十四話――ジョーカー


――29


「さぁ、解決編を始めようか」


 机上に胡坐をかいて座るシロが、得意気な顔をしてそう言った。


 シロが机上にいるということは、それすなわち――今のシロは机上探偵であるということである。なので、その机上探偵が解決編……という言葉を口にしたということは、すべての証拠が揃い、今から答え合わせが始まるということなのだ。

 この、悲しくて切ない。虚しい事件の正解が。


「では、さっそく……」


 シロがこほんと一つ咳ばらいを挟むと、自然とあさがおの表情は厳しいものになった。それは、今まで空論だったシロの推理が現実のものになるという恐怖。それと、机上探偵が本当の意味で推理を披露する光景を、初めて目の当たりにしたプレッシャーからくるものであった。

 

 だが、そんなことを気にする筈もないシロは、自由気ままにその推理ショーを開始したのだった。


「まず、この事件の被害者……小林火鉢を殺害したのは、その実の兄であり――依頼人である小林灯火。これで間違いはない。その最大の理由としては、先程みずきが手に入れたこの情報。火鉢の死因である一酸化炭素中毒を引き起こした練炭に火をつけたとされるこの黄色のライター。それに付着していた指紋が、小林灯火のものだけだったという情報。これだけで、もうほぼ決まってしまっているのだがな……」


 そう、犯行に使われたライターに小林灯火の指紋が付着していた。

 これだけなら、まだ決定的な証拠とはならなかっただろう。


 けれど、付着していた指紋が灯火ものだけというのは、単純におかしいのだ。


「何故なら、本当に火鉢が自殺したというなら、火鉢の指紋も付着していなければおかしいからな。例え、先に火をつけ――後から灯火を犯人だと誤解させる為にライターを握らせたのだとしたら、灯火がそれを証言しない筈がない。灯火の部屋に置いてあったライターを火鉢が持ち出し、指紋の付かないように手袋をして練炭に火をつけた可能性もあったが、それでは部屋のどこかに手袋が残る筈。だが、そんなものは警察の捜査でも、翔たちの捜査でも見つかっておらん。つまり、残る可能性はたった一つ――灯火は自身の手でライターを握り、自身の意思で練炭に火を付けたのだ。そして、それによって小林火鉢は命を落とした。そういうことだ」


「待ってそれだと……おかしくないかな?」


 そう、その通りと、シロは大きく頷いた。


「あさがおの言う通り、それだとおかしい。何故なら、拘束も暴行もされていない火鉢は、自身の部屋で練炭に火をつける実の兄を見ながら、わざと玄関で待つ両親に聞こえるよう、大きな声で朝の挨拶をしたことになる。そういうことだな?」


「う、うん……そういうこと……」


 灯火があの日火鉢の部屋に入ることが出来たのは、両親が玄関で待っていた三分にも満たない時間だけである。

 しかも、玄関で待つ両親は火鉢の朝の挨拶の声を、ハッキリと聞いたという。


 ということは、火鉢は見ていたことになるのだ。


 両親に聞こえるようわざと大きな声を出しながら、実の兄が練炭に火を付けるその瞬間を。


「ここがこの事件の一番の厄介な所だ。被害者が黙って殺されるわけがない。なんらかの抵抗をする筈だ。そんな常識に囚われていては、この事件を解けないのだ」


「つまり……火鉢ちゃんは抵抗も反抗もしないで、黙って殺されるのを見ていた……と、そういうこと……?」


「うむ、その通り。シロの推理はこうだ。事件当日、火鉢は寝たふりをして両親と兄の灯火が家を出る時間を待った。そして、いつものように最後に自身を起こしにくる灯火を部屋に招き入れた。アリバイ作りとしてフェイクの朝の挨拶を両親に聞こえるようにして、その間に灯火は練炭に火をつけた。匂いが制服につく前に、慌てて……けれどなるべく平常心を心がけて、灯火は両親が待つ玄関に現れ、そのままいつも通り、登校した。部屋に残された火鉢は、ただ部屋に一酸化炭素が蔓延するのをひたすら待った。待ち続けた。そして、その日の夕方。いつも通りの順に帰宅した一同。そして一番はやく家に着く母は、火鉢の遺体を発見する。机には用意しておいた遺書。これは火鉢が事前に用意しておいたもので、筆跡鑑定をかけても本人のものが出るに決まっているから、自殺の信憑性は高くなる。そう、この事件は協力犯罪――兄弟による、練炭自殺偽装事件だったのだ」


「ちょっと待ってよ……それじゃ……」


 そう、それでは……手の込んだ自殺と、なにも変わらないではないか。


 死にたいのならば、何故大好きな兄を巻き込むことがあったのか。

 逆に兄である灯火は、何故そんなふざけた計画に手を貸したのか。


 シロの推理は、あさがおの疑問をただ増やしたに過ぎなかった。


 けれど、すべてを理解した翔とみずきは、ここからあさがおが理解出来るようにと、解説を入れた。


「あさがお。僕たちは甘く見ていたようだぜ。小林火鉢が抱いていた、おにいちゃんが好きだという気持ちを、かなり甘く見ていたんだ」


 好きという感情では表せない程に、おにいちゃんに対する火鉢の愛情は膨れ上がっていたということだ。


好き過ぎて、愛しすぎて、愛おし過ぎた。

 

もういっそ、殺してもらいたい。そう、思ってしまう程に。


「火鉢ちゃんがいくらそう思っていたとしても、灯火くんが……そんなお願いを聞くとは、私は思えない……」


「そりゃ、最初はなにを言ってるんだと、なにかの悪いテレビの影響とかじゃないかとか、心配しただろうさ。けど、前も言ったろ。自己催眠の話。僕はてっきり、灯火は自身に催眠を掛けているとばかり考えていた。けど、それは少しだけ違ったんだ」


「そうね。催眠を掛けていたのは、妹である火鉢の方だった。毎日顔を合わせる妹から、毎日毎日――私を殺して――なんて言われたとしたら、普通の人はどうなるかしらね」


「洗脳される……筈だった。けれど、灯火の意思は火鉢の予想を遥かに超える程強固だったんだ。自身の心を支配されないよう、うまく自己暗示、自己催眠を掛け続けた」


「僕は妹が好きなんだ。僕らはとっても仲良しな兄弟だ。妹は優秀で、可愛い奴だ。そんな無数の暗示や催眠を自身に掛けて、灯火はなんとか火鉢の甘い言葉から逃げ続けてきた」


 けれど、やはりそんな生活には限界があったのだ。


 灯火は誘惑に負けた。自身を殺して欲しいという、妹の願いを叶えてしまった。


「きっと、おにいちゃんに疑いが掛からないように上手くやるから。なんて、そんな言葉に負けてしまったんでしょうね。まったく、困った妹を持ったものだわ。この灯火くんって子」


 そこまでして、大好きなおにいちゃんに嘘をついてまで、火鉢はおにいちゃんに殺されたかったのだろう。

 社会的に自身が自殺とならぬよう、日本中の人々に自身が兄に殺されたことが伝わるよう、火鉢は考えたのだろう。

 灯火は、火鉢の思うように動かされてしまっていたのだ。


「これが、この事件の真実だ」


 そう言い切って机上から降りたシロを見て、あさがおは悟った。

 これ以上、語ることはないのだと。


 机上探偵が机の上を離れたのだから、この事件はもう――終わったのだ。


「こんな結末って……ありなの……」


 覚悟はしていたつもりだった――しかし、甘かったのだと後悔した。


 どんな真実を突き付けられても、納得出来ると過信していた。


 そんな自分の甘さが嫌になって、あさがおは珍しく俯いてしまったのだった。


 そんなあさがおに、ただの偉そうな幼女となった机の下のシロは、けれどなにをそんなに落ち込むのかと、声を掛けた。


「だって、こんな結末……どうやって受け止めれば……」


 そう言ってまた俯いてしまったあさがおに、けれどシロは飛び切りの笑顔で再び声をかけた。誰よりもまぶしくて、誰よりも純白なその笑顔から放たれたその言葉は、あさがおの希望となり、未来を照らしたのだった。


「結末は、まだ決まっていない。お前が決めるのだ、あさがおっ!!」



――30


「やぁやぁ、久しぶりだねシロちゃん。元気にしていたかい?」


 翔にみずきにあさがおがシロの自宅を後にして、数十分後――シロの家にはあの高身長の刑事、あくとが訪ねてきていた。


「あぁ、シロはいつだって元気だぞっ!」


「そうかいそうかい。いやぁ、凄いものを見せてもらったよ。あんな子、どこで見つけてきたんだい?」


 あくとが言った『あんな子』とは、翔の初恋の相手であり、みずきの尊敬する人物であり、あくとの顔なじみ。そしてシロの育ての親であり、さらにはとある孤児院の園長だったその者に、とてもよく似ているあさがおのことだった。


「見つけてきた……というわけではないのだ。あさがおの方からシロの元にやってきた。そして、今ではシロの手足である翔やみずき。さらにはあっくん。お前さえ魅了して、シロたちの輪の中に溶け込んでいる」


「ふふ、僕たちもよっぽど変わった人種だと自負しているけれど、あの子程特異な……異質な存在も珍しいよね」


「まぁ、本人はそれに気づいていないようだがな。そういうところもまるで先生と同じなのだ。だからって、あさがおの中に先生を見ているわけではないぞ? 先生は先生、あさがおはあさがお――似ていても、シロの中であいつらはそれぞれ大切な仲間なのだからなっ!」


「おっ、シロちゃんが『仲間』って言葉を使うってことは……」


「うむ、最初に出会った時に決めていた。でなければ、いきなりシロの家に招くはずがないだろう」


「まぁ、確かにそうだね」


 コートのポッケから電子タバコを取り出し、それを加えて煙を吹かすあくと。

 

 対するシロは、あさがおから貰った有名菓子店のシュークリームを食べながら、趣味のクロスワードパズルを解いていた。


「そういえば、どうなったの? あの少年」


 充電の切れた電子タバコをポッケにしまいながら、あくとは思い出したようにシロに質問した。


 すれば、解決した事件に興味はないといった風に、クロスワードの空欄を埋めながら、シロはぶっきらぼうにその質問に答えを返した。


「そうだなぁ……後はあさがおの領分だから、シロは知らぬ。まぁ、あさがおのことだから、上手くやるとは思うがな」


 そんなシロの曖昧な返答に、あくとはさらにと次の質問をした。


「そういうことじゃなくてさ、あさがおちゃんは少年を警察に突き出すのかな。それとも自主を促す? それとも……」


「あーーもぉ……ハッキリ言ったらどうだ!!」


 要領を得ないあくとの物言いに、シロはクロスワードに集中出来ないと機嫌を悪くしてしまった。


「シロはここからは何も出来ないのだから、そんな牽制などしても無駄だ!! シロはクロスワードに夢中なのだ。要件がそれだけなら、さっさと出ていけ!!」


 言って、シロは近くに落ちていたシュークリームが入っていた四角い箱を、あくと目掛けて投げつけた。


「おっと、怖い怖い。シロちゃんを怒らせると怖いからな……今日はこの辺りで帰らせてもらうとしようか。本物の煙草を吸いたくて、実は我慢してたことだしね」

  

 言ってあくとは、スーツの胸ポケットからお気に入りの銘柄の煙草を一本取り出し、口に咥えた。


「ほんじゃシロちゃん。またなにかあったら協力するよ。またねっ。あ、そうだ…………園長先生によろしくね」


 それだけ言い残して、あくとは足早にシロの自宅を後にした。

 

 残されたシロは、何事もなかったようにクロスワードパズルに集中していた。

 

 しかし、どうしても後二マス――解けない空白が残ってしまったのだった。


「仕方ない……奥の手を使うとするか……」


 シロの言う奥の手とは、もちろん、机上へと上がることだ。


 シロが真にリラックスでき、本来の力をフルに活用出来るシロの領域。

 そこでシロに解けない問題など、ほぼ無いのだから。


「うむうむうむ。なんだこれは……はぁ……ミス問題……空欄が正解なんぞ、面白くもないのぉ……」


 安物も雑誌についていたものなので、こういう問題のミスも仕方ないと言えば仕方のないことなのかもしれない。

 けれど、探偵モードにまでなって解いた問題が解答無しとは、なんとも不完全燃焼だったシロ。


 なにか面白い事件はないものか……


 空欄のままになっている二マスを眺めて、今回の事件は、まさにこの二マスのようなものだと、シロは頭の体操を始めた。


 決まった回答のない問題。

 

 なんてつまらない事件を引き受けてしまったのだろうと考えて、この先の未来のパターンを予測してみた。


 シロの推理の方法は、いつもこうなのである。

 

 頭の体操、クロスワードパズルと同じ。

 当てはまるすべての可能性を考えて、それらを上手く繋げていく。

 そしてその中で、すべてにおいて辻褄の合う解答が、答え。

 

 それがどんなに突飛な、常軌を逸した解答だとしても、シロは自身が導き出したその解答を疑うことはない。


 そう、今回とてそれは同じ。

 

 答えのない問題に対しての切り札。

 最強のカード――ジョーカー。


 その名も――


「木漏日、あさがお」


 いったいそのジョーカーがどんな活躍を見せてくれるのか。


 それは――それだけは――

 机上探偵の推理力をもってしても尚、推理することは――出来ないのだった。


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