六話――怪盗チルドレン


――12



 ある日、少年は小さな罪を犯した。


 お腹が痛いと嘘をつき、通っていた幼稚園を休んだのだ。


 両親に嘘をつき、お腹が痛いという演技をして、その小さな罪は行われた。

 生まれつき演技の才能があったのか、はたまた過保護な両親だったのか、少年の母親は少年を疑うことなど一切なく、すぐに幼稚園に電話を入れ、少年を就寝部屋に残し、仕事に出かけたという。


 無事、両親に嘘をつき幼稚園を休むことに成功した少年はというと、布団の中で思い悩んでいたのだった。


 仮病を使い、両親に嘘をついてしまった後悔……ではなく、こんなにも容易く、人は騙せてしまうのだという事実が、少年の心を不安にさせたのだ。


 結果として、二日間の偽の療養生活を終えた少年は、幼稚園へと向かうバスの中で、ある計画を企んでいた。


 そして、それはすぐに実行に移されることになる。


 幼稚園の先生に始まり、友達の母や父、近所のお爺さんやお婆さん、果ては自身の両親に対して、嘘をつき続けたのだ。さらに、幼くして優秀だった少年は、一八歳より上の年齢の男女を対象に定めて、バレないように慎重に、嘘をつき続けた。


 その内容は、昨日の食事の内容という小さなものから、明日の天気や偽のニュース内容という、マルチなジャンルに渡った。


 これらの嘘を、大人達は見破ることが出来るのか。

 そんな純粋な、好奇心にも似た気持ちから、これらの活動は行われていた。


 そして、その結果……少年は見事に、大人たちを騙し続けることに成功したのだった。少年が半年に渡ってついてきた嘘を、大人たちは見破ることが出来なかったのである。


 この結果から、少年はある仮説を思いついた。


『大人たちは、子供を甘く見過ぎではないだろうか』


 仮説を立ててしまえば、少年がそれを証明したくなるのは必然であった。

 とはいえ、少年はまだまだ幼稚園の年長に上がったばかりの歳。

 その仮説を証明するには、まだまだ幼すぎると、自身で理解していた。


 なので、少年は待つことにした。

 人を騙す演技やテクニックを磨きながら、少年は四年間待ったのだった。


 そして、その時はやってきた。


 それは少年が小学校の三年生になったばかりの頃、担任の先生の机の中から、小さな鍵を盗み出したのだ。


 その鍵が、生徒の個人情報が詰まった書類を管理する金庫の鍵なのは、事前に調べておいた。さらに、職員室から大人たちが姿を消す時間帯、さらには、職員がその鍵を当番制で保管していることも、事前にすべて調査済みであった。


 これは、決して担任の先生が嫌いだったわけでも、自身の嘘に気づけない馬鹿な大人たちを嘲笑った行為でも、単なる悪戯でもない。ただ、知りたかったのだ。笑って済まされないレベルの事件、その犯人として、大人たちは自分を含めた生徒……そう、子供たちを、犯人の候補として考えるのか。


 鍵を盗んだ少年は、事前に立てていた計画通り、自作の盗聴器を担任の先生の机の裏に張り付け、その場を後にした。あとは、なにくわぬ顔で教室へと戻り、いつも通り下校するだけである。


 しかし、ここで少年の計画が少しだけ狂ってしまう。


 誰もいないはずの教室に、担任の先生が残っていたのだった。


「あら白鳥くん、もう下校時刻は過ぎているわよ?」


 高鳴る心臓の鼓動。

 ここでもしもミスを犯せば、少年がいままで築きあげてきた計画が水の泡になってしまう。


 この計画はあくまで、鍵を盗んだ犯人の目星が付かない状態で、大人たちが生徒を怪しむかを見る実験である。

 ここで少年がミスを犯せば、担任の先生は真っ先に、怪しい生徒である少年を疑ってしまうだろう。それは、絶対に避けなければいけないことであった。


 なので、少年は心に仮面を被ったのだった。

 いつもの通り、四年間そうしてきたように。

 虚言をまるで、真実かのように偽って。


 自分は、ただの子供だ。

 なにも知らない。

 

 自分はランドセルを忘れて取りにきた、可愛い生徒だ。

 馬鹿で幼稚で、けれど少し大人びている、優秀な生徒。

 

 笑顔を作って、話を変えろ。

 先生に悟られるな、印象を残すな、騙せ。


「あはっ、すいません。大切なランドセルを教室に忘れてしまって……。ですが、藤岡先生、先生こそどうしてここに? 確か今日は職員会議の日だって、いつも言っていたような……」


「あら、よく覚えてたはね白鳥くん。いつもはそうなんだけどね、今日は教頭先生が遅刻してて、少し予定が遅れているのよ。他の先生は先に会議室に行ってるみたいだけど、先生はここでこうして、明日の授業の準備ってわけ」


 そう言って先生は、明日の授業で使うのだろう大きな紙を取り出した。


「なるほどっ! 明日は確か、警察の人が来て、泥棒さんの対処法を教えてくれるんでしたねっ!」


「そうそう、流石は白鳥くん。よく覚えてるわね」


「えへへ、大事なこととか、大切なものは忘れたらダメだって、お母さんによく言われてるからねっ」


「うふふ……じゃあ、さっき忘れてたら大切なランドセルを持って、大切なお母さんの待つお家に帰らなきゃね」


「あっ、そうでしたっ! 先生ありがとうございます! それでは……これで失礼しますっ……って、その前に、最後に一つだけ!」


「ん? どうしたのかな?」


「明日、警察の人が教えてくれるかもですけど……最近……この辺りで空き巣が流行ってるらしいですから、先生も気をつけてくださいねっ!!」


 偽りの笑顔を少しも崩すことなく、少年は……白鳥翔は、その場を後にした。




『どういうことですか藤岡先生?! 鍵がないって、そんなわけがないでしょうが!!』


 その日の晩、翔はワイヤレスで盗聴器から録音されていた音声データを、布団の中に身を隠し、聴いていた。


 盗聴器から送られてきたデータによると、鍵の盗難が発覚してたのは、職員会議が終わったあとすぐ、担任の藤岡先生から鍵の引継ぎが行われる瞬間ということが判明した。


 鍵は三日に一度別の先生へと引き継がれるので、この結果は翔の予想通り。


 問題はここからである、普段は優しい教頭先生の怒号を合図に、どうやら職員室にいる教員全員で、あるはずもない鍵探しが行われているようである。


 その様子を耳にして、多少の罪悪感がないわけではないが、翔はそれよりも、事の顛末に興味深々であった。


『藤岡先生っ、確かに鍵はここに置いておいたんでしょうね?!』


『はい……そうです……』


『じゃあなんで無くなるんだ!!! 誰かが盗んだとでもいうのかっ?!』


 教頭先生のそんな言葉をきっかけに、全員の荷物検査が行われたようである。

 職員室のデスクが、激しく開閉される音声が、翔の耳を貫いたのだ。


 しかし、そこに鍵はあるはずもない。

 なぜなら、肝心の鍵は今、翔の手の中にあるのだから。


『はぁ……大きな声を出してすいませんでした、一回落ち着きましょう……藤岡先生、鍵を最後に見たのはいつ頃ですか?』


『えっと……確かに見たと断言出来るのは、今朝の朝礼の時です……。仕事中、何回か引き出しを開けたりはしますが、その時に鍵があったかまでは……』


『まぁ……そんなところですかね……そうなると、やはりどこかに落ちている、といったケースは無さそうですね』


『残念ながら……』


 ここまでは翔の思惑通り、そしてその後も、遠回しに藤岡先生が盗んだのではないかと主張する者、又、他の先生が盗んだのはではないかと主張する者、様々な意見が、職員室を飛び回っていた。


 しかし、その中に、生徒を疑う声は、表れることはなかった。


 翔が、やはり自身が立てた仮説の証明を果たした……と思ったその時、藤岡先生が突然、その口を開いた。


『待ってくださいっ!! そういえば…………』


 そういえば、の後に続く言葉に、翔は全神経を注いで耳を傾けた。

 その言葉で、きっと決まると思ったからだ。

 今まで抱いていた自身の不安が、現実のものになるのかどうか。


『そういえば……最近、この辺りで空き巣が流行ってるって……』


『……空き巣…………?』


 この瞬間、翔の仮説は現実のものとなったのだった。


『空き巣がわざわざ学校を狙うかね……? それに、金庫の鍵のありかを知っているのもおかしいじゃないか……』


 その反論も、すべて翔の予想通り。


 ここで大切なのは、学校の中ではなく、外に意識を集中させることだったのだ。


 思わぬハプニングであった筈の担任の先生との遭遇も、箱を開けてみれば、見事な仕込みへと姿を変えていた。これで、大人たちはみな、職員はおろか生徒へ、疑いの目を向けることはないだろう。


 いや、正確に言えば、目を向けたとしても、それを発言出来ないのだ。


 外部犯の可能性が話に出た時点で、ここでさらに話しを戻し、教職員を疑うような発言をすることは、大人たちの世界ではタブーなのだ。


 空気を読むことを絶対とする、大人たちの弱点を、翔は知っていたのだ。


 そして、この学校に設置されている監視カメラが、実はすべてレプリカの偽物だということも、調査済み。そして、この後しばらくして、仕掛けた盗聴器が見つかってしまうことも、計画のうち。タイマーで、盗聴器から小さな音が流れるように、細工をしておいたのだ。盗聴器が見つかってしまえば、教員達は必ず外部犯を疑う筈である。しかし、警察に被害届を出そうにも、監視カメラを偽装していたことがバレてしまうだろう。そうすれば、学校のメンツに関わる筈である。


 果たして、齢七歳の少年の計画は達成された。


 しかし、翔の計画は、ここからが本番なのであった。

 そう、これまでは、自身が建てた仮説を証明しただけのこと。


『大人たちは、子供を甘く見ている』


 それが判明しただけなのである。


 長年の疑問が解決した翔は、布団の中で手を震わせて今後の計画を練っていた。

 あまりにも、子供を侮っている大人たち。

 このままでは、社会はダメになってしまうだろう。


 自身のような、大人を騙そうとする子供たちは必ずいる。

 そんな決めつけから、翔はさらなる計画を思いつくに至った。

 

 それは、初めて両親に嘘をついたあの日。

 この布団の中で思いついたそれと、なにも変わっていなかったという。



 ――翌朝、職員室にやってきた先生たちは驚愕した。


 職員室の中心からぶら下がる、自分たちが血眼になって探したあの金庫の鍵を見つけたからである。


 しかし、安堵したのも束の間。

 鍵と一緒になってぶら下がる、小さなメモを見つけて、教師達は身を震わせることになる。


『今度はちゃんと、監視カメラをつけるんだな。子供舐めんな。by怪盗チルドレン』




――13



「ってなわけで、僕は怪盗チルドレンって名前で、空き巣まがいの行為を繰り返したのさ。まぁ、実際は盗んだものも近いうちに返却してたし、僕は大人達に警告をしたかっただけなんだわ。なのにさ、世間的に僕は愉快犯なんて呼ばれてて、その時だな。シロに出会ったのは」


「あぁ、結構前にニュースになってたもんね。怪盗チルドレン。空き巣に入った家の、一番固いセキュリティを突破して、謎の警告文を残す愉快犯。確か、孤児院に空き巣に入った時に、そこの園長先生に捕まったとかなんとか。けど、その後警察が来る前に逃げ出して以来、行方がわからなくなってるだとか……」


「あぁ、よく知ってるな。結構前のニュースだろそれ。僕とあいつが出会った時だから、僕が中学校に上がった時ぐらいか?」


「え、ちょっと待って……翔って……歳……いくつ?」


 あさがおの記憶では、その怪盗チルドレンのニュースを見たのが十年前。

その時点で、翔は中学一年生だったのだから……。


「余計なことは考えなくていいさ。僕は人を騙すプロだからね、年齢なんて、その場その場で切り替えれば、それでいいだろう?」


 先ほどから、敬語も使うことなくフランクに話してしまっているが、本人がそれでいいと言うなら、この際、気にしないでおくことにしたあさがおだった。


「え、えっと……話しを元に戻して、その時、翔はシロちゃんに出会ったんだよね?」


「あぁ、そうだな。さっきあさがおが言ってた、僕の最後の仕事場所になった孤児院。そこにシロはいたんだ。僕の侵入に一番に気づいたのも、あいつだったな」

 

 懐かしそうに、口の端を緩めながら、翔は語りだした。

 その表情は、翔がいつもしているのだろう偽りの表情ではなく、きっと、翔本来の、優しい表情なのだと、あさがおは思ったのだった。


「まぁ、これはシロのプライバシーにも関わる話だから、少し簡潔に話すけれど……。あの日僕は、幼いシロに見つかって、人生で初めて焦った。子供を甘く見るなと警告して周る怪盗チルドレンが、まさかこんなオチビさんに見つかるなんて、なんとも間抜けな話だろう? だが、まぁ今になって思えば、運命だったのかもしれねぇな。あの孤児院の園長。シロの育ての親との出会いはよ」


「シロちゃんの……育ての親……」


 なんとなく、シロが特殊な環境で育ってきたことは察していたあさがお。

 予測通り、シロは孤児院に預けられて、そこで育ってきたのである。


 そんな時、翔と出会った。

 そして、今では立派な机上探偵として活動している。


 そんなシロを育てたという、孤児院の園長とは、いったい。


「ハッキリ言えば……認めたくないが、僕の初恋の人だ……。優しさと思いやりを具現化したような人で、僕があの頃抱いていた疑問も、社会への不満や不安も、全部包み込んじまいやがった。ここからはシロのプライバシーを尊重するが、空き巣に入った僕を捕まえたその人は、シロの面倒を見ることを条件に、僕を開放したってわけだ。僕はその時の約束をいまだに、果たしている途中ってわけ。いつ終わるかもわかんねぇけど、不思議と……いやではねぇけどなっ」


 そう言ってクスリと微笑んだ翔の表情を見て、あさがおは納得した。


「うん、わかった。翔とシロちゃんを、心から信用します!!」


「お、おう……そういえばそんな話だったな……」


 元を辿れば、今までの話はすべて、あさがおが仕事相手として、翔や机上探偵であるシロを信用する為のものだったのだ。

 すべてを話し終えた結果、あさがおは無事、机上探偵とその手を信頼したのだ。


「まぁ、あさがおがそれでいいなら、それでいいけどよ……」


「うんっ。私、こう見えて審美眼だけは、自信ありなのだっ♪」


 そう言って舌を出すあさがおを見て、やはり似ている。

 そう心の中で、翔は呟いていたのだった。


「ったく、こんな時間によくそんな元気満点の笑顔が出来るなお前は」


「え、こんな時間って……えっ、ウソっ?!」


 時計を見れば、時刻はもう夜中の二時を過ぎていた。


「こんな時間に帰ったら逆に危険だからよ、今日はここに泊まってけよ。念の為、ここに来る時にあいつの私服借りてきたから、シャワーも浴びれるぜ?」


「あいつ……っていうと、彼女さん?」


「そうそう、体型も同じくらいに見えるし、多分大丈夫だろ。あとは寝床だが、これは僕と同じでいいよね?」


「お、同じっ?!」


「あぁ、この家。寝れるとこはこのソファーしかねぇからさ、別にいいだろ? あったかいし?」


 この人は本気で言っているのだろうか。

 これでは別の事件が巻き起こってしまうのではないか。


 慎重に、ソファーに毛布と着替えを運ぶ翔を、注意深く観察した。


 けれど、プロの役者を超える演技を見抜いたあさがおの審美眼を持ってしても

今の翔に、悪意や邪な思惑があるとは、到底思えなかったのでした。



「ん? どうした? はやくシャワー浴びて来いよ。寒いだろ?」



 この人、いつか彼女さんに刺されますよ。


 そう思うあさがおであったが、意外にも、翔の腕の中は、快適だったという。

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