三話――氷の女王


――6


 あさがおは、今までに数々の事件を経験していた。

 小さなものから大きなものまで、それは様々で、中には警察や探偵なんかの手を借りなければならなかったものも少なくはない。


「机上探偵……シロ様の登場だぞっ!!」


 探偵風の格好で登場した、まだ自身より幼い頃の少女。

 その格好とリンクするように、シロは自身のことをこう言った。


――探偵……と。机上探偵と。


 これまでにあさがおの出会ってきた探偵の中に、女性の探偵は少なくはなかった。

 けれど、自身より歳の若い。それもシロのような可愛らしい外見をした探偵は初めてであった。しかも、シロはただの探偵ではないという。机上探偵――シロは自らをそう名乗った。机上、字面の通りなら、それは机の上ということだが、果たして……その意味するところは。


「シロちゃん……? 探偵って……それに、その格好は……」


 予想外の事態にあさがおの脳は軽いパニックを起こしていた……

 けれど、流石は長年事件という事件に巻き込まれてきただけはある。

 あさがおはすぐさま事態の把握はあくを試みた。

 

 予想外の事態が起こった時、一番有効なのは冷静になること。

 そして事態を客観的に分析することだと、あさがおは知っていたのだ。


「おぉ、驚かせてすまなかったな。探偵と名乗る時はこの格好と決めているのだ。何故なら、そうしないと信じてくれない輩が多いのだ」


 そう言って頬を膨らませるシロ。

 あさがおに言わせれば、余計に信憑性が薄くなり、子供のいたずらとでも思われてしまうのではないか。そう思った。


 けれど――


「どうだあさがおっ!! 似合っているだろう?」


 こうもキラキラと眩しい笑顔で言われてしまうと、否定することなど出来なかった。


「う、うんっ。そうだねっ! ど、どこからどう見ても、探偵さんだよっ!」


 我ながら下手な嘘だと、あさがおは思った。

 声は上ずり、口調はぎこちないものとなってしまったのだ。

 これでは、流石にシロに嘘がバレてしまっただろう。

 シロは歳の割りに賢い少女であるし、さらに自身を探偵と名乗った程だ。

 人の嘘や挙動には敏感であるようだし、あさがおは自身のついた嘘がバレることを瞬時に恐れた。


 けれど――


「そうであろう!! やはりこの『誰でもホームズなりきりセット』は買ってよかった!」


 肝心のシロはというと、あさがおの言う事をこれっぽっちも疑ってなどいないようであった。それ程までに、シロはあさがおのことを信頼していたのかというと、今回の場合はそれも当てはまらない。何故なら、今回のケースはただ単に、シロがあさがおの話など聞いていなかったから。シロは誰になんと言われようとも、自身が一番探偵の衣装が似合うと、確信していたのである。


「す、すごいねぇ~。え、えっと、その格好の理由はわかったんだけど……」


「うむ、探偵……あさがおはこの言葉が引っかかるのだな」


「そ、そうだね……しかも……探偵って……」


 この際、シロが本当に探偵かどうかなど、あさがおに確かめる術はなかった。

 何故なら、シロは自身のことを探偵だと言い張るだろうから。

 例えシロがただの探偵好きの、自身のことを探偵だと思い込んでいる可愛らしい少女だったとしても、シロは決してそれを認めないからだ。

 

シロのおおよその性格を把握していたあさがおは、とりあえずはシロの話をすべて聞く事にした。相手を理解する為には、まず話をキチンと聞く事が重要であるから。そうすれば、見えてくるものがあると、あさがおは知っていたのである。


「そうだな、話してやろう……あさがおには、特別に」


 あさがおがしっかりと『聞くモード』に入ったことを確認して、シロは薄っすらと笑みを浮かべ、そう言った。幼い子供が浮かべるにしては、それはいささか不気味というか、まるで人では無い何かのような雰囲気を、あさがおは感じたという。まるで、すべてを見透かされているような――自身の遥か上位の存在から見下ろされているような違和感。それを抱いたのである。


「シロちゃんは……何者なの……?」


 思わず、そんな言葉が口から飛び出た。

 怯えた様子をシロに悟られてしまった後悔よりも、この時のあさがおは、目の前の正体不明のに対する恐怖心――そして、好奇心で満ちていたのだ。


「そう怖がるでない……大丈夫……」


 対するシロは、怯えた様子のあさがおに一歩、また一歩と近づいて行った。

 尚もその表情には微かな笑みと、そして歪みが生じていた。


「ふふふ…………」

 

 素足でフローリングを歩く音が、静かなマンションの一室に響いている。

 自身にシロが近づくほどに、あさがおの心臓の高鳴りは増していった。

 呼吸が荒くなり、いつもの冷静さを失いつつあったあさがお。

 先程までただの可愛らしい少女だったはずの目の前のなにか――その正体を知りたいと思いつつ、体はそれを拒否している様子。

 だが、あさがおの望み通り――その時はもうすぐそこにやってきていたのだ。


「自己紹介の続きといこうか――」


 ミシミシ……と、リビングの椅子を踏みつける歪んだ音が、あさがおの鼓膜を刺激した。気づけば、シロは自身の真横を通り過ぎ――椅子を踏みつけていた。

 慌ててそちらを見やると、あさがおは、真実に辿りついた。


「あぁ……やはりここは、落ち着くな……」


 椅子を踏み台にし、あろうことか、シロは机の上に胡坐あぐらをかいて座っていた。

 その姿を目撃したあさがおは、言葉を失った。ぽかりと開いた口がなんともまぬけで、それを見たシロはさらに笑みを大きくする。


 そんなまぬけなあさがおを置き去りに、シロはその歪んだ口を開いた。


「机上探偵――机の上ですべての事件を解決する者。それが、シロだ」





――7

 


 碧く光り輝いてさえ見えたブルーの瞳は、熱を失ったかのように暗く、黒くくすんだ色へと変化していた。さらにその天使のような声も、まるで氷の国の女王様――聞く者の芯を冷やしてしまいそうな、生気のないものに変わっていた。


 しかし、その純白の髪だけは、先程と……いや、先程よりも清く白く輝いていた。


 それが、木漏日あさがおが初めて――机上探偵と対峙した時の感想であった。


「ふふ、驚いたかあさがお。口がぽかりと開きっぱなしになっておるぞ」


 言われ、あさがおは慌てて開きっぱなしになっていた口を閉じた。

 そして、再度机上に座るシロを見やる。


 胡坐をかき、右手で純白の髪をもてあそぶぶシロ。

 先程まで被っていた茶色の帽子はどうやら脱いだようで、おもちゃのパイプと虫眼鏡と一緒に机の隅に置かれていた。

 

 尚も着ているぶかぶかの茶色いコートは、しかし何故かとても似合っているような気がした。まるで本当に、自分は名探偵と対峙しているのかもしれない。あさがおにそう思わせるほど、今のシロには『貫禄かんろく』というものが感じられたのである。


「そう怯えるでない、我はただの少女――机の上で推理ごっこをするだけの、普通の少女なのだから」


 机の上で推理ごっこをする少女を、普通の少女とは言わないのではないか。

 当然の疑問があさがおに浮かんだが、それを口にするよりも先に、あさがおには尋ねたいことが山ほどあった。

 そんなあさがおの心中をしたかのように、シロはあさがおの口を開かせることなく、話を続けた。


「わかる、わかるぞ。我のこの姿を初めて見た者は、皆同じ反応だからな。興味深い事件譚のお礼だ。しっかりと耳に焼き付けるがいい。我の、机上探偵であるシロの自己紹介を」


 ぶんぶんぶんと、あさがおは頭を縦に振った。

 この時既に、あさがおの中にはシロに対する恐怖心など無かった。

 ただの好奇心――目の前の未だかつて見た事の無いものに対する好奇心だけが、あさがおの心を支配していたのだ。

 そしてそれに応えるように、依然氷のように冷たい声で、シロは言葉を続けた。

 

「まぁ、話すことはたくさんあると思うが、まずは一つハッキリさせておこうか。あさがおがずっと気になっていたこと。我が本当に探偵という、特殊な職業に就いているのかどうか」


「は、はいっ。お願いします」


「うむ、先程から何度も言っておる通り、シロは机上探偵だ。それは嘘でも冗談でも比喩ひゆですらない。ただの事実だ。我は幼い頃より、机上探偵として数々の事件を解決してきた、紛れも無い本当の探偵だ。依頼人から事件の依頼を受注し、それを解決して金銭を受け取る、プロの探偵であるぞ」


「プロの……探偵……」


 自らをプロの探偵と名乗ったシロ。

 その言葉に嘘も偽りも無いと、あさがおは確信した。

 

 それは、これまで数々の事件の最中出会ってきたと、今のシロの雰囲気が似ていたからだった。

 言動や態度だけいっちょまえの、探偵達を、それこそ数え切れない程見てきたあさがおだからこそ、今のシロの立ち振るまいや言動を、真の探偵と断定することが出来たのである。


「信じてくれたか。ありがとうな、あさがお」


「え、あ、あの……ううん……少しでも疑って、申し訳ないというかなんというか……」


 先程までと打って変わって、机上のシロは落ち着いていた。

 まるで自身より遥か年上の人物を相手しているかのような、そんな不思議な気分にあさがおはなっていたのだ。


「まぁ、あさがおでなければ、こんな話すぐには信用など出来ないだろうからな。こんな小さな少女がまさか探偵だとは、普通の人間は信じられないだろうさ」


 小さくはかなげな笑みを浮かべ、シロは遠くを見つめそう言った。

 しかしすぐにその笑みを崩し、再度真剣な面持ちを取り直したシロは、まっすぐとあさがおを見つめ言葉を続けた。


「まぁ、そんな話はどうでもいい。我はあさがおのことが気に入ったのだ。面白い事件譚を聞かせてくれたお礼に、我からも色々と面白い話を聞かせてやろう」


 それから、シロは自らが解決した事件の数々をあさがおへ語った。 

 そんな事件譚を、あさがおは口を挟むことなく、一言一句聞き逃さないように慎重に聞いていた。


 数々の、シロが解決へ導いた事件を聞く内に、なんとなくだが、シロが自らを机上探偵と名乗っている理由が判明してきた。

 その内の一つが、先程感じた違和感。

 机上に座った途端、シロの雰囲気が変わったという違和感だった。

 

 自動販売機の前でも、このマンションであさがおの事件譚を聞いていた時も、あさがおから見て、シロは幼い子供にしか見えなかった。

 けれど、シロは机上に上がった途端、その様子を変えたのだ。

 それは今日だけに限った話ではなく、数々の事件を解決に導いてきたその道のりすべてに共通するようだ。

 二重人格――その言葉があさがおの脳裏を過ぎるも、それを見越したシロは、話にこう付け加えた。


「あぁ、我が二重人格であると予想する者も多いが、それは違うぞ。机上の上の我も、机上の下のシロも、同じ我でありシロだ。ただ、机上の上では少し気持ちが大きくなり、思考も柔軟になるというだけ」


 にわかには信じられない話だが、本人がそう言うのなら納得するしかない。

 

 高い所から人を見下ろすと、自分が偉くなったような錯覚を覚えることがあると聞いたことがあるが、今回の場合はそういう訳ではなさそうである。

 何故ならシロの身長はかなり低く、机の上で胡坐をかいている今でも、椅子に座っているあさがおより少し目線が高い程度。もしあさがおが椅子から立ち上がれば、すぐにあさがおの方が目線は上になるのだから。


 念の為にあさがおは椅子から立ち上がって、机上に座るシロを上から見下ろしてみたのだが……


「ふふ、そんな可愛らしい顔で我を見るな。照れてしまうだろう」


 そう言われ、なんだか恥ずかしくなりすぐに椅子に座り直してしまったのだった。


 これでシロが二重人格では無いと判明したのだが、机上の上と下で性格が変わるということと別に、シロが机上探偵と呼ばれ、名乗っている理由がもう一つ判明した。

 

 それは――


「机上の上ですべてを終わらせる。それが我の美学であり、宿命なのだ」


 机の上ですべての事件を解決へと導いてきたこと。それである。


 事件の詳細を聞くのも机上。推理をするのも机上。真相を披露するのも、やはり机上。それが、机上探偵が机上探偵たる最大の理由だったのだ。


 まぁ、考えてみればすぐにわかりそうなことなのだが、それは少しおかしなことを言っていると、あさがおはすぐに気がついたのである。


「え、でも……そうすると……」


「そう、当然の疑問が一つ、浮上する」


 机上探偵であるシロは、証拠を集めることも、事件現場を詮索せんさくすることも、犯人を張り込むこともせず、数々の事件を解決してきたことになるのだ。


 事件の詳細を聞いただけで、ある程度の予想をつけることは出来るだろう。

 それこそ、机上に座るシロならば、おおよその見当をつけることなど容易いのだろう。けれど、それは推理とはいわない。それはただの……


「机上の空論――そう言いたいのだろう?」


 まったくもって、その通りだった。

 証拠のない推理は、ただの空想と同じだ。

 事件現場を一度も見ていない探偵に、なにを偉そうに推理を述べられても、それを容易く信じることなど出来ないだろう。


 けれど大丈夫。と、シロは補足を加えた。


「シロがするのは、あさがおの想像通り、机上の空論。ただの根拠のない想像ばかりだ。だが、我の空論は必ず当たる。今まで、我の――机上探偵の推理が外れたことなど、一度も無い。それを証明するのは、我の手足となる者達。そやつらはすぐにあさがおに紹介することになるだろうから、安心せぇ」


 そう言って、シロは着ていたぶかぶかの茶色いコートのポッケから、白い携帯を取り出した。白色の面積の異常に多いパンダがモチーフのケースに包まれていて、それは最早白熊に黒い汚れがついているだけのようにも見えた。


「今からその手足に連絡を取るから、少しだけ待ってくれ」


 シロはそうとだけ言って、慣れた手つきでその手足と呼ぶ人に電話を掛けた。


「あぁ、かけるか。すまないな。あぁ、あぁ、察しが良くて助かる。すぐに来てくれ。あぁ、待っているぞ。では、後ほど……」


 とても簡潔にそれは行われてしまったので、シロのいう手足さん達の情報はほとんど得ることが出来なかった。強いていえば、その手足のどちらかに『かける』という名の人物がいるということぐらいである。


「って……ちょっと待って!!」


「ん……どうした?」


 ここで、聞く事に集中していたあさがおはあることに気がついた。

 それは――


「私に紹介する為だけに、その手足さん達を呼んだんだよね?! それって申し訳なくないっ?!」


 そう、聞く事にばかり集中していてそこまで思考が追いついていなかったが、よく考えればそうである。別に今日、いますぐに会わなくても、また別の、皆の都合が合う日にでも集まればいいのではないか。

 あさがおのそんな提案に、シロは何を言っているのかわからないという風に首を傾げ、こう言った。


「んむ。我の手足をいつ我が使役しようが、それは我の勝手というものではないか? あさがおは、人が手足を動かすのに疑問を感じる、珍しいタイプの人間なのか?」


「え、ええっとぉ…………」


 呆れるあさがおを置き去りに、けれどシロは口をニッと広げ、この日一番の不敵な笑みを浮かべ、言った。


「それに……だ……今日でなくては駄目だろうが」


――ガチャリ


 同時、マンションのドアが開けられる音が、あさがおの鼓膜に伝わった。


「来るのはやっ?!」


「当たり前だ。やつは我の足だからな。事件解決には優秀な足がいる。そう、あさがおの抱える事件を解決する……な」


「え、それって……どういう……」


 あさがおの驚愕を置き去りに、シロは机上からその身体を下ろした。

 そしてあさがおの傍までかけより、耳もとに顔を近づけ言った。

 天使のような、歳相応の可愛らしい笑顔をして、言ったのだ。


「コンポタのお礼――すると言ったのだ♪」








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