外の世界編

第10話 逃亡生活

 夜、外に出たハンス達三人は、ひとまず誰にも見つからないようなところを探した。しかし、誰にも見つからないところといっても、探す途中で、見つかって通報されてしまえば、お終いである。

 ひとまず、彼等は監獄要塞から離れ、近くの街へ降りていた。この国には三つの地区がある。裕福な市民が暮らし、交通も整い、近代的な産業も行われている国の城があるA地区。そのA地区の下位互換に相当するB地区。東の地域に存在し、A、B地区、二つの地区と比べても、大きな差があり、貧しい人がとても多いC地区。彼等はA地区から隔離された場所にあった監獄から、A地区の街に降りていった。彼等は街の方へ、繰り出した。人々は眠りに落ち、殆ど人はいなかった。

 ハンスは着ている囚人服をまず、脱ぎ捨て、処理することが必要だと思った。


「おい、お前らまず服を」


 粗い縫い目で作られた囚人服は、街を歩けば、嫌でも目に付く程だったからだ。


「俺はここでさいならさせてもらうぜ。じゃあな」


 ハンスが続きを言うのを遮って、その場から退散しようとしたユゴージンをナンバー44が腕を掴んで止めた。


「ちょっと!今別行動して、もしあんたが捕まったら、私達が余計に危険になるかもしれないじゃない。やめてよね、自分勝手な行動は」


「まぁまぁ落ち着けって。どうして女ってもんはいつもガミガミうるさいかね」


「なに、あんた。私が間違ってるとでもいうわけ?」


「そんなことはいってねぇだろうに。ただ、そんなことは解かってんだよ」


「ふん。どうかしら。盗人の言うことなんて信用できないわ。ねぇ、ハンス。どう思う?ちょっと、身勝手すぎると思わない?もしかしたら、こいつは敵に私達を売るかもしれないのよ。ねぇ?」


 ナンバー44がしつこく、どう思うのか聞いて来るので、閉口していたハンスは明確に答えることは出来ずに、ユゴージンの目を見たが、彼の目はハンスと合った瞬間に、逸らした。

 三人で外へ出て来たはいいものの、三人のチームワークはバラバラだった。ハンスは溜息をついて、言った。


「ナンバー44。とりあえず、この囚人服をどうにかしよう。ユゴージンが単独行動するかどうかの話の続きはその後だ」


「……名前」


「どうした?」


「名前よ。レイナでいいわ。ナンバー44なんて呼び合ってたら、おかしいじゃない。そこのあんたも。いい?わかった?」


 そうユゴージンに向かって言った。彼は面倒くさそうに、素っ気なく返答した。


「あいよ」


「で、レイナ。まずは服からだ。ユゴージンもそれでいいか?」


「ええ。仕方ないわね」


 レイナは腑に落ちない顔をしていた。ユゴージンは今すぐにでも、行きたい場所があったらしく、少し歯ぎしりをしていたが、仕方ないと思ったのか、焦って言った。


「ちっ。仕方ねぇ。で、どうするよ?何か作戦はあるのかい?まぁ今ならまだ夜だし、行動するなら今だと思うぜ?」


「作戦はない……」


 すると、ハンスにふとした考えが浮かんだ。それは《服を盗めばいい……。》しかし、彼はその考えに心から首肯することはできなかった。元騎士の性分なのか、それとも自らの正義感に従い、道徳に反するものであると思ったのか……。

その顔を見たユゴージンが、ハンスが何を考えていたのか悟ったようで、ニヤリと笑って言った。


「俺にいい方法があるぜぇ。こりゃ、一見してすげぇ簡単なことさ。でもたいていの人間はできない。ただ自分の中にあるものを犠牲にすれば、できることさ」


「なによ、勿体ぶって。さっさと教えなさいよ」


 ハンスは息を飲んだ。しかし、ユゴージンはまたニヤリとして、自信あるように言った。


「〝盗み〟さ」


 レイナは、納得したような顔をして、一瞬、戸惑った。そしてユゴージンに対して嫌悪を抱いた。だが、今の状況を考えると仕方なく、すぐに覚悟した顔つきになった。確かに、ユゴージンとレイナはもう既に犯罪者であり、それにユゴージンの言うあるものだってもうとっくの昔に犠牲にしていたのだった。ハンスはそのあるものの正体が分からなかった。

 それは当然である。何故ならば、彼はA地区の裕福な騎士の一族に生まれであり、二人とは全く違う環境で生きてきたからだ。ハンスはあるものが何であるかを尋ねた。


「レイナ。あるものってなんだ?」


 レイナはハンスの顔を嫌と言うほど真っ直ぐに見て、あっさりと答えた。


「それは良心よ。そうでしょユゴージン」


「ほほう。女の正解だ。さぁ、答えが分かったところで、ハンスどうする?」


 ハンスは答えることができなかった。彼の頭の中では、敵から家族や人々を救うためであるから、盗みという行為も、人々への道徳心が優先されるべきであり、犯罪も仕方がないと正当化する説と、たとえ、誰かを救いたいという考えから発生していても、盗みは一般的に道徳的に禁止されている行為であり、盗まれた側の被害者に不利益を生じさせることは、許されないとする説が拮抗し合っていた。彼は曖昧に断った。


「いや、盗みは……」


その曖昧な返事にユゴージンはイライラして言った。


「なぁあに言ってんだよ。そりゃお前の気持ちも分かるぜ。取られた側は困るよな?でも考えてみろ。今回の場合は服を取るだけだ。大した損じゃねぇだろ?それに今すぐに、服がないと俺達ゃ、殺されるかもしれないんだぞ?ナンバー9の覚悟を無駄にするのか?それに被害者だって、俺たちの命が掛かってんだし、国の状況を話して、納得させれば、俺達に服をあげることを厭わないはずだぜ?」


「それだと被害者が共犯者になってしまうじゃないか……」


「はぁ~。呆れたお坊ちゃまだな。こりゃ……。いいか?先のことを考えてみろ?盗みくらい仕方ねぇだろ。生きるためにはな」


「私も仕方ないと思うわ。あなたは人のことを考え過ぎよ。自分のために動くということも知った方がいいわ。時には、それで周りに被害が及ぶこともあるのよ」


 ユゴージンもレイナも覚悟はしていた。ハンスは脱獄した後に待ち構えていた困難に対する自身の覚悟のなさを後悔した。彼等の意見も確かに、理解はできるのだが、彼等の言う良心が許さなかった。良心を捨てることがどうしてもできなかった。しまいには彼は黙っていた。

 すると、ユゴージンはイライラしていた自分を落ち着かせてから言った。


「はぁ……。わかったよ。お前さんはほんとうに幸せな奴さ。追いつめられたって、自分の道理を突きとおすんだな。俺ゃお手あげだ」

そう言って彼は腕まくりをして、深呼吸をした。すると同時にどこかへ歩き出した。


「お前らここで待ってな」


「どこ行くのよ?」


 レイナが尋ねた後、彼はズボンのポケットに手を突っ込んで、下を向きながら言った。


「決まってんだろ。ちょっと街に出てから散歩に行くのさ」


「まさかあんた、服を一人で……?」


「ちげぇよ。散歩だよ。俺は散歩に行くんだ。だから何にも悪いことはねぇよな?」


 ハンスとレイナは怪訝な顔でユゴージンを見ていた。それに気が付いたユゴージンは自分が信じられていないことを悟ったが、何か二人の顔が可笑しく見えて、吹き出して言った。


「なんだい、お前らその目は。信用しろよな。逃げたりしねぇから安心しな。今の俺達の身の保障なんてどこにもないんだからな」


 と、静かに笑ってユゴージンは街へ出に行った。そこに留まっているのは、レイナとハンスの二人になった。ハンスとレイナは静かに、ユゴージンの帰りを待つことにした。まだ黙っていたハンスの顔を見て、レイナは言った。


「とりあえず。あなたは悪くないわよ。あいつは散歩してくるだけなんだから」

 ハンスはそのまま黙って、握りこぶしを作っていた。レイナはその姿を眺めながら、ハンスの手を握った。ユゴージンは気が付くと、もう見えなくなっていて、街に繰り出していた。


 ユゴージンは、忍び足で街を歩いた。久しぶりの外の空気に彼は少し浮かれていた。彼は眠りについた街の中から盗みの標的となる家を探した。探しているとちょうど良さそうな家を見つけた。彼の観察によると、そこの家は老夫婦の家であるとわかった。彼は見つけた瞬間に動悸がすることに気が付いた。


「久しぶりなのは、外の空気だけじゃなかったみたいだな」

そう呟いて、彼は脱獄の時に使った鍵をポケットから取り出し、その鍵とキーチェーンを伸ばして使って、ピッキングの道具を即席で作り上げた。標的の家のドアの前で、周りに誰もいないことを確認し、鍵穴に、道具を入れ込んだ。鍵はあっけなくすぐに開いた。

 彼は暗闇に目が慣れていたため、さっさと奥へ進んでいき、まずは衣服を探した。衣服部屋を見つけると、まず自分は囚人服から洋服に着替えた。白いシャツと青いセーター。そして黒いズボンに履き替えた。鏡の前に立ち、自分の姿を見た。その時、彼は力なく自分の姿を見て笑った。そのあと、何か足りないと思ったのか、首をかしげてから、帽子を手にとり、それを頭にのせた。彼はその後、盗んだものを持ち運ぶためのバックも盗って部屋を出た。

 衣装部屋を出ると、老夫婦の寝息が、寝室から聞こえてきた。ユゴージンは起こさないように、台所へ向かい、食料を探した。とりあえず、ユゴージンは机の上に置いてあった、白パンを自分の口にくわえた。それからさらに黒パン白パンを4つほど盗ってから台所を出た。その家から、必要な衣服を盗み、食料を盗んだ。

 しかし、彼はそれだけではなく、金目になるものも探すために、老父の書斎へ向かった。すると、そこには多くの金目のものがあり、色々と盗んではポケットに入れた。


「こりゃ、収穫だぜ」


 そう小さく呟いて、玄関口に辿り着いて、ドアを開けようとした。ユゴージンはふと、靴箱の上に置いてあった写真を見た。そこの写真には、老夫婦の写真があった。横には、老夫婦と彼等の娘らしき人と婿と一緒に幸せそうに映っている写真もあった。ユゴージンはそれを横目で見てから、ドアを静かに開けて、外の闇に紛れた。

 ユゴージンはその家から抜け出して、レイナとハンスのところへ戻った。久しぶりの盗みは彼にとって少し緊張するものだった。彼は一番、最初に盗みをした時を思い出す。初めて盗んだものは、リンゴだった。なんてことのない真っ赤なリンゴだった。


 彼は夜に溶け込み、街を歩いていた。夜中と言うこともあって、人々は静かに眠っていた。ユゴージンは街角を曲がろうとした時、話声が聞こえたのが分かった。


「囚人どもが逃げたって本当か?」


「ああ、なんとも、とんだ悪党三人らしいぞ」


 ユゴージンは、その会話を静かに聞いて、身を隠した。


「身元は分かるのか?」


「ああ、国家反逆罪のハンス・ヴォルフガンク。窃盗罪のウラジーミル・ユゴージン。そして、詐欺罪のレイナ・フェレールの三名です。この犯罪者どもを取り逃がし、黒騎士様はお怒りになっているご様子だ」


「街はどうなってしまうのだろうか。東の遠征ももうすぐというのに」


「それは黒騎士様のご意向次第だ」


 ユゴージンは、その話を気づかれないように聞いて、息をひそめていた。

しばらくしてからその会話は聞こえなくなった。ユゴージンはそのままハンスとレイナのもとへ足を動かした。ユゴージンはかつては自分が街を徘徊していたことを思い出しながら、街を歩いた。

 嘗ての盗みをしていた頃ユゴージンが部下を従えて街のチンピラとして名をはせていた時、彼はよく部下たちに食料を与えていた。その時、部下たちは腹をすかせた顔をしていたが、パンを与えた瞬間に、必死になってそれにくらいつき、笑っていたことを思い出した。

 しかし、彼にとって、久しぶりのその思い出の街は、どこか以前とは違う雰囲気である気がした。街は以前よりも暗く、嫌な雰囲気があったのだった。

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