婚約者ができたらしい
しばらくの間、室内に沈黙がおりる。殿下はどんな話をしてくださるのだろうか。
「……先に聞きたいことがあるのだが」
「はい、どのようなことでしょうか」
「この部屋は、どういった部屋なのだ? アイゼンが言うには、ミカ嬢の部屋だという話だった。しかも、入れる人間が限定されているとも聞いている」
父はそこまで殿下に話しているのかと内心驚く。確かに私やモーントシュタイン家のことを知ってもらうためには必要なことなのだろう。そしてこの部屋の中にある、私のものと認定・認識されているものを勝手に持ち出すと、罠が発動するということも。
私自身が持ち出すぶんには大丈夫だけれど、それ以外の人は、保管用の紙を除きたとえ父や兄であろうと持ち出せないようにしているのだという。そういった部分は話さず、この部屋に限ってのことを話すことにした。
「そうですね、限定されています。基本的に父と兄、
「そこまで厳しいのか……」
「はい。見てわかる通り、私の部屋には外には出せない技術やこの世界にない素材が使われていますから」
そう話すと殿下はぐるりと室内を見回して、納得したように頷く。それにあれこれ興味があるようで、きょろきょろと視線をさ迷わせていた。それに苦笑すると席を立つ。
「誰にも話さないというのであれば、それぞれの部屋をご案内いたします」
「いいのか?!」
「はい」
とても嬉しそうな笑顔で頷いた殿下に、鼓動が跳ねる。最近、殿下の笑顔を見るとドキドキしてばかりいる。どうしてだろう?
まずは今いる部屋がいいだろうと思い、キッチンを見せる。IHのコンロ、調理器具、この世界にはない醤油などの調味料、冷蔵庫やオーブンレンジなどの電化製品。
何に使うのか、どういったものなのかを説明し、お菓子はオーブンレンジで作るのだと言えば「先ほどのもこれで作ったのか?」と目を輝かせながら聞いてくる。「そうですよ」と返事をしてダイニングに移動する。
「ミカ嬢、これは?」
「今は布団がありませんが、炬燵という暖房器具です。テーブルの代わりにもなるのですよ」
「ほう……。それで、この上に乗っているものは?」
「散らかっていて申し訳ありません。殿下が来るまで裁縫をしていたのです。今お持ちになっているのはクッションですね」
「クッションはこうして作るのか……」
まだカバーのかかっていないクッションを手に取り、押したりしながらその感触を確かめている。
「これからカバーを作り、刺繍を施すところでした」
「そうか……。その……俺にもクッションを作ってくれないだろうか……」
まさか殿下にそんなことをお願いされるとは思わなかった。
「王宮で使うような上質なものではないのですが……それでもよろしいですか?」
「いいのか?! ああ!」
子どものように喜ぶ殿下に、思わず顔が綻ぶ。
「……っ」
「あとで刺繍の模様を決めましょう」
「あ、ああ、そうしよう」
笑顔で頷くと殿下の耳が赤くなってしまったことに首を傾げつつ、今は使うことのないテレビも説明した。まあ、DVDを見ることは可能なのでそのままにしているのだけれど、DVD自体を見ることもないのだから押入れにしまってもいいかもしれない。そんなことを考えながら今度はバスルームに案内する。
洗面所兼脱衣所にあった洗濯機と乾燥機、バスルーム内のシャワーにバスタブ。そこを出て隣のドアを開ければトイレがある。便座にあったヒーター付きのウォシュレットを見て、殿下は「ミカ嬢たちがいた世界は進んでいたんだな……」と感想を溢した。
そして寝室はベッドとクローゼットに箪笥しかないのでさっと見るだけに留まり、パソコンや本が置いてある部屋へと移動する。パソコンを見た殿下が不思議そうにデスクトップの画面を触ったりキーボードのキーを押したりしていた。
「不思議な感触がする……それに、この四角いものは表面は滑らかで真っ黒だな」
「そうですね。この滑らかなものにいろいろなものが写しだされます。書類を作成したりしていました。手書きの代わりと言えばいいでしょうか」
「うーん……いまいちよくわからん」
「……そうですよね」
殿下に簡単に説明するも、やはり馴染みのないもののせいか、しきりに首を捻っていた。単に私の説明が下手なだけのような気もするけれど。
殿下がそんなことをしている間に本棚へと近寄り、刺繍の柄の見本となる本を数冊抜くと、リビングへ戻ると言う殿下と一緒に移動する。
殿下にソファーに座ってもらい、本を渡す。
「殿下、この中から好きな図案を選んでいただけますか?」
「これは……本、か? しかも、こんなに鮮やかな絵が描かれて……」
目をキラキラさせながら、ページを捲っては唸っている。それを横目に見つつ炬燵の上にあったものを片付けると、紅茶を淹れ直してクッキーと一緒に持って行き、炬燵の上に乗せた。
「殿下、どうぞ」
「ありがとう」
一通り見た殿下が「これにしよう!」と叫んだところで声をかけ、床に座ろうと思ったら殿下の隣に座るように言われた。素直にそれに従うと、殿下は本を炬燵の上に開いたページを伏せて乗せたあとで私の両手をとる。
その行動にドキリと鼓動が跳ねる。
「俺が、どうしてミカ嬢に婚約を申し込んだかなのだが……」
「はい」
その言葉に、本題なのだなと思い、姿勢を正す。
「先に言っておくが、俺にはずっと婚約者はいないし、俺と婚約しようとする令嬢もいなかった。もちろん、妻もいない」
殿下のその言葉に驚く。王族だからいると思っていたのに、まさかいないとは思ってもみなかったのだ。
「外交を担っていたならば、王族故に婚約者がいたかも知れないし、婚姻していたかも知れない。だが俺は騎士だ。だからこの体の通り竜体だと他人よりも大きくなるし、顔も、その……常に不機嫌に見えるようで、誰も近寄って来なかった」
「……」
「だが、ミカ嬢だけはそんな素振りなど見せなくて……。普通に接してくれたのも、竜体の全体を見れないのが残念だと言ったのも、ミカ嬢だけだった」
「私は、その……騎士は大変なお仕事ですし、きっと国や国民の安全を考えているだけなのかもと思って……」
「そう考えてくれるのは、ミカ嬢くらいだ」
ふっ、と息を吐いた殿下が笑顔になる。いつもとは違うその優しげな表情に、また鼓動が跳ねた。
「それもあったし、何の隔たりもなく話したり食事を作ってくれるミカ嬢を、誰にも渡したくなかった。だからアイゼンに、貴女との婚姻を申し込んだんだ。まあ、先ほどミカ嬢が言った通りのことと、それ以外のことも言われたが」
「……」
「それでも俺は、ミカ嬢と一緒にいたい。できれば一緒に年を取ってほしいと願うし、その方法も探そうと思っている。だからどうか、俺と一緒にいてくれないか……ずっと」
「殿下……」
「あの魔物たち同様に、俺もミカ嬢を護る。ま、まあ、一緒にいられない時は『色付き』の二人とサーベルタイガーに任せるが、一緒にいる時は護りたいんだ」
真剣な目でご自身の気持ちを告げる殿下に、ドキドキする。
――どうしちゃったんだろう、私。
そう思う私がいるし、殿下の言葉を嬉しいと感じる私もいる。
それに、殿下といると楽しいのだ。だから私は……私も真剣に答えなければならない。
「……殿下たちに比べたら、本当に短い生です」
「ああ」
「もしかしたら【白魔法】のことで、何かに巻き込まれるかも知れません」
「やはり親子だな。アイゼンはそのことも心配していた」
「お父様ったら……」
ふふっ、と一緒に笑うと、すぐに真剣な表情に変える。
「言っておくが、俺は魔法を利用しようと考えていないからな? 何があってもミカ嬢を護る」
その言葉だけで十分、だった。
「わかっています。殿下がそのようなことをなさるとは思っておりません。だから、その……」
どう言っていいかわからなくてそこで言葉を切ると、殿下が私の手を離し、床に跪く。その行動に驚いていると再び私の両手を持ち、見上げて来た。
綺麗な赤い目に映るのは、目を瞠りながらも頬をうっすらと染める、私自身だった。
「ミカ嬢……いや、ミカ・モーントシュタイン侯爵令嬢。我、グラナート・ジークハルト・エーデルシュタインは、貴女を妻に迎えたい。俺と生涯を共にしてくれないか」
「……はい。不束者ではありますが、お受けいたします」
「ありがとう、ミカ」
返事をすると殿下は両方の手の甲にキスをしてから立ちあがり、屈んで私を抱きしめる。その胸に埋める形で殿下に頭を預けると、トクトクと少しだけ早い殿下の心臓の音が聞こえた。
どうしてだろう……私の心臓も、同じようにドキドキしている。
心が嬉しいって言っている。
そしてふわふわしていて、座っているのに体が浮かんでいる気持ちになる。
そんなことを思っている間に殿下は私を離すと、また隣に座った。
「……ミカと呼んでしまったが、いいだろうか」
「もちろんです、グラナート殿下」
殿下と敬称をつけたらムッとされてしまった。
「えっと……その……グラナート様」
「……ジークハルト」
「え?」
「ジークハルトと呼んでほしい」
「ジークハルト様?」
「ああ」
どうしてその名前なのかと聞けば、王族が婚約者や伴侶となった場合、ミドルネームを呼ぶことができるのだという。逆に言えばその相手しか呼ぶことを許されないので、すぐに婚約者や伴侶だとわかるらしい。
それほどに特別な名前なのだそうだ。
「特別……」
「ああ、特別なんだ。俺をそう呼べるのはミカだけだ。親友とも言えるアルですら呼べない名前なんだ」
私の髪を一房掴み、そこにキスを落とす殿下――ジークハルト様に頬が熱くなるのがわかる。
「赤くなって……可愛いなぁ……」
「ぅ、その、……っ」
「俺の
「……はい。私も、ジークハルト様を幸せにすると、この世界の神とジークハルト様に誓います」
そんな言葉をお互いに交わすと、ジークハルト様は破顔して私をギュッと抱きしめた。
短い時間しか生きられない以上、実際はジークハルト様を不幸にするかも知れない。それでも私はジークハルト様を幸せにしたいと思い、自然にその言葉が出て来たのだった。
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