見知った顔は家族だったらしい
殿下たちが部屋から出ていくと真っ先に父が側に寄って来て、ベッドサイドに立った。そして兄はベッドの近くにあったサイドテーブルに持っていたものを置いていた。
「ああ……実花……ようやく会えた……っ」
「お父様……?」
椅子に座った父は私の手を取ると握り締め、それを額にあてる。その手は微かに震えていた。
「実花……」
「お兄様……?」
自らもう一つ椅子を持って来た兄は父の隣に並べるとそこに座り、私の熱を測るように額に掌を乗せたあと、顔を顰めながらも頭を優しく撫でた。その手は父と同じように微かに震えていた。
どうしてそんなふうに震えているのかわからない。それでもよく知っている二人がいるからなのか、ゆっくりと気が抜けていくのがわかる。
――私は知り合いが全くいないこの世界に来て無意識に緊張し、気を張っていたのだと今更ながらそう思わずにはいられなかった。
「父上、先に薬を飲ませないと。実花、体を起こすから軽く食事をして、それから薬を飲もうか」
「……はい」
兄は私が体を起こそうとするのを手伝うと一度席を立ち、テーブルの上に置いていたものを持って来て、それを膝の上に乗せる。そこにあったのは、木製のトレーに乗せられていたネギ入り玉子粥と白みがかったオレンジ色のジュース、三角に折り畳まれた茶色っぽい紙とガラスのコップに入った水だった。
まだよく知らないこの世界にご飯があることに驚いたけれど、二人が妙にあのメイドさんを気にしていることから何かあると思い、それはあとで聞けばいいことだからと今はお粥を食べることにする。
「ストップ、実花。食べるのはちょっと待って」
「え……?」
トレーに添えられていたスプーンを持ち上げてお粥を掬おうとしたら、兄からストップがかかった。何をするのかと見ていたら、トレーに乗っていたものに次々触れていくではないか。それを黙って見ていたら、そのうちの茶色い紙以外の三つから濃い紫色の煙のようなものが立ち登り、あっという間に消えた。
兄はいったい何をしたのだろう? 確かに後継者だけあってかなりハイスペックな人だけれど、こんなことができる人ではなかったはずなのに……。
「……ちっ、くそが」
「これは抗議せねばなるまい」
「そうですね」
「……っ」
「あの……お父様、お兄様? 今のはいったい……」
二人がいきなり怒りをあらわにしたので戸惑う。直接ではないものの、怒りの矛先を向けられたらしい女性はなぜか顔を青ざめさせているし、シェーデルさんに至っては腰を落として身構えていた。父たちはどうしてそんなに怒っているのだろう?
「ああ、あとで説明するから、実花が気にすることはない。実花について来てくださった方たちもだ。それよりも今はこれを食べて、薬を飲みなさい」
「……はい」
食べにくいからと父に手を離してもらうと改めてお粥を混ぜてから掬い、息を吹きかけ冷ましながら食べる。口の中に広がったのはご飯の甘さと隠れていたらしいしらすの塩分、ネギの辛味と卵の優しい味、微かに感じる昆布だしと醤油の風味だ。
その味は、子供ころに父が作ってくれたお粥の味と同じだった。この世界には和食の食材があるのだろうかと内心首を傾げてしまう。
「パパ粥の味がする……。これはお父様が作ったのですか?」
「……っ、また、随分と懐かしい言い方だな。ああ、私が作った。美味しいかい?」
「はい、美味しいです」
『パパ粥』とは、私が父をまだ『パパ』と呼んでいたころ、熱を出すと父が必ず作ってくれたお粥のことだ。それを持ち出すと父の顔が一瞬歪み、目尻に涙が浮かんだ。そして兄の目尻にも。……どうして? どうして二人はそんな顔をしているの?
そんな疑問を持ったもののそれを聞くこともせず、懐かしい味なのとお腹が空いていたようで、つい食べることに専念してしまった。食べている間に、父が三角形の紙を触りながらわざとらしくカサカサと音をたてたあとでそれを手の中に握りしめて隠し、兄は懐からなんだか見覚えのある袋を取り出して、その音に紛れ込ませるように中身を出し始める。
「これがこの世界の薬だよ、実花。食べたらこれを飲みなさい」
「……」
「ゴミは僕によこしてね」
「はい」
見覚えのある袋は、私が病院で処方された薬が入っている袋だった。どこから持って来たのだろう……部屋にある鞄の中に入っていたのに。
それを袋に書かれている処方に基づき、器用にも音をたてることなくパッケージから取り出してお盆に乗せる兄。それを見て思わず兄と父を見ると、二人は揃って唇に人差し指をあてていた。
つまり、先ほどの行動から、ずっとドア近くに控えている女性が信用できないから黙っていろということですか? そしてあの包み紙はこの世界の薬だけれど、その薬さえも信用できない、或いは日本のよりも効き目がないか効果が薄いということですか?
私たちの仲はそれほどよくなかったにせよ、二人が何か隠しているにせよ、この世界に於いては誰よりも――アレイさんやシェーデルさんたちよりもよく知っているし信用できる。そんな二人のやることだからとそう解釈した私は、素直に返事をした。
そしてお粥も食べ終わって病院の薬を飲むと、兄にゴミを渡すふりをしたら二人とも笑顔で頷いた。どうやら解釈は間違っていなかったらしい。
ちなみに私が薬を飲んでいる間、兄はそれを隠すように少しだけ椅子の位置をずらし、女性からの視線を遮っていた。
そのあとでジュースを飲んだのだけれど……オレンジ色をしたジュースはその見た目に反してリンゴの味がした。……自分の中の常識が崩壊しそうだ。
後日、この世界の薬は相当苦いらしく、ジュースの類いは薬を飲んだあとの口なおしのために出されるのだと教わったのは余談である。
「……美味しい」
「よかった。それは、実花と一緒にいた蜘蛛殿がくれた果物をジュースにしたものだよ」
「アレイさんが? もしかして、木に生っていたあの果物ですか?」
《うむ。美味しかろう?》
「はい」
『少し固い果物だから、本来は洗ってからそのまま齧るか皮を剥いて食べるものなんだけれど……』
飲み物にする発想はなかったわ、とシェーデルさんが呟く。そんなシェーデルさんのオネエな言い方に、兄は遠い目をしている。……なるほど、スパルトイに対する憧れはあの言葉遣いで砕け散ったのか。
そして色は違うものの、形が似ていたから食べ方はリンゴと同じなのね、どおりでリンゴの味がするわけだと、妙に納得してしまった。
「ごちそうさまでした」
「ああ、おそまつさま」
「あの……お父様、お兄様。お二人にお聞きしたいことがあるのです」
「私たちもいろいろと聞きたいこともあれば話したいこともあるし、あの時の話の続きもしたいとは思っている。だが、今は風邪を治すことに専念しなさい。あの時とは違い、今はたっぷりと時間があるのだから」
「はい……」
出されたものを全て食べ終えて薬も飲むと、兄はそれをまたサイドテーブルへと片付け、父にまた布団に寝かされてしまった。できれば汗を拭いて着替えたいところだけれど自宅ではないし、殿下が王城だと言っていたので、私がどんな扱いをされているかわからない現状ではそんな我儘なんて言えるはずもない。
「薬を飲んだとはいえ、まだ熱が高い。お昼になったら起こすから、寝ていなさい」
「はい。そうさせていただきます」
額に手をあてた父が、その熱さ故か眉間に皺を寄せながら寝ていろと告げる。確かに気絶してそのまま寝ていたとはいえ、まだ寒気がするし体のあちこちが痛い。なので父の言葉に甘え、少しだけ二人と雑談しているうちにいつの間にか眠ってしまった。
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