態度を出すのは構わないが、節度というものがあるだろう。玲奈の場合、あからさまに嫌そうだ。分かってますかそういう何気ない態度が俺のハートを抉るんですよ。
それから小一時間ほど勉強に集中していたのだが、突拍子もなく玲奈がおかしなことを口にした。
「……しょ、勝負よ」
「え、いきなりかよ」
俺達二人の間で勝負となると、『デレた方が負け』という名目の勝負が必ず介在してくる。
「負けた方が勝った方の言うことを何でも聞く」
「な、何でもォ……!?」
同級生の男の家に膝丈スカートを履いてくる玲奈の貞操観念を疑っていたが、まさかこれは準備万端という合図なのだろうか。
何やら意味不明な外国語が羅列した白Tシャツというラフな格好もそういう事なんですね。うん滅茶苦茶似合ってるし、この際だから貴重な私服姿を存分に目に焼き付けておこう。
「……目がスケベ。あんたの妄想通りになんてならないから」
「いやでも今何でもって――」
「――何か文句ある?」
威圧的な双眸で睨まれ、俺はたじろいだ。
いやまぁね、俺も健全な男子ですから。男子は皆、一様にエロいこと大好きなんですよ。
「いや〜、照れる玲奈さん激カワ」
「……何、誤魔化してんのよ。あんたのお世辞なんてこれっぽっちも嬉しくないし」
「そこは嘘でも感謝しとけよ、一応女子扱いしてやってんだから」
「何よ偉そうに、あたしそんな事頼んだ覚えないけど?」
「俺紳士だから」
「キモ」
なんて傲慢な女なんだ。こっちは必死に平静を装って軽口叩いたというのに。そうですか俺は気持ち悪いですかごめんなさいね。
「まぁいいや、そんで勝負方法は?」
「ゲームやってるんだからゲームしかないでしょ」
「いや今日は夏休みの宿題を一掃する名目で集まっただけなんだけど」
「いいでしょ別に、由姫乃達来なかったんだし」
いやでもねぇ、当の
「あたしの生徒会復帰の為に由姫乃は一肌脱いでくれたのよ」
「それ意味ちょっと違う」
「で、やるの? やらないの?」
「はいはい、やればいいんでしょ」
対戦型の格闘ゲーム。今回は二人なのでタイマン勝負。キャラ選択を終え、ステージをランダム選択にすると画面が切り替わった。
諦めて、コントローラーを握り集中をテレビ画面一点に注ぐ。このゲームは最近では少々古いゲーム扱いされがちだが、今でも偶にプレイする俺のように、巷で不朽の人気を博している。
カウントダウンが始まる。勝負の前に漂う緊張感と高揚感。固唾を呑むとコントローラーを握る手が力む。
俺は、この戦闘の前のえも言われぬ静寂が地味に好きだ。
玲奈が徐に口を開いた。
「言っとくけど、あたしが女子だからって余計な遠慮とかいらないから」
「お前に気なんて遣うかよ」
プールで気まずくなったことなんて、すっかり頭から抜け落ちていた。
「そ、安心した。じゃあ遠慮なくぶっ潰すね」
「――え?」
戦いの火蓋が切って落とされる。玲奈の宣戦布告と寸分違わない時間差で、彼女の操作キャラが間合いを詰めてきた。
油断していた俺は手を滑らせ、ボタンを押し間違えるという初歩ミスをやらかした。自キャラが生身で相手に突っ込んでいく。やばいと思ったのもつかの間、自キャラが跳ね上がり、遥か彼方に吹っ飛ばされた。
「……」
唖然とするあまり、言葉が出なかった。汗一つかいていない怜悧な風貌で、玲奈はコントローラを徐に床に置いた。
「じゃあ、約束通りお願い聞いてもらうから」
恍惚とした表情で微笑む。途端に背筋が震え、無性に家に帰りたくなった。
「いや待て、誰も一騎打ちとは言ってないよなぁ?」
「うわっ……往生際悪っ」
「……と、とにかく再戦だ。さっきのは不意を突かれただけなんだって」
何でもの言葉の誘惑に唆された俺は、矜恃を捨てて再戦を訴える。惨めだが嘘はついていない。
「はぁ……ほんとあんたってどうしようもないやつ。まぁ再戦くらい別にいいけど」
「何やいいんかい」
「その代わり、最初の勝負の勝ちは勝ちよ。一回分の言うことはしっかり聞いてもらうから」
「……へ? ああ、まぁそうだな」
「確かに聞いたから。じゃあその早速だけど……」
玲奈は、何やら急にモジモジし始めた。自室、この家には俺と玲奈の二人っきり。身じろぎすれば肩が触れ合い、嫌でも意識してしまう。
一時のゲームの熱から冷めて、ようやく今の状況を客観的に理解したが時既に遅し。拍動が早鐘を打ち、更に上目遣いで恥じらう玲奈の表情が収まらない動悸に拍車をかける。
「……お前、どんな恥ずかしいこと命令しようとしてんだよ」
「べ、別にそんなんじゃないし……っ!」
「じゃあ、言えるよなぁ? ほら、とっと吐いた方が気が楽だぞ?」
急遽、サドに目覚めてしまった。玲奈が存外に羞恥心を顕にするから、暴走に拍車がかかってしまう。
玲奈をいじめる自分に負い目を感じていないといえば嘘になるが、背に腹は変えられん。
「ほらほら、何でも一つ言うこと聞いてやるから。な?」
「……っ」
「命令ないなら早く二回戦しようぜ。この時間が勿体ない」
「……よ……で」
「え?」
「な……え……んで」
言葉が途切れ途切れで上手く聞き取れない。
「……名前呼んで」
心の中がクエスチョンマークに支配された。俺は、予想外の返答に面食らう。
何この子、めっちゃ可愛いこと言い出したんですけど。死んだ、俺の語彙力が亡きものとなった。え、ちょっと待って助けてこれどうやって収拾つけんの? ラブコメの神様、早く模範解答出して!
「ってか、そんなことでいいのか?」
「そんなことって何よ、女子にとっては大事なの」
「はいはい、呼べばいいんだろ」
「じゃあ、はい」
「……」
「……」
どうしよう、勢いづいて余裕ぶっこいてしまったが、いざ面と向かって呼ぶとなると躊躇われる。確かに今の今までお前とかおいとか無神経な呼称だったが、今更の話だ。やけに照れくさい。
「……ちょっと時間無駄なんじゃなかったの?」
「俺にもペースってもんがあるんだよ」
その場のノリで名前を口にした経験はあったようななかったような。だが、それと今とでは似て非なるものだ。周囲に常に他人がいる学校ならまだしも、二人っきりのシチュエーションで意識するなという方が無理な相談だった。
「大体、何で今更名前呼びなんて」
「うっさい、質問は勝ってからにして」
「お前それもカウントすんのかよ!? 狭量なやつだな」
「誤魔化しても無駄だから。絶対服従ってルールでしょ」
その理論だともし俺が二回戦で勝ちを収めれば、問答無用で押し倒せることになるけどいいのか? まぁ小心者の自分にそんな度胸が備わっているなら、とっくに告白している。
「そ、その……れ」
「……」
「れ……れい」
「…………うん」
「れ、れ……」
一体、これは何の罰ゲームだろう。羞恥心が暴発しそうだ。無性に家に帰りたくなってきた。
けれど、じっと俺を見据える玲奈の真剣な瞳が逃げ手を探す自分を引き止めた。どちらにしろ、いずれ恋人同士になることを望むのなら、名前呼びは必然になってくる。ここで覚悟を決めなければ、男が廃る。
「そ、その……」
そして微かな逡巡の後、言葉が紡がれた。
「れ、れれ……れいにゃ!」
「……」
「あ、あれ?」
緊張のあまり、呂律が上手く回らなかった。恐る恐る玲奈の顔を覗き込むと、そこには筆舌に尽くしがたいが、無表情で何かを悟ったような感情が現出していた。
僅かなタイムロスの後、俺は慌てて口火を切る。
「ちょ、ちょっと待って!」
「……」
「もっかい、もっかいだけチャンスをくれ!」
「……く」
「お〜い、ちょっと玲奈さん?」
玲奈は口元を手で覆い、肩を小刻みに震わせる。急遽、起こった玲奈の変化の原因は少しして明らかになった。
「くっ……くくっ」
声にならない声を上げ、突然笑いだしたのだ。
「ちょ、れれい……にっ」
そして、案の定俺はまた噛んだ。
「あは……ちょっと止めっ……笑いが止まらーー」
玲奈は苦しそうに腹を抱えて、床に横たわる。
「お前、人がせっかく真剣だったってのに」
「もうダメ、お腹苦し……っ。ちょっ、こっち見ないで笑いが止まんないって」
「何か嘲笑されてる気分なんだけど」
「ちょ、喋んないでってば……あもう、ヤバいっ……!」
少々、気まずかった空気が一変、一気に空気が明るくなった。ただ、玲奈さん俺の顔を見る度に噴き出すの止めてくれない? 幸福が逃げるよ。
玲奈が落ち着くまで、暫くの時間を要した。
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