閑話 怒涛の数日だったらしい
モーントシュタイン家から帰城した、その夜。ベッドに横たわりながら、ここ数日に起こったあれこれのことを思い出していた。
***
まず、数日前に起こった出来事――その発端はアルとアイゼンからの報告だった。そして城を出発して三時間余り。城から墓場までは竜体で飛んでも時間がかかる場所にある。
俺の両横には竜体となっているアルとアイゼンが、背後にはギルを筆頭に十名ほどの騎士がいる。同じ
蛇のように細長い体躯は白く、羽根や翼がない。さらに我々にはない、鞭のように細長い髭と長い鬣がある。角もあるが、我々のとは違ってグレートホーン・ディアのように幾重にも枝分かれしているものだ。
どうやって飛んでいるのか不思議ではあるが、そこは「内緒です」と教えてはもらえなかった。そしてアルやアイゼン曰く、細長い体躯は彼らの世界に伝わるドラゴンで、その一例だという。しかも、神の部類に入るような。
『白い』というだけでも魔物にとっては特別だというのに、二人は知ったことではないとばかりに魔物を殲滅していたなと、二人の竜体を見て
『殿下、湖に人の姿が見えます』
『あと、赤い色をした骸骨でしょうか』
『なに……?』
周囲を警戒しながらアルとアイゼンの報告に驚く。赤い骸骨など聞いたことなどない。新たに生まれた新種のスケルトンだろうか……と考えている時、アイゼンが反応した。
『あれは……実花!』
『え……マジで?!』
『ああ、間違いない。お前のジャケットを羽織っている。そしてあの日と同じコートや眼鏡も身につけたままだ』
『あ、ホントだ!』
『殿下、申し訳ありませんが、あの人影の近くに下りましょう。もし魔物に襲われているのだとしたら、娘の実花が危ない』
『ああ、わかった! 全員急げ!』
そしてその場所に急いで移動し、その人物の前に降り立った途端、気を失ってしまった。
『《ミカ!》』
「「実花!」」
ヒト型に戻ったアイゼンが、倒れる前にその人物の後ろに現れて支え、抱き上げる。そしてそれを警戒するように、槍を持った赤い骸骨がその穂先をアイゼンに向けていた。
『アンタ、何者? ミカの何かしら?』
「私は実花の――娘の親です。あなたは……?」
『アタシ? ミカの護衛になったスパルトイよ。そしてそこにいる
《儂らがミカをここに連れて来たんじゃ。
「そうでしたか……。娘を助けてくださり、ありがとうございます。あなた方は特別な方たちとお見受けいたします。よろしければお礼をいたしたく、我が家にお越し願いたいのですが」
三人の会話を聞いて驚く。赤いスパルトイに緑の
「待て、アイゼン!」
「殿下、申し訳ありませんが、このまま我が家へ娘を連れて帰ります」
「だから待てと言っている! スパルトイに
そのまま連れ帰ろうとしているアイゼンとアルをなんとか説得し、彼ら二人の転移魔法を使って全員城に帰還させた。
そしてそこで、『色付き』の二人からその人物……女性に自ら名乗りをあげて彼女を助けたというのだから尚更驚く。そんなことがあるのだろうか?
《ああ、そうじゃ、ミカは左足を捻ってしまっての。足の手当てをお願いしたいのじゃ》
『あと熱もあるわ。何か冷やすものはないかしら』
「「やっぱり……」」
一個小隊を解散し、ギルを伴って客室へ移動しながら、彼ら二人の話を聞く。どうやら彼女は熱があり、足も捻って歩けないらしい。
足首に巻かれていた布をアルが取り払い、そこをよく見ると左の足首が赤紫色になり腫れていた。アルが間に合わせにと足の治療をしたあと、アルたちが寝かせるのに邪魔だからと着ていた服をある程度脱がせた。
そのあとで装飾品や眼鏡などを取り払い、看病していたその翌日。アルたちが退室したあと、彼女が目覚めたとスパルトイたちに教えられた。
長い黒髪に、同色の眼。まだ熱が高いのだろう……顔が赤いし、額を触れば熱かった。熱で潤んだ瞳で見上げてくる彼女はどこかアイゼンに似ている。そして今は眼鏡をかけていないせいか、俺を見るその目を細めていた。
「私は長月 実花と申します。実花とお呼びください」
掠れた声で自己紹介され、色付きの二人と知り合った話を聞きながら本来はどんな声なのだろうと思った。
アイゼンたちが来たので一度退室し、執務をしながら待っていると、再び呼ばれてアルから話を聞けば、食事や飲み物に毒を盛られたというではないか……しかも、その色は濃い紫。それは猛毒を意味している。
もう少し彼女に話を聞きたいのもあったが、そんなことがあった以上城に留めておくことなどできるわけがない。
本音はスパルトイたちを俺の元に引き止めておけないかと考えていたのだが……結局断られてしまった。
そしてアイゼンたちが帰ってから毒の件を調べたら、混入したのは俺が紹介した家の令嬢だった。翌日になって登城してきたアイゼンに、挨拶もそこそこに真っ先に伝えたのだが。
「さすが、虚言壁のある家の娘ですな。親子揃って自分が何をしたのかわかっていないとは」
とは、彼の弁だ。その時に、モーントシュタイン家で起こった出来事の件で俺が聞いた話をアイゼンにしたのだが、確かに両家で話が食い違っていた。
しかもアイゼンはその時の様子を記録した魔道具も持っているというのだ。
「こうも話が食い違っているのであれば、一度、彼の家の令嬢と家族を呼んで話をするべきだろうな」
「そうでしょうな。私は構いませんよ、殿下。尤も、娘のために用意した食事に毒を盛る家との付合いなど、金輪際御免ですがね。他家もそう考えるでしょう。それと、殿下や陛下からの縁談も、今後一切お断りさせていただきます」
「はぁ……致し方あるまい。全てはそれらを見抜けなかった私と陛下、前陛下のせいなのだから」
そんな話をした翌日、彼の家の令嬢とその両親を呼び、アイゼンとアル、話が聞きたいからと当時一緒にいたアルの友人たちも呼んだ。嘘をつかないようにという趣旨が書かれた誓約書にサインをさせて証言させるつもりでいたのだが、誓約書にサインさせようとした最初の段階で令嬢が震え出したので問い詰めたところ、彼女の虚言であり偽証だと発覚した。
「貴女はお忘れのようだが、私は侯爵家の家長で、その息子であるアルジェントは次期侯爵だ。その家の者と王族である殿下に偽証した挙げ句、私の娘に出す食事にまで毒を盛ったのだ……不敬罪で死ぬ覚悟はできているのでしょうな?」
「む、娘……?! 恋人ではありませんの?!」
「恋人や婚約者がいたら、グラナート殿下は家を介して息子に貴女を紹介したりしないでしょうに、そんなことにも思い至らないのかね? そのような状態では侯爵家以上の家格に嫁ぐなど無理でしょうし、女主人として勤まりはしないでしょうな。せいぜい同じ伯爵家か子爵家が妥当でしょう。それすらもわかりませんか、あなた方は」
「……っ」
驚いた声をあげた令嬢に対し、アイゼンが怒りを滲ませた声で冷やかに答える。その言葉に、令嬢もその両親も顔を青ざめさせていた――侯爵家以上の家に入るには教育不足だと指摘されて。
言い方は悪いが、格下である伯爵家の令嬢がモーントシュタイン侯爵家に二度に渡り喧嘩を売ったようなものだ。しかも両親や本人は未だに謝罪すらしていないのだから、アイゼンの怒りは尤もだといえるだろう。
そのうえでモーントシュタイン家で令嬢が何を仕出かしたのか全てが映し出されている魔道具まで見せられては、両親は何も言えなかった。
その魔道具はアルと俺、前陛下や重鎮たちを交えて開発した魔道具で、防犯に役立つからと貴族を中心に城や各家に設置されているもので、映像は一切加工できない仕組みになっているから、嘘だと言われることはない。
結局、令嬢とその伯爵家は王家と侯爵家を敵に回したと社交界に噂が広がり、ゆくゆくは中央からも遠ざけられて没落していく。そして当の令嬢は侯爵家と王家に対する不敬罪と偽証罪により、規律と寒さの厳しい北の修道院へと送られ、その生涯をそこで過ごすこととなる。
そんなことがあった数日後、ミカ嬢の熱がやっと下がったと、仕事をしながらアルが報告してくれた。今度こそミカ嬢にお願いしてスパルトイたちを城に……俺の部下にできないかと打診するつもりだと言えば、アルは呆れた声と顔で
「片時も離れないほど妹を相当気に入っていたから絶対に無理だと思うし、引き抜くとなると戦うことになるぞ?」
と言われてしまった。
それはミカ嬢にお願いすれば済むことだとモーントシュタイン家に行ったその当日。眼鏡と品のいい装飾品に彼女の世界の服なのだろう……この世界では見慣れない花柄の服を着たミカ嬢だけではなく、スパルトイたちから二回も断られた挙げ句敵視されてしまい、怪我まで負ってしまった。
彼女から魔法を覚えたら怪我を治してもいいかと聞かれたことには驚いたが。
それにミカ嬢の職業診断及び魔法適正がわかる魔道具で調べれば、彼女は父親や兄同様に伝説の【時空魔法】が使えるだけではなく、【白魔法】まで使えるというのだから驚愕する。しかも、曾祖母から賜った髪飾りがいきなり現れ、彼女の髪に溶け込んでしまったのだから余計に。
途中で王族しか使えない【光魔法】が生えて来たことも。
この世界では珍しい、綺麗で艶やかな美しい黒髪が、淡い青緑色を帯びた銀髪になってしまったのだ……毛先に行くほどその青緑色が濃くなっている。それはそれで綺麗だし美しいが、それを見て残念だと思う自分に内心首を傾げるとともに、俺の竜体を見て気絶したことも思い出してしまい、微妙に苛立つ。
アルからなぜ彼女が気絶したのか、聞いていた。聞いてはいたし、ついそれを本人に聞いてしまったのだが。
「あの時は申し訳ありませんでした。先ほども言いましたし兄からも聞いていると思いますが、あれはたくさんの牙に驚いたのと、いろいろな出来事が重なり私の許容範囲を超えたからであって、殿下が怖かったわけではありません。私がいた世界にはドラゴンの伝説や神話がありますが実際にいるわけではありませんし、その姿や存在は絵や小説――物語などの創作物でしか知る術がないのです。確かに食べられるとは思いましたが、それだけですよ?」
少し低めではあるが、柔らかく穏やかな、耳に心地のいい声で話すミカ嬢のその言葉に息を呑む。知ってはいたが、気絶したのは本当にそんな理由だと思っていなかった。
貴族女性は俺の竜体を見て、いとも簡単に怯え、気絶するというのに。
「それに、殿下の髪と同じような綺麗な色をしていましたよね。全体を見られなかったのは残念ですが……」
友人であり、彼女の兄のアルとは違い、無表情といえるほど表情が動かない彼女がドラゴンのことを語っていた時だけ瞳がキラキラと輝いていて、声が本当に残念そうに告げて溜息をついた。
女性からそんなことを言われたのは初めてのことだ。
魔法のことで質問がないかと問えば、純粋にその種類を聞いてくる。俺やギル、ベンがどんな魔法を使えるか聞いてすらこなかったのだ……他の貴族女性は聞いて来るというのに。
だから魔法やこの世界の勉強をまだしていないと聞いて、「もし、教師がいないならば、俺が教えようか」と言いそうになった。咄嗟に誤魔化したが。
そしてミカ嬢が退出したあと、なんだか寂しく感じてしまったのだ。
――どうしてしまったのだ、俺は。
スパルトイにエスコートされながら、まだ足が痛いのだろう……足を引き摺るようにゆっくりと歩く彼女の後ろ姿が儚く見え、それと同時にそんなことを思う自分に妙にイラついて、溜息を溢す。
「なんだ、急に溜息をついて」
「いや……なんでもない。それで、話とはなんだ?」
そう切り出した俺に、そのうちアイゼンかアルと一緒にミカ嬢を時々登城させると言われた。
「なぜだ?」
「この世界の令嬢と違い、ああ見えて実花は僕たちを手伝えるからな。まあ、登城はしばらく先の話だが」
「アイゼンは承知のうえか?」
「当然だろう? 手伝ってくれと言い出したのは当主だから、モーントシュタイン家の決定事項だと思ってくれて構わない」
当面はモーントシュタイン家の領地経営を手伝ってもらうつもりだと言うアルに驚いた。女性にそこまでのことがわかるのかと。
「あとは、ベンに釘を刺しておく必要があると思ってな」
「なに?」
「なんでしょう」
「お前、あの令嬢の兄なんだってな。優秀だからと子のいない本家に養子に出されたんだって?」
「な……っ」
アルの冷やかな言葉に、ベンは言葉を詰まらせる。
「くだらない復讐などしないよう、先に言っておく。これを見てもあの令嬢の言葉や生みの親の話を信じると言うのなら、グラナートの側近として、お前を殿下の側付きから外すよう陛下に進言する」
そうして懐から俺も見たあの魔道具を取りだし、その内容をベンに見せた。ギルは茶会に招かれていてその時の状況を知っているし、話が聞きたいと呼ばれてアイゼンたちのやり取りを見て知っているせいか、冷めた目で映像とベンを見ている。
映像を見終わったベンは、顔を青ざめさせ、微かに体を震わせていた。
「そんな……っ」
「彼の令嬢と伯爵家は我が侯爵家に対しても、王家に対しても偽証し侮辱したことになるし、我が家にも王家にもいまだに謝罪すらない。父が妹のために作った食事に毒を入れた罪も不敬罪もあるからな? 復讐しようとしてみろ……ただで済むと思うなよ」
「……っ」
ギルの冷たい態度とアルの怒りのこもった言葉に、ベンはとうとう黙り込んでしまった。いくら元家族といえど、今は養子となり侯爵家の嫡子となったのだ。
そんな愚かなことはしないだろうし、すれば侯爵家に迷惑がかかるうえ、ベン自身もただでは済まないだろう。
それがわかっているのだろう……ベンは握り拳を作り、悔しそうな、悲しそうな顔をして目を伏せた。
「あと、蜘蛛殿がギルに話があるらしい」
「……は?」
《なに、たいしたことではない。儂も釘を差しておこうと思っての。ミカやミカの魔法を利用して儂や護衛のスパルトイを使おうと思なよ? それはそこにいる
「……っ」
先ほどよりも濃厚な殺気を向けられ、ギルも俺も身体が動かなくなる。いや、動けば確実に殺られる――そう思わせるほど濃く、研ぎ澄まされた殺気に冷や汗を掻く。
《ミカ自身が約束したから儂らは何も言いはせんが、それを逆手に取って誘導し、それ以上のことをさせようと言質を取れると思うなよ? 誘導し始めた瞬間、お主らの首が飛ぶと思え》
「おいおい……実花はどんな約束をしたんだか……。まあ、そこは僕としてもモーントシュタイン家としても、全力で同意するよ」
「あ、ああ」
「わ、わかった」
殺気を解いた
***
そこまで思い出してまた冷や汗を掻き、溜息をつく。
ここ何百年もなかった案件で、今日一日だけで相当疲れてしまった。
「どうなるんだろうな……」
あの髪飾りは、と口に乗せずに思う。
城に帰って来てから宝物庫を調べれば、やはり誰も侵入していないことと鍵や罠がそのままだったことが判明した。つまり、あの髪飾りは自らの意思で箱から飛び出し、ミカ嬢にくっついて溶け込んだことになる。
そしてそこで
『この髪飾りはね、身につける人を自ら選ぶのよ。その存在を感じると、勝手に飛んで行くの』
という、曾祖母の言葉も思い出したのだが。
いずれは戻ってくるのだからと一旦そのことを横に置き、そのまま眠りについた。
――この時はまさか、あんなことが起ころうなどと思いもしなかった。
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