第2話 犬猿の仲
ハンスが投獄されてからもうすぐ一年が経とうとしていた。ハンスはこの牢獄の中の生活にも慣れてきた。過度な労働、不味い飯、様々なものが彼の以前のものとは違っていた。しかし、彼の熱情だけは、変わらずにいた。その熱情とは、脱獄することだ。ハンスは監獄に来てから約一年もの間、ずっと脱獄のことを考え、作戦と準備を整えていた。だが、その脱獄も実行に移すチャンスを見出せず、常に焦燥を感じていたのだった。
その日は、持ち物検査が行われる日だった。在監者が、何か危険物は持っていないかと、こぞって調べるのである。この持ち物検査は、月に一回、一斉に行われる。だから、牢獄に閉じ込められている在監者たちが全員、集められるのである。ハンスもまた丸腰のまま、外に出された。牢獄から外に出して、その間に各々の牢獄に異変はないか、調べるのである。
すべての在監者は、外に整列させられた。そして至る所に看守たちが監視している。検査する場所には在監者達の体を調べる看守が二人いた。ハンスは脱獄のチャンスは何処かにあるだろうかと探った。しかし、周りは、厳重な看守たち、対して自分は丸腰。何処かに脱出経路となるような、場所はないだろうか……。
脱獄するためには、この跳ね橋を通って、外まで行かなければならない。それ以外の脱獄方法はないだろう。何故ならば、広場の周囲には鉄線が張り巡らされ、堀が要塞を囲み、また高い塀で覆われているからだった。しかし、跳ね橋が、下がっていることはほぼなかった。
脱獄するなら、やはり跳ね橋を通らなくてはいけない。しかし、どのようにその跳ね橋を下げ、看守に気付かれないように外へ逃げればいいのかが分からない。ハンスは、建物の作りを再確認するように観察した。
そして、ハンスの持ち物検査の順番がやってきた。
「おい、お前、何か持っていやしないだろうな?たしか、ここに来た時、えらく生きの良いことを言っていたよな?それに以前、脱獄計画を立てていたという噂も聞いたことがある。それにさっきから、周りを観察するように見ていたな?」
「安心しな。俺は出る気がないよ。出られそうなところはどこにもないしな。まったく、しっかりとした監獄だ……」
「ふんっ。生きの良さは変わってないみたいだな」
ハンスは持ち物検査を終えると、ナンバー9が待っていた。
「どうだった?大丈夫だったか?」
「ああ、何も問題ない。でも……」
「でも?」
「抜け出すところがやはり跳ね橋以外に見つからないな。他は完全に壁で塞がれている。塔でだって、俺たちを観察しているし……」
ナンバー9はハンスの言ったことに反応して、ひらめいたようだった。彼は顎髭を触りながら言った。
「観察している……?本当に観察してるか、どうかを確認したことはあるのかい?」
「は?」
「だから、看守は観察してない可能性があると言っているんだよ」
「それってどういう——」
すると、前から唐突に、ハンスとナンバー9に話しかけてくる人物がいた。
「お!これはっこれはっ!」
「ん?」
ハンスはそう言った後に、もう一度、彼を見た。彼は金髪で顔立ちはハッキリとしているのに、肌が不健康に青白く、睫毛は長く、目も丸いが、目の下に隈ができていた。ハンスと同い年くらいの青年で、見た目は美しいが、人格が粗野であった。その粗野さは言葉に現れていると同時に、彼の肌の色や、目の下の隈がそれを反映していた。その言葉遣いの粗さは彼が誰であるかがすぐに分からせるのだった。
「ユゴージン……」
ユゴージンはハンスが嘗て騎士だった頃に捕らえ、この牢獄に投獄した人物だった。彼は投獄される前、盗賊だった。
「俺を捕まえた偽善者野郎は何も検査に引っかからなかったのか!?こりゃ天晴れ天晴れ」
「まぁまぁ、落ち着きな。二人とも生きのいいのだからさ」
ナンバー9はいつもの二人の仲の悪さに苦笑いをして言った。ハンスとユゴージンはこの監獄に来て、顔を合わせた時から犬猿の仲であった。
ユゴージンはナンバー9の落ち着き払った態度に悪態をつくように言った。
「まだ生きてたのかナンバー9。俺はてっきり死んでいるかと思ったぜ?それにしてもお前は生きる気力ってもんがねぇからなぁ。俺が何か言えば、たいていお前は別の見方をして、絶対に俺の意見に賛同しねぇ。そうやっていつまでも、どちらに寄るでもなく、失敗することを恐れてる。無責任で臆病者だもんなぁ!」
ナンバー9は悲しそうな顔をしていたが、その後にそのままの表情で言った。
「相変わらず、小言が多いね君は。落ち着きなよ。僕はただ君にもう一つの可能性を提示しているに過ぎない。僕が賛同しないのは、むやみやたら、頭ごなしに、発言の責任も持たずに、若者を破滅するのを防ぐためなんだ。これは」
「あー!始まったぜ。おめぇの話はつまらねぇ!そんなことは分かってんだよ!いちいち言われなくてもな!お前こそ相変わらず、小言が多いんじゃないのか?」
「小言は年を取った者の特権さ。だからこそ若者は年上の話をよく聞いて欲しいのだけれどね」
「だが、話を聞くかどうかはまずお前が信用できるか、できないか、から出発しねぇといけねぇな。そして俺りゃ、こんな牢獄に入っている奴の話が信用できるとは思っちゃいねぇよ。そういうことだ。だからおめぇの話は聞かねぇ。これは俺の結論さ。それでも聞けっていうのかい?」
「まったく君は甲斐性なしだな。そこまで言うのだったら、仕方がないね。僕は聞かなくちゃいけないなんて、強制的な意味を孕んだ言葉は使わなかったつもりなのだけれど、君からしたら、上から目線に聞こえてしまったのかもね。君はきっと小さい頃から、話を聞いてくれる人もいなければ、僕のような話をしてくれる人もいなかったのだろうね。それはまぁいいとして、話はナンバー84としてたんじゃなかったのかい?」
「ちっ。言われなくても分かってら」
ユゴージンは露骨に嫌な顔をして、顔の向きをハンスの方へ向けた。
「なんだよ?」
「っち。なんでもねぇよ!冷めちまったなぁ!」
ユゴージンは、そのまま何もハンスに言うことなく、どこかへ消えて行った。ハンスはユゴージンの去り際の冷めた目に、嫌悪感を抱いた。その後、囚人たちは、労働の時間だった。
「何だったんだあいつ」
「何を今更。いつものことじゃないか」
二人は各自自分たちの労働場所へと向かった。ナンバー9は去っていったユゴージンを虚ろに眺めていた。彼はそれを見て何か考えているようだった。ハンスとナンバー9はそれぞれ配置場所へ行き、労働をした。
ハンスは荷物を運びながら、また脱走のことを考えていた。そしてかつて自分が騎士であったことを思い出しながら、作業をしていた。
かつて所属していた騎士団長に言われた言葉。
『ハンス。お前を信じているぞ』
それが忘れられない。団長は今、生きているのだろうか。
ハンスは最近、余計に一刻も早く監獄から出たいと思うようになった。ハンスは荷物を運びながら、労働広場まで出ようとした。
「いってぇな」
すると、急に考え事をして労働に上の空だったハンスにわざとらしくぶつかってくる人物がいた。
「あ?なんだよ」
それはユゴージンだった。彼もまた荷物を持ちながら、ハンスを睨むように見て、言った。
「騎士ってのは労働のひとつもできねぇのか?」
「なんだお前喧嘩売ってるのか?」
「邪魔だ。退け」
「お前こそ邪魔だ。退け」
「騎士ってのは剣を振り回すことしかできねぇようだな。へっ!生きる術を知らねぇんだな。騎士ってのもたいしたことねぇな」
ハンスは荷物を地べたに放り出し、ユゴージンの胸倉を掴んだ。その瞬間、ユゴージンはニヤッとした。この監獄では先に手を出した者が原則、罰を受けるのだ。
「おい!貴様!何をしている!」
そう言って、ハンスとユゴージンの下に看守がやって来た。看守がやって来てから、ユゴージンは知らない顔で、首元を整えながら、労働広場へ戻った。看守はハンスの番号を聞いた。
「貴様!何番の囚人だ」
看守はハンスの囚人服の胸元を見始め、番号を確認した。
「84番……貴様、ペナルティだ。貴様には、さらに体罰を課す」
ハンスはユゴージンがぶつかって来た理由がその時分かった。きっと、口論になることを分かっていて、その後にハンスが先に手を出すことを想定していたのだ。
「ちっ」
ハンスは舌打ちをして、ユゴージンを探した。彼は広場でこちらを見ており、彼の表情はニヤッと笑っていた。
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