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 赤坂にある高級ホテル『ドランリゾートホテル』は三十階建てである。上の階に行くほど宿泊料金が高い。


 二十五階より上の部屋はすべてスイートルーム扱いになっていて、三十階にはドーム式の露天風呂がある豪勢っぷりだ。


 数日前、そのホテルの三十階、二十九階を日本政府が買い取っていて、一般人は立ち入り禁止となった。


 露天風呂はドームを開閉する事ができる。


 今はそのドームが開いていて、露天風呂に入っていると、一面に広がる青い空を見ることが可能だった。


 天然石をふんだんに使い、自然にできた温泉を演出した作りの外装。湯船は人が四人ほど寝ころんでやっと窮屈だと感じるくらいの広さであった。


 そこに湯がはられ、湯煙がほのかに立ち上っているが、たまに風が吹くと、さっとかき消されていた。


「鍛錬の後ですと、気持ちいいですわね」


 おっとりとした調子でそう言う九鬼鳳香はタオルを身体に巻き、姿勢を正して肩まで湯に浸かっていた。


 自慢の長い黒髪を濡らさないようにと頭にタオルを巻いているが、おさまりきれない髪の毛がタオルから顔を覗かせている。その髪は驚くほど艶やかな黒。バスタオルにくるまれているその身体は、女性としての特徴を顕著に表していた。


 十五歳とは思えない落ち着きがそこここに溢れている。


「風呂は汗をかいた後に入ると、気持ちよ過ぎじゃない?」


 真希はタオルを頭にのせているだけで、天然石に身体を預けて豪快に湯に浸かっていた。


 髪は鳳香と同じく艶やかな黒をし、それを両耳の上辺りで二つに髪を結っている。身体は鳳香に比べると凹凸はなく、スリムと言えた。真希は鳳香と同い年なのだが、こうして一緒にいると、年齢よりも幼く見えてしまう。


「そうですわね。疲れた身体が癒されるといったところですわ」


 鳳香は頷いた。


「こんな情勢だし、身体をなまらせるワケにはいかないしね……」


 嫌だ嫌だと言いたげに、真希は頭を振った。


「私たちだけ、こんな贅沢をしていいものなのかしら?」


 鳳香は空母で暮らしている虚ろの民の事を頭の中で思い描いた。こんな暮らしなどした事のない彼らに対して申し訳ないという気持ちを抱いた。


「ボク達は特別なんだからいいの」


 二人は目配せをした後、にっこりと笑い合った。


 虚ろの民の中には、守人四十七士という真希や鳳香と同等、あるいは、それ以上の能力を有する者達がいるものの、その者達すべてが行動する事をあえて避けるようにしていた。敵に手の内をすべて見せる訳にはいかないという方針からという事だ。


「何を考えているのか分からないだけにやっかいですわね……」


 鳳香は浮かない顔をして、天井を見るともなしに見上げた。


「そんな事言ってられないんじゃない? あっちは本気だよね。何を考えているのかいまだに理解できないけど」


 新高山博士の大阪占拠後も、プロ野球の試合が普通に行われていたり、新幹線も普通に運行している。大阪の機能はそのままにして、軍隊のみを排除する方針であったりする。


「死者が出ているし、向こうは本気だからこの戦いは仕方ないよ」


「だからこそ、私達の出番でもあるんですわ」


「ボク達が本気になれば、あんな奴らなら楽に叩けるのにそれをしないなんてどうかしてるよ」


「政治的な駆け引きがあるんですわ。私達がどうこうできる問題でもありませんの」


「面倒だよね。叩いてから事後処理でどうとでもできるのに」


 ふぅっと真希はため息をついた。


 真希も鳳香も政府から要請が出ていて、このクーデターに決着がつくまで、このホテルでの待機を余儀なくされている。空母での生活よりは快適だし、政府側の配慮で学校に通う事にさえなっている。悪くはない、と二人とも思っているので、それほど不満はなかった。


「お、お姉様!」


 浴室のドアが勢いよく開き、松島紗理奈が顔を覗かせる。円らな瞳。元気よく揺れるポニーテイル。真希や鳳香よりも遙かに幼い顔。


 紗理奈は守人四十七士の見習いで、真希と鳳香の生活と戦いのサポートなどをするよう長より命令を受け、ここにいる。


 鳳香達よりも二歳若いが、次期守人四十七士の有望株として皆から一目置かれているが、紗理奈本人にはその自覚がない。紗理奈は鳳香に憧れていて、立ち振る舞いまでマネしようとする節があったりする。


「どうかしたのかしら?」


 紗理奈の目が真剣みを帯びているのを感じ取り、鳳香はその意味を即座に悟った。


「政府よりしゅ、出動要請ですっ。し、新型のロメルス一機、自衛軍と交戦中と、との事です!」


 紗理奈は冷静さを装おうとするが、焦っているためか言葉がうわずる。


「場所はどこ?」


 真希が冷静にそう訊ねた。


「第四奈良駐屯地です!」


「交戦中であれば、転送魔法でそこまで行くしかありませんわね」


 鳳香が真希の目を見据えた。


「それしかないでしょ。もう交戦中なら、なおさら」


 真希は立ち上がった。だが、タオルを巻いていないので、鍛えられて引き締まった身体が露わになる。


「行きましょう。紗理奈さん、転送魔法お願い致します」


 タオルがほどけないよう気を遣いながら、鳳香も立ち上がる。


「は、はい!」


 紗理奈は顔を真っ赤にさせて、嬉しそうに頷いた。


「それと戦闘着の方、お願いしますわ」


「は、はい! た、ただちに!」


 紗理奈は嬉しそうに頷いて、脱衣場を急いで出て行った。


「なんであれ、叩き潰す」


「お仕事、お仕事」


 真希と鳳香が並んで湯船を出て、歩き始める。


「寒くありませんの?」


 真希は相変わらずタオルで身体を隠そうとはしていない。それを見て、鳳香が質問した。


「武闘家に羞恥心はあまり必要ないでしょ? もしもの時、そういった事で取り乱したりするのは愚かだよ」


 と、真希はあっけらかんと答えた。


「でも、真希ちゃんは女の子ですわよ? 大事なところくらいは……えっと……その……」


 鳳香は言いにくそうにして俯いた。


「風は我が衣、風は我が剣……ボクはね、服は着ていないけど、風は着ているんだよ」


 そう言ってから、真希はカラカラと軽快に笑った。


 真希が体得しているのは『風来斬』という名の格闘術であった。風を操り、いかなるものを風で打ち砕く、というのがその真理だ。


「……そう言うのでしたら、もうこれ以上は言いませんけど……」


 ドタドタと騒がしい足音をさせつつ、紗理奈が脱衣所に駆け込んできた。その手には、金色の鉢金と達筆で書かれた赤い文字が目立つ黒い木札が大事そうに握られている。


「お待たせしましたっ!」


 紗理奈は満面の笑みを浮かべて、その2つを鳳香と真希の方へと差し出す。


「ありがとうございます」


「ありがと」


 鳳香は黒い木札を、真希は金色の鉢がねを受け取った。


「変身したら、すぐ転送してよね、紗理奈」


 真希は紗理奈にウィンクを飛ばし、鉢がねを頭にサッと巻いた。


「来い! ボクの武御雷之装束!」


 そう叫んだ後、真希の身体が金色に輝き始める。


 足から光が明滅し、やがて収束すると、そこには黒光りする脚絆、手から光が去ったと思うと、そこには黒光りする腕と手の輪郭を崩していないで綺麗に形取った小手、胴から光が退くとそこには、これまた黒光りする鎖帷子が真希の身体を覆っていた。


「ボクの拳はすべてを打ち砕く! 鮮烈なる鉄拳の真希、ここに推参!」


 真希は決めポーズを取りながら、そう言い放った。


 その横で鳳香が、黒い木札を二つの指で挟み、顔の前に持って行く。そうして、目をつむり、言葉を放つ。


「天照らす御心よ、我が衣になりて、その志を我に伝えよ」


 鳳香の身体が真希同様に光り始めた。


 鳳香から発していた光は、段々と鳳香から離れていき、鳳香の事を守るようにゆっくりと旋回し始める。


 光はいつしかその身体に密着し、衣服へと移り変わっていく。すぐに白と赤に彩られた巫女服へと変化した。白い袖長白衣とは多少異なり、袴が短く、太ももが少しだけ見えていた。


「御札に私の真心込めさせていただきますわ。静かなる霹靂の鳳香、参ります」


 鳳香はそう言い、畏まりつつ一礼する。


「では、転送しますので、お待ちをっ!」


 戦闘着を着用したのを紗理奈は瞑目し、右手を掲げ上げた。


「出てきてっ! 祝詞を記し旋律」


 右手に一冊の黒い本が突然現れてた。紗理奈は見習いとはいえ、戦闘着程度ならば扱える事ができる。


 その戦闘着がこの本であった。本を出す事で、自分自身を防御するシールドを自動的に形成する事ができ、戦闘に参加する事も可能だ。


「転送はっと……」


 紗理奈はその本を開いて、パラパラとページをめくっていく。ページ毎にそれぞれ特殊な効果が書かれており、そこにある文章を読み上げる事で特殊な力を発動させる事ができる。


「ここっ!」


 とある一ページを指さし、


「我の代わりに言霊となりて、その意義を示せ。時は時であり、場は場である。その法則を言霊によって改革する。我の時と場所を願う場、願う時へと誘え!」


 と、詠唱した。


 刹那、本がはじけ飛び、脱衣所一面に青い炎がほとばしった。


 その炎が三人を包み込むと、ゆらゆらと揺れた後、その三人もろともパッと消えてしまった。


 誰もいなくなった脱衣所に、隣の浴室からの湿気が入り込み、多少じめじめとし始めていた。


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