第5話 軋轢

 ハンスは約束通り、女囚人と会うことにした。当日、約束した場所へ行くと、本当に彼女はいた。


「待ってたわ。来ないと思ってた」


「俺だって迷ったさ。でも今はこれしかない。お前を信用するしか道がないんだ」


「……そう。ナンバー9がてっきりあなたを止めにかかったのかと思っていたけど……」


「ナンバー9を知っているのか?」


「それはもう知ってるわ。だって彼、この監獄じゃ有名人よ」


「古株ってことか?」


「それだけじゃないわ」


「どういうことだ?」


「彼はかつて悪党で名が通っていたのよ。彼ほど悪い人間はいないと思うわ。外の世界にいた頃の彼の悪い噂がたくさんあるの知らない?」


「え?」


「あら……知らなかったみたいね……でも今日教えてあげたお蔭で、あなたはもう無事でいれるはずだわ。これから彼とは関わらなければいいのだから」


 ハンスは戸惑った。ナンバー9にそんな悪い噂がたっていたのか、と。もっともらしいことを穏かな口調で言う彼が……。

 ほぼ一年間という期間、共に過ごして来たというのにハンスはナンバー9について何も知らなかったのだった。


「それは本当なのか?」


「ええ。そのうち他の囚人にも聞くといいわ。で、本題なのだけど……いい?」


「……あ、ああ。そうだな」


「あなた脱獄する計画は何もないの?」


「あるといえばあるが……仲間が必要だったんだ」


「じゃあ、私タイミング良かったみたいね。どんな?」


「あの東の塔……」


「塔?」


「そうだ。塔の中には本当に看守達がいるのだろうか?それを確認したいと思っている」


「へぇ~。塔の中には、もしかして誰もいないってこと?その場合、確かに脱獄できるかもね……。いいじゃない。じゃあ、まずはその確認からしましょう」


「ああ」


「そろそろ労働時間ね……。また明日、日程を決めるわよ。これからここで計画を練ることにしましょう。これは誰にも他言無用よ?いい?」


「ああ。了解した」


 ハンスはそれから労働後、自分の監房へ戻った。

 ハンスは女囚人と話したことが気になっていた。ナンバー9の悪い噂というものがハンスの頭を離れなかった。その日の晩、ナンバー9と話すことはなかった。

 それからハンスは毎日のように、女囚人と同じの場所、同じ時間に計画を練っていき、とうとう、塔の中の看守を確認する日程と計画が決まった。そしてナンバー9と会話することはなくなっていた。計画は、檻の外を出てはいけない深夜、女囚人が周りに看守がいないか見張る役で、ハンスは、塔から照っている光が灯るところへ石ころを投げ、物音を立てるという役割だった。そしてこの物音を聞いて、何も反応がないのなら看守は塔には存在しないということがわかる。

 そのハンス達の様子を見たナンバー9はハンスが何かしていることがわかったが、何も言うことはなかった。何故ならば、彼はハンスが女囚人と関わるようになってから何度かハンスに忠告したのだが、ハンスは聞く耳を持たず、無視されていたからだった。



 ある日、休憩所でハンスとナンバー44が作戦を立てるために、相席をしていると、そこにナンバー9がやって来たことがあった。


「やぁ、最近、君たちは仲がいいね。何か企んでいるんだろう?」


「何よあんた。私達の作戦の邪魔しようたってそうはいかないわよ。どうせ、ナンバー84を説得しに来たんでしょ?直接、そう言いなさいよ。まわりくどいわね」


「これはまた辛辣だね」


「ええ。だって、あなたと関わりたくないもの。ねぇ、ナンバー84。あなたもそう思うでしょ?」


「俺は……」


「まぁ、何か、君が彼に吹き込んだんだろう?僕が危険であるとかそんな感じだろう。ナンバー44のお嬢ちゃん」


「うるさいわよ!この人殺し!」


「ひ、人殺し?」


 ナンバー9は黙って、どこでもないところに目線を遣っていた。ハンスはナンバー44の顔を見て、分からない顔をした。


「まだ知らないの?ナンバー9が外にいた時のこと。いい機会だから話してあげるわ。それとも自分の口から話す?ナンバー9」


「……」


 彼は終始黙っていた。何も言うことはなく、今度は地面をただ見ていた。


「いいわ。私から話すわ。彼は昔、連続殺人犯として名が通っていたのよ。」


「え?ナンバー9が?」


「たくさん人を殺しておいて、今ものうのうと生きている。それがこいつの正体よ。つまり、殺人罪でここに来たのよ」


「本当なのか?う、嘘だよな?」


 ナンバー9はずっと見ていた地面から目を離し、顎髭を触ることもなく、ハンスの顔を見て言った。


「たしかに、そんな時代もあったよ……」


「う、嘘だろ?」


 ハンスはナンバー9を疑った。ハンスの表情を見て、ナンバー9は溜息をついてから釈明しようとした。


「嘘じゃないよ。本当さ。でも——」


「見損なったよ」


 ハンスは俯きながら、顔を見ることもなく、ナンバー9に言った。


「ナンバー84。話を最後まで聞いてくれないか」


「ダメよ。こいつの口車に乗っては。口も達者なんだから。だから、こうやって今でも生き延びているのでしょ?」


「ナンバー84。聞いてくれ。確かに僕は昔、たくさんの人を殺した過去は消えない。でも僕は」


「もういい。もう……話しかけないでくれ」


「行きましょうナンバー84」


「ああ」


「待ってくれ!」


 ナンバー9は珍しく、大きな声を出して言った。しかし、二人はその声に反応することもなく、彼から離れていってしまった。ナンバー9は俯いて、溜息をついた。

 しばらくの間、ぼーっとし、その場に立ち尽くしていた。彼は、自分のやって来たことを後悔していた。彼が時々、虚ろな表情をするのは彼の過去からの後悔によるものだった。

彼は監獄に来る前、確かに殺人鬼として悪名高い存在だった。彼が初めて人を殺めたのは子供の頃であり、肉親である父親であった。それには理由があった。父親は暴力的な人物で、いつもナンバー9の母親を暴行していた。その光景は小さい頃の彼の心を大きく変えてしまった。ある日、彼はその光景を見ることが耐えきれなくなり、父親をナイフで刺して、殺した。それは母親のためにやったことだった。しかし、母親は彼を狂気の眼差しで見た。そして、彼は「殺人鬼」と言われた。

 彼はそれから、無心で母親も殺害した。彼の心は空になり、彼はただ血を浴びた。彼が正気に戻ったのは、もう両親二人が動かなくなった後だった。その時、ふと我に返って彼は発狂した。発狂しているとき、昔の両親の仲の良かった姿を思い出し、また自分を可愛がってくれていたことを思い出した。しばらくして自分がやってしまったことに気が付いて、彼はとんでもなく後悔した。

 それから彼は行く当てもなく、幾年の時を重ねた。気が付くと彼は、街で有名な殺人鬼になっていた。人から依頼され人を殺すことを仕事にして、生活するようになっていったのだった……。彼は特段、人を殺すことがしたいのではなく、それが得意になっていったのだった。

 しかし、ある貴族の令嬢の殺人の依頼が彼を変えた。彼は殺すためにその令嬢に近づき、交流をもった。彼女は凡そ十五歳程であり、彼にとっては簡単に殺すことができたはずだった。彼女を殺す当日、予定通り彼女のもとへ行った。すると彼女は、待っていたように佇んでいた。彼は不意を突かれて驚いた。しかし、無言で殺す準備をした。ナンバー9はナイフを彼女に向けて、そのまま刃先を腹部へ持っていった。彼女は微動だにもせずにいた。

 ナンバー9は彼女の顔を見た。彼女の顔は蒼白になり、口からは綺麗な赤い血が顎へ流れていた。それを見て彼は急に、両親を殺めた時を思い出した。そして自分が殺人の依頼を受け続け、いままで殺して来た人々の死に顔を思い出した。しかし、彼は一つもその顔を思い出せることはなかった。彼はもう一度、彼女の顔を見た。彼女は何故か、ナンバー9のことを精一杯、見続けていた。その姿を見て、彼は急に自分のいままでやってきたことが恐ろしいことだと感じた。そして彼女は、最期の力を振り絞って言った。その言葉が彼の頭の中を今でもぐるぐると回っていたのだった。


「あなたは哀しい顔つきをしていますね……」


 その言葉聞いて、彼女を見ると、彼女はもう息をしていなかったのだった。

それから、彼は人を殺すことができなくなった。人が変わったように、人に対して優しくなった。彼はもう殺人をやめて、誰かの役に立てるような仕事をして、普通に暮らそうと思っていた。しかし、そう決心した後、すぐに彼は捕まってしまったのだった。


 ナンバー9はハンスと女囚人の二人が去った後、過去の記憶を思い出していた。彼は顎髭を触って、しばらくの間、佇立していた。その姿に殺人鬼の面影はなかった。





 一方でハンスと女囚人は、相変わらず作戦を立てていた。そして、ハンスと女囚人の脱獄計画の第一歩、塔の中の看守を確認する作戦決行の日が、やって来た。

 労働が終わり、いつものように夜がやって来た後、彼等は約束通りの時間と指定の場所に集まった。ハンスと女囚人は合流し、女囚人はハンスに言った。


「ほんとうに来たのね」


「お前もな」


「これ二回目ね」


 彼女は珍しく笑っていた。ハンスはそれにつられて笑って言った。


「そうだな」


「それで作戦のことなんだけど。確認よ。まず、監房部屋から出るために、看守を越える。今日の看守は居眠りをよくすることを確認済みよ。その間に行きましょう。広場へ繋がる通路は今日は看守がいないことが確認済み。そして広場へ出るための門はあなたがこの一年間で用意してたピッキング用の道具を使って開けるわ。その後は……って」


 女囚人は顔色の悪いハンスを見て、作戦の話を止めて言った。


「あなた顔色が悪いわよ。緊張しているの?」


「いや……それもあるが……俺はずっとナンバー9のことが気になっているんだ」


「ナンバー9のこと?」


「ああ……俺はあいつが人殺しだったなんてどうも信じられないんだ……いや、信じたくないんだ……」


 女囚人はそれを聞いて、一旦、ハンスの顔を見てから言った。


「ここは監獄よ。私……私だって、たくさんの人を騙してきたのよ。たくさん騙して逃げて……。ここの監獄では【誰も信じてはいけない】って暗黙の了解があるでしょ?それにあなただって何かして来たからここにいるんでしょう?」


「俺は……何もしてない!」


「え?」


「俺は本当に何もしていないんだ……」


「でも確かにあなたはちょっと人が良過ぎると思っていたわ」


「え?信じてくれるのか?」


「ええ。私びっくりしたわよ。こんなところにあなたみたいな人がいるなんて。ここにいる人はだいたい悪人よ。何かを抱えて生きてきた人が多いの。私だってそう」


「ずっと前から心配していたんだが、俺のことも騙そうと思って近づいたのか?それこそ暗黙の了解があるだろ?」


 ハンスが真剣に尋ねると、女囚人は笑って言い返した。


「あはは!そんな質問にイエスって答える人いる訳ないじゃないの!やっぱりあなた、おかしいくらいにお人よしよ!でも一応答えておくわ。ノーよ。私は本気でここから出たいの」


「そう言えば、どうしてここから出たいんだ?まだ聞いてなかったよな?」


「ええそうね。私は会いたい人が……いるのよ」


「そうなのか。そのために?」


「ええ。どうしても会いたいの。その人に感謝の言葉を言いたいの」


 女囚人は笑いながら言った。ハンスは黙って、その表情を見た。その表情を見て、ハンスは安心感を抱いた。というもの、感覚的にだが、彼女は本気でそう言っているものだと感じたからだった。ハンスは、静かに言った。


「何としても成功させよう」


「ええ」


 ハンスと女囚人は計画通り、監房部屋を抜けてから、見張りの看守にばれないように、広場への門へ行き開いた後、広場へ出た。塔の付近までたどり着いてから、女囚人は周りの様子を見た。そして人の気配がないことを確認してから、ハンスに計画実行のサインを出した。ハンスは石ころを、塔の下へ物音がなるように投げた。しかし、塔から明かりは灯ったままで、ただ石ころを照らしていただけだった。ハンスは、その様子を見て、喜んだ。塔に人がいないことが確認され、これで脱獄への道が開けたからである。ハンスは、無事計画が成功したことを報告しようと、後ろを振り向き、女囚人の方へ撤退のサインを出した。女囚人は監視がいないことを確認し、ハンスにサインを出した後、ハンスは女囚人が監視していた場所まで行き、彼女と合流した。

 二人は急いで、自分の牢屋へ戻ろうとした。息が切れながら、走った。その時、一斉に、周りに明かりが照りだした。ハンスはその眩しさに、目を閉じた。そして、また目を開いた瞬間、彼は絶望した。目の前には、看守たちが彼を取り囲んでいたのだ。


「とまれ!お前達ここで何をしている!」


「……」

 二人は何も言えなかった。そして後悔した。

 女囚人はハンスの顔を一瞬、申し訳なさそうな顔をして見遣り、言った。


「私はナンバー84にここまで無理矢理連れてこられたの……」


「え?」


 ハンスは女囚人の顔を見た。しかし、ハンスと目を合わせることはなく、女囚人は被害者であることを看守に訴えているような目をしていた。

 ハンスはさっき、女囚人と話したことを思い出した。そして彼女が「会いたい人がいる」と言っていたことを思い出した。ハンスは、一度目を閉じて、看守に言った。


「そうだ。俺がこの女を連れだした。こいつが抵抗していたが俺が無理矢理にな!」


「え?」


 女囚人はハンスの言ったことにびっくりしていた。自分はハンスを売って助かろうとしたのに、ハンスは女囚人を守ろうとしたのだった。女囚人は予想外なことに閉口していた。


「ナンバー84!お前は来い!お前からは話を聞くことにする」


 そうしてハンスはあるところへ連行された。対して、女囚人は最後までハンスを見ていたが、ハンスは目線を合わせることもなかった。女囚人は他の看守と共に自分の監房に戻らされた。ハンスが連れていかれたところは拷問部屋だった。ハンスは両腕を挙げた状態で、縄で縛られ、身動きが取れない状況になった。そして、その夜中、ずっと看守による苛酷な拷問が続いた。

 

その日から、しばらくハンスの姿を見たものはいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る