第3話 焦燥


 ハンスはユゴージンのせいで過酷な体罰を強いられた。


「離せ!この野郎!俺は何もしてない!!話を聞け!!」


「おまえ、しっかりあるけ!この野郎!」


 抵抗するハンスに看守の二人は鞭を打ち付け、ハンスは全身痣だらけになっても抵抗し続けたが、もう歩けなくなるくらいに体を痛めたハンスは看守達に無理やり体罰部屋に連れて行かれていた。乱暴に、ハンスは引きずられながらだった。


「今すぐにでもお前を殺してもいいんだからな!忘れるな!お前はゴミも同然なんだ!お前のようなゴミが生きていられるのも黒騎士様の日々の成果のお蔭だ。今じゃ、黒騎士様はこの国の統一を目指し、邁進しておられる。あとは東の地域さえ押さえてしまえば、もうこの国は黒騎士様の統治下に置かれるんだからな」


「なにっ!?やはりもう……」


 看守達は嘲笑して言った。しかし、ハンスは看守の侮辱よりも黒騎士の話を聞いて驚いていた。ハンスは、そのまま看守に連れていかれて歩いた。


「ここだ。ほらいけ!さっさと国のために働け!」


「黒騎士がもうそこまで国を制圧してるって本当なのか?」


 ハンスは労働のことよりも黒騎士という人物のことを気にかけていた。看守はハンスの無礼な態度に怒り、ハンスを殴った。


「口の利き方には気を付けろ!このゴミ!黒騎士様を呼び捨てにするなど言語道断!この国を救った英雄でおられるのだぞ!」


「英雄……か……」


 ハンスは俯きながら呟いた。ハンスが悲しそうにしていたのには理由があった。というのも、この監獄に投獄されたのはかつて黒騎士を倒そうとしたが、負けたことによってだったからだった。ハンスが脱獄しようとしていたのはこの黒騎士の為政を止めるためだったのだ。

 ハンスはユゴージンに嵌められて受けた体罰の後でさえ、黒騎士のことを考えていた。ハンスは投獄されてからずっと脱獄することを考えていた。看守から黒騎士がこの国を統一しようとしていると言うことを聞いて、なかなか脱獄を実行に移せていなかったことに焦りを感じた。そんなことよりも早く監獄から出ないといけない……。

 ペナルティの後、ハンスはクタクタの体のまま休憩所へ向かった。ハンスはすぐに休憩所で座っていたナンバー9に話しかけた。まず、ハンスはさっき聞いた外の状況について話した。ナンバー9はその話を聞いて、ハンスに言った。


「ついに時は来たってことかい……?」


 ナンバー9はハンスが脱獄への本気度が増し、最近、特に焦り始めていたことに気が付いていた。

 嘗てハンスが投獄された日から、彼は「脱獄」することを豪語していた。ナンバー9はそれについて暗示的に諭すも、ハンスは聞き入れていなかった。一度、ハンスが脱獄を試みたことがあったが、看守達に見つかり、拷問部屋へ連れていかれそうになった時、ナンバー9と看守のオスカーという人物に助けられたことがあった。ハンスは一度捕まり、痛い目を見ているはずであるのに……。

 ナンバー9はもう一度、ハンスの顔を見つめた。その顔には彼の情熱がまだ残っていたのだった。


「その顔だ。まったく。僕があれだけ忠告していたっていうのに。君は自分の情熱に真っ直ぐだ。ついに出るんだね」


「……ああ」


 ハンスは一瞬言葉に詰まっていた。しかし、その後にナンバー9の目を見て、言った。


「お前も……一緒に出ないか?ここにいたっていいことないだろ?それに俺も仲間が欲しい。お前みたいな奴がいると心強いんだ」


 ナンバー9は「やっぱりか」と言わんばかりの顔つきをしてから、顎髭をいじっいた。


「ありがとう。でも僕はここからは出られないんだ。すまないね」


「そうか……それは残念だ。お前がいればもっと……」


「おい!てめぇ!ふざけんなよ!」


 すると、囚人達の声が聞こえて来て、何やら揉めている囚人がいることに気が付いた。


「なんだ?何かあったのか?」


 ハンスは近くにいた囚人に怪訝そうに尋ねた。


「ああ、なんかあのナンバー23の奴が複数人の囚人たちを騙して、裏ルートで入手した黒パンを騙して盗ったらしいぜ。だから、今、ナンバー77と騙された奴らが揉めてるってわけさ」


「へぇ。ナンバー77ってどいつだ?」


「あの金髪のいけすかねぇ目つきしたやつさ」


 ハンスはそう言う囚人の指さす方向を見た。それはユゴージンだった。彼は騙した囚人たちに囲まれているのに、焦った様子も懲りた様子もなく、ただ冷静に手に入れた黒パンの数を数えていた。その姿に騙された囚人たちは激怒し始めた。


「おい、てめぇ!汚ねぇ手口で俺たちを騙しやがって、タダで済むと思うんじゃねぇぞ!」


 そう言ったのは大柄の、筋肉質な体をして、顔つきが如何にも凶暴といった男であるナンバー54だった。喧嘩早く、しかし頭がキレない男であった。ユゴージンは男に何も言わずに、冷めた目をして、彼等を一瞥だけして、どこかへ行こうとした。


「おい!てめぇ!話聞いてんのか!?」


「あ?なんか言ったか?」


 男はユゴージンの肩を掴んで、大男はユゴージンに殴りかかろうとした。ユゴージンは振り向くことなく、その一撃を避した。


「くそったれ!」


 その大男に続いて、他の騙された連中もユゴージンに殴りかかった。しかし、誰も一撃すら与えることはできなかった。ユゴージンは攻撃が当たらなかった囚人達を見下しながら悪態をついた。


「弱い奴が悪い。騙される奴が悪い。違うか?お前らは弱くてバカだ。生きる術を知らねぇ」


 ユゴージンは唾棄するように言った。大男たちは息が切れ始めていた。もうパンを取り返すことはできないと悟ったのか、その場に座り込む者すらもいた。

 ユゴージンは彼等を見もせずに、また歩き始めた。


「あ?」


 しかし、目の前に立ちはだかる者がいた。それはその様子を放っては置けないハンスだった。


「おぉ。これはこれは偽善者様じゃないかい。なんだ?今の光景を見てたのか?どうした?こいつらを助けに来たのか?そりゃご立派なことで!」


 ユゴージンはハンスを挑発した。ハンスはその挑発に乗ることはなく黙って、座り込む囚人達の表情を見た。彼等は悔しそうに下を向いていた。ハンスは同情しなかった。むしろ何故諦めてその場に座り込んでいるのかが不思議でしょうがなかった。ハンスは彼等から目線をユゴージンに変えた。彼は薄ら笑いをしてハンスを見ていた。


「どいつもこいつも……」


「あ?どうしたんだい?偽善者さんよ」


「まず、お前だ。ユゴージン。お前の騙しても悪びれた様子がないことが俺は許せない。そしてお前ら。何でそこに座り込んでいるんだ?何故諦めるんだ?お前ら悔しくないのか?」


「はっは!さっすが、偽善者様だな!こりゃ生きがいいねぇ」


 ユゴージンは高らかに嘲笑した。その後に、真面目な顔になった。


「でもてめぇ。気に入らねぇな。騎士だったかんだか知らねぇが、そこを退け。てめぇのムカつく顔なんざ、見たくねぇんだ」


「断る。パンを返してやれ。返さないなら、力ずくで行くぞ」


「ほう。なんだてめぇ。こいつらの肩を持つのか?立派なもんだな。だが、俺は返さねぇ。これは俺のものだ」


 ユゴージンは嘗てハンスに捕らえられていた。だから、ハンスに対して嫌悪を感じていた。またユゴージンはハンスの「悪いことは認めない」というような正義感が大嫌いで、立腹していた。ハンスとユゴージンは、お互いに構え始めた。武器は何もない。ただ、自分の体のみでの戦いが始まろうとしていた。


「いくぞ!」


 先にハンスが殴りかかろうとした。しかし、ユゴージンは構えを崩し、舌打ちをした。


「ちっ」


「なんだ?」


 ハンスの肩に誰かの手が、力強くのしかかっているのが分かった。振り向くと、そこにいたのは穏やかな顔つきをしたナンバー9だった。


「その辺にしとこうか。君達」


 ナンバー9は仲裁に入ったのだった。


「ちっ、ナンバー9。てめぇ、いつだってそうやって平和主義を気取りやがる。話し合いで解決できると思ってやがる。俺はてめぇの態度が一番気に入らねぇ」


「参ったな。でも僕は喧嘩よりももっといい方法だってきっとあると思うのだよ」


「けっ、そんな甘いこと言ってると、本当に死ぬぜ?今の時代はそんな話を聞いてくれる奴なんて滅多にはいねぇ。そんな中におめぇみたいな奴がいても、決まった話をひっくり返すだけだ」


「それでも、僕はそれをやりたいんだ。尚更、ここは地獄みたいな処だからね。話をしっかり聞いて、そして話してやる。その小さな一歩でもやりたんだよ」


「冷める奴だ……」


 ハンスはこのナンバー9の話を聞いて、力が抜けた。ハンスは闘う姿勢を崩して、ユゴージンを睨んで見た。ユゴージンは同様にハンスを睨み返して言った。


「おい。てめぇ。今後一切、俺に近づくんじゃねぇ。時間がねぇんだ。今度こそ……俺のやることを邪魔すんじゃねぇぞ」


「時間がない?」


 ナンバー9は小声で怪訝そうに言った。


「お前こそ俺に近づくんじゃねぇ!ったく!」


 ハンスはユゴージンに歯向かい、言い返していた。ナンバー9はひとまず事態が落ち着いた様子を見て、口角を上げて二人を見ていたが、どこかユゴージンを気にしているようにも思えた。ユゴージンはパンを囚人達に雑に投げ返し、そのまま黙って、どこかに消えて行った。囚人達はしばらく座り込んだまま下を向いていた。ハンスは何も言うことなしに、ナンバー9と共に、その場を去った。歩きながら、ナンバー9はハンスに尋ねた。


「君、彼ともともと知り合いだったんだよね?」


「ああ。実は昔……俺が捕まえたんだ……」


「へぇ。それはまた因縁の仲なんだね」


「ああ。しかし、ほんとうにあいつは前から悪党だ。許せねぇ」


「君はほんとうに正義感が強いんだね……でも。それはともかく僕は気になることがあるんだ」


「なんだよ。俺は疲れているんだ。簡潔に頼むぜ」


「その彼なんだが……」


「あいつがどうかしたのか?」


「いやひとつ気になることがあってね。彼は何か目的があるように思える。ここにいる人物で労働以外の目的がある人物はそうそういないさ」


「そうか?ただ盗みをして、人に悪態をつきたかっただけにしか俺には見えなかったけどな」


「僕は思うんだけど、もしかしたら、君は彼を誤解しているかもしれない。彼はもっと……。いや、何でもない。これ以上言うと彼が嫌がってしまうかもしれないな」


「どういうことだよ?」


「『時間がない』……。いや……でも推測に過ぎない。まぁ今日は寝ようか。明日は近くまで来ている」


 ハンスはそのナンバー9の言葉がよく分からなかった。ハンスはペナルティで重い体罰を受けていたこともあり、監房に戻ってからは直ぐに目を閉じた。対してナンバー9は体を横にし、顎髭を触って何かを考えているようだった。

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