この世界の蜘蛛は博識らしい

 食べ終えたらしい蜘蛛が片手を上げてブンブンと振ったあと、ペコンと頭を下げた。お礼を言っているのだろうか。


「お礼を言っているのですか? ふふ、どういたしまして」


 和んでいる場合ではないのだけれど、その姿とも相まってなんとも可愛い仕草で和む。食べ終えたようなのでハンカチを持ち上げ、屑を払ってから折り畳み、ポケットにしまう。

 思わず蜘蛛に和んでしまったけれどここは森の中だし、日が暮れる前にここから移動するか、もしもの時のために雨宿りできる場所を探さなければならない。できれば食料や水も確保したいところ。


 ……膝の上で、ご機嫌な様子で躰を揺らしている蜘蛛に聞いてみようか。


「ねえ、蜘蛛さん。この近くに私が隠れられそうな場所や、私でも食べられる果物や飲み水はありますか?」


 そう聞くと、ぴょん! と飛び上がって膝から下り、リンゴによく似た形のオレンジ色の木の実に糸を飛ばし、それを引きちぎって引き寄せた。なんて器用な……。そして糸をほどくと私の膝に乗せ、そのあと木の根元に行くと青紫色の毒々しい色をしたキノコをペシペシと叩いた。


「え……それ……食べられる、のですか? 本当に……?」


 そう聞くと、蜘蛛が頷く。


「では、その赤い木の実は?」


 イチゴに似たものを指差してそう聞くと首を傾げたので、食べられるなら丸、ダメならバツを両手で作るよう自分の腕を使って説明すると、蜘蛛は私の真似をして両手でバツを作った。


「そうですか……。なら、その光っているキノコは?」


 今度は淡く光るキノコを指差すと、蜘蛛は悩むように腕を組んで首を傾げた。もう……本当にどうなっているの、この世界の蜘蛛は。


「食べられないということですか? それとも、用途がわからない?」


 そう聞くと、食べられないことには丸を、用途にはバツを作る。そして一生懸命手を動かし何かを説明――恐らく用途について説明してくれていると思うのだけれど、私にはその動作の意味がさっぱりわからなかった。


「食べることはできないけれど、なにかしらの用途はあるのですね。ただ、蜘蛛さんが何かを説明してくれているのはわかるのですが、それを私に知る術がないのは、ね……。私に蜘蛛さんの言葉が理解できればいいのに……」


 蜘蛛と交流するというのも変な話だけれど、交流はできている、と思う。どこにいるのわからない状態で私一人だったら多分途方に暮れていただろうから、そこはとても助かったし感謝もしている。

 ただ、蜘蛛は私の言葉がわかっているようだけれど、私には蜘蛛の言葉や行動が理解できない。そんな思いでポツリと呟いたら、蜘蛛が戻って来て私に飛び付くと、腕を伝って頭に飛び乗った。


「く、蜘蛛さん?!」

《確かに儂は蜘蛛だが、“アレイ”という名がある》

「……蜘蛛さんが……喋った?!」

《だからアレイだと言うておろうに》

「あ、はい。申し訳ありません」


 喋ったことに衝撃を受けていたら叱られてしまったので、つい謝ってしまった。そんな私の様子がおかしかったのか、クスクスと笑っている。しかも愛らしい見た目とは裏腹に声は男性の低い声……バリトンの渋い声で、そのギャップに遠い目になる。


「ああ、申し遅れました。私は実花――長月 実花と申します。あの、蜘蛛さん……いえ、アレイさん、いろいろとお聞きしたいのですが」

《ミカというのか。ふむ……儂にわかることであれば答えよう》

「ありがとうございます。まず、先ほどの光るキノコなのですが」

《あれは*%&と言ってな、ランプやカンテラの代わりになるのじゃ》

「申し訳ありません、アレイさん。ランプやカンテラはわかるのですが、一部なにを言っているのかわからない言葉があったのですが……」

《ふむ……。そもそもミカはどうやってここに来たのじゃ?》


 そう言われてどう説明しようか悩む。けれど説明しないとどうにもならないので、簡単に異世界転移したと言ったら驚かれた。


《異世界から来たのか、ミカは。本当に異世界があることに驚愕するが……》

「俄かに信じられないのは私も同じです。私だって、どうしてここにいるのかわからなくて、いまだに混乱しているのですから……」

《そう、じゃな。……ああ、わからなかった言葉じゃったな。儂の推測になるが、この世界独特の言葉かミカの知らないものではないか?》

「なるほど……そうかも知れません。先ほど仰っていたのはキノコの名前ですよね?」

《ああ》

「それが意味をなさない言葉に聞こえたのです。なのでアレイさんの推測に納得します」


 アレイさんの言う通り、この世界独特の植物の名前なんて知り得ないのだから、意味をなさない言葉として聞こえるのは当然だ。あと、もっと不思議なのは、アレイさんと会話できていることだ。それを聞いてみると、念話という魔法を私にかけて話しているらしい。ファンタジーやそれを題材に扱った小説が好きだった兄がここにいたら、とても喜びそうだ。

 そのあたりも詳しく聞きたかったのだけれど、日が暮れる前にここを移動したほうがいいと言われたので、ビニール袋を出して果物と言われた物をその中に入れる。ゆっくりと立ち上がるものの、熱のせいで視界がぶれて体がふらついてしまい、そのせいでアレイさんに心配をかけてしまった。


《ミカ……? お前さん、もしかして体調が優れないのか?》

「実は熱がありまして。ここに飛ばされる前、病を診てくれる専門の方のところで治療を受け、お薬をいただいたのです」


 病院や医者で通じるかわからず、アレイさんがわかりそうな言い方をしてみたら、それでわかったのか頭を撫でられた。……言い方を褒められたのだろうか。


《おお、診療所に通ったのじゃな。そこで医師に診てもらったと。薬は手持ちの中にはなかったのか?》

「こちらでは診療所というのですね。ええ、部屋にあった鞄の中なので、手持ちの中にはありませんでした」


 ふらつきながらも、一歩を踏み出す。アレイさんにどっちに行けばいいか聞くと右の方向に行けば湖があるというので、そこまで案内してもらうことにしたのだが、移動しようとしたらストップがかかった。


《この先は木々が鬱蒼と茂っていて、このまま歩くのは危険すぎる。*%&……光るキノコをいくつか持っていったほうがいいぞ? あと、食料の代わりにもう一つのキノコや先ほど儂が渡した果物もな》

「あれは果物なのですね。そうは仰いますが、切るものや採取する道具はないのですよ? どうしたらいいのでしょう……」

《ううむ……》


 移動するにも光るキノコがないと難しいというアレイさん。二人? して悩むものの、いい案が浮かばない。とりあえず手や枯れ枝で掘れるかどうか確かめるためにキノコの側に行ってみようという話になり、方向転換して木の根元に移動しようと二、三歩ほど歩いた時だった。何か踏んだのか、滑って転んでしまった。


「え……きゃあっ!」

《おっと! ミカ、大丈夫か?!》

「うう……。大丈夫ではないです……左の足首を捻ったようで、すごく痛いです……」

《どれ……。おお、みるみる足が腫れて来ておるぞ?!》

「ええっ?!」


 アレイさんの言葉に声をあげてしまう。ただでさえふらついていて歩くのもままならないのに、足首を捻挫してしまうなんて……。そもそも私が踏んだのはなに?!

 転んだ羞恥と足首の痛みと怒りがないまぜになった状態の気持ちで踏んだものを見ると、先細りした円錐形で緩やかに弧を描いており、五十センチくらいの長さがある象牙色のものだった。先は尖っていて、ここを踏んだら怪我をしそうなほど鋭い。

 しいていうならば、動物の牙にも見える。


「……アレイさん、これはなんですか? 私には動物の歯や牙に見えるのですが……」

《スパルトイじゃ。しかもこれは、古代竜エンシェント・ドラゴンの牙じゃな》

「…………は?」


 今……アレイさんはエンシェント・ドラゴンの牙と言わなかっただろうか。しかもファンタジーの定番、スパルトイって言った?!


「スパルトイ……骸骨の戦士、または騎士……。竜の牙………………竜牙兵ドラゴン・トゥース・ウォーリア……?」

《ミカ?》


 まだ仲がよかったころに兄が語ってくれた、ファンタジーゲームの敵やそれに纏わる神話と伝説。その中にはエンシェント・ドラゴンやスケルトン、スパルトイなど骸骨の戦士や騎士の話があった。中でも兄は竜牙兵ドラゴン・トゥース・ウォーリアが好きで、何度も楽しそうに語っていたっけ。


「ええっと……申し訳ありません。私の世界にはドラゴンはいないのですが、スパルトイに関する神話や伝説がありまして」

《ほう。どんなものじゃ?》

「退治した竜の歯を土に蒔くことで、その歯が骸骨の戦士となったという伝説なのです」


 兄から聞いたギリシャ神話やカドモスの竜退治の話を掻い摘んで説明すると、しきりに感心していた。


《なるほどなぁ。まあ、この世界では蒔かずとも、触れるだけでスパルトイになる》

「え……?」

《触れてみるがいい。きっとミカの役に立ってくれるじゃろうし、ミカの足の状態を考えると必要じゃろう?》


 アレイさんはそう言うものの、本当にスパルトイになるか疑問だった。もう一度《ミカ、大丈夫じゃから触れてみるがいい》と促されたので、アレイさんに言われるがまま恐る恐る竜の牙に触れた次の瞬間、牙が強い光を放った。


「きゃあっ!」


 そのあまりの眩しさに腕で目を覆い、しばらくそのままでいた。覆っていた腕越しでもわかるほど強烈な光がどんどん収束していき、最後に『カシャン』という音と同時にアレイさんに名前を呼ばれた。


《ミカ、ほれ、見てみい》

「は、はい」


 促されるまま腕をどかしてみると、そこには盾や剣を持ち、血を吸い込んだかのような色をした骸骨が、私を見下ろしていた。


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