十七話――木漏れ日に咲いた大きなアサガオ


――36


 授業の始まりのチャイムが校内に鳴り響くと同時

 保健室の窓から、またもや突風が押し寄せる。


 風が吹きすさむ保健室には、二人の少年少女がいた。


 一人は事件の依頼人。一人は事件請負人。

 

 彼らはお互い、すべてを理解していた。

 

 少年は自身の罪を理解し――

 少女は彼が犯した罪の正体を知っていた。


 少女が窓ガラスを閉じると同時、二人の会話は始まったのだった。

 そう、この物語の――結末が


「単刀直入に言うね。灯火くんの妹さんは、自殺なんかじゃなかったみたいだよ」


「あぁ、そうだったのか。そいつは驚きだ。いったいどこのどいつだ。あんな優秀な妹を殺したのは」


「あら、私は自殺ではなかった。って言っただけだよ。誰も殺された――なんて言っていないんだけど、おかしいな」


 ここで灯火は、くすりと小さな笑みを浮かべた。


「確かに、そうだな。今のは僕の早とちりだ。それで、結局妹はどうして死んだんだ。自殺じゃないなら、事故死か殺人のどちらかだろう?」


「うん、殺人。そしてその犯人は、小林灯火くん――あなただ」


 満面の笑みで言い放たれたこの事件の真犯人の名――それを聞くのは、他の誰でもない。小林灯火本人なのであった。


「おいおい、いきなりなにを言い出すかと思えば……」


 灯火はわざとらしく、大げさにリアクションを取ってそう言った。

 だがその表情は、無表情を貫いている。

 

 そんな灯火に、あさがおは自身の推理を語りかけた。


「灯火くんは火鉢ちゃんを殺した。その方法はシンプルで、朝登校する前に火鉢ちゃんの部屋に入って、練炭に火を付けた。それだけ。たったそれだけ」


「なんだそりゃ。適当にも程があるだろう」


「ふふっ。それを言うなら灯火くんだよ。ちゃんとライターについた指紋は拭き取らないと」


「拭き取らなかったんじゃない。拭き取らせてもらえなかったんだ。きっとな」


 おどけた様子でそう言う灯火に、あさがおはある質問をした。


「つらかった……?」


「………………なんの話だ」


「だから、妹さんから頼まれてたんでしょ。あたしを殺してって。それって、どれくらい辛いのかなって思って」


「わかんねぇけど……考えてみてもいいな」


「ぜひ、お願いします」


 すると、灯火は深く深呼吸をした。

 そしてあさがおの顔を鋭い眼光でにらみつけ、口を開いた。

 その口調に声色は、灯火が生きてきて初めて……披露したものだったという。


「つらかったかだと? ふふっ、そんなの――当たり前だろ。なんど胸が張り裂けそうになったか。なんど死んでやろうと思ったか。家に帰るのがどれだけ怖かったか。両親に会うのがどれだけ苦痛だったか。お前にわかるか。わかんねぇよな。わかるわけがねぇ。人格が崩壊していく感覚も、記憶を失う喪失感も、そんなの全部わかるわけねぇ。化け物と同じ屋根の下に住んでんだ。僕の手を血で染めようと、あの手この手で囁いてくる。怖いっつーか、もはや気分が悪かったよ。マジキメー。あいつに触れられた部位に炎症でも起きるんじゃねぇかって、いつもアルコールを持ち歩いていた。殺してせいせいした。死んじまってよかったよ。もっと早く殺しときゃよかった。そうすれば………………」

 

 とても凶暴で、とても凶悪で、とても切なくて、泣きそうな声だった。

 

 それは、確かに少年の本音であった。

 嘘も偽りもない。心からの言葉。


 しかし、まだ半分だと――少女は言った。


「足りないよ灯火くん。そんな悲しいことばかり言わないで。私の質問が悪かったのかな? じゃあ、質問を変えましょう。妹さんを殺した時、すっきりした?」


 この質問に、流石の少年も怒りを覚えた。


 けれど、ここで自分が声を荒げた所で、なんの意味もない――

 そう思った少年は、一応――その質問に答えてみることにした。


「さぁ、知らないよ。ただ、人を殺してすっきりしたかどうかなんて、殺した本人だってわからないんじゃないかな。まぁ、僕は人殺しではないから、そういう質問は人を殺したことがある人間に聞いてみた方がいいと思うよ」


 その返答に、少女はクスリと小さな笑みを浮かべた。


「なるほどねっ。ふふっ、私は然るべき質問を、然るべき相手に向けてしたつもりだったんだけど、おかしいな。まぁ、それはいいや。そんなことより、私には他にすべき話があるんだよ――灯火くん」


 少女が言った――他にすべき話。

 それは――


「私は、灯火くんが口にした言葉を、すべて覚えています。灯火くん以上に、それを正確に」


 言って、少女は唐突に目を瞑った。

 そして、おもむろに口を開いたかと思えば、次々に言葉を発した。


 その内容は、少年と少女が出会ったあの日。

 その始まりから今ここに至るまでの、少年の言葉だったのである。


 一瞬も詰まることなく、少女は少年が発したという言葉を紡いだ。


 あの日あの時の心情を表すように、声のトーン、リズム、調子をすべて再現してだ。


 突如行われたその行為に、少年はただ驚くばかりであった。


 目の前の少女は、いったい何者なのか。

 自身は、とんでもない存在を相手にしているかのような、そんな恐怖を覚えていたのだ。


 そう、まるでずっと側にいた。

 あの化け物を相手にしているような感覚。

 

 けれど、少女は少年から見て――ただの少女だった。

 今もそうやって、自身が発したという言葉を紡ぐ少女を見て、不気味だと思った。

 けれど、やはり目の前の少女は、ただの少女なのだ。


 化け物とは違う。

 けれど、異質な存在。


 そんな異質な存在であるただの少女は、唐突にその口を閉じた。

 そして、その瞳をゆっくりと、けれどしっかりと開いた。


 どうやら、少女はすべて言い終えたようだ。

 少年が少女に出会ってから、ここに至るまでの――少年のすべての言葉を。


 流石にそんな長台詞を言い終えた少女は、水分補給にと持参したらしい赤い水筒を取り出し、その中のなにかを豪快に口にした。


 そしてそれを飲み終えた少女は、深い深呼吸の後――また口を開いたのだ。


 少年の目をまっすぐと見て、言葉を発したのである。


「えへ、凄いでしょ」


 まるで、自身の特技を自慢するかのように、誇っているかのように、満面の笑みでそう言った。


 けれど、対する少年は――


「えっと……申し訳ないんだけどさ、流石に今のが全部正しいかどうかの判断を僕は出来ないよ。だって、覚えているわけがないじゃないか。自分の発言を、すべて正しく性格に、覚えていられる筈がない」


 そう、覚えているはずがないのだ。


 いくら少女が他人の発言をすべて正確に暗記していたとしても、それを正しいと判断出来る人間は、やはり少女ただ一人だけなのであった。


 しかし、それに対して少女は――それで良いと頷き、口を開いた。


「当たり前だよね。でもだからこそ聞いて欲しかったんだ。そして、自覚して欲しかった。私は灯火くんより、他の誰よりも灯火くんが言った言葉を覚えているの。灯火くんが何気なく放った一言も、嘘の発言も。そして――灯火くんの願いも」


「僕の……願い……」


「そうだよ。確かに灯火くんは言ったんだ。願ったんだよ。それをいくら灯火くんが否定したところで、私は覚えているよ。正確に、怖いぐらい正しく覚えている。忘れられるわけがない。言い逃れなんてさせないからね。知らぬ存ぜぬじゃ通らない。この責任は取ってもらうよ。だって、あなたは私に願ったんだから。このまま逃げられると思ったら、大間違い」


 そう言って舌を出す少女を見て、少年は腹を抱えて笑ってしまった。


「ふふっ、ふふふふふっ……なんだよ……それ……」


 少年は、笑っていた。

 その表情に、笑みを浮かべていたのだ。


 自覚こそしていなかったが、少年は心の底からその笑みを浮かべていたのだ。

 

 久しく行っていなかったその行為に反応したのか、少年は涙を流していた。


 そして、少年は覚悟したのだった。


 もう、逃げることは出来ないのだと。


「話があるんだ。聞いてくれるかい?」


 その言葉に、少女はゆっくりと頷き、笑みを浮かべた。


 ここからが、少年とする初めての対話だと、嬉しくなったのだ。


 そんなことを知る由もない少年は、勝手気ままに言葉を発した。


 誰かに聞かせる為ではなため他の誰かの為でもなく、ただ純粋に、胸に溜め込み続けた悪い物を吐き出すように。


「本当は、殺したくなんて、なかったんだ」


 少年の言葉に、少女は一切の反応を示さなかった。

 ただ、いつものようにそうして、相手の目を真っすぐに見つめるだけ。

 

 だが、この時の少年は、それがなんだか心地よくて、思わず口を閉じることが出来なかったという。


「もっと一緒に居たかった。火鉢と仲良く、家族仲良く過ごしたかったさ」


 溢れ出る思いをすべて吐き出すように、その言葉は流れ続けた。


「嫌いになんてなりたくなかった。化け物なんて呼びたくなかった。なんとかしたかった。他の解決策を見つけようとも思った。けど、どうしようも出来なかった。誰にも相談出来なかった。苦しくて、辛くて、僕は自分が壊れていくのを見るだけだった。だけど、それが本当に心地よかった。楽だった。頑張ることを辞めたんだ。そしてその結果、火鉢は死んだ。いや、僕が殺した。見殺しにした。僕のことを大好きだった妹を、自分の為に殺したんだ。殺して楽になるかもと思ったけど、そんなことはなかった。むしろ、ずっとずっと辛かった。泣き叫ぶ母さんを見て、俯く父さんを見て、鏡に映る――生きた自分の姿を見て、何度も後悔した。もっと耐えることも出来た筈だし、火鉢を説得することも出来た筈だ。だって、僕は火鉢の……おにいちゃんなんだから!!!」


 少年の最後の叫び声が、悲しくも保健室には響き渡った。

 そして、束の間の静寂が訪れた。


 聞こえるのは、遠くの方で授業を行う先生の声。

 グラウンドで運動をする、生徒たちの楽しそうな声だけ。


 しかし、少女はおもむろに言葉を発した。


 なにかのきっかけがあったわけではなく、ただ、唐突に――


「そっか」


 それだけ。

 たった一言を言い終えて、少女はまた口を閉じてしまった。


 そんな冷酷とも取れる反応を示した少女に、けれど少年は満足していた。


「聞いてくれてありがとう。あさがおさん」


 それは、自身の言葉がただの自己満足に他ならないと、知っていたからである。


 寂しかった。苦しかった。

 助けて欲しかった。

 辛かった、後悔した。

 どうすればよかったんだ。


 そんな無責任な言葉を並べていただけなんだと、知っていたのだ。


 そんな少年に、少女は慰めの言葉など掛けなかった。


「お礼なんて言わないで。だって、まだ灯火くんは苦しみ続けているんだから。助かってなんか……いないんだから」


 優しい口調で、けれど厳しい言葉を並べる少女。

 その表情は、微かに笑みを浮かべたまま微動だにしなかったという。


「ははっ、そうだね。確かにその通りだけどさ……多少はすっきりしたさ。それだけでも、あさがおさん。君には感謝してもし足りない」


 まるでもうすべて終わったかのように、この事件を終わらせようとする少年。


「どうせすべてバレているようだし、僕は罪を償うことにするよ。警察に自首して、きっと逮捕されるんだろうね。仕方ないよね。僕は取り返しがつかないことを、してしまったんだから」


 そんな少年に、少女は今がその時と口を開いた。


 少年の罪を裁くため――少女はその口を開くのだ。


「させないよ。そんなことは、絶対に」


「……え……」


 もしや自首すら許されないのか。

 そう思った少年だったが、少女の次に放った言葉は――少年の予想を、遥かに上回っていたのだった。


「灯火くんに、そんなことはさせない。だって、私は灯火くんを助ける為に動いてきたんだもん。今こうしてこうやって、灯火くんの前にいるのはその為。だから、勝手に不幸になんてさせない。この事件を、そんな結末で終わらせて――たまるもんですか」


 純真無垢な笑顔を浮かべ、そう言い放った少女の真意を、少年は想像することなど出来なかった。


 しかし、そんな少年を置き去りに、この事件は急速に別の結末へと進んでいくのであった。


 そう、少女がこれから言い放つ最初の言葉。

 それをきっかけに、この物語は始まったとも言えるのである。


 そう――それはまさしく……この事件の、終わりの始まり。


「自分の罪なら、自分で償ってみせてよ。誰かに裁かれるなんて、そんなずるは許さない」


 その言葉の意味を、やはり少年は悟ことが出来ずにいた。

 

 自分の罪は自分で償う。

 だからこそ、少年は自首という道を選んだつもりだったのだが。


「それは甘いよ。誰かに裁かれて、誰からに言われた通り償って、それで終わりなの? 灯火くんは納得出来るの? それで、自分を許すことが、本当に出来るのかな?」


 そんなもの――


「出来るはずがない。それこそ、誰にも幸せにはなれないよ。残されたご両親も私も、灯火くん自身も」


 それでは――


「僕はいったい、どうすればいいんだ」


 自首も出来ない。

 けれど、罪は償わなければならない。

 そして、幸せにならなければいけない。


 そんな方法が、自身に残されているのか。


「そんな道、あるわけがない」


 そう、あるわけがない。

 少年はそう思った。


 けれど、少女は言った。


「そうやって、灯火くんは罪を犯したんじゃなかったの? さっき言ってたよね? もう忘れちゃったのかな? 灯火くんが忘れたと言い張るなら、私が思い出させてあげる。灯火くんはさっき、妹さんを殺したくはなかったと言ったんだ。その時は他の選択肢なんて見えてなかったかもしれない。それこそ、それしか道がないと思ってしまったんだって。なら、今がその時だよ。私が、灯火くんに道を教えてあげる」


 そう言って、少年の元に近づく少女。

 

 そして、少女は少年の頬を優しく撫でた。


「灯火くん。あなたはこれから、自分を許せる方法を探しなさい」


 優しい声色で、けれど――とても残酷な言葉を言い放つ。


「見つからないかもしれない。途方に暮れるかもしれない。苦しいかもしれない、辛いかもしれない。死ぬまで見つからないかもしれない。けれど、それが――灯火くんに与えられた――罰だよ」


 その言葉を聞き終えると同時、震え出してしまった少年に、けれど少女は言葉を続けた。


「残念だけど、私にも誰にも……それこそ名探偵にだって、その道を見つけ出すことは出来ない。だって、これは灯火くんが犯した罪に対する償いだから。灯火くんが助かる為の道なんだから。勝手なことを言っているのは知ってるよ。だけど、私はそう思うの。間違ってるかもしれないし、いけないことなのかもしれない。でも、私を信じて欲しい。本当に勝手なことを言ったけど、どうかな。私じゃ――駄目かな?」


 言われ、無理やり顔を上げさせられた少年の目に映ったのは、少女の顔だった。


 すれば――


「…………すき…………です…………」


 少年は、思わずそう言った。


 なんの脈絡もなく、涙でぐちゃぐちゃになったその顔で、けれどハッキリと――言った。


 質問の答えにもなっていないし、その言葉を使うべきタイミングでもないのは、少年もわかっていた。


 けれど、思わず口から飛び出してしまったのだ。


 瞳に映る少女の顔を見て、少年は確信してしまったのである。


 あぁ、この人は。

 自分を救いにきた――女神様なんだと。


 そんなことを知る由もない少女は、少し慌てたような――けれどどこかおどけたような表情で、言った。


「あれれ、最近私……モテ期?」


 そう言って、少女は少年を抱きしめた。

 それが告白の返事ではないことを、少年は理解していた。


 目の前の少女は、女神様なのだと。

 理解していたのだ。


「大丈夫。私だけじゃ不安かもしれないけれど、私の周りには頼れる人ばかりだよ。伊達に、たくさんの事件を解決してきたわけじゃ、ありませんから」


 誇らしげにそう言った少女の声を聞いて、少年の覚悟は決まったようであった。


「もう一度だけ、言ってもいいかな」


 その言葉に、少女は静かに頷いた。


 それを確認した少年は、思いきりのいい笑顔を浮かべ――心の底から言ったのだった。


「ありがとうあさがおさん。これから、よろしくお願いします」


 そんな少年の――小林灯火の言葉をしっかりと聞き届けると、少女は胸を張って言葉を返したのである。


「うんっ、任せなさい」


 それはこの事件の。

 小林灯火の事件を締めくくる、最後の言葉となったのだった。


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