湯けむり殺人事件

「ナカさん……気分が悪くて吐きそうです……」

 若い刑事が、情けない声を出した。

「我慢しろ。それより、ホトケさんの身元はわかったのか?」

 年配の刑事が叱咤すると、若い刑事は手帳を開いて答えた。

「……はい。名前は山口やまぐち真澄ますみ、二十五歳。旅行社の湯けむりツアーに参加して、昨日からこの温泉旅館に泊まっていました。職業はフラワーデザイナーだそうです」

「フラワー……何だそりゃ? 何をする仕事だ」

「結婚式で、花嫁さんがよく花束を持っているでしょう? ああいうのを作る仕事だそうですよ。――何か、関係あるんでしょうかね?」

「かもしれんが……」

 刑事たちは、傍らの死体を見下ろした。混浴露天風呂で発見された、ウェディングドレス姿の死体。今は引き上げられているが、もともとは湯船の中にかっていたのだ。濡れたドレスや髪が、遺体の全身にべったりと貼りついている。

「死亡推定時刻は、夕べの八時から十時。ただ、八時半に宿の売店で板チョコを買うところを目撃されています」

「殺されたのは八時半以降か……」

 年配の刑事は、苦々しげに言った。

「しかし……何だな。温泉宿の露天風呂で殺人、しかもホトケはウェディングドレスを着てるときた。これじゃあまるで、テレビの二時間ドラマの寄せ集めじゃないか」

「確かに」

 若い刑事も同意する。「あと、小京都と寝台特急が揃えば完璧ですね」

「きっとそのうち、新聞社の地方特派員や、警察高官を兄に持つルポライターがしゃしゃり出てきて、事件をひっかきまわすに決まってるんだ」

「ナカさん……それは、いくら何でもテレビの見過ぎですよ……」

 若い刑事の反論を気にもせずに、年配の刑事は続ける。

「だが、名探偵だろうと何だろうと、この謎を解決してくれるんだったらさっさと出てきてほしいもんだ。全く、こんなに気味の悪い死体は初めてだ」

「確かに……」

 これには、若い刑事も再び同意する。

 もう一度死体に目をやって、年配の刑事は苛立たしげにつぶやいた。

「何だって犯人は、男にウェディングドレスなんか着せたんだ?」

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