二話――ぶかぶかの茶色いコート
――4
「はいこれ! シロちゃんにあげる」
そう言って、木漏日あさがおは自身が引きあてた二つ目のコーンポタージュを、目の前の美少女――シロへと手渡した。
対するシロは納得のいかない様子である。
それもその筈で、何故ならあさがおは、
『アタリ、絶対引けると思ったんだよね。可愛いシロちゃんの為だから』
確かに、あさがおはそう言ったのだ。
それを、シロが
自動販売機で当たりを引ける確率をシロは知らないけれど、それは決して高くないことぐらいは分かる。
では何故、あさがおは当たりを引くことが出来たのだろうか。
その問いを、シロが口にするのは必然であった。
「うん? なんで当たりを引くことがわかったのかって? うーん……そうだなぁ……信じて貰えないかもしれないけれど……私、誰かの為って思うと、運が良くなる体質なんだよねっ」
「な、なんだそれは……」
より一層、あさがおの言う事に不信感を抱くシロ。
そんなもの、信じられる筈もないのである。
けれど、あさがおが嘘をついているかと言えば――それは違う。
確かに彼女には、天性の強運がその身に宿っている。
自身の為ではなく他人の為と願えば願うほど、彼女の意志に沿うように、運命はあさがおの思うように、その意志を働かせるのだ。
「ふふん、凄いでしょ」
これはシロ独特の
突然目の前に現れ、突如として興奮した姿を見せたかと思えば、シロの為にコーンポタージュを当ててくれた。不審極まりない相手である。
「うぅ……うぅ……」
小さく可愛らしいうめき声をあげて、シロの儀式は行われていた。
その様子をあさがおは、まん丸の瞳で見続けていた。
通常、初対面の相手に見つめ続けられれば、なんらかの動作が体に生じてしまうものなのだけれど、あさがおの身体はピクリとも動くことはなかった。
その一部始終を観察し終え、シロは「ふぅ……」と一息、小さな溜息をついた。
これは、シロの行う儀式の終了の合図。
果たして、その結果は……
「うむ、合格だぞ!」
「へ?」
どうやら、合格のようであった。
「ふん、合格だと言ったのだコンポタガールよ! どうやらお前は、シロに危害を加えるつもりはないようだな!」
「あ、当たり前じゃんか! シロちゃんみたいな可愛い子に、酷いことなんてするわけないんだから!」
先ほど我を忘れてシロの着ていた衣服を脱がしていた記憶は、残念ながらあさがおには無かった。
「そうかそうか。疑ってすまなかったな。お前の言う通り、シロは可愛いからな。よからぬ事を考える輩も多いのだ。物騒な世の中だが、まぁ……シロにとっては、好都合でもあるのだがな」
「うん? どういうこと?」
自身に危害を加える
常識的に考えれば、これはおかしな話である。
しかしそれは、シロが
自身に悪意を持つものを見分ける事の出来る観察眼。
初対面の相手に行う儀式。
それは、あさがおの予想とはまるで逆の行いだったのである。
「好都合ではないか。犯罪を犯した者を見つける為には……な」
「…………はい?」
――5
「へーーー!! シロちゃんってこんな素敵なマンションに住んでるんだねっ!!」
コーンポタージュのお礼をしたいというシロの申し出で、舞台はシロの自宅へと移り変わっていた。いつまでも外でお喋りをしていては風邪を引いてしまうし、なによりシロは、あさがおを気に入っていたのだ。根拠があったわけではない、それこそ『
「うむっ! 基本的にシロはいつも一人だからな! いつでも遊びに来るが良い!」
まだ自身より幼い少女から放たれたその言葉に、あさがおは少しの驚きを見せた。
確かにリビングを見渡せば、まるでそれは一人暮らしの様子である。
ソファーに置かれた一つのクッション。テーブルに置かれた一つのマグカップ。ダイニングキッチンに並べられた食器も、すべて一人用だった。
思い返せば、玄関を開けてこの家に入った時、そこには靴が一足も無かったような気もした。靴を収納出来るようなスペースも無く、まるで、この家が一人の少女の為に設計されたかのような様子だったのである。
「あの……シロちゃんのかぞ……」
そこまで言いかけて、あさがおはその口を閉じた。
「んん? どうしたのだ?」
巻き込まれ体質であるあさがおは、今までに色々な家庭を見てきた。父と母に子が二人、ペットなんかも飼っている、平均的で幸せそうな家庭。子が幼い頃に両親が離婚し、片親状態の家庭。また、なんらかの事故や事件に巻きこまれ、大切な家族を失ってしまった家庭。思い返せばキリがない程である。
だからこそ、あさがおは知っていた。
『
「いや、あの……なんでもないのっ!」
けれど、シロにはなかったのだ。その、独特の雰囲気が。
「……変なの……」
一人でここに住んでいることを、当然だと思っていなければ出来ないのだ。
あんな、純心無垢な笑顔を。
まるで、自身が一人でいることを当然だと思っているような雰囲気。
孤独を知らない。何故なら、孤独以外を知らないから。
幸せな状態が永遠と続けば、人はそれは幸福とは思えなくなる。
不幸を知っているから、幸福を噛みしめることが出来るのだ。
それと同じように、孤独とは……
そこまで考えて、あさがおの思考は停止した。
幸せに対しての不幸せ――では、孤独に対しては……なんだと。
「ごめんねっ! いやぁ~シロちゃんの家に好きな時に遊びに来れるなんて、私はなんて幸せ者なんだろうなぁって思ってね!」
これ以上考えることも、シロの家庭事情を詮索することも止めて、あさがおは話しを代えることにした。人には踏み込んではいけない
「まぁ、そうだな。シロの家に入れる者など、数える程しか居ないのだからなっ」
腕を組み、
自然とあさがおの表情も
自身に妹がいたら、きっとこんな気持ちになるのだろうなと。
「って、そういえばシロちゃん。自己紹介がまだだったよね?」
「ん? あぁそういえば、まだお前の名前も聞いていなかったな。コンポタのお礼はその後にして、ほれ、シロ特製ミルクセーキを飲みながら少し話しをするとしよう」
シロの用意してくれたホットミルクセーキを飲みながら、二人は自己紹介を始めた。
「じゃあ、まずは私からね。名前は木漏日あさがお。高校三年生だよっ。普通にあさがおって呼んでくれれば嬉しいかな!」
「あさがおっ!!」
碧い瞳をキラキラと輝かせて、シロは大きな声であさがおの名を呼んだ。
ここまでのやり取りの中で、シロはかなりあさがおのことを気に入っていたのである。そうでなければ、シロが自身の家へ他人を呼ぶ事など有り得ない。
「そう! あさがおって呼んでね。私は……シロちゃんってもう呼んじゃってるけど、それでいいかな?」
「うむ! 好きなように呼ぶがよい!」
「ふふ、ありがとう」
互いの名前も呼び方も決まった所で、あさがおは自己紹介を先に進めた。
なるべく家庭事情や、生い立ちにまつわることを避け、あさがおは自身の事をあさがおに話した。極度の巻きこまれ体質であることに始まり、自身が過去に経験してきた
シロとあさがおが出会ってから、まだ少しの時間しか経ってはいなかったが、シロは年齢の割に頭が良く、そして好奇心の強いタイプだとあさがおは見抜いていた。
なので……
「おぉ!! それでそれで!! 犯人はなんと言ったのだ?!」
このように、シロが事件譚に大きな興味を示すことは予想通りであった。
「なるほどっ!! 凄い!! 凄いぞあさがおっ!!」
「えへ、えへへへへ………」
予想以上にシロの反応が良かったことから、少し得意気になってしまったあさがお。予定していたお子様向けの事件譚を話し終え、けれどまだまだ語りたくなってしまったあさがおは、もう一つ温めておいたとっておきの事件譚を語ろうと試みた。
けれど――
「じゃあ、もう一個だけとっておきの」
「いや、もういいです」
突然の反抗期を、シロは迎えたようであった。
先ほどまで、あんなに楽しそうにあさがおの話を聞いていたシロはどこへやら。
氷のような表情で、小さくそれだけ言って、シロは座っていた椅子から立ち上がり、そそくさとどこかへ行ってしまったのだ。
「あ、あれれぇ……シロちゃ~ん……?」
震える声でシロが消えて行った方向に声を出すも、返事はない。
妙な静寂が、あさがおの周りを包んでしまった。
なにかシロの
ここであさがおは、今までのシロの言動を思い出すことにした。
もしかすれば、シロが突如として態度を急変させた原因が判明するかもと思ったから。
『「ぬわっ?!」「な、な、なんなのだお前は?!」「な、なんだそれは……」「うっ……な、な、なんのことだ……」「そ、そんなことは絶対に無い!! まさかシロともあろう者が、急に寒くなったからあたたかぁ~いコーンポタージュを買おうと思い、財布を出そうとポッケに手を入れたら、まさか財布を家に忘れてきていたなんて、そんなこと、あるわけないではないかっ!!」「う、うぅ……違うもん……寒くなんか……ないもん……」「な、なにを……」「ば、ばかものっ! シロは決して他人から、そんな哀れみなど受けないぞっ!」「な、なんだそれは……」「うぅ……うぅ……」「うむ、合格だぞ!」「ふん、合格だと言ったのだコンポタガールよ! どうやらお前は、シロに危害を加えるつもりはないようだな!」「そうかそうか。疑ってすまなかったな。お前の言う通り、シロは可愛いからな。よからぬ事を考える輩も多いのだ。物騒な世の中だが、まぁ……シロにとっては、好都合でもあるのだがな」「好都合ではないか。犯罪を犯した者を見つける為には……な」「うむっ! 基本的にシロはいつも一人だからな! いつでも遊びに来るが良い!」「んん? どうしたのだ?」「……変なの……」「まぁ、そうだな。シロの家に入れる者など、数える程しか居ないのだからなっ」「ん? あぁそういえば、まだお前の名前も聞いていなかったな。コンポタのお礼はその後にして、ほれ、シロ特製ミルクセーキを飲みながら少し話しをするとしよう」「あさがおっ!!」「うむ! 好きなように呼ぶがよい!」「おぉ!! それでそれで!! 犯人はなんと言ったのだ?!」「なるほどっ!! 凄い!! 凄いぞあさがおっ!!」「いや、もういいです」』
シロとの会話をすべて思い返し、あさがおは考えた。
少しばかりの会話しかしていないようでいて、やはり気になるのは先程の唐突なテンションの落差の部分。
『「おぉ!! それでそれで!! 犯人はなんと言ったのだ?!」「なるほどっ!! 凄い!! 凄いぞあさがおっ!!」「いや、もういいです」』
いくらシロが思春期真っ盛りの美少女だとしても、このテンションの変わり様は流石におかしいだろうと、あさがおは思った。仮にこれがシロなりの冗談だったとしても、かれこれあれから五分以上経過している。ネタバラしがあってもいい頃だろう。
では、何故――シロは突如として部屋を出たのか。
残念ながら、その答えは、伏線として過去の会話文にはないのであった。
しかしながら――
「お待たせしたのだあさがおっ!!」
「シロちゃん! どこに行ってたっ……の……」
それこそ、名探偵なら解決してしまえたのだろう。
「その……格好……」
「ふふ、驚いたか?」
茶色のぶかぶかのコートを羽織り、同じ色の帽子を深く被るシロが、そこに居た。
右手には虫眼鏡、左手にはおもちゃのパイプのようなものまで。
これは……まるで……
「机上探偵……シロ様の登場だぞっ!!」
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