兄も護衛二人も案外過激らしい
柔らかな陽射しが降り注ぐテラスに反して、室内の空気は真冬のようにひんやりとしている。
現在、私の隣には兄が、目の前には眉間に皺を寄せた殿下がいる。室内は静寂に包まれているけれど、今起こったことのせいで殿下の機嫌が悪くなり、私は非常に居た堪れない。
殿下たち曰く、開け放たれた窓から銀色に光るものが飛んで来て、私の周囲をくるくると回転すると目の前で一旦止まった。そしてまた動きだすと私の髪に止まり、それが光ると一瞬で融けて消えたという。そのあと私の髪は黒から淡い青緑色を帯びた銀髪に変わってしまったのだというから驚きだ。
兄から渡された手鏡を見てもその通りだったものだから、私としても泣きたいくらいだ。
しかも、銀色に光るものは
「言い伝えによると、髪に溶け込んだ髪飾りはその人物が死ぬとまた元の形に戻るという」
「……っ、それは……今すぐ私を殺す、ということ、ですか……?」
殿下の淡々とした物言いに、王家の秘宝を取り返すために殺されるのでは……と身体と言葉が震える。それがわかったのだろう……兄は私の肩を引き寄せて抱きしめ、怒りをあらわにしながら殿下を睨みつけ、アレイさんは私の膝から飛びのいてシェーデルさんの頭の上に乗ると両手を掲げた。
その間には水の
シェーデルさんに至っては私と兄の前に――特に私の前に出て庇うように立ち、死神が持つような大鎌を二本取り出すとそれを持って腰を低く落とし、構えている。
「グラナート……実花を殺すというのなら、僕も親父も容赦しないと思え」
『【
《【
兄の怒りを含んだ低い声と、シェーデルさんやアレイさんの他者を圧倒するほどの威圧感を放つ低い言葉に、殿下が焦りを見せる。殿下の後ろにいる人に至っては、顔を青ざめさせて震えていた……騎士の格好をした人でさえも。
「待て待て待て、そんなつもりで言ったんじゃない! それにまだ話は終わっていないんだ、最後まで聞け! ミカ嬢も三人を止めてくれ!」
「あ……、も、申し訳ありません……。お兄様、シェーデルさん、アレイさんも。私の早合点です、怒りを納めてください!」
『アタシはアンタの護衛だから、ここから動かないわよ?』
《ならば儂は一旦引くとしようかの》
「実花は黙ってて。グラナート、その内容
「お兄様!」
三人を諌めるものの引く気がないようで、兄は続きを話せと促している。アレイさんは水の礫を消してくれたけれど、シェーデルさんはそのままだ。私のせいで……どうしよう。
「そんなアルを見たのは初めてだ……。ああ、続きだったな。あくまでも言い伝えであって、私や兄上、父上たちがそれを目撃したことはないし、王家伝来の文献に二度ほどその事象が書かれているだけなのだ。大事なものではあるが、殺してまで取り返そうとは思ってない。それに……」
「それに?」
「ミカ嬢たち三人が王宮に来た日から髪飾りが妙に騒がしかったんだ。それもあって何かあるとは思っていたんだが……まさかこんなことになるとは私の想像の範疇外なんだよ」
「ふうん……。その髪飾りはどこにあったんだ?」
「宝物庫だ。髪飾りが入っていた箱は厳重に鍵をかけてあったし、宝物庫の扉も鍵をかけていた。当然のことながら、警備の者が常に二名いる」
誰かが持ち出すか髪飾りが勝手に動き出さない限り、飛んでくることなどあり得ないし持ち出せばすぐにわかると言う殿下に兄もようやく怒りを収め、シェーデルさんは大鎌を消した。
「誰かが持ち出した可能性は?」
「ないな。蓋を開けるとすぐにわかるうえ、アルとアイゼンが幾重にも張った結界と罠もあるんだぞ? 父上や兄上、私や王宮魔術師団長でさえもあれを突破できなかったんだ。できる者がいるなら是非見てみたい気もするが、そもそも罠に掛かったら一巻の終わりだろうが」
「あー……あの宝物庫内のうちの一つか」
兄は殿下が告げた宝物庫の場所を知っているのだろう、その言葉に頷いている。
「ああ。城に帰ってから調べるが、そういった類いのものが一切ない。それなのに独りでにここに来ているのだ……そのあり得ないことが起こったせいで、こんな状況になっているんだがな……」
「確かに。ただ、これは僕の憶測になるから実際はどうなのかわからないが……実花たちが王宮に来た日から騒がしかったんだろう? ならば、実花たちの何かに反応したと考えるのが妥当じゃないか?」
「なるほど……一理あるな」
厳重に護られている宝物庫から飛び出してくる髪飾りがあるのか、なんてはた迷惑な秘宝なのだと考えている間にも、兄と殿下の会話は続いていく。そして兄の憶測に言葉を返したのは、殿下だけではなく、シェーデルさんやアレイさんもだった。
《ふむ……ミカの【白魔法】に反応したのではないか?》
『もしくは、アタシかアレイ爺のどちらか、或いはミカ様を含めたアタシたち三人に反応したか、ね』
「そんなことがあり得るのか?」
《あり得るのう。そもそも
『もっと詳しく言うなら、【神聖魔法】の上位互換にあたる【白魔法】のことよ』
「え……」
殿下の質問に対してアレイさんが答え、その言葉にシェーデルさんが補足し、二人以外の全員が驚く。私はなんのことを言っているのか全くわかっていないので、白魔法が上位互換であることに驚いただけだったりする。
「なんだと……? 【白魔法】の上位が【神聖魔法】ではないのか?! 神殿ではそう言っているぞ?!」
《神殿にいる連中は知らないようじゃが、違う。そもそも【神聖魔法】とは神の
『そのごく一部っていうのが、神の飲み水とされている聖水を作ることと、神に祈りを捧げて自分を回復するだけなのよ。自分だけ、というのがミソね』
「……神殿で聖女が行なっているという、魔法で怪我を治したり解毒したり、病気を治しているというのは……」
殿下の知らない事実が出て来るたびに、眉間に皺が寄っていく。唸りながらも質問を重ねるのはさすがだと言えるだろう。隣にいる兄や、殿下のお付の二人も呆気に取られた顔をしているし。
《魔法で怪我や毒を治せるのは【白魔法】の【
『神殿で怪我なんかを治しているのであれば、それは神殿内に医師や錬金術師を囲っているか、聖水と称してポーションや薬を先に飲ませてから適当な魔法をかけてるんじゃないの?』
《もしも医師や錬金術師を囲っているのであれば、「魔法をかけるから」とどんな症状かを先に聞いておけば、それに対応したポーションや薬を用意できるじゃろうしの》
「……っ」
殿下はそれを知っているのだろう……眉間の皺が更に深くなる。私が心配することではないのだけれど……元に戻らなくなったりしないのだろうか。
そんな私の心配を他所に、アレイさんとシェーデルさんの話は続く。
《聖水を飲ませたところで、怪我など治りはせぬ。そもそもの話、神殿は神に祈りを捧げたり、祈りを捧げに来た者の善意を神に届けたり、神が食する物を用意し捧げる場所であって、金を得るために怪我を治す場所ではない》
『それに聖女とは神の血を引く娘のことだもの。神が
《尤も、聖女は額と左右の手の甲に金色の宝石が浮かんでいるから、本物か偽者かがすぐにわかるがな》
よくわからない話がポンポン飛び出すのだけれど、私にはさっぱりわからないので聞いていることしかできない。しかも、聖女の話になった時に全員私の顔を……特に額や手の甲を見ていたようだけれど、どこか安堵した空気が流れた。
「……私の顔や手に何か付いていますか?」
「いや?」
『聖女の話になったから、ミカ様を見ただけよ』
《神の娘は【白魔法】が使えると言われておるからのう》
「なるほど。ですが私は普通の人間なので神の血を引いていることはないですし、たとえ【白魔法】が使えたとしても聖女に祭り上げられるのも聖女になるのも嫌ですので、そこはキッパリとお断りさせていただきます」
聖女? 冗談じゃない。そんな歳でもないし面倒そうなのに誰がなるというのか。それに、死ぬとわかっていて騙るつもりなどさらさらない。そう宣言したら、アレイさんとシェーデルさんから『《ちゃんと護るから》』と言われた。……なぜだ。
「そんなことにはならないから安心して、実花。そんなことをしようものなら、神殿を木端微塵に破壊するだけだから」
「アル?! 止めてくれ!」
「お兄様、止めてくださいね?!」
『あら、素敵ねぇ、アル様。その時は是非アタシも呼んでほしいわね』
《儂も行くぞい》
「それは心強いですね。その時はお願いします」
髪飾りから聖女の話になった途端に過激なことを言い出す兄を殿下と私で止めるものの、聞く耳を持ちやしない。アレイさんやシェーデルさんまでそれに乗っかるものだから、どんどん会話が過激になる。
あの日から自他ともに認めるシスコンになったのは仕方がないこととはいえ、さすがにちょっとやり過ぎだ。
――これは久しぶりに怒っていい案件ですね?
「……お兄様? いい加減にしてください。シスコンもそこまで行くと迷惑ですし、どうしても続けるというのであればしばらく顔も見たくありませんから、そのおつもりで。午後から魔法の勉強を教わることになっていますが、それはバルドさんとアイニさん、またはアレイさんたちに教わりますから。それからシェーデルさんとアレイさん、兄に同調して悪ノリするのは止めてください。お菓子を作ってもあげませんよ?」
「《『ごめんなさい! それだけは勘弁してください!』》」
肩に回された兄の腕をほどいて少しだけ距離を取り、低い声でそんなことを告げると三人は速攻で謝った。……おい。
「でしたらそんな過激なことを言わないでください。お気持ちは嬉しいですが、何かあってから考えればいいのではないのですか? 殿下の側近だというのなら、殿下に迷惑をかけるようなことを言うのはお止めください」
「……わかった」
妹の私からすると、シスコンを拗らせた兄ほど厄介な者はいないと思う。ただ、私のことを考えたり思ったりしてくれているのは有り難いのだけれど、どうにも暴走癖がある兄は、こうして諌めたりしないとひたすら
「わかってくださったのなら結構です。それと、まだ言っていないことがありますよね?」
「そうだな……。グラナート、すまなかった」
「あ、ああ」
私と兄のやり取りを、珍しいものを見たとばかりにこちらを見ていた殿下だったけれど、兄に急に謝られたことでハトが豆鉄砲をくらったような顔をして頷いた。
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