【掌編集】運動場の花子さん 他

卯月

運動場の花子さん

運動場の花子さん

 夕方五時をまわった小学校の運動場には、一人として子供の姿がなかった。

 由香里ゆかりがこの小学校に通っていた頃、〝五時のチャイムが鳴り終わるまでに校門を出なければ、悪いことが起きる〟、という噂があった。それを真剣に信じていた由香里は、友達とどんなに楽しく遊んでいても、チャイムが鳴り始めると血相を変えて校門へと走っていったものだ。

 あれから何年も経ち、由香里は高校生になったけれども、今でも小学生の間にはあの噂が受け継がれているのかもしれない。そして、もう一つの噂も。

「ねえ、マジでやるの?」

 由香里が尋ねると、麻衣まいはからかうように訊き返した。

「あー由香里、もしかしてコワイ?」

「まっさかぁ。未だに信じてるワケないじゃん」

 夕暮れの運動場で、お揃いの制服姿の女子高生たちはキャハハと笑った。

 どこから、そういう話になったのだったか。もう何年も忘れていた、小学校時代の〝七不思議〟の話題で由香里と麻衣が盛り上がったのは、今日の昼休みだった。そのとき由香里が言ったのだ。自分の小学校には、〝運動場の花子さん〟がいるという噂があった、と。


 ――この学校の運動場には、花子さんがいる。

 花子さんはとても淋しがり屋で、いつも遊び相手を探している。

 運動場の真ん中で「花子さん、遊ぼ」と声をかけると、花子さんの世界に連れて行かれてしまって、二度と戻ってこられない……。


「何それぇ? 〝トイレの花子さん〟なら知ってるけどさー」

 麻衣は大笑いした。そして、ぜひ由香里の小学校に行ってみたいと言った。行って、運動場の真ん中で、実際に声をかけてみようじゃないか、と提案したのだ。

 そして二人はここにいる。西の空には、沈みかけた大きな赤い太陽。二人のミニスカートの制服姿が、黒く長い影になって地面の上に伸びている。子供の頃なら、早く家に帰らなければ、と不安に襲われた時刻だが、今の由香里たちには何てことのないただの放課後だ。放課後の、ちょっとした暇つぶし。

 前のほうにドーナッツタワー、後ろにはジャングルジム。運動場の真ん中を目で測ってそこで立ち止まると、由香里と麻衣はうなずきあった。

 そして、二人で声を合わせて言う。

「はぁなこさん、あーそーぼっ」


 しばらくの間、二人は〝何か〟を待つように沈黙したままだった。それから、爆発したように笑い出す。

「何ぃ? なーんも起きないじゃーん」

「だから言ったっしょ麻衣、タダのウワサだって」


「ホントウニ……?」


 どこからかそんな声が聞こえて、由香里と麻衣は一瞬にして笑いを呑み込んだ。

「……今の、麻衣が言ったんだよ、ね……?」

「あ、あたしじゃないよぉ……」


「ホントウニ、アソンデクレルノ……?」


「ゆ、由香里っ、あれっ!!」

 真っ青になった麻衣が指さす先を見てしまった由香里は、その場で硬直した。

 二人のすぐ近く、さっきまで確かに他の誰もいなかったはずの運動場の真ん中に、一人の少女が立っていた。

 赤いスカートをはいた、おかっぱ頭の女の子。両手をだらんと下におろして、猫背気味にこちらに歩いてくる。長い前髪に、うつむき加減の顔はほとんど隠れているのだが、隠れていない顔の下半分は口だらけ――いや、そう見えるくらいに大きく口を開けて、ニタニタと笑っているのだ。

「ひっ……」

 逃げ出したかったが、足がすくんでしまって動かない。ただ麻衣と手を握り合って、ガタガタ震えながらその場に立ち尽くしている。こんなバカなこと、するんじゃなかった。あんな話、麻衣に教えなきゃよかった――!! 由香里が心の中でそう叫んでいる間にも、少女は着実に二人に近づいてくる。


「イッショニ、イコウ……」


 ゆっくりと、ゆっくりと、少女は顔をあげる。ニタニタ笑いが、大きくなる。

 髪の下から現れた双眸そうぼうが二人を捉える。その瞬間、


「――ギェエエエエッッ!!」


 夕暮れの運動場に奇声が響き渡った。

 だが、叫んだのは二人ではなかった。少女が、見るも恐ろしく顔をゆがめて絶叫をあげたのだ。叫ぶなり少女は、雲かかすみのように姿を消してしまった。

 へたへたと、手を取り合ったまま、二人は地面にへたりこむ。

「た、助かったのかな、あたしら……」

 麻衣の問いに、由香里は恐る恐る頷く。

「そうみたい……でも、何でなんだろ……?」

 由香里と麻衣は不思議そうに、お互いの、金髪にガングロの顔を見つめ合った。

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