第15話 過去


 ふと、彼にとってそこはどこか懐かしいところであることが分かった。というのも、その街は嘗てユゴージンが生まれた家があったからだった。彼は二人を連れて、忍び足で、自分の家へ向かった。彼の家は大きな屋敷だった。高い鉄格子で家は囲まれ、鉄格子の隙間からは、薔薇の花がたくさんある庭があった。ユゴージンは家をこっそりと覗き、誰かいないかと目を凝らした。しかし、その家にはもう誰もいないようだった。薔薇の花もよく見ると枯れていた。

 ユゴージンは誰もいない、嘗ての自分の家の中に、自然と足が動いていた。ユゴージンは、屋敷の鍵を開けてから中に入った。

懐かしい匂いがした。


 微かな薔薇の香り、玄関口からすぐ目の前に見える大きな階段。

 彼はその階段から降りてくる父を空想した。その姿は、昔のままで、厳格で、彼に対しては厳しかった。そして、また彼には二人の弟と一人の妹がいた。彼等のことも空想し、彼はしばらくの間、屋敷の中の階段の前で立ち尽くしていた……。

 ふと、自分を取り戻し、ユゴージンは首を横に振った。ハンスとレイナをかつての自分の部屋まで運び、横に寝かせて、最低限の治療を施した。

 

 彼はそれが終わると再び家の中を、散策し始めた。家の中には、幾つかの家具が残っており、また人がいた痕跡はあったが、それはもう相当、前のものだと思われた。彼は食卓のあった部屋に入り、床に落ちていた銀皿を手に取って、そのまま、ぽつんと残っていた椅子に座った。


 彼はよくここで父親に、【ロクデナシ】と言われては、叱られたことを思い出した。そして、弟達にも忌み嫌われていたことも思い出した。ユゴージンにとって、家は居心地の悪いところだった。しかし、ただひとつ彼が大切にしていたものがあった。それは妹だった。妹はユゴージンを尊敬し、褒めてくれ、愛してくれていた。またユゴージン自身も、妹を大変に可愛がっていた。妹の存在は、彼の昔の記憶の中で、特に鮮明であった。

 妹は何をやっているだろうか。無事に生きているのだろうか。幸せになっているのだろうか。


「なにやってるの?黄昏ちゃって」


 すると、誰かの声がした。その声と共に、ユゴージンは我に返り、


「誰だ?」


 と、力強い声で問いかけた。


「私よ、レイナ。他に誰がいるっていうのよ?」


 レイナは怪訝そうに尋ねた。


「なんだ。おまえか……もう大丈夫か?確かにそうだな」


「ええ。ていうか、なによそれ」


「え?何が?」


「なんていうか……私以外の人を期待してたみたいな感じだったわよ。あんた」


「そうかい」


「なによもう」


「そんなことよりもハンスは?」


「まだ寝てるわ」


「呑気なもんだアイツは。友達に裏切られて……これから大丈夫なのか?」


「あら、珍しいわね。あんたがハンスを心配するなんて。いつもはニヤニヤして何か企んでいるっていうのに」


「そうかもしれねぇな」


「……」


 先ほどからユゴージンの毒も生気のない受け答えにレイナは異変を感じた。しかし、レイナは詮索することなく、もとの部屋へ戻った。


「じゃあ、私、ハンスのところに戻るわ」


「ああ」


 レイナが静かに去った後も、ユゴージンは目を瞑って昔を空想していた。




           ☆☆☆




ユゴージンが十歳の頃


「お前みたいなロクデナシは出ていけ!」


 父親の台詞で覚えているのはこの台詞くらいだった。

 ユゴージンは、裕福な家の生まれだった。父親は厳格な法律家で、母は家柄のいい家出身だった。ユゴージンはその家の長男だった。弟は二人いて、妹は一人いた。弟達が幼い頃、ユゴージンはよく彼等の面倒を見てやっていた。しかし彼らが成長するにつれて、弟達からはデキの悪い兄として見られていくようになった。弟達は、父親と同じように二人とも法律家を目指し、勉強していた。

 ユゴージンは騎士になりたかった。気高く、貴い、勇敢な騎士を目指していた。そのためか、父親からは反対され続けてきた。「騎士なんて、今の時代、食っていけない。ちゃんと勉強して、私達も安心させなさい」と口を酸っぱくして言われた。ユゴージンは勉強が全然できない子供だった。神学、法学、医学も、全ての学問において成績はいつも下から数えられる程だった。そんなロクデナシのユゴージンは唯一、剣術において自信があった。実際、剣術において彼に勝る者はいなかった。しかし、当時騎士は貴族の間でもう必要ないとされ、勉強のできなかったユゴージンはただ馬鹿にされた。

 

 そんな家庭からも、学校からも避けられていたユゴージンは妹にだけからは好かれていた。妹はユゴージンの剣術を見ると、嬉しがり、カッコいいと褒めてくれることもよくあった。ユゴージンもそれが嬉しくて、妹によく騎士の話もした。騎士というのは勇敢で、市民を守る役割なのであると、そして、自らが危険に陥っても、命をかけて、忠誠を誓った国と守るべき市民を守る存在なのだ、と熱く語ったりもした。妹はそんな兄を尊敬していたし、それを気に食わなかった両親も、可愛がっていた妹だったのでそれについてきつく言われることもなかった。また妹が欲しいものがあると、ユゴージンは怒られることを承知で親に頼むこともあったし、自分で調達してくることもあった。

 しかし、そんな平穏な日々でさえも続かなかった。ある日、父親に呼び出され、ユゴージンは父親の部屋へ行った。部屋に入った瞬間、ユゴージンは父親に父親が持っていたステッキで殴られた。何が起きたのか、と思い、理由を聞いた。


「なんですか!?いきなりお父様」


「しらばくれても無駄だ!お前が私の金庫から金貨百枚を盗ったことをな!」


 ユゴージンは身に覚えがなかった。


「なんですか?私じゃありませんよ!泥棒でも入ったのですか?」


「お前じゃないのか?この泥棒め!今朝、使用人に聞いたが、怪しいものは誰一人この屋敷には入っていない。つまり、犯人はお前しかいないということだ」


「私はそんなことしません。」


「じゃあ他に誰がいるというのだ!金庫の鍵は家の者以外、誰も知らないはずだ」


「ほんとうに私じゃありませんって!」

 父親はさっきよりも乱暴にユゴージンを殴った。ユゴージンは頭がフラフラしながらも、釈明しようと声を荒げて言った。


「私以外にもいるでしょう!弟達です!彼等には聞いたのですか!?」


 父親はユゴージンの顔を殴った。そして激怒して言った。


「そんなわけないだろ!弟達がそんな悪事をすると思うのか?お前のようなデキ損ないとは違う!さぁ!いまだったら許してやる!今すぐに金貨を返しなさい!」


 ユゴージンは少し黙ってから、涙目で言った。


「誇り高き、騎士はそんなことはしません!誓って言います!私を信じてください」


 父親はすぐには答えなかった。少しだけ沈黙し、ユゴージンの目を見た。彼の潤んで、まっすぐな瞳を見て父親は少し、落ち着いてから言った。


「一度、弟達にも聞いてみる。もう出て良いぞ」


「はい」


 ユゴージンは部屋を出た。部屋を出てから、庭で散歩することにした。腫れた顔を誰にも見られたくなかったからだ。ユゴージンは家の薔薇園をぼっーと歩いていた。腫れた顔が痛む。顔を手に当ててただ薔薇を見ていた。薔薇は真っ赤に咲いており、ユゴージンは花びらを撫でた。


「あっ!おにいちゃん!」


 すると、妹がやって来るのが分かった。ユゴージンは腫れた顔に手を当てたまま、薔薇を見続け、妹の方を向かなかった。


「おにいちゃん!さがしたんだよー。きょうもけんじゅつみせてよ!」


「おお。マーシャ。いい子にしてたか?ちょっと今日は剣術を見せられそうにないよ。ごめんな」


「えーなんでー??」


「いまはそんな気分じゃないんだ」


「あっ!おにいちゃんかおがはれてるよ!」


 そう言って妹は顔の腫れに気が付き、ユゴージンの手を引っ張って顔がこっちへ向くようにした。ユゴージンは思わず、急だったので、妹の力のままに妹の前に弱弱しい顔を露わにしてしまった。ユゴージンは妹が何か言う前に何かを言わなくてはいけないと思った。


「はは、おにいちゃんお父様に怒られちゃったよ……ダメなお兄ちゃんでごめんな……」


 ユゴージンは気を落としながら言った。妹はそれを見て顔を見合わせてから何か納得したように、言った。


「そんなことないよ!おにいちゃん、かっこいいよ!」


 ユゴージンは妹の純粋な瞳に、その言葉は嘘ではないと確信した。確信したと同時に、涙を出していることが分かった。涙を出している兄を見て、妹は心配したように、


「おにいちゃん?いたいの?いたいのいたいのとんでいけー!」

彼の頬を小さな手で覆ってから、それを横に動かしてからそう言った。ユゴージンはその後に、妹の手を取って、それから抱きしめて言った。


「おにいちゃんはお前が大好きだぞ」


「わたしもー!わたしもだいすき!」


 妹も兄の突然の抱擁に驚くことなく、応えた。すると、後ろから、誰かが急いてやって来るのが分かった。ユゴージンは振り向くとそこには父がいた。


「あ、お父様。先ほどの件はどうなりましたか?私はいま妹と楽しいお話をしていたところなのですが」


 ユゴージンはそう話していると、途中で父親はユゴージンの顔をステッキで殴った。


「この大嘘つきめ!妹に触れるな!」


 ユゴージンは理解できなかった。妹も何が起きているのかわからず、また怒った父親を見て、怖がっていた。


「お前は、あのさっきの涙の訴えは嘘だったのだな!大した役者だよ!全く。この嘘つきが!私にはもう手に負えない!」


「お父様、何事ですか!?先ほどのことは私じゃないと言ったはずです!」

すると、父親は意外なことを言った。


「お前の部屋から金貨八十枚が出てきた。弟たちが報告してくれたよ。どういうことなのかもう聞かなくても分かるよな?犯人はやっぱりお前だったんだ。この親不孝者め!」


 ユゴージンは顔が真っ青になった。その父親の台詞ですべてを悟った。自分は本当にやっていない。これは誰かが自分に犯行を擦り付けたのだ。百枚の金貨を盗んでおいて、自分に擦り付ければ、無くなった分の二十枚の金貨は追及されない。それにこれができるのは……。

 

 ユゴージンはすでに犯人の目星をつけていた。しかし、それはとても悲しいことであり、信じたくなかったことだった。犯人は恐らく弟達であった。それも弟たち全員が供託してやっていたのだ。二十という数字が何より、彼の推測を確信付けた。


「お父様!これは弟たちの仕業です!私の話を聞いてください!仮に弟たち二人が供託してお父様の金貨を」


「だまれこのロクデナシ!!!」


 ユゴージンはバラの木へ突き飛ばされた。バラの棘がユゴージンの皮膚を傷めつけた。それを見ていた妹は、お互いに手を取り合って、怖がりながらも見ていた。ユゴージンはそれが辛かった。せめて妹の前では立派な兄として振る舞いたかったからだ。


「お前は金輪際、家に帰って来るな!」


「お父様!私は!」


「うるさい!だまれ!!」


 ユゴージンはそのまま体を掴まれた。妹はそれを見て、父親を止めようとした。


「おとうさま!おにいちゃんはなにかしたのですか?おにいちゃんをゆるしてあげて!」


 ユゴージンはそれを聞いて、涙が出た。妹が自分のことを心配していたからだ。ユゴージンは幼い頃から、人に褒められずに、心配もされてこなかった。そんな彼が自分よりも年下の妹に心配され、恥ずかしいと思う反面、とても嬉しかったのだった。

 父親は妹たちの顔を見ないで、毅然として言い払った。


「もうこいつはおにいちゃんではない。もう赤の他人だ」


 ユゴージンは妹の顔をみることはなく、父親は彼を家の門の前まで連れていった。それが妹と話した最後の日だった。


 父親は、ユゴージンを門の外へ放り出し、こう言い放った。


「お前みたいなロクデナシは出ていけ!」





 ユゴージンはその後、何度も家の屋敷の前で過ごした。何度も何度も父親にわかってもらおうとした。しかし、そんな彼の決心は空腹とともに次第に、叶うことはなかった。ユゴージンはもう何日も物を食べていなかった。彼は子供のころから、裕福だったので食べ物には困ったことはなかった。だから、空腹というものがこんな辛いものであると知らなかった。


「何か誰かに恵んでもらおう……」


 彼は何処へ行こうかと考えた。しかし、学校でも避けられていた彼に行くところなどなかった。ユゴージンはダメもとで学校の知り合いの元へ行った。しかし、行っても門前払いで、誰にも相手にされなかった。ユゴージンは急に泣きたくなった。自分はこれから何をして、何処へいけばいのか。さっぱり見当もつかない。それにこれからは妹にも会えないかと思うと、更に悲しくなった。


 そんな悲しさも、限界に近づいた空腹によって、消え去りかけていた。何も食べすに、何週間かが経ち、とにかく今はなにか食べ物を、と思い、彼は考えを巡らせた。

 お金はない。それに友達もいない。どうすれば食べ物にありつけるか。働いて、食べ物を恵んでもらおう。

 彼はあらゆる酒場でその旨を伝えた。しかし、どこも雇ってくれることろはなく、食べものも恵んでくれなかった。そんな絶望的な彼にはある考えが浮かんでいた。《盗み》である。彼はしかし絶対に盗みはしないと誓っていた。


「俺は勇敢で、貴い騎士になるんだ……!お父様もいつかそれを分かってくれるはずだ……」


 彼はすでに空腹で、動くのも辛いほどだった。ふと、彼の歩いている近くで、八百屋があった。そこで艶があり、真っ赤なリンゴが目に入った。その味を想像してから、彼の口の中は唾が出てきた。彼に再び、盗みが思い浮かんだ。

ここでやってしまったら、もう騎士にはなれない……犯罪者として俺は生きていかなくてはいけない……。そんなのはごめんだ。


「あ!泥棒だ!」


 そう声が聞こえた。彼は、ちょうどそんなことを考えていただけに、その泥棒を愚かだと思った。


 しかし、彼は異変に気が付いた。


「ん?」


 息が苦しい——彼はふと自分が走っていることに気が付いた。盗むことを断念した。

 と、そう彼の頭の中では確かにそう思っていた。彼は知らず知らずに、そのリンゴの方に向かっていた。彼は盗みをしてしまったのだった。


「まぁて——!この泥棒が!!」


 彼は追いかけられていたが、必死に逃げた。もうここまでくると思考はこのリンゴは死んでも離さないというものに変わっていた。小さな路地を駆使して、逃げ回った。


 彼は無事に逃げ切った。彼は罪悪感が生まれた。しかしその罪悪感を上回るほどに空腹があり、すぐにそのリンゴを齧った。


「こんなに、うまかったんだな……」


 そう呟きながら、黙々とリンゴを泣きながら齧った。


「お前。行くあてがないのか?」


「え?」


 そんな時、人影がユゴージンの体を包んだ。彼はゆっくりと顔を上げた……。

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アウトサイダーズ ふくらはぎ @hukurahagi

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