3-10
ドスン、という轟音と共に学院が縦に揺れた。
机の上などに置かれていた花瓶や筆箱がその揺れで落ちたりした。
歩いていた人達が突然の事に反応できず、尻餅をついたりした。地震でも起こったのかと思い、皆が息を飲む。教師はすぐさま机の下に隠れるよう指示を飛ばし、混乱は起きはしなかった。
「敵?」
適当に授業を聞き流していた涼城真希が、すぐさまこの異変を察知した。九鬼鳳香を見やると、同じ事を感じたらしく、もう目つきが鋭くなっていた。
「おそらくは」
鳳香と真希以外、机の下に隠れているので、教室はシンと静まりかえっている。
窓の外で大きな影がヌッと動いたのを見逃しはしなかった。
「俺はクーデター軍のエース岡田三郎だ。下手に騒いだりしたら、人間程度なら一瞬で蒸発しちまうからな」
真希と鳳香は聞き覚えのあるその声にやれやれといった表情を見せた。
そんな三郎の声を聞いて、教室内がざわつき始めた。
「静かになさい!」
教室内に黒金夏美の声が響いた。
「クーデター軍程度で動揺するなど愚の骨頂ですわ」
そう言い放つと、教室のざわめきがピタリと止んだ。
「俺は要求する。魔法少女どもがここにいるんだろう? 出て来いよ。殺してやるから。出てこないようなら、この学校を破壊する。分かったか!」
真希と鳳香は見つめ合い、息を合わせたように同時に頷いた。
「あなた方は出る必要はありませんわ」
立ち上がろうとしたところを、夏美が手で制した。
「はい?」
「どうしてですの?」
出鼻をくじかれ、鳳香と真希はまた顔を見合わせた。
「あなた方が出ると死人が出過ぎますわ。引っ込んでなさい」
と、夏美は嫌味ったらしく言った。
「な、なんだと!」
真希はさすがにカチンと来て、椅子をガタっとさせて立ち上がった。
「先生、裏口から皆を誘導してください。他の先生にも同じ指示を」
先生が夏美の指示に従い、教室からそっと出るよう言った。それに従い、教室にいた生徒達が廊下へと出ていく。
「何を……」
真希が抗議しようとしたが、
「一分、私が時間が稼ぎますわ。あなた方も準備なさい」
と、真希と鳳香にとって信じられない事を言い出した。
「何を言ってますの? 私達が出ればそれで済むことでしょう?」
「お前こそ、逃げたらどうだ?」
そんな二人の抗議を夏美が鼻で笑い、
「戦うのを一分待っていろと言ってるんですのよ?」
まだ何か言い足そうな顔をしていると、ジャージ姿の男女が五人ほど教室に駆け込んできた。制服は着ていないようだが、ここの生徒であった。
「夏美さん、シェルターの方に退避完了しました。地域住民の方はまだですが……」
「分かったわ。一分程度稼げば、避難してくれているに違いないわ」
夏美は鳳香と真希をキッと睨み付け、
「私は反対したんですのよ。この学院にあなた方が来ることを。だって、ここをクーデター軍が襲撃してきたら、同級生がたくさん死んでしまいますもの」
夏美と同い年くらいの少女からハンドガンを受け取り、安全装置を外した。
「あの様子ですと、あなた方以外眼中にないようですから安心してますわ」
夏美は窓から見える機体の一部を忌々しげに見つめた後、教室を足早に出て行った。
「魔法少女! どこにいる! 隠れてないで出てこい!」
外からそんな大声がまた聞こえてきた。
「どうしましょう?」
鳳香が困った顔をして、真希に意見を求めてきた。
「勝手にやらしておけばいいんじゃない? やるって言ってるんだし」
「……ですけど」
「守りたいものがあるけど、ボク達が出ると守れなくなるのなら、彼女の言う通りにするしかないでしょ」
真希は時計に視線を固定させて、夏美が言っていた『一分』をはかり始めた。
「……あれ? どうして出ないんです?」
二人の会話が終わって、沈黙が支配しかけていたところで、松島紗理奈が入ってきて、不思議そうな顔をして二人を見つめた。
「事情があって、一分ほど待つことになってる」
真希がおおざっぱな説明をすると、
「事情があるんですね~」
何かあるんだろうと勘ぐった紗理奈は分かったような、分からないような、そんな顔をしたが、何かを思い出したようで、いつも通りの表情に立ち返り、
「あ、そういえば、朝感じの悪かった黒金夏美さんなんですけど、お父さんがクーデター勃発時に死んじゃって、お兄さんが三人いたんですけど、三人とも二回の戦いで戦死しちゃってるそうです……」
それを聞いて、真希は時計から目を外し、鳳香に合図を送る。
「あいつら、死ぬ気だね。きっと他の奴らも同じ境遇だろう」
「……おそらくは」
「そう簡単に死なせてやるかよ。そうだろ、鳳香?」
「当然」
「夏美って言ったっけ? 性格悪いな、あいつは」
「ええ、悪すぎですわ」
真希と鳳香は同時に窓の外を見た。
そして、真希は鉢がねを、鳳香は御札を取り出した。
大阪ジャガースのチームカラーで塗装されたロメルスは、魔法少女が出てくるのを今か今かと校庭で待ち続けていた。
この学院にいる生徒達を皆殺しにしてもいいのだろうが、岡田三郎にその意志はなかった。戦意を見せていない奴を相手にするのは、スポーツマンシップに反する。そう思っているところがあるからだ。
「なんだ?」
校舎内の人間が退避しているのを確認していたが、攻撃する気など起きなかった。逃げたければ逃げればいい、と思っていた。
だが、今逃げようとしている者達とは違う行動を見せている影がいくつかある事に気づいた。
「やる気か、面白い」
校舎から制服姿の夏美が出てきて、三郎の方へとゆっくりと歩いてくる。
「なんだ、小娘」
外部スピーカーでそう訊ねると、
「魔法少女さん達は忙しく、あなたの相手などしていられないって言っていますわ」
夏美は距離を取るように立ち止まり、そう答えた。
「ほう。で、お前達が相手をするっていうのか?」
「ええ、そのつもりですわ」
「ガキだからとか、女だからとか、そんな理由で手加減はしねぇぜ」
三郎は残虐な笑みを口元に刻み、ジャッジメントナイフを抜いた。
それに合わせるように、四方から煙幕弾が飛んできて、校庭一面が煙に包まれる。
「やってくれる!」
とっさにナイフをしまい、背負っていた甲子園を抜き放つ。
ホームランを打つ事を頭の中で思い描きながら、一振り。突風が巻き起こり、煙が空へと舞い上がると同時に、学院の校舎の窓ガラスが割れていく。しかも、風によって吹き飛ばされたのは煙だけではなかった。
「くあっ?!」
「きゃぁぁっ!!」
煙幕弾を撃ち込んだ四人と夏美もその風に飲み込まれ、ある者は校舎に打ち付けられ、またある者は校舎の中へと放り込まれ、またある者は校庭の地面に強く叩きつけられた。
「くぅ……」
夏美は地面に叩きつけられ、足の骨が折れたらしく立ち上がることができなかった。
「お前達の勇気には経緯を払うぜ。しかしな、勇気と蛮勇は別物だということを知っておいた方がよかったな」
三郎はバットを手にしたまま、一番近くにいる夏美を狙いを定めた。バットをゴルフクラブのように持ち、
「このバットで人間を打ったら、ミンチになっちまうんだろうな。悪く思うなよ。俺はどんな相手に対してもフェアであるからな!」
バットを大きく振りかぶり、しばらくためてから振り下ろした。
硬いはずなのに、それを掴んだ瞬間、ゼリーを掴んだようなぐにょっとした感触が伝わってきた。
「ちょっと力抜きすぎじゃないの?」
振り下ろされたバットを片手で受け止めて、武御雷之装束姿の真希はそう挑発するように言った。
「な、なんであなたが……」
夏美が信じられないといった驚きの顔を見せた。
「一分経ったからだよ。それ以外に何がある?」
嫌な感触がするバットを離して、目の前に立ちはだかるロメルスにニッと微笑みかけた。
「こいつらが避難するまで待ってくれないか? その後だったら、ボクがいくらでも相手してあげるよ」
「戦力喪失してる奴らにもう用はない。勝手にしろ」
三郎はそう言って、数歩後ろに下がった。バットを定位置に戻し、仁王立ちになった。
「紗理奈、鳳香、倒れてる人たちを助けてあげて。こいつの相手はボクがする」
「やる気ですのね」
遅れてきた鳳香が困ったわと言いたげな顔をして、これまた遅れて来た紗理奈を顧みた。
「真希姉さんは戦い好きだから困りものですよね」
「ボクの悪口はいいから、早く」
「は、はい!」
紗理奈は背筋を正して、倒れている人の方へとキビキビとした足取りで走っていった。
「なぜなのかしら?」
鳳香と紗理奈が遠くに行き、二人きりに近い状態になったところで夏美がそう訊ねた。
「突っかかってくる奴だから見捨てるなんて事は、ボクにはできないよ」
「いっそ、あのまま……」
「勘違いしちゃダメだよ。あんたを助けた訳じゃないよ。ボクはボクの義務を果たしに来ただけだ」
若干照れ隠しの笑みをしながら、真希はそう答えた。
「素直じゃないんですのね」
「あんたほどじゃないよ」
二人にとって危険な状況にあるというのに、二人は口元に笑みをこぼした。
「あなたとはうまくやれそうにはありませんわ」
「それは、ボクだって同じだよ、うまくやれるはずないよ」
真希は夏美の顔を見るが急に恥ずかしくなって、前にでんと居座っているロメルスを見た。
大阪ジャガースカラーの外装は趣味が悪く思えて仕方がなく、顔を逸らして夏美を見るが、また恥ずかしくなって、またロメルスを見るという挙動不審な素振りを何度か見せた。
手当とかは苦手で、しようものなら、余計に症状を悪化させてしまったりするので、鳳香とかに任せることにしている。そのために、何もできなかったのだ。
「このクーデター軍を鎮圧したら、学校からいなくなるんですのよね?」
突然の質問に真希は動揺を隠せなかった。
「だ、だと思う……」
話をしているうちに気が合いそうなのは分かった。だが、二人とも故意に距離を置こうとしていた。
「あなた方がいなくなると清々しますわ。安全にはなっているはずですし……」
強がっているようなのだが、歯切れの悪い物言いだった。
「平和なのはいい事だよ。本当はね、ボク達が出てくるべきじゃないんだ。いや、出てきちゃいけないんだ」
真希達は自覚している。本来この世に出てきていい存在ではない事実を。
「……そ、そうね」
どう返していいのか困った顔をしてからの一言。
「そろそろよろしいでしょうか?」
鳳香が二人の間に立って、お互いの顔を交互に窺いながら、そう言った。
「ああ、いいよ」
真希は再びロメルスと向き合うよう顔を真正面へと動かした。
「また明日。この学校で会えたら、会って差し上げますわ」
そんな夏美の声を背中で聞いた。
「またね」
真希は後ろを振り返らずに手を振った
「では、飛びますよ」
鳳香の朗らかな声がし、後ろの二人の気配が消えた。
「……さて」
すぐに一歩前に出て、指をポキポキと鳴らす。
「始めるよ」
真希はマーシャルアーツに近い構えを取り、人差し指で軽く煽った。
「待ちくたびれたぜ」
甲子園と書かれたバットを取り出して、バッターのように身構える。
「気が立ってるから、速攻で決めさせてもらうよ! 風来斬。その五の風、旋風烈」
呼吸のタイミングに合わせて、風をはき出すように拳を前へと突き出した。すると、小さなトルネードがその拳の先にすっと生まれる。
「なぎ倒せ!」
身体を回して、トルネードの固まりを思いっきり蹴り飛ばした。竜巻を生み出したトルネードはロメルスへと一直線で向かっていく。
「破れたり!」
その竜に向かってバットを振り、ボールを打つようにその竜巻の芯を見事に捉えた。
力と力がぶつかり合い、空気が震える。金属製のバットがミシミシと鳴きながらも前へ前へと押し出していく。竜巻の固まりがだんだんといびつな形になるほどにへしゃげていった。
「ふははっ!」
三郎の高笑いがスピーカーから響くが、真希は平生と変わらぬ表情でその流れをじっと見守っていた。
「できたぜ!」
遂に竜巻の風の方向がねじ曲がって、風の向きが変わった。風の威力はそのままで、真希の方へとはじき返されていった。
「センスはいいね。でも……」
真希は向かってくる竜巻に向かい軽く平手打ちをすると、パッと何事もなかったかのように竜巻が消えた。
「武闘家のセンスじゃないね」
「女……強がりか?」
「普通のバットじゃないのは掴んだ時に分かったけど、それだけじゃどうしようもないよ」
その言葉は三郎の耳を素通りしたようで、再びバットを構えた。
「次はどうした?」
真希は三郎が何をしようとしているのかを悟った。だが、それが独り善がりにしか過ぎないことも同時に理解した。
「ボクがこんな事につきあう義理はないけど」
どのレベルまで耐久性があるのか好奇心がわいた。
「その四の風、群狼牙刃風」
手で狐を作り、円を描くようにその手を回していく。すると、白い風でできた無数の狼の首が宙にできてきた。真希の前が白っぽい靄のようなもので覆われてきたような様子になった。
「行け、狼達よ」
狐を解き、平手で軽く押してやると、その狼達が一斉にロメルスへと突進していった。
「くぅ?!」
数があまりにも多すぎて、打ち返すどころではなかった。腕でコックピット付近をガードする。
狼達はロメルスに進路を合わせ、高速で衝突していく。だが、アンチマジカルコーティングのためか、当てるとすぐに風は収束していった。
「これもダメ……ね」
すべての狼が消えたが、ロメルスには傷一つ負わせることができていない。だが、真希は驚くどころか、当然だと言いたげにその成り行きを見届けていた。
「こんなもので勝てると思ったのか?」
ガードを解き、バットを構えなおした。
「こんなのは守人四十七士の間で通用する技じゃないよ。本番はこれからかな? 勝ちたいのなら、やられる前にボクを倒すことだね」
肩から力を抜くと同時に、構えを解いた。
「その参の風、吐息千里を駆ける」
真希は唇に人差し指と中指を当て、投げキッスをするように吐息と共に、その指を離した。
「は?」
三郎のロメルスが手にしていたバットの中央に唐突に風穴が開いた。風が突き抜ける音がした時にはもう穴が開いたのだ。三郎の動体視力を持ってしても、何が起こったのかが把握できなかった。
「な、何をした!!」
「次は手だよ」
三郎の叫びを聞き流して、再び投げキッス。
「なっ?!」
バットを持っている手がガラスのように砕け散り、バットが轟音を立てて校庭に落下した。
「少女の皮をかぶった化け物が!」
三郎は恐怖に駆り立てられるように、かかとのキャタピラを全速力で回して真希へと突っ込んでいった。手が破壊され、武器が持てないというのに拳を振り上げて迫ってくる。一時的な錯乱状態なのかもしれない。
一方、真希は冷静そのものだった。
「その弐の風、風之闘衣」
間近まで来ていたロメルスはぼろぼろとなっている拳を真希へと叩きつけた。
「あんたを倒すのに神器も零の風も使う必要はないよね」
パンチは見えない壁に遮られているかのように寸止めに近い形で止まった。
「なぜ、そこで止まる!」
「風の鎧をまとっているからだよ。風はボクの友だからね、守ってくれるんだ」
制止しているかのように見える拳を片手で振り払う。
その腕とは別の腕を振り下ろしてくるが、これもまた風の壁によって遮られる。
何度も何度もパンチを繰り出し、真希をたたきつぶそうとするが、それは叶わなかった。すべてが風によって防がれ、掠りもしなかった。
「こ、こいつがぁぁぁっ!!」
飛び上がり、急降下しつつ蹴りを繰り出してきた。
「あんたはスポーツなら良いところまで行けたと思うけど」
十数トンもの重さのロメルスの蹴りさえも風之闘衣は受け止めた。そのロメルスの足を真希が手で払い除けると、風に煽られたように宙へと舞う。
「武闘家じゃないんだよ」
腕を挙げ、
「その壱の風、風一文字」
スッと縦に振り下ろす。
一線の風が三郎の機体を突き抜けた。
「格闘家ではエースにはなれないというのか、俺はぁぁっ!!」
三郎の叫びに促されるように、その機体が真っ向から両断されたように離れ始めた。内部の機器類や装甲まで綺麗な断面を描いて切断され、芸術的な領域にまで達していた。
「センスはあったかもしれないけど、それだけじゃ不十分だね。志が足りないよ」
もう終わったと言いたげに、真希は背筋をクッと伸ばした。
「違うっ! お、俺は不滅のエースだ!!」
切断面からバチッと火花が飛び散り、それが燃料か何かに引火し、その叫びに応じるかのように機体が盛大に爆ぜた。パラパラと残骸が校庭や校舎に降り注いでくるが、真希は全然気にしてはいなかった。
「エース? そんなにこだわってるからダメだったんじゃないの?」
真希はそう言いながらも、空しい思いにとらわれた。エリートだの、エースだの、そういった選民意識は好きではなかった。なまじっかそういう意識がある場合、悲劇を生むということを知っているからだ。
「……そういえば、夏美とはこれが終わっても会えるのかな?」
今の戦闘の事を忘れようと他の事を考え始めた。そんな真希の思いを察してか、一迅の風が校庭を吹き抜けていった。
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