一話――二つの才能


――0



「あさがおさんっ……待ってください!」


 下校を知らせるチャイムが鳴りひびく中、その声は廊下に響き渡った。

 木漏日こもれびあさがおを呼ぶ、小林灯火とうかの声が、廊下に響き渡ったのである。


 振り向く彼女の表情は、まるで天使のようだと、小林灯火は思ったという。

 そんなことを知る由もないあさがおは、窓ガラスから刺す夕日に照らされながら、声のした方向に向き直る。そして、小林灯火はそれを確認すると、この物語じけんを終わらせようと、口を開いたのである。


「ぼっ……僕を……助けて……ください……」


 必死の形相で迫る灯火に、少し押され気味のあさがおだったが、すぐにその表情を笑顔に変えて、ゆっくりと、けれど慎重しんちょうに口を開いた。


「はいっ……まかせなさい」


 それがこの物語じけんの、終わりの始まりである。




――1



 木漏日あさがお――高校三年生、身長百五十四センチ、体重四十一キロ、性別は女性、髪はやや茶色、後ろ髪は腰まで伸びて、前髪まえがみはぱっつんと平行にそろえられている。好きな食べ物は甘い物、嫌いな食べ物は辛い物、得意科目は暗記科目、苦手科目は英語、得意なことは笑顔で、苦手なことは怒ること。そして、彼女は極度の、巻き込まれ体質だった。


「最近……こういうこと減った気がしたんだけどなぁ……」


 夕日はとうにしずみきり、空には月が登っていた。

 月明かりが妙に明るい今日こんにち、しかしあさがおの心中は曇りのようであった。

 それというのも……


「灯火くんからのお願い……私には重すぎるよぉ……」


 幼い頃から、小さな物から大きな物まで、事件と名のつくものに愛されてきたあさがおであったが、今回巻き込まれてしまった事件は、その中でもかなり大きい物に分類されるようなのだ。それもその筈、だって……


「妹さんの自殺って……どうすればいいのかなぁ……」


 小林灯火の妹、その名も小林火鉢ひばち

 彼女の自殺というのは、地元では有名な事件なのであった。


 テレビのニュースや新聞の記事では実名報道こそされなかったが、地元に住むあさがお達、特にクラスメイトである者はみな口にこそ出さないが、当たり前の事実として知っていることであった。


 マンションの八階の一室で行われた練炭自殺。

 中学二年生の少女が巻き起こした、巷を賑わすには充分過ぎる事件である。


「灯火くん……だいぶ弱ってたな……」


 あさがおの記憶では、確か火鉢の自殺は二週間程前の出来事だった筈である。

 事件の捜査も終わり、火鉢の死因は一酸化中毒による窒息死で間違いないということであった。


 すなわち、この事件は、既に終幕しゅうまくむかえているということだ。

 そんな事件を掘り返して、灯火はなにを依頼したのか。

 木漏日あさがおという、地元で知らぬ者はいない事件請負人じけんうけおいにんになにを依頼したのだろうか。その答えは、とても意外なものだったという。




――2




 小林火鉢の母は、実の娘の自殺を受け入れられずにいた。

 通っていた中学校でも有名な、明るく優秀な生徒だった火鉢。

 だからこそ、そんな娘が自殺するなど、信じられなかったのである。


 自殺現場である火鉢の部屋に最初に入ったのは、母だったらしい。

 仕事も終わり、自宅であるマンションの八階へと登り、いつものように玄関を開けたその時、彼女は異変に気づいたという。


 焦げ臭いような、息苦しい空気を感じた彼女は、その出元を探しまずはキッチンへと向かった。

 

 しかし、キッチンに異変はなく、匂いも息苦しさも薄くなっていた。

 念の為、ガスが洩れていないかなどをチェックしようとした、正にその時。

 もう一つの異変が起きていたことに、彼女は気づいたのである。


『玄関に、まだ習い事中の娘のくつが置いてあったではないだろうか』


 嫌な予感が頭に浮かんで、彼女は足早に娘の部屋へと足を運んだ。

 不安が増していくに連れて、その呼吸も乱れていく。

 心臓の鼓動こどうがそのリズムを急激きゅうげきに上げていくが、娘の部屋の戸を開けた彼女の思考は、火鉢の死体を見たその瞬間に、その役目を放棄した。


 部屋の戸にカギはなく、誰かが侵入したあともない。

 そして決定的だったのが、机の上に置かれた遺書であった。

 筆跡鑑定ひっせきかんていをするまでもなく、家族全員がその文字を見た時、確信したという。

 間違いない。これは、火鉢が書いたものだと。


 火鉢が自殺してから一週間、母の心中はもう嵐のように荒れに荒れていたという。


 小林灯火の父、つまりは自身の旦那には怒鳴り散らし、実の息子である灯火にはただただ泣きついたという。


 彼女が受け入れられなかったものは、火鉢の自殺ではなかった。

 それは、火鉢が残した遺書に書かれた、ある一文。

『人生に絶望したあたしは、自殺を選んだ』という一文。


 いってきますの挨拶も、ごちそうさまの掛け声も、毎日欠かすことなく笑顔で発した実の娘が、人生に絶望していたとは、到底とうてい思えなかったのである。

 しかし、これを否定出来るのは火鉢本人だけである。そう、この事件を起こした張本人、そしてこの事件で亡くなった、正にその人だけなのである。


 察しのいい方ならば、この時点で気づいているかもしれない。

 残念ながら、察しのいいとは言えないあさがおは、その言葉を聞くまで、灯火があさがおに対してする『お願い』の正体を、気づくことはなかった。

 そう、終わった事件の解決を、灯火の心からの願望がんぼうを、あさがおは気づくことが出来なかったのである。灯火の口から、その言葉が発せられる、その時まで。


「自殺の理由をなんて……無理だよ……」




――3



 


 灯火の目的は、事件の解決とはまた少しベクトルの違うものだったのだ。

 数多あまたの事件を解決へと導いてきた木漏日あさがおに対して、灯火はその、経験を欲したのである。

 自殺の原因。中学生の少女が、その命を投げ捨てたくなるような理由を、あさがおなら知っているのではないか、そう考えたのである。

 

 恐らく、灯火自身は妹の自殺について、疑う余地はないと考えているのだろう。

 妹である火鉢は、人生に絶望したのだと。

 机の上に置かれていた遺書に残されていた言葉は、間違うことなき真実だと、確信しているのだろう。


 しかし、母はそうではなかった。

 残された実の母は、妹の死を受け止め切れずにいた。

 従って、灯火は妹の死因を、偽装することを思いついたのだ。

 

「まったく……困ったなぁ……」


 他称たしょう事件請負人のあさがおだが、その実は、ただただ被害者の言葉を聞き、ただただ当たり前のことをしているだけである。

 物が無くなれば見つかるまで一緒に探すし、今回のような人の死が関係する事件に関われば、ただただ一目散に警察に通報をし、解決されるのを一緒に待つだけである。従って、今回のような、あさがお自身が考え、行動しなければならないパターンは、極めて稀有けうなのであった。


 時期は冬目前の十月半ば、日も沈んだ外の気温はどんどん下がり、あさがおの吐く息も白くなっていった。

 考えることが苦手なあさがおは、けれどその思考を止めることはなかった。

 まるで口から吐かれた白い水蒸気が、オーバーヒートしているあさがおの思考を表す様に、もくもくと天に登っていた。


「あぁ……だめだ……なにも浮かばない……」


 そんな溜息ためいき交じりの言葉を吐き、とりあえずこごえる体と、かじかむ手先を暖めようと、あさがおは下校道にある一つの自動販売機を目指し歩みを進めた。


 十月半ばというのは、まだまだ気温差の激しい時期であった為、手袋やカイロなどの防寒製品を持ち合わせてはいなかった。なので、あったかぁ~いでおなじみの、コーンポタージュを買おうと思ったのだ。


「ん……? どうしたんだろう?」


 目的地である自動販売機へ到着すると、その前には一人の少女が、なにやら困ったような表情を浮かべて、凍える手をすり合わせ、足踏あしぶみみをしていた。


 おそらく中学生ぐらいに見えるその少女。

 日本では滅多にお目に掛かれない、純白じゅんぱくの長髪。碧く大きな相貌そうぼう。まだ幼さの目立つ顔立ちに、寒さで赤みを含んだほほ


 あさがおは、思わず口を開いた。


「か、か……か、かわ……いいいいいいいいいいい!!」


「ぬわっ?!」


 その後起こったことについて、あさがおは記憶を無くしていた。

 おそらく、可愛い物が大好きなあさがおの暴走により、自販機の前で立ちすくんでいた少女は、もみくちゃにされたのだろう。

 その証拠に、あさがおの意識が戻った時、少女の着ていた服は半分脱げかけていたのだから。


「な、な、なんなのだお前は?!」


 涙を目に浮かべ、少女は必死の抵抗であさがおにそう言った。

 小刻みに身体は震えていて、それは寒さの所為ではないのは、明白である。


「ご、ごめんねぇ……可愛いものを見ると……つい……」


「な、なんだそれは……」


 驚愕を通り越して呆れた表情を浮かべる少女。

 これはまずいと思ったあさがおは、場を取りつくろうと口から垂れるよだれを拭き、一つ咳払いを挟み、話を始めた。


「ご、ごほん……いやぁ……あはは……そのぉ……さ、さっきは、自販機の前でなにをしていたのかな?」


「うっ……な、な、なんのことだ……」


「え? いやさっき、自販機の前で足踏みしてた……」


「そ、そんなことは絶対に無い!! まさかシロともあろう者が、急に寒くなったからあたたかぁ~いコーンポタージュを買おうと思い、財布を出そうとポッケに手を入れたら、まさか財布を家に忘れてきていたなんて、そんなこと、あるわけないではないかっ!!」


「そ、そっかぁ~……そんなこと……あるわけ……って! 全部言ってくれるんかい!」


 いくら察しの悪いあさがおでも、これだけ丁寧に説明されれば、事態を把握することは容易たやすかった。というか、すべて少女が自ら語ってくれたのだから。当たり前といえば、そうなのだが。


「う、うぅ……違うもん……寒くなんか……ないもん……」


 ぶるぶると震える体を、意地で無理やり抑えようとしているらしい。

 赤く火照る顔は、寒さではなく羞恥心しゅうちしんからくるものだろう。


「もう、意地なんか張らないでいいのにっ! 私に任せて!」


「な、なにを……」


 言って、あさがおは真っ直ぐに問題の自販機に足を運んだ。

 そして、指定カバンから財布を取り出し、百三十円をコイン投入口へと入れた。


「ば、ばかものっ! シロは決して他人から、そんな哀れみなど受けないぞっ!」


 そう言う少女を尻目に、あさがおは余裕の表情を浮かべ、財布をしまった。

 そして、赤いランプのいた、あたたかぁ~いコーンポタージュのボタンを押す。


「ふふんっ、そうだよね。シロちゃんは優しいから、そう言うと思ったよ……でもね……」


 ガシャコンっと音がして、あたたかぁ~いコーンポタージュが勢い良く取り出し口へと姿を現した。あさがおの発した言葉の意図を少女が計り兼ねていると、その瞬間は訪れた。


それは、二人の才能が出会った瞬間であり、名探偵に相棒が出来た――正にその時であったのだ。



――ピピピピピ……ピピピピピ……ピピピピピ……ピ。



「アタリ、絶対引けると思ったんだよね。可愛いシロちゃんの為だから」

 

 

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