この世界の蜘蛛とスパルトイはやはり特殊らしい
変な空気になってしまったものを変えるべく、紅茶を淹れ直す。そこに別のお皿に取りおいてあったあのリンゴもどきで作ったパイも一緒に出すと、兄以外の全員から不思議そうな顔をされた。
「ありがとう。ところでミカ嬢、甘酸っぱい匂いのするこれはなんだ?」
「エプレンジュの実で作った、パイというお菓子です」
「エプレンジュの菓子?!」
殿下が驚いていることから、パイのようなお菓子は存在しないのだろう。これだったら焼きリンゴもいいかも知れない。……もどきだけれど。
あのオレンジ色をした果物はエプレンジュというそうだ。リンゴ味のジュースだったから試しにフィリングを作って味見したら同じような味になったので、アップルパイもどきを作ってみたのだけれど……。
「おっ? アップルパイか?」
「正確にはもどきです。ただ、酸味よりも甘味が強いので、全く同じ味とは言い難いですけれど。そのぶん酸味を増やしていますから、近い味になっているとは思いますよ」
「へえ。どれ……。ん、ほいひ!」
「もう、お兄様。口の中に入れたまま喋らないでください、はしたないです。よろしければ皆様もどうぞ」
兄が嬉しそうに食べている様子を見る限り大丈夫そうだ。それを見て、真っ先に飛びついたのはアレイさんとシェーデルさんだった。……お二人はいつから食いしん坊キャラになったのですか。
三人の様子を見た殿下たちも、パイを恐る恐る口に入れて咀嚼すると味わい、目を瞠って驚くとまた一口食べる。
《ミカ、美味いぞ!》
『飲み物だけじゃなく、これもいいわね。お姫様、おかわりはあるかしら?』
「……っ! なんと……あのエプレンジュがこのような甘い菓子になるとは! とても美味しいぞ!」
「それはよかったです。紅茶もパイもおかわりがありますから、遠慮なくどうぞ」
殿下は先ほどのことがなかったかのように顔を綻ばせ、美味しそうに頬張っている。殿下の言葉にお付の二人も頷きながら、一心不乱といかないまでも味わって食べていた。
口にあってよかったと内心安堵しつつ、私も一口食べる。……うん、これならミゲルさんに教えても大丈夫そうだし、あとはシナモンかそれに似たスパイスがあればいい。
今回は私の手持ちを使ったから渡すわけにはいかないし、しばらくは渡すなと父に言われている。
ミゲルさんにもらったメモには読める文字と読めない文字があったから、何が該当するのかさっぱりわからない。なので文字をを習いつつ兄やミゲルさんに聞けばわかるだろうし、現物を見せてもらってもいいだろう。そこは父やミゲルさんと相談かな?
「先ほどのせいで聞くのを忘れるところだったのだが……ミカ嬢」
「はい、なんでしょうか」
「この二人をどうするつもりだ?」
「二人とは、アレイさんとシェーデルさんのことでしょうか」
「ああ。ミカ嬢が王城に来た時、私としては彼らに王城に残ってほしかったのだが、断られてしまったのだ」
「……私の口から、お二人に王城に行ってほしいと『お願い』しろ、ということですか?」
「そうだ」
殿下の言葉に、アレイさんとシェーデルさんが身構える。しかもアレイさんは水の礫を、シェーデルさんは大鎌を両手に出している。私としても、せっかく仲良くなったのに……という思いもある。なのでそこはきっぱりと断ることにする。
「お断りいたします」
「なに?」
「昨日、父とアレイさん、シェーデルさんからお二人のことをお聞きしました」
お菓子を作っている時、父にアレイさんとシェーデルさんのことを聞いた。
本来、蜘蛛はこげ茶色でアレイさんの半分以下の大きさしかないこと。
スパルトイは白骨で、兄以上に身長の高いシェーデルさんよりも小さいこと。私と同じくらいかそれよりも小さいのだと言っていた。
その中でも彼らは『色付き』と呼ばれる特別な存在で、自ら認めた者にしか姿を現さないこと。それは『色付き』ではない魔物にも言えることらしい。
「特別な存在であるお二人が自ら私の前に姿を現し、名前を教えてくださったうえで助けてくださいました。しかも私が眠っている間に『私を気に入った』と言ってくださったそうではありませんか。恩があるお二人に、恥知らずにも『王城に行け』と言えるわけがないでしょう?」
「……」
「たとえそう言ったとして、戦うことになるとお聞きしたのですが? 普通の蜘蛛やスパルトイですらなかなか姿を現さない存在のさらに上位で特別な方たちに、殿下は勝てるのですか?」
王族であろうとも、本来は戦って彼らにその力を示して初めて、彼らに認められると聞いた。初めから好意的であること自体が稀なのだと。
「それは……っ、やってみなければ……」
『あら。何のためにいろいろあるうちの一つである【
《言ったじゃろう? 王族であろうと容赦せぬ、と》
魔物二人の冷ややかな声がしたあと、ヒュン、と甲高い音を立ててアレイさんの水の礫が殿下の頬を掠めて通り過ぎる。それと同時にシェーデルさんが動き、殿下とお付の二人の首筋に大鎌の刃が当てられ、殿下たちが息を呑んだ。
「……っ!」
「殿下!」
「う、あ」
騎士は声を上げたけれどアレイさんの蜘蛛糸に捕らわれて動けず、執事服っぽい格好をした人は震えて動けないでいた。
『だから言ったのにねぇ、アタシたちはミカを気に入ったって。二つ名を名乗った意味をわかってないって。これ以上無理強いするなら、今度は容赦なく首を落とすわよ?』
《糸で捕らえたまま
「いや、参戦はしないけど……。だから昨日言ったじゃないか、グラナート。引き抜くつもりなら戦うことになるだろうって。妹を気に入ってたから絶対に無理だって」
足を組んで優雅に紅茶を飲んでいる兄は、殿下たちに呆れた視線を投げかけていた。
「そ、う、だな……。私が悪かった。二度と言わない」
『あっそ。もし言ったら、次は頭と胴体が即座に離れることになるから、そのつもりでいてね?』
「あ、ああ」
シェーデルさんの脅しとも取れる言葉に殿下が頷くと、その場から離れて大鎌を消すシェーデルさん。残念そうに溜息をついた殿下の頬から血が流れていた。水が当たったとはいえかなり勢いがあったし、手当てしないとまずいですね、あれは。
「お兄様、殿下の手当てをしないと。救急箱……はまずいですよね……」
「そうだな」
「いや、そこまでしなくていい。これは私が悪いのだから」
「そんなわけには行かないでしょうし、止血だけでもさせてください。お兄様、それくらいならいいでしょう?」
仕方ないとばかりに溜息をついた兄は、「いいよ。僕が持ってくる」と言って一旦部屋から出ていく。殿下たちとなにを話していいかわからず、室内に沈黙が落ちる。
然り気無く殿下の装いを見ると、今日は白い騎士服だった。マントはないし、腰に剣を身につけている。先日の服装もそうだけれど、体格がいいからなのか騎士服がよく似合う。殿下は騎士なのだろうか。
黙っていても埒が明かないので、思い切って話しかけてみる。
「……あの……殿下」
「なんだ?」
「その……傷を治せるという【白魔法】を覚えたら、殿下のその傷を治してもいいでしょうか」
「なに……?」
眉間に皺を寄せた殿下に話しかけると不機嫌そうに返事をした。それに負けそうになるものの、大事なことだからと傷の治療の提案をしたら驚かれた。
「私がしたことではありませんが、それでも我が家でつけてしまった傷です。父が知ったら同じことを提案するでしょう。私の自己満足と捉えてくださっても構いません。ですから、その……」
どう言っていいかわからずに言葉に詰まり、俯く。兄にとっても気のおけない友人だろうし、それは殿下の態度からも窺える。けれど私は友人の妹でしかなく、傷をつけたのはアレイさんだ。だからといって私が謝罪するのも違う気がするから、謝罪することはしない。
その代わりといっては変だけれど、魔法を覚えることができたら治そうと思ったのだ。
「ミカ嬢は……」
「はい?」
話しかけて来た殿下に顔を上げて返事をすると、不機嫌なまま私に視線を投げかけていた。
「君は、私が……俺が怖くない、のか?」
「どうしてですか?」
「俺を見て、気絶したから……」
質問に質問を重ねるのは失礼かと思ったけれど、つい返してしまった。その殿下の言葉に、なぜ不機嫌なままなのかなんとなくわかった気がする。私に怯えられていると思われていたらしい。……これはフォローしないとダメ、ですかね?
「あの時は申し訳ありませんでした。先ほども言いましたし兄からも聞いていると思いますが、あれはたくさんの牙に驚いたのと、いろいろな出来事が重なり私の許容範囲を超えたからであって、殿下が怖かったわけではありません。私がいた世界にはドラゴンの伝説や神話がありますが実際にいるわけではありませんし、その姿や存在は絵や小説――物語などの創作物でしか知る術がないのです。確かに食べられるとは思いましたが、それだけですよ?」
「……っ」
「それに、殿下の髪と同じような綺麗な色をしていましたよね。全体を見られなかったのは残念ですが……」
「そ、そうか……」
私の言葉に、なぜか驚く殿下。そんなに変なことを言っただろうか? 兄のファンタジー好きの影響か、私もドラゴンが出てくる物語や小説が好きだし、見てみたいと思っている。
尖った耳の先端が微妙に赤くなっているのを不思議に思って見ていると、アレイさんとシェーデルさんに《『天然なうえに人誑しか!』》と言われてしまった。……解せぬ。
微妙な空気になってしまったので、またお菓子か紅茶を勧めようとしたら兄が戻って来た。
「さすがに
兄が持って来たのは、コルクで栓がしてあり、透明の瓶に【消毒液】と書かれているものと白い布が複数、丸くて平べったいものだった。丸いものは傷を治す軟膏が入っているそうだ。
「まあ……この世界にも消毒液や軟膏があるのですね。……殿下、消毒をしたいのですが、頬に触れても構いませんか?」
「ああ。頼む」
席を立って殿下に近寄り、断りを入れてから一度傷の状態を確かめる。そのあとで布に消毒液を浸して傷口を丁寧に拭く。それが沁みるのか眉を顰めたものの、殿下は動くことはなかった。拭き終わったら私の手を消毒し、軟膏を塗る。
「ぅ……っ」
「申し訳ありません、あと少しで終わりますから我慢してください。……はい、終わりました」
「ありがとう」
「……っ、どう、いたしまして」
お礼を言われて殿下を見ると、微笑みを浮かべていた。初めて見るその笑顔に、鼓動が跳ねる。
(いつもそうしていれば素敵だし、カッコいいのに……)
そんな思いが浮かんで来て内心首を傾げるものの、今はそれどころではないからと気持ちを切り換え、兄の隣に戻った。
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