3-5





 十階建てのビルの屋上が青い炎で包まれた。


 風が吹いているというのに、その炎は揺らぎもしない。それどころか、広がりさえしていた。最後とばかりにひときわ燃えさかった後、青い炎は収縮するように消滅した。


 そして、そこに三人の少女が降り立った。


 転送魔法でここまで来た鳳香、真希、紗理奈だ。


「さてさて、敵は……っと」


 真希が屋上にある柵の方へと進んでいき、周囲に目を配った。


「煙が上がってるし、建物がところどころ破壊されてる……大暴れしたって感じよね……」


 鳳香も真希に倣い、眼下に広がる風景を目を細めて眺めた。町並みはもう見ていられないくらいに破壊されていて、人が住めるとは思えないくらいになっていた。


「煙が上がっているのは一カ所ではありませんわね。時間稼ぎをしていてくれたのかも知れません。退却しても良かったのに……そう命令が出ていたはずのなのに……」


 平静を装うが、鳳香の目が悲しみの色に染まる。


「……その思いに応えるためには、ロメルスを倒しかない。そうでしょ、鳳香?」


 真希は悲しみを堪え、肩を振るわせていた。


 戦場で死ぬことも、誰かが死ぬのも、誰かを殺すのも、もうとっくの昔に覚悟していた。だが、自分たちのために誰かが命を張ってくれるのだけは想定していなかっただけに複雑な思いが去来している。


 鳳香はそんな真希の表情を見て、思いを共感してるのを知り、心強く思った。


「……ええ、その通りですわ」


 鳳香も真希もまだ子供だ。感情に流れてしまう事も間々ある。それは二人とも十分に理解しているが、抑制の手だてを知りはしなかった。


「紗理奈、自衛軍で誰か残ってない? 通信したいの」


 真希は紗理奈の方を顧みて言った。


「分かりましたっ! 出てきてっ! 祝詞を記し旋律」


 喜々として紗理奈は本を虚空より出現させ、


「我が想いし人と場所と時を超え、我と交信させ給え」


 紗理奈が手にしていた本が破裂するように光を四散させながらはじけ飛んだ。


 拡散した光の粒は四方八方に飛び立っていった。どこまでもどこまでも飛んでいき、次第に光自体が見えなくなるほど小さくなっていく。


 拡散した光の粒子が自衛軍の隊員を捜し出す。


 誰かを見つけるとその隊員に付着し、通信できるようになるのだ。魔法少女であれば誰でも使える物ではあるが、戦闘の前に無駄なマナを消費するわけにもいかず、紗理奈にやってもらったのだ。


「三十数名生き残ってるみたいですよっ」


 紗理奈がホッと胸をなで下ろしつつ、安堵の息をついた。


 鳳香も安心したようで、ふぅっと息を吐いた。


「なら、伝えて。ボク達がロメルスと戦闘し始めたら、全員この場所から離れて、って。じゃないと、戦いに巻き込まれる」


 さきほどわき上がっていた怒りなど微塵も感じさせない表情を見せ、ニカッと笑って見せた。


「暴れる気なんですの?」


 という鳳香の問いに、


「当然」


 さらりと答えた。


「!!」


 不意に紗理奈の顔が険しくなった。


「敵が来ますっ。大阪ジャガースっぽい塗装をしたロメルスだそうです」


 真希があからさまに不思議そうな顔をした。


「何それ?」


「でもでも、立花大尉という人からそういう報告があったんですよっ」


 と、困った顔をして紗理奈が答える。


「外見は見れば分かるそうです」


 二人の間に割って入り、鳳香が女神のような微笑んだ。そういった報告が来ているのであれば事実に違いない、と冷静に思っている。


「……それもそうだね」


 納得した様子で、何度も首を縦に振る真希。


 鳳香は目をクリクリと動かして、敵の姿を探し始める。キラリと輝いているのをとある方向で確認するまで、あまり時間はかからなかった。


「真希さん、来てみたいですわ。あちらの方に光が!」


 鳳香がその方向を指さした。


 何かが高速で近づいてきている。空を飛んでいるのではなく、道路を高速で移動していた。かかとにあるキャタピラをフル稼働させて、鳳香達の方へと迫ってきている。


「先手必勝っ!」


 その外観がはっきりと見えるようになった時、ロメルスにある外部スピーカーからの男の声がした。


 ショットガンを構え、鳳香達にその銃口を向けた。


 数瞬後には、銃声。


「お任せを」


 鳳香は胸元より一枚の黒い御札を取り出した。その御札が黒い炎を放ちながら、瞬く間に燃え尽きた。相手の出方が分かりさえすれば、どうという事はない……鳳香の素直な感想だった。


「月夜に陽を見るは幻なり」


 その言葉が波紋のように広がり、鳳香達の周りに絶縁の領域を作り出す。


 その領域がまさに着弾しようとしていた散弾をすべてはじき飛ばす。だが、それ以外の場所が散弾によって蜂の巣のように穴を開けられた。鳳香達が立っているビルの屋上以外の場所がボロボロになった。


 鳳香の能力は領域の支配にある。


 御札の続く限り、結界などを虚無に作り出す事が可能なのだ。


 あらかじめ、御札に自らの生命力を込めておき、必要な時にその生命力を魔力として還元し解放させる。


 解き放たれた魔力を思うがままに扱えるというのが鳳香の能力の基本であった。攻防一体を平均的にこなす事ができると言っても過言ではない。


「全部防いだのか、やるな」


 と、また男の声が辺りに響いた。


「そよ風かと思いましたわ」


 鳳香は涼しい顔をし、にこやかに笑って見せた。


 ロメルスが鳳香達と一定の距離を置いて停止した。手にしていたショットガンを背中に戻し、


「君たちが俺の名前を知らずに死ぬのは可哀想だな。教えてやろう。俺の名前は岡田三郎! エースと呼ぶに相応しい男だ!」


 器用にもロメルスの右手の親指を立てて叫んだ。


「貴様らの記憶に俺の名前を刻んでやるよ!」


 ネオ・メトロニュウム合金製ジャッジメント・ナイフを二本取り出し、逆手の構えを取った。


「うるさいのよ、あんた。エースか何か知らないけど」


 剛毅な足取りで、ずんずんと前に進み出る真希。指をポキポキ鳴らしながら、


「……ボクがぶっ倒す」」


 構えを取り、ロメルスを見て冷笑を浮かべた。


「ダメですわ、真希さん。私だって、時には屠ってみたいのに……」


 鳳香は残念そうに俯いた。止める気はさらさらなかった。一度火がついてしまえば、猪突猛進となって行くところまで行ってしまう。それをたしなめるのも役目だと思っている。


「なら、鳳香がやる?」


 真希が鳳香の方を振り返り、楽しむようにそう訊ねた。


「真希さんがそう言うのでしたら」


 可愛らしいえくぼを見せ、照れたように身体をくねらせた。そう言われるとは思っていなかったので、鳳香は嬉しかった。時として真希一人が敵を片づけてしまう事もあるから自省していたりするのかもしれない。


「タイマン勝負か。それもいいだろう。燃えるぜ!」


 三郎が搭乗するロメルスが地を蹴り、空へと飛ぶ。


 今までに戦った機体とは動きが違う。そう悟って、鳳香は気持ちを切り替えた。


「我に翼を与え給え」


 胸元より白い御札を取り出し、そう念じると、緑の炎が起こりその御札を消し去った。


「サポートお願いしますわ、紗理奈さん」


 その言葉の途中で、鳳香の背中に緑の炎の翼が生える。小さくはなく、羽ばたけば空に飛べそうなくらいだった。


「お姉様、分かりましたっ!」


 紗理奈の憧憬を含んだ視線を背中に感じながら、その翼をはためかせ、空へと飛び立った。


 その上空にいるのは、ロメルス。


 いつもと変わらぬ穏和な視線で敵の姿を眺めながら、鳳香は胸元より赤い御札を二枚取り出す。


 黒い御札には周囲に何かしらの影響を及ぼす効果が、白い御札には鳳香自身に及ぶ効果が、赤い御札には定めた対象に何かしらの効果を及ぼす事が可能となっている。


 他にも効果が違う御札はあるのだが、特殊すぎるので持ち歩く事は少ない。一人で攻守をそつなくこなす事が出来、回復さえできたりする。


「万能だな。だが、力だけじゃ俺を倒せはしないぜ!」


 重力も加わり、落下速度は尋常ではなかった。


「さらに!」


 二本のナイフを構え、機体を高速回転させ始めた。小さな竜巻のようなものへと変化した。


「風の神よ、疾風となりて空を舞たまえ」


 さきほど取り出した二枚の御札の一枚が黒い炎で炎上する。


「火の神よ、その存在を炎となりて示したまえ」


 もう一枚も黒い炎に包まれ、すぐに滅した。この程度で倒せる相手ではないだろう。鳳香は冷静にそう感じ取っているが、実力を計るという点では重要な事だった。


「二つ神よ、共に戯れ、すべてを薙ぎ、焼き払いたまえ」


 鳳香の目の前に荒ぶる炎の竜巻が発生し、ロメルスに向かって突き進んでいく。


 竜巻がぶつかり合い、ドンッ、と大気が震えた。竜巻は横へと広がり、相殺し合ったようにも見える。


「……押し返されてるのかしら?」


 鳳香は小首をかしげつつも、白い御札を手にする。赤の御札二枚程度では物足りなかったと反省しながらも、次の手を打つ。


「ぬるいぜ!」


 二つの竜巻から飛び出してきた三郎の機体。


 ナイフを構えたまま、一直線に向かっていた。


「風よ、我に前に壁を導け」


 鳳香がナイフの間合いに入るなり、手にしている二本のナイフを器用に振り回し始める。だが、鳳香の手前で何かがナイフに当たり、その身体を傷つける事はできなかった。


「エースは押し切る!」


 ナイフを引き、蹴りをぶちかます。


 宙にある壁か何かにその蹴りが衝突し、大気がブルッと悲鳴を上げた。


「くっ!」


 鳳香の身体が後ろへと押され、苦悶の表情を浮かべた。想像以上の力でここまで圧されるとは思ってもいなかったが、吹っ飛ばされないよう持ちこたえた。


「その程度で私を制しようなど笑止ですわ!」


 腕を振り上げると、大気がザワッと震え、鳳香を中心に波紋が広がった。


 その波紋に当てられ、三郎の機体が揺れる。


「これしき!」


 その後に訪れる空間の圧迫。


 何かが目の前に来たのを感じてか、それを踏み台にして後ろへと飛んだ。下にあった家々をグシャグシャに潰しはしたが、体勢は崩さなかった。


 今まで相手をしてきたロメルスと格が違う、と鳳香は肌で感じ、今日持ってきた御札をすべて消耗しようと決めた。






「鳳香の奴、苦戦してるね」


 ビルの屋上で、真希と紗理奈が二人の戦いをじっと見守っていた。家々を壊したときに上がった砂埃が風に乗って舞っている。だが、そんな事を嫌がる二人ではなかった。


「お姉様、大丈夫なのかなっ?」


 紗理奈は不安げな顔をし、祈るように両手を合わせている。とはいえ、鳳香の一挙一動をその目に焼き付けておきたくて、目を見開き瞬きさえできなかった。


「鳳香とは相性が悪いね。ボク向きの相手だよ、あいつは。パワーで押してくるなら、パワーで押しつぶさないと」


 言葉ではそう言うが、真希は安心しきっているのか動こうともしていない。鳳香に譲ってしまった事を少なからず後悔してはいた。雑魚ではないのがその動きから読み取れ、手合わせしたいとさえ思っており、身体が疼いて仕方がなかった。


「……でも、そろそろ本気を出してもいいんじゃないの、鳳香は。ボクはそう思うけど」


「ですよねっ。あんなのに負けるお姉様ではないですよねっ」


「性能が前に戦った雑魚とは違うのが気になるかな? 何か……嫌な予感がする」


「大丈夫ですよっ。お姉様ならきっと……」


 紗理奈は期待を一心に込めた目で、戦いの行方を見守っている。鳳香の実力を分かっているからこそ、そういう態度でいられたのだった。


「さて、鳳香はどう出るのかな? ボクとしてそれが興味深いね」


 真希は自分が出れば良かった、とまた思った。強い敵を見ると戦いたくなる、武闘家として育てられた性だと知りながらも。






「……さて」


 鳳香はまだしっかりとその形を残している四車線ある道路に降り立った。背中の翼が光の粒となって消え去る。


「本気で行かせてもらいますわ」


 赤の御札の束を左手に、黒の御札の束を右手に掲げると、その束が一気に燃え上がり、消え去った。余裕など見せてはいられないとの思いがことのほか強い。


「本気だと! 舐められたものだ!」


 ロメルスが足の裏のキャタピラを使い、鳳香との距離を狭めていく。


 その様子を鳳香はいつもと変わらぬ調子で眺めていた。


「せっかちさん」


 朗らかな笑みを見せ、構えなどせず、三郎の機体が迫ってくるのを他人事のように傍観していた。


「恨みっこ無しだ!」


 眼前まで来てからの一閃。


 寸前のところまで振り下ろした時、刀の刃から炎が発生し、ナイフ自体が紅蓮の炎に包まれる。


「な、なにっ!!」


 三郎の狼狽がスピーカーより垂れ流された次の瞬間、ナイフがドンッという音と共に爆発した。


「どうかしましたか?」


 鳳香の口元に残酷な笑みが垣間見えた。


「ちっ」


 舌打ちし、三郎は飛び退き、鳳香との距離を再び取った。


「私に攻撃すればするほど、痛い目を見ると思いますわ」


 一変の曇りもない純真な目で三郎の事を射すくめる。


「面妖な技を使うな。見えない機雷の障壁のようなものか。だとしたら、やり方はある!」


 三郎の分析は当たっていた。鳳香が作り出したのは、触れると炎上し爆発する結界のようなものだ。守りと攻撃の魔力を込めた御札を多用するとできる技でもある。


「そこまで言うのでしたら、やって見せていただきたいですわ」


 赤い御札の束をまた取り出し、


「花鳥風月」


 緑と赤の混在した炎がその束を燃やし尽くし、炎が鳥の姿に変化して空へと飛び立った。


「女ッ! 面白い手品だな!」


 三郎は壊れたナイフを捨てた。残っているもう一本のナイフを内部に終い、背負っているショットガンを抜いた。


「九鬼鳳香という名がありますの。死にゆく貴方が記憶にとどめておく必要はないのかもしれませんが」


 炎の鳥が三郎目がけ、炎の粉を周囲にまき散らしながら向かっていた。


 三郎は正面を鳳香に向けたまま、キャタピラのみで後退し始めた。ショットガンを炎の鳥に向け、引き金を引く。鳥を撃ち抜くが、炎の粒が四散するだけであった。そして、もう一発。これもまた着弾したが効果はなかった。


「手品ではありませんわ」


 背中にまたしも翼を生やし、空から逃げていく三郎を追いかけた。


「だが、コントロールが甘い!」


 三郎は一戸建ての家々を押しつぶしながら、後退し始めた。その先には、ビル群がある。


 敵も考えて行動していると分かり、鳳香は焦った。魔力を増強して炎の鳥の速度を上げさせるが、それでもまだ追いつけない。


「この駆け引き、俺の勝ちだな」


 とうとうビル群の中へと入る事が出来た三郎は、そう高らかに宣言した。


「くぅ……」


 炎の鳥が一直線に向かった先には三郎がいたが、大型のビルの影にサッと身を隠す。


 炎の鳥はビルに激突し、爆砕した。その爆発に耐えきれなくなったビルがガラガラと崩れだし、辺りに埃をまき散らした。


「九鬼と言ったか。強いのは分かる。だが、それが本気か?」


 砂埃が立ち上る中からゆっくりとその姿を現した。


「今までの雑魚とは違う……そう言いたいのかしら?」


 鳳香はここまで苦戦するとは思ってもいなかった。


 本気を出すと思いながらも、心のどこかで相手の事を侮っていたのかも知れない。もし、そうだとするのならば、それは私自身の心の弱さだと感じた。だが、最後の切り札でもある神器を使う気にはならなかった。


「他のパイロットを雑魚だと言っている時点でお前は負けている。力の差が歴然だとしてもだ!」


「……そうかも知れませんわね。私があなたの事を軽く見ていたとしたら、それは失礼に当たりましたわね」


 鳳香は目をそっと閉じ、胸元より一枚の御札を取り出す。それは、金色に輝く不思議な御札であった。


「これはあまり使いたくないのですが……」


 それは本心だった。見た目があまりにも破廉恥すぎた。一度鏡で見た事があるのだが、自分ではないように見えた。それ以来、この御札を使う事はなかった。それに、この御札に生命力を込めると、丸一日寝込んでしまうから、あまり作りたくはないというのが本音だ。


「それで本気が出せるのなら使え。エースにエースをぶつけてこないのは臆病者のすることだ」


「そこまで言うのでしたら……」


 鳳香は覚悟を決めて、その金色に輝く御札を銀色の炎で燃やした。


 銀色の炎は御札を燃やした後も大気中に残り、鳳香にまとわりつき始める。


「その昔、天之岩屋戸にこもった天照大神の興味をひくために、アメノウズメが裸になり舞ったと言われております。これはその装飾のようなもの……」


 銀の炎はやがて巫女服を焼いていき、すべてを焼き尽くした。だが、銀の炎は胸などといった大事な部分だけを隠すように留まり、燃え続けている。


「ここからが本番ですわ。御札を使った手品はもう終わりという事で」


 この姿でいる事自体恥ずかしい。立っているだけで頬が紅潮してくるが、今はそういった事を気にしてる時ではない。どれだけ動こうとも、銀の炎は同じ位置にあり続ける。それが分かっているだけにある程度は安心できる。


「……美しい。惚れそうだぜ、お嬢ちゃん!」


 間を置いて、三郎が歓声を上げた。女からいつのまにか『お嬢ちゃん』に変わっているのが珍妙だった。


「お褒めの言葉、ありがとうございますわ。ですが、この姿を見たからには死んでもらいますわ」


 鳳香はいつもと変わらない明朗な笑みを浮かべると、その姿が残映であるかのように消えていった。






 あのお嬢ちゃんはどこだ、と思いながら、三郎は三逆六十度カメラで映し出されている映像を冷静に観察する。だが、どこにも鳳香の姿はなかった。


「どこに行ったんだ、あいつは……」


 自分の動体視力では捉えられない事に怖気が走った。


「岡田三郎君、今大丈夫かの~?」


 コックピットの中にある緊急連絡用スピーカーから、突然そんな声がして、三郎は身体をビクッと震わせて反応した。緊急連絡用の回線は、どの回線よりも優先であり、外部出力の回線などを自動的にシャットアウトする。


「新高山監督か。どうした?」


 三郎は博士の事を監督と呼んでしまう。小さい頃より野球をやっていた事による癖のようなものだった。


「突然だが、退却してはくれないかな? 事情が変わったのじゃ。そこ辺りを絨毯爆撃爆撃する予定じゃ。そのタイミングで逃げて欲しい。逃げ切れなければ、それまでじゃな。南無阿弥陀仏。岡田三郎君はいい人であったのう。惜しい人をなくしたものじゃ」


「……いったい何があった?」


 今回の戦いで死ぬ事を覚悟していた。それだけのこの命令は不服であった。


「面白いデータが取れたのじゃよ。三郎君なら、もっと善戦できると思うのだがね、魔女どもと。データがもっと欲しいところじゃが、三郎君が死んでしまったら、データ取りができなってしまうんじゃよ、四の五の言わずに戻ってこい」


「……なんだって?」


 その言葉を聞いて、三郎は熱い血が心の奥底よりわき上がってきた。


「さっきのデータで面白い事を思いついてな。数日あれば、今以上に戦えるようになるはずじゃな。わしって天才かもしれんな、うん、天才、天才」


 新高山博士の口調は至って波がなく、淡々としている。それはいつもの事であったので、三郎は気にも留めなかった。


「本当か!」


 その話が本当であるとしたら、退却すべきだとの考えに至った。この機体では多少の善戦はできるであろうが、あの少女との戦いにおいては無力であった。


「嘘はつかんよ。嘘はつかんよ、わしは」


「分かったぜ。今すぐ戻る! 俺のために最高のマウンドを用意してくれるという事か」


 三郎は新高山監督のその言葉を信じ、退却の操作を行おうと思った、その時であった。


 刹那、ドンッ、という爆音と共に機体が大きく揺れた。


「な、なんだ!!」


 舌を噛みそうになるのを耐えながら、状況を確認した。


「バ、バカなぁぁぁぁっ!!」


 機体の右腕が付け根から消滅していた。引き抜かれたように破損しており、何が起こったのかさえ把握できなかった。


「……女。お前がやったというのか」


 右腕があった辺りに、数十秒前まで目の前にいた少女がいた。空に浮き、三郎の事をじっと見つめている。


「この機体は脆すぎるというのか!」


 三郎はそう叫び、鳳香と向かい合いながらキャタピラを使い後退し始めた。


「お嬢さん、勝負はお預けだ」


「逃げるのですか?」


「違う。戦略的撤退だ。この機体じゃ、俺の実力を引き出せない」


「……成る程。ふふ、再戦を楽しみに待っておりますわ」


「その前に絨毯爆撃を回避できたらな!」


 追ってこないのを確認してから、三郎は反転し、鳳香に背中を向けるようにして退却した。






「……絨毯爆撃?」


 鳳香がその言葉の意味が分かるのに時間を要した。


「真希さん」


 やっと理解してからテレパシーで真希に語りかける。


「どうかしたの?」


 と、ぶっきらぼうに真希が言う。


「上空に無数のミサイル来ますわ。すべて破壊できます?」


「楽勝だね」


「なら、頼みますわ」


 真希ならば当然やってのけると信じている。


「鳳香はどうするの?」


「疲れたので少しばかり休憩を」


 特殊な御札はその力を込めるのに生命力を必要以上に使うだけではなく、使うのにもそれなりの体力をも消費してしまう。


 鳳香は元々がビルであったであろう瓦礫に腰掛け、目を閉じた。


「休憩、休憩……」


 何があるのか分からないが、身体を休めておくことにしたのだ。






 真希はビルの屋上から全方位を見回していた。


「ミサイルどこから飛んできてる?」


 傍にいる紗理奈にそう訊ねると、あたふたと慌てながらも、とある方向を指さす。


「あっちか」


 紗理奈の指し示す方を見て、不敵な笑みをこぼした。


「見えた!」


 目を細めて、会心の笑みを浮かべる。


「すぐに片づけてくるから、ボクのと鳳香の分のアイス、買っておいて。もちろんバニラをね。ラクトアイスじゃ駄目だからね」


「は、はいっ!」


「行ってくる」


 真希はグッとかがみ込み、地面に体重をかけていき、バネの要領で一気に空へと飛び立った。


 真希の身体は打ち上げられたロケットであるかのような勢いで上空へと上がっていく。そして、ある程度の高さまで来たところで拳を前に突き出すと、波紋が広がるように大気が震え、ブレーキがかかった。


「風来斬。その五の風、旋風烈」


 深呼吸をし、息を一気に吸い込んでから、呼吸とともに、その風をはき出す。そのタイミングで拳を前へと繰り出すと、小さなトルネードがその拳の先にすっと生まれた。


「なぎ払え!」


 空中にとどまったままの状態で、身体をクルッと一回転させて、トルネードをサッカーのボールを扱うように蹴り飛ばした。小さなトルネードはボールであるかのように飛んでいく。その軌道に沿って、目で見えるほどの風のうねりが生じ、大型の竜巻へと変貌していった。空に広がる白い雲を突っ切りながら、天へと一本の線となって竜巻は上昇していく。


 大気圏に到達し、落下を開始しているミサイル群の辺りまで竜巻が達すると、その先頭が停止し、後から来る竜巻を飲み込みながら、大きな玉へとなっていく。最後の風のうねりをも飲み込み、一つの風の固まりと変貌した。


「逝って」


 そのタイミングを見透かしたように、真希はパチッと指を鳴らす。


 すると、それに連動するように風の固まりが爆発を起こした。周囲を飛んでいるすべてのミサイルを飲み込み、かまいたちのように切り刻む。終いには、爆発が至るところで起こり、さらにその風を生み出していく。


「全部撃墜できたかな?」


 ミサイルが一発も落ちてこないのを確認すると、真希は目を閉じて全身から力を抜いた。


 真希は重力に従って下に吸い寄せられるようにして直下し始めた。


「バニラアイス、楽しみだな……」


 幼さの残った表情で、頬をゆるませながらそう呟くと、真希の身体の落下速度が緩やかになっていった。


 真希が体得している『風来斬』は、風を操る格闘技であった。風と友になり、風と共に戦うのを教義としている。虚ろの民の中でのみ代々受け継がれているものでもあり、神代の時代に生まれたものでもあった。


「今日は物足りなかったよ。鳳香がいいところ、持っていっちゃうんだもん」


 すねたような表情を見せながら、ゆっくりと、ゆっくりと地上へと降りていった。


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