十三話――悪人は罪を背負う


――26


「おにいちゃーーーんっ!! おっはようございます!!」


 うちの妹は、とても元気だ。


「あら、火鉢、今日は一人で起きてこられたのね」


「うんっ、なんたって……今日はテニスの大会で優勝した記念に、おにいちゃんがアイスをご馳走してくれるって言うからねっ!!」


 うちの妹は、とても優秀だ。


「流石は火鉢。だが、部活ばかりではなく勉強の方はどうなのだ?」


 運動神経もよく、部活のエースを務めている。


「あったりまえじゃん!! 見る?! 前回の定期テストの結果!」


「おぉ、すごいじゃないか火鉢ぃ!」


 勉強も出来て、常に成績はトップだ。


「えへへぇ……照れますなぁ……」


 人柄も良く、両親だけでなく、近所の人やクラスメイト……担任の先生やPTAの方々にまで愛されている。


「じゃあ灯火、火鉢をお願いね」


「ははっ、灯火は私に似てしっかり者だから、心配はいらんがな」


「そうそうっ、おにいちゃんは最強なのだぁ~」


 けれど、決して僕は劣等感を感じてはいない。

 両親は分け隔てなく、僕も妹も平等に愛してくれているし、面倒を見てくれている。

 僕の方が少しお兄さんだからという理由で、妹と張り合う間に成績も向上し、今では学年でトップを争えるレベルにまでなった。


 僕を始め、妹は周りを変えてしまう不思議な力がある。


「おにいちゃんおにいちゃん。やっと二人きりになれたねんっ♪」


 妹が中学に上がりテニス部に入ってから、女子テニス部は一変した。

 まるで妹の熱気に毒されたように、その熱は伝染していったのだ。


「うふふぅ~、おにいちゃんの手、おっきくてかっこいいなっ!」


 そして、今では妹の所属する女子テニス部は、全国を狙えるレベルにまで成長した。これも、妹の持つ独特の力という奴なのだろう。


「あっ!! ここだよおにいちゃん!! 前におにいちゃんがクラスの友達と来てたアイス屋さん!!」


 そんな優秀な妹は、兄の僕が言うのもなんだが、とても異性からモテる。


「うっわ~~シュワシュワでうまうまだねっこれ!!」


 身内贔屓びいきを差し引いても、妹は可愛らしい容姿をしていると断言できるし、将来は女優やモデルになると言われても、喜んで背中を押せるレベルである。


「あ、聞いてよおにいちゃん! この間ね……隣の席の友達にぃ……好きな男の子を聞かれてしまったのだぁ! だ・か・ら、答えちゃった」


 なので、妹を狙って近づいてくる同年代の男子はとても多いのだという。


 そんな時、決まって妹はこういうらしい。


「おにいちゃんがすき。って!!!」


 そう言われてしまえば、からかわれているか、相手にされていないと諦める者がほとんどだと言う。

 中にはそれでも引かない者もいるらしいが、そういう輩には鉄拳制裁を加えているらしい。

 詳しい内容は教えてはくれないが、そうすれば二度と近づいてくることは無いらしい。怖い怖い。


「あー、アイス美味しかったなぁ。今回のご褒美も、これで終わりかぁ……さみしいなぁ……」


 そんな妹を、僕はとても大切に思っている。


「ということでおにいちゃん。次はどうしよっか」


 優秀で有望で勇敢な自慢な妹を、とても可愛がっている。


「遊園地? 水族館? テーマパーク?」


 僕と妹は、両親の自慢の息子と娘だ。


「今日みたいに食事? それともそれとも、ショッピング?」


 周りからも言われているが、とても仲の良い、見本にすべき最高の兄弟なのだ。


「それとも……あれ……?」


 妹は僕のことを、兄である僕のことを愛している。


 僕も同様に、妹のことを愛している。


「いやん、お風呂はこの前隠れて入ったじゃん……それじゃなくて……あれだよ……あれ……」


 だから……だから……


「―――――――――――――――――」


 僕が妹を……殺す筈はないんだ。



――27


「紹介します。こちらは刑事のあくとさん。悪人と書いてあくとと読むのだけど、本人はあっくんと呼んで欲しいそうだから、そう呼んであげてね――あさがおちゃん」


「ど、どうも初めまして……あ、あっくん……さん」


「はは、さんは付けなくてもいいのに」


 まず目につくのは、その高身長だった。


 見た限りそれはまず間違いなく百八十センチを超えていて、下手をすると百九十台あってもおかしくはないだろう。


 そして次の特徴は、その手入れのされていない天然のゆるふわパーマだった。

 手入れがされていないのにゆるふわなのは、きっとすべての天然パーマ人達の憧れだろう。


 そして、度の強そうな眼鏡を掛け、刑事らしくスーツの上から茶色のコートを羽織っている。まるで漫画や映画の世界に出てきそうな、THE刑事さんというタイプの人だった。


 ただ一つ、残念というかなんというか。

 名前が『悪人』というのは、刑事にしては致命的な気もしたが、親にそう付けられてしまってはどうしようもない。

 あくとの両親はいったい、どんな願いを込めてこの名前を息子に授けたのだろうか。まさか本当に、我が息子に悪人になってもらいたかったのだろうか。


「あぁ、なんでも僕の両親。真面目過ぎて詐欺師達に騙され続けたらしくてね、悪人になってでも生き残れ――そんな強い願いを込めて、僕にそう名付けたらしいよっ」


「そ、そうなんですね……」


「なんとも悲しい話だけれど、今は自己紹介なんてしている場合ではないわよ」


「そ、そうだな……話し合うことは……別にある……」


 そう言ったのは、またもやみずきに浮気(事故)現場を目撃され、現在反省中の翔であった。


「そう、話し合うことは別にある……お姫様抱っこは浮気に入るか入らないか。四人でじっくり語り合いましょう!!」


「お、いいねぇいいねぇガールズトーク。僕も混ざっていいのかい?」


 現在翔は、火鉢の部屋の勉強机の上で、またもや正座をさせられていたのだった。

 

 しかし、それだけでは物足りないみずきは、翔を言葉でなじると同時、新たな罰を思案中なのであった。


 ところで、この光景に異様に慣れているようであるあくとは、きっとこの二人とも付き合いが長いのだと判明した。翔が言っていた、みずきの知り合いの刑事とは、このあくとのことなのだと、あさがおは理解したのだった。


 そんなあさがおは、とりあえず話を本題に戻すため、お怒り(お楽しみ)中のみずきの誤解を、一応だが解いてみようと試みた。


「あ、あのさ……今回は私のミスが原因ってのもあるし……許してあげても……」


 しかし、お楽しみ中のみずきがそんな言葉に耳を貸す訳もなく。


「あさがおちゃんは優しいのね。けど心配しないで、全部ちゃんとわかってるから……この男がド天然で……反省なんか何一つしてないお馬鹿さんだってことはねっ」


 言って、みずきと翔は二人でなにやら話し合いを始めてしまったようである。


 真っ青な顔でみずきに弁解の言葉を並べる翔に、対照的に真っ赤に火照ったような顔で翔をいじめるみずき。

 このカップル、やはりとてもお似合いである。

 

 だが、今はそんなことで和んでいる場合ではなかった。


 翔の言ったように、話し合わなければならないのである。

 この事件に関わる、重大な何かを。


 その鍵を握っているのが、きっとこの――先程から翔とみずきのやり取りを笑顔で見守る刑事さん……あくとなのだろう。


 なので、あさがおは声を掛けることにした。

 翔とみずき抜きでもいいだろう。

 この事件はもともと、あさがおが解決すべき事件なのだから。


「おっと、あさがおちゃんだね。君はあそこに混ざらなくていいのかい?」


「はい……なにかと二人のが……いいかなって……」


「ははっ、そりゃそうだ」


 常にニコニコしていて、人当たりが良さそうな人だと思った。

 なので、ここは思い切って――


「あの、事件に関わる重大な情報を持ってるって……聞いたんですけど……」


「あぁ、そうだね持ってるとも。事件の真相を暴く証拠。それを持ってる」


「じゃあ……それを早く!」


「待って待って、そんなに慌てないでよあさがおちゃん」


 言ってあくとは、ポケットからなにやら棒状の機械を取り出した。

 

 どうやらそれは電子タバコという奴で、あくとはその電子タバコのスイッチを入れると、すぐに口に咥えて、水蒸気の煙を吹かした。


「まず、僕は君に聞いておかなければならないことがあるんだ」


「聞いておかなければならない……こと?」


「そう、この事件の真相を解明してしまう前に、聞いておかなきゃならない重要なことだよぉ……」


 二回、三回、四回と煙を吹いて、あくとは電子タバコのスイッチを切り――それをコートのぽっけにしまった。


「私に答えられることなら、なんでも……」


「お、なら遠慮なく……聞かせてもらおうかなぁ……」


 言って、あくとは立ち上がった。


 やはりあくとはかなり高身長で、近くでみるとより一層、その迫力は増した。


 そんな少し威圧的な態度で、けれどニコニコとした表情を崩すことなく――あくとはある質問を、あさがおへと問いかけたのだ。


「君は、犯しても仕方がない罪って……あると思うかい……?」



――28


「犯しても……仕方がない……罪……?」


「そうさっ! 悪いこと――それすなわち罪で、罪を犯した者は罰を受けなければならない。それがこの世界の、現段階の根本的なルールだ」


 遅刻をすれば怒られる。

 仕事をサボればクビになる。

 法を犯せば裁かれる。

 人を殺せば――殺される。


 小さな罪から大きな罪まで、それにはそれを犯した時の代償として――報いが待っているのだ。


「例えば、家が物凄く貧乏で……碌に食事も出来ない男の子がいたとする。その子がたまたま街を歩いてきた時、目の前の大人が財布を落としたとしよう。その男の子がその財布を盗むのは罪か――あさがおちゃんはどう思う?」


「それは…………罪だと……思います」


「正解。まったくもってその通り。もしも罪に例外を設けてしまったら、それは倫理の破綻を意味するからね。けれど、次の質問だ。もしその男の子の窃盗がバレてしまったとする。その男の子は、法律によって裁かれるべきだと思うかい?」


 それが、あくとがあさがおに対してした質問の根本だった。


 罪は罪として認めなければならない。

 けれど、裁かれるかどうか――これはどうだろうと、あくとは言っているのだ。


 目の前に転がってきた罪を、目を瞑って拾い上げるしかない者達は、他の者と同じように、裁かれるべきなのだろうか……と。


「なるほど……それは……難しい質問ですね……」


「あぁ、とても難しい問題だ。答えなんてあるはずのない……ほとんど哲学。好き嫌いの部類だと、僕は思うね」


 好き嫌い。そんな適当なものでいいのだろうか。


 しかし、答えがないというのは、あさがおも同感だった。

 こんな問題に、明確な答えなどある筈もない。

 

 もしあるならば、それは罪を犯さなくとも生きていける――そんな者達の理屈だろうから。


「私は…………」


 葛藤の末、あさがおは答えを出した。

 

 自分なりに、今まで数々の事件や――その数だけの犯人や被害者を目撃してきたあさがおの、あさがおなりの答えを――


「裁かれるべきだと思います」


「…………へぇ…………どうして……だい?」


 ここであくとの声が低く変化したのを、あさがおは聞き逃さなかった。

 同時に場の空気が、少し重くなったのも。


 けれど、あさがおは負けじと自身の意見を語ったのだった。

 それが、今自分に出せる最善の答えだと、自信があったから。


「罪を犯した者は裁かれる――つまりは制裁を受けるということです。ですが、それは裁きであって懲罰ではない。確かに、不幸にならなければ……人の痛みを知らなければ改心できない人もいるでしょう。そんな人を閉じ込め、隔離するのが法律であり刑務所という施設だと思います。けれど、そんな野蛮な人ばかりが罪を犯すわけではない。先程の質問であった、餓えた男の子の話。私はそれでも、窃盗をしたのなら裁かれるべきだと思います。ですが、この場合は償いです。裁かれるわけでも、制裁を受けるわけでも、懲罰を受けるわけでもありません。男の子には、男の子に合った償いをさせるべきなのです。人が十人十色なように、その人が犯す罪も千差万別。都合のいい言葉を使えば、ケースバイケースです。だからこそ、罪人が犯した罪が無駄にならないよう、きちんとした償いをさせていければいいんじゃないかと思います。それが今の世の中で出来ないことも、理想論なのもわかっていますけれど……それでも、その質問を私がされたのなら、これが私に導き出せる――最高の答えだと思います」


 それがあさがおの、現段階における最適解だったのだ。


 罪は等しく平等だが、その置かれていた状況――そして境遇から判断し、課される罰を細分化しようというものである。


 これまで色々な事件を目撃し、それを犯した者の末路を見届けてきたあさがお。

 野蛮な犯人も、たくさん見てきた。

 しかしその分だけ、たった一度の小さな過ちから人生を台無しにした――かつて善良な市民だった者も、大勢見届けてきたのである。


 確かに、罪を犯すことはいけないことだ。

 酒に酔っていても、ストレスが限界でも、家庭に不満があっても、自暴自棄になっていても、罪は等しく罪である。


 けれど、しかしあさがおの理想を言えば、それだけで彼らの人生を台無しにしないで欲しいのだ。

 本当にその罪に、取り返しはつかなかったのか。

 ほんの少しのお互いの和解で、済むものではなかったのか。


 あさがおは、日々そう思って、数々の事件を眺めていたのだった。


 そんなあさがおの答えを聞き届けたあくとは、ゆっくりと、あさがおに向けて近づいた。見上げなければ顔も見えない巨体が迫るにつれ、流石のあさがおも目を瞑ってしまった。


 けれど、そんなあさがおの恐怖を裏切るように、あくとはとても軽く、あさがおの頭に右手のを乗せた。


 そして、飛び切りの笑顔で口を開いたのだ。


「ウルトラスーパーハイパー合格っ!! さっすがはシロちゃんのお気に入り。おじさんびっくりしちゃった」


「だから言ったでしょ。あっくんは必ず、あさがおちゃんのことを気に入るって」


 横から口を出したのは、先程まで翔をいじめていた筈のみずきだった。


「シロちゃんもあそこで泣き崩れる翔も、私ですらお気に入りの子ですもの。あっくんが気に入らないわけがない。それに、あの人に似てるもの。あさがおちゃんは」


「あぁ、とてもよく似ている。意思の強そうな所なんて、瓜二つだ」


 言って、あくとは何かを核心したように頷いた。


 なにがどうなったか理解が遅れていたあさがおは、目を丸くしてみずきに助けを求めた。

 すれば、みずきはクスっと笑って、あさがおを優しく抱きしめたのだ。


「楽々余裕の満点だって。よかったね、あさがおちゃん♪」


「その通り。だから教えちゃうよぉ、この事件の最重要手掛かり……になるだろうもの」

  みずきの意外にも豊満な胸の中で、幸せそうに鼻の下を伸ばしていたあさがおも、あくとのその言葉には流石に過敏に反応を示した。


 自然と拳に力が入ってしまったが、その手をみずきが優しく包み込んでくれた。

 温かくて、柔らかい手だ。

 

 これでもう、なにも怖くはない。


「よっしっ。なら、これを見てくれ」

 

 言って、あくとは今度はスーツの胸ポケットから、本物の煙草を取り出した。


 そして、わざわざ手に黒の手袋をして、ジップロックに入った黄色のライターで口に咥えたその煙草に火をつけた。


 じゅうぅ……と小さな音がして、煙草の先端が赤く光る。


 そして、肺に溜められた白い煙は吐く息によって火鉢の部屋に蔓延する。


 そしてその煙がすべて見えなくなったタイミングで、あくとは意を決して、その黄色のライターはあさがおに見せ、言った。


「事件に使われたこの黄色のライターには、小林灯火くん。彼の指紋しか付着していなかった」


 その言葉の意味をあさがおが理解したのは―あくとが煙草を吸い終えて、すぐの頃だったという。

 

 

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