閑話 これが愛おしいというものらしい

 今日は婚約者となったミカが登城して来る日だ。会えるのが嬉しくて執務室でそわそわしていたら、アルに苦笑されてしまった。


「実花が来るまでまだ一時間あるんだ。落ち着け、グラナート」

「う……すまない」


 そう窘められるものの、やはり落ち着かない。



 ***



 あの日、書類作成や整理をしている文官が体調を崩し、早く帰った。前日から体調を崩していたそうだ。

 無理をするなといつも言っているのだが、彼はあまり人の話を聞いてくれないのが玉に瑕だ。その日は別の文官も休みであったしアルが登城してアイゼンの仕事を手伝っているのを知っていたので、午後からアルを貸してもらおうと執務室に行ったら、見慣れない二人の男と薄いブルーのドレスを纏い、髪を結わいていた銀髪の女性が一人いた。

 よくよくみれば眼鏡をかけたその女性はミカで、貴族女性の作法で挨拶をして来たのだ。

 その流れるような動作に思わず見惚れる。他の貴族女性は何年もかけてしきたりや動作を覚え、その動きを完璧にして行くというのに、ミカはわずか十日ほどで完璧に近い作法を身につけていたのだ。

 アイゼンやアル、モーントシュタイン家の者たちの教育の賜物なのだろうし、彼女も相当努力したであろうことが窺える。

 ふとテーブルの上を見れば美味しそうな食事が並べられていた。アイゼンにアルを貸してくれと頼んだら騎士団の食堂まで行って食事をするつもりでいたのだが。


「お昼がまだでご予定がないのでしたら、ご一緒にいかがですか?」


 まさかミカからそんな提案をされるとは思ってもみなかった。王族である俺が毒見の心配なしに温かい食事を取れるのは、騎士団の食堂かモーントシュタイン家、自分の執務室内だけだ。

 だから、今日の食事もモーントシュタイン家の料理長が作ったのかと思いきや、ミカが作ったというのだからさらに驚く。そして紅茶やコーヒーの飲み物を淹れたことも。

 中には貴族女性でも【料理師】や【料理人】の職業を習得する女性がいることや、女官が貴族女性であることから自ら紅茶などの飲み物を淹れることに驚きはないが、まさか職業についていないミカに料理ができるとは思ってもみなかった。そして、文官のような仕事ができることも。

 庭に出たいとアイゼンに聞いていたミカに、「エスコートと案内しようか」と自然に言葉が出た。俺自身も驚いたが、アイゼンやアルも驚いていた。


 彼女を庭に案内し、そこに植えられている花や木の説明をする。やはり表情はあまり動かないが、眼鏡の奥の瞳を輝かせて俺の説明を聞くミカに国立庭園の話をすると、アイゼンかアルに連れて行ってもらおうかと呟いた。

 つい「俺が連れて行こうか?」と聞いてから後悔する。もし断られたらどうしようと不安に思ってしまったのだ。

 だがミカは迷うことなく、アイゼンが許可を出してくれたならばと、貴族女性として当然のことを言って来たのだ。


 そんな言葉が返ってくるとは思わなかった。


 それを嬉しいと感じた。だからアイゼンに許可を求め、彼も承諾してくれたことが嬉しかった。

 そして庭園に行く当日。ギルを含めた少数の護衛を選抜し、モーントシュタイン家にミカを迎えに行った。ミカが着ていたドレスはこの季節に似合う色合いで、そして俺の色彩としては多くの者がそう見えているであろうドレスの色だった。それを選んでくれたことが嬉しかった。

 昼食をどうするかと聞けば作って来てくれたというミカ。まさかそんなことをしてくれたとは思ってもみなかった。


 庭園に着き、花の説明をしていく。動かない表情が少しだけ動き、嬉しそうに目を細めた。俺自身がその表情を動かせたことに嬉しさがこみ上げ、ガリファロとオルキスの花畑ではミカの世界のことも聞くことができた。


 柔らかい笑顔を浮かべて親に感謝する日だと説明するミカに、鼓動が跳ねる。


 そしてネックロースの大きな葉に乗れそうだと可愛らしいことを言ったミカに思わず笑い声をあげたら、護衛たちに驚かれてしまった。当のミカはといえば、恥ずかしそうに頬を薄っすらと染めていた。

 用意されていた昼食はリージェを使ったもの。見た目も珍しかったが、食べてみればどれも美味しかった。モーントシュタイン家秘伝の料理法だというリージェがまた食べたいと言えば、前以て伝えてくれれば作ってくれるという。

 そんな話をしている時、ミカの足元に黒いサーベルタイガーが現れた。黒いサーベルタイガーはとても貴重な種族で、魔獣の中でも上位に君臨する。王族に近い存在だと言えばわかりやすいだろうか。

 とても警戒心が強い魔獣の中でも特に強く、懐くことなどないうえに時には我等を襲うこともあるサーベルタイガーが、何の警戒もせずにミカに擦り寄っているのを見た時、唖然としたものだ。


 そしてミカへの『愛しい』という気持ちを自覚したのはこの時だった。サーベルタイガーに顔を舐められたり、その黒い背中や頭を撫でている時の満面の笑顔だった。


 その笑顔をもっと見たいと思った。

 自分だけに向けてほしい、独り占めしたいと願った。

 俺自身が、その笑顔を引き出したい。それだけではなく、俺の言葉と行動でミカの表情を動かしたいと思ってしまった。


 モーントシュタイン家から戻ったその足で兄である陛下と母上に相談したら、「まさか、グラナート自らそのようなことを言って来るとは」と苦笑されたものの、爵位も申し分ないしモーントシュタイン家の令嬢ならばとお許しをいただいた。

 本来ならば王である兄上から打診するべきなのだろうが、それだとアイゼンは頷かないだろうし意味も違ってくるからと言うので、俺自身が話をすることになったのだ。

 もしモーントシュタイン家から王子妃教育の話をされたら、王太后である母上自らしてくださるという。一度も見たことがないミカに興味津々なのと、彼女の見極めも兼ねているのだろう――兄上の婚約者が、思っていた以上に酷かったとみえる。


 王族からの縁談は断るとアイゼンは言っていたが、俺はミカと婚姻したい、ずっと一緒にいたいと思った。だから陛下に許可をいただいたその翌日、登城して来たアイゼンに時間を作ってもらい、ミカとの婚姻を考えていると伝えたのだが。


「まさか、殿下が私の娘を気に入るとは思ってもみませんでした」


 唖然としながらもそう言ったアイゼンに、俺もそうなるとは思ってもみなかったと伝えたうえで、話を続けた。


「アイゼンが我ら王族からの婚姻の打診を断ると言ったことは覚えている。それを承知のうえで、ミカ嬢との婚姻を望む」

「殿下のお気持ちを、陛下はご存知ですかな?」

陛下あにうえ王太后様ははうえもご存知で、『モーントシュタイン家の令嬢ならば』と許可もくださった」

「陛下だけではなく、王太后様も、ですか……」


 さすがに王子妃教育は母上がしてくださる、とは言い出せなかったが。ふう、と息を吐いたアイゼンが、真剣な目で俺を見る。


「少々長くなりますが……実花のことを少し話してもいいですかな?」

「ああ」

「娘は幼少のころからつらい目に遭って来たのです……あの子を護るために、私もアルも加担せざるを得なかった……」


 そう前置きして話してくれたのはとても心が痛むもので、怒りが涌くものだった。婚約者の件はアイゼン同様に俺も怒りを憶えた。


 何故なにゆえ、ミカが幼少のみぎりからそのような目に遭わなければならないのか。

 何故なにゆえ、妹の婚約者を取ることなどできるのか。


「そのようなことがあったので、娘は男をあまり信用していないのです。殿下とたくさん話していること自体が珍しいとも言えます。娘のことだから、縁談を断るかも知れません。それに、ヒトである娘は我らよりもずっと短い生となるでしょう。それでも娘との婚姻を望むのですか?」

「ああ。ミカ嬢だけなんだ……私の……俺の目を見て話してくれたのは。他愛もない話でも、あまり動かないその表情を緩めてくれた。他の令嬢は俺を見るだけで表情を歪めるというのに」

「もしかしたら、魔法のことで巻き込まれるかも知れません。それでも?」

「それでもだ。何かあれば力になりたい。彼女とずっと一緒にいたいんだ」


 ミカのことを思えば思うほど、愛しいという気持ちが溢れてくる。

 大事にしたい。たとえ一緒にいる時間が短くとも、幸せにしてあげたい。

 アイゼンの話を聞いたからこそ、そう思ったのだ。


 そう話したら、アイゼンはふっ、と息を吐いた。


「そうですか……そこまで娘を思ってくださるのですな……」


 そう呟きしばしその目を瞑る。何か吹っ切れたようにもう一度息を吐くと「いいでしょう」と言ってくれた。


「但し、先に息子のアルジェントが殿下を認め、娘が承諾したらになりますが……」

「そこは俺が説得する」

「わかりました」


 そして翌日に響かないようある程度の執務を終え、三時ごろアイゼンと一緒にモーントシュタイン家へと赴き、まずは兄であるアルの説得にかかる。アルは妹であるミカを溺愛していたから、説得は難しいだろうし相当時間がかかるだろうと思っていたのだ。だが。


「ああ、グラナートならいいんじゃない?」

「「は……?」」


 アイゼンと間の抜けた声が重なった。


「え? なんでその反応? 実花を見てればわかるでしょ。それに、下手な男のところに嫁に出すくらいなら、王族のグラナートのところに嫁に出したほうが安心できるし」

「アル……本当にいいのか?」

「大事にしてくれるんだろう?」


 そうじゃなきゃ許さないからな、と言ったアルに頷く。


「必ず幸せにすると、アイゼンとアル、そしてこの世界の神々に誓う」


 そう、誓いを立てた。


 そして案内されたミカの部屋は、見たことのない魔道具で溢れかえっていた。もの珍しさから周囲を見回す。

 相変わらず美味しく珍しい菓子を頬張りながら、実花とアイゼンの話を聞く。さすがは親子、ミカもアイゼンと同じことを言っていた。

 二人きりにしてもらいミカと話そうと思っていたのだが、どうやら室内を見回したいたことを知っていたらしく、案内してくれた。珍しい魔道具と、料理に使うという見たことのない調味料、よくわからないもの。

 コタツというものの上にクッションに似たものが乗っていたのでそれを持ち上げれば、やはりクッションだという。ついほしいと言ってしまったが、ミカは嫌がることなく作ってくれると約束してくれた。


 今日は異世界の服なのだろう。ワンピースというベージュ色で丈の短い服と黒い下穿きのようなものを履き、クツシタというものを履いた簡素な格好をしていた。髪は両サイドだけをまとめ、後ろで結わいていた。


 ミカの案内であちこちの部屋を覗く。そのどれもが王宮にあるものと同じかそれよりもいいもので、進んだ文明だったことが窺えた。そしてのちにシャシンというものだと教わった綺麗な本も。

 その本が刺繍の図案だというので、捲りながらどれがいいか探している間に紅茶を淹れてくれたのか、コタツとやらの上に乗せた。床に直に座ろうとしていたので、本題を切り出すために隣に座るよう促す。そしてミカの両手を握ると、自身の気持ちを伝えた。


 返事がもらえるまで、数日を要すると思っていた。だが。


「……はい。不束者ではありますが、お受けいたします」


 薄くではあったが頬を染めて俺を見た。まさか、すぐにそのような答えがもらえるとは思ってもみなかった。嬉しくて、思わずミカを抱きしめた。

 そしてわかった……魔物たちがミカに無条件の好意を寄せる理由が。


 とても優しい、安心する波動を出していたのだ。どこか懐かしい魔力も感じた。そして庇護欲も感じる。

 それをもっと感じていたくてミカを膝に乗せれば、頬を薄く染めて俺を見上げるミカ。

 怪我など気にしなくてもいいのに、治してくれたミカ。


 その白く光る魔力はとても綺麗で温かく、溜まっていた疲れが取れたように感じた。ミカはそのような効果はないと言っていたが、実際に疲れが取れているのだからすごいものだ。

 他愛もないお喋りはとても楽しく、ミカの心地よい声をずっと聞いていたくなる。菓子や紅茶を淹れてくれたことなどに対する感謝の気持ちを頬や額、こめかみやサラサラで艶やかな髪に口付けることで示せば、ミカは照れたように頬を染めて俯く。


(なんと初々しい反応をするのだろう……っ!)


 それがなんとも可愛くて、また口付けを落とすことを繰り返す。

 ミカは俺の膝からおろしてほしそうにしていたが、羽のように軽いミカはいつまででも乗せていたくなるし、俺の膝からおりようとしていたミカの腰を掴んで離さなかった。

 コルセットをしているわけでもないのに、その細い腰に驚いた。


「早く一緒に暮らしたい……」

「え……?」


 頭を撫でていたらつい本音が出てしまった。その柔らかそうな唇が目に入ったとき、それを味わいと思った。だから口付けようとしたのだが、アルに邪魔されてしまった。



 ***



 そこまで思い出して、つい溜息がでる。そのうち邪魔されない場所で口付けを交わしたいと思いながら時計を見れば、そろそろアイゼンと一緒にミカが来る時間だった。


「アル、ミカに挨拶をしに行って来てもいいか?」

「挨拶だけしたらとっとと帰って来いよ? でないと、お昼に会わせないからな?」

「ああ、わかっている」

「あと、実花は仕事を放り出すことを嫌うから、それだけはしないでくれ」

「しない。そこは弁えているつもりだ」


 そう返事をして立ち上がると、城の入口へと向かう。二日ぶりにミカに会えると思うだけで……彼女の姿を思い浮かべるだけで、心が浮き立つし表情が緩むのがわかる。そんな俺が珍しいのだろう、近衛や女官、侍従たちが目を丸くして見ていた。

 以前なら鬱陶しいと思っていた視線だが、今はミカに会いたいと思うことに必死で気にならない。


 入口に着き、そこでしばらく待っていたらアイゼンにエスコートされたミカと、先日も見た赤毛の騎士と緑髪の老齢の執事がその後ろを歩いていた。足音をさせることなく歩く姿は、かなりできる護衛であることを窺わせた。

 そしてアイゼンとミカが俺に気づき、二人が礼をしたあとでミカが俺を見上げてくる。今日の彼女はブルーのドレスを身に纏っていた。もっと明るい色も似合いそうだし、近々婚約を発表することになるから、ドレスなどの一式を贈ろうか……と考える。


「おはよう、アイゼン、ミカ」

「おはようございます、殿下」

「おはようございます、グラナート殿下」


 ミカに会えたことが嬉しくて笑顔で挨拶をすれば、ミカも笑顔で挨拶を返してくれた。

 「ジークハルト」と呼んでくれると思っていたが、そこはアイゼンに聞いたのだろう……グラナート殿下としか返してくれなかったことを寂しく思う。だが、未だ婚約を公表していないのだから、その対応は間違っていないのだ。


「話がある。お昼に会いに行ってもいいだろうか」

「お待ちしております。私も相談したいことがありますので、来ていただけるのは助かります」


 間接的にミカに会いたいとアイゼンに許可を求めれば、アイゼンも珍しく笑顔で頷いてくれた。ミカは何も言わずにその場に控えていたのはさすがといえよう。相談したいこととはなんだろうかと考えるが、そこはアイゼンに話を聞けばいいだけだ。


「では、のちほど」


 小さな声でお昼を楽しみにしているとミカに言えば、彼女が頷く。


(今日はどのような昼食なのだろう……)


 それを楽しみに鐘が鳴るまで執務に精を出し、その日のぶんだけではなく翌日のぶんもこなしてしまい、「そんなに早くミカに会いたいのか」とアルに呆れられたのだった。


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