八話――事件解決


――17


 漆黒の長い髪を腰まで伸ばし、赤の瞳でこちらを見やる美女。


 すらっと伸びるその体躯は、トップクラスのモデルと比較しても劣らない。

 さらにはその整った顔立ちは、あさがおが今まで出会ってきたどの女性よりも、整っていた。まるで、フィクションの世界から飛び出してきた王女様が、コスプレでスーツを着ているかのような、そんなミスマッチを、あさがおは感じたのだった。


 しかし、その女性はもちろん今、現実にあさがおの背後に立っていた。

 

 腕を組み仁王立ちで、きりっとした大きな目をこちらに向けている。


「あ、あの……か、翔……さん……?」


 状況を瞬時に悟り、この修羅場を理解したあさがおだったが、念の為。

 それこそ万が一の奇跡のような可能性にかけて、いまだ自身を背後から抱きしめる美少年――白鳥翔に状況の説明を申し出た。


 すれば……


「わからないのか木漏日あさがお……これはあれだよ……修羅場って……やつだ」


「はは……やっぱり……そうですよね……」


 やはり、都合のよい奇跡など簡単には起こらないのである。

 

「なにをこそこそ話しているのかしら、白鳥翔……いや、今は……こんな時こそこう呼んでみようかしら……ねぇ、なにをしているのと聞いているの……ダーリン?」


「はは……僕にもよくわかっていなくてさ……一回落ち着こうよ……ねぇ、ハニー……」


 お互いのことをダーリンだのハニーだの呼び合うこの二人。


 元プロの空き巣であり、現在は机上探偵の『足』として活動する白鳥翔。

 そしてその相方であり、机上探偵の『手』として活動するのは、まさに今あさがおの背後に立つこの女性。その名も黒鷺みずきなのであった。


 あさがおの推理通り、やはり黒鷺みずきとは翔の恋人の名前であったのだ。

 しかし、自身の推理が的中していたことを喜ぶ余裕など、今のあさがおには、当然ながらない。


 そして、余裕がないのは白鳥翔とて同じであるようだった。


 それと言うのも、いまだあさがおを抱きしめたままのその腕はぶるぶると震え、首筋には冷や汗が流れていたのだから。


「私はとても落ち着いているわよ。だって、しばらく前から見ていたもの。あなたがあさがおちゃんと喫茶店に入るところから、今に至るまでのすべて。この目と盗聴器と隠しカメラで、すべて見ていたもの」


「お、おう……そっかそっか……それなら……話は早いんじゃないかな……」


「あら、話が早いってどういうことかしら。あぁ、あなたは若くて可愛らしい――初恋のあの人にそっくりなあさがおちゃんを、好きになってしまったということかしら?」


「ち、ちがうんだ……」


「ちがう? あら、私の耳にはハッキリと聞こえたのだけど――盗聴器でもう一度確認してみてもいいのだけど……ねぇ? 久しぶりに聞いちゃったもんなぁ……あなたが誰かに……『好き』って言葉を使うのは……」


「誤解なんだってぇ……」


 まさに修羅場と成り果てたこの喫茶店の中心に、あさがおは位置していた。


 背後にはプルプルと震え、さらには体温までもが下がりつつある白鳥翔。

 さらにその背後に佇む、翔の恋人である黒鷺みずき。


 急に翔に抱きしめられたかと思えば、まるで告白のような言葉を囁かれた。

 それだけで終われば、まだ……まだ多めに見てよかったかもしれない。

 けれど、そこに恋人の登場である。

 さらに、翔の恋人である黒鷺みずきは、あさがおと翔がこの喫茶店に入ったその瞬間から、今までの一連の流れを目撃していた――盗撮盗聴していたのだ。


 これはこれで立派な事件ではあるのだが、今はそんなことに突っ込みを入れている場合でもなかった。

 そう、まずは翔をなんとかせねばならなかった。


 いまだあさがおを包んで離さない……氷のように冷たくなっているこの男を、なんとか引き剥がさなければならなかったのだ。


 事件を吸い寄せる体質であることは、小さなこの頃から運命だと割り切って生きてきたあさがおだったが、ここまでくればそれはもはや呪いなのではないか……それとも別に、自身に原因があるのではないか……そんなことを頭で考えながら、けれどしかし、あさがおはいつものように、この事件を終わらせようと――行動を起こすのだった。


「あ、あのぉ…………ちょっとよろしいでしょうか……?」


「あらっ、ごめんねあさがおちゃん。この男がいつまでもそうやって抱きしめているから、見えなかったのぉ……」


「ご、ごめん……なさいっ…………」


 鶴の声ならぬ黒鷺の声―みずきがひとことそう言うだけで、あれだけあさがおを強く抱きしめていた翔は、すぐにその腕をどけ、店の床に正座をしてしまった。


 これで、ひとまずあさがおは束の間の自由を手に入れた。

 しかし肝心なのはここから、この修羅場をどう収めるべきか。

 白鳥翔の謎の行動はひとまず置いておいて、今はまず誤解を解かなければならなかった。


 そう、黒鷺みずきがしているだろう――とんでもない誤解を。


「あ、あの……黒鷺さん……実はこれには深いわけが……」


 しかし、あさがおがみずきの誤解を解こうと口を開いた直後……みずきはそれを制止するように、左手の人差し指を自身の唇に押し当てた。

 いわゆる、シーーのポーズである。


 それは――お前の弁解なんて聞きたくねぇんだよ――という類の制止ではなかった。なぜなら、その時黒鷺みさとは、満面の笑みを浮かべていたのだから。


 そして、みずきはすぐにその笑みを崩したかと思うと、正座の姿勢でぐったりと頭を下げる翔に向けて、低く――けれど透き通る美しい声で、ある命令をした。


「ふんっ、もうあなたには呆れてしまいました……白鳥翔くん……私とあさがおさんは別の席で自己紹介をしていますから、あなたは今の姿勢のまま――そこで何が悪かったのか、しばらく考えているといいわ」


「は、はい……わかりました……」


 それに対して、翔は素直に従ったようで、その場で目を瞑り、なにやら考え出してしまった。


 そして、それを確認したみずきはゆっくりと、あさがおの方に向けて歩きだした。


「ごめんねあさがおさん。私の相方が迷惑をかけてしまったようで……」


「いえいえ……そんなことは……」


「ふふ、逆に私がお邪魔だったかしら……?」


「いやいやいやっ!! そんなことあるわけなくて……でも……」


「うんうん、積もる話もあるようだし、あっちのテーブルに移ろうか。まずはお互いのことを知らないといけないからね。仕事のパートナーとして……そして、同じ男に告白をされた者同士…………ね?」


 そう言って舌を出すみずきを見て、あさがおは確信したのだった。


 あぁこの人は、本当に翔のことが好きなんだな――と。




――18


「えーと、まずは簡単な自己紹介から始めましょうか!」


 出来るだけ翔から離れた席に移動したあさがおとみずきは、まず初めにお互いの自己紹介をすることにしたのだった。


 最初に年上であるみずきが、簡単にその自己紹介を開始した。


「年齢は二十歳で、職業は大学生兼シロちゃんの助手。誕生日は九月九日で、血液型はA型。好きな食べ物は辛い物で、苦手な食べ物は甘い物。趣味は白鳥翔といちゃつくことで、得意なことは白鳥翔を泣かすこと。ご存知の通り、白鳥翔の恋人であり、未来のお嫁さんです。以上……これくらいかなっ」


「あ、はっ、はい……わ、わかりました……」


「ふふ、やっぱりびっくりするよね」


 あまりにも堂々としたその態度に、少し驚いてしまったあさがおだったが、その堂々した態度には、実は理由があったのである。


 それは――


「シロちゃんから……そして個人的な調査で、あさがおさんのことは調べさせて貰ったわ。調べれば調べる程、聞けば聞くほど面白い人で、会うのがとても楽しみだったの。だからこそ、ウソは付かないって決めたの。まぁ、翔の嘘を見抜けるようなあさがおさんに、私なんかがウソをついたらすぐバレちゃうし? それであさがおさんから嫌われちゃったら嫌だなって思って、思い切って言ってみたんだ。変な人だと思わないでね? シロちゃんや翔程、特殊な人種ではありませんからっ」


 そう、それは机上探偵の『手』として、情報という推理の土台を担当する者故の調査結果から導き出された答え。

 木漏日あさがおに嘘は通用しないという、調査結果から得られた情報を駆使した自己紹介なのであった。


 白鳥翔という、騙しの天才を恋人に持つみずき故――人と人とのコミュニケーションをなによりも大切にする恋人を持つみずき故の、大胆で素敵な、そんな自己紹介なのであった。


「なるほど……です……私がみずきさんの嘘を見抜けていたかどうか、それはわかりませんが……みずきさんが私のことを調べて、私が安心出来るように本当のことを教えてくれたことは、本当に嬉しいです! でも、きっと私はシロちゃんやみずきさんが思うような人物じゃなくて……普通の……平凡な女の子だと思いますよ? それこそ、ただ単に、人より少しだけ……事件に巻き込まれやすいだけ」


「ふふ、では今もまた……面倒くさいカップルの事件に巻き込まれているというわけねっ」


「そ、それは…………」


 慌てて弁解をしようとしたあさがおを、再びみずきは制止した。

 

 そして、両手を合わせ、謝罪の言葉を口にしたのだった。


「ごめんなさいっ、全部わかってるの。翔がなんであんなことをしたのかも……その理由もすべて、私はわかってるの。けど、血相を変えて焦る翔が、あんまりにも可愛くて、ついついいじめたくなっちゃたの……あさがおさんには迷惑をかけたはね……それは本当にごめんなさい……」


 そう、最初からみずきは知っていたのだ。


 翔が取ったその言動が、恋人であるみずきを裏切るものではないことを。

 

「翔がどんな人で、どんな理由で何をするのか……恋人である私はすべてを理解しているつもりよ……。ただ、いくら理解していたって、あんなにも強く他の女性を抱きしめている姿を見たら、少しぐらい嫉妬をしてしまっても、おかしくはないでしょう?」


 確かに、まったく以ってその通りである。


 逆に、抱きしめられた張本人であるあさがおに対して、これだけ優しく接することが出来ている時点で、黒鷺みずきという人物は、かなり器の大きい女性だということがわかる。


 あさがおは、生まれてこの方異性を『好き』になったことがなかった。

 けれど、もしも自身が恋をして、その相手と無事結ばれたとして、素敵な恋人であろうと思った時、きっと黒鷺みずきという女性は見事なお手本になるだろうと、この時思ったのだった。


「ふふ、これでこの事件は解決かしらね」


 そう言って、この小さな事件とも呼べない事件の幕を下ろそうとするみずきに、あさがおは一つだけ聞いておきたいことがあった。


 学校の授業で先生に質問をする時のように、右腕をぴんと挙げて、あさがおはその疑問を口にした。


 それは――


「どうして、翔はあんなことをしたのでしょう?」


 そう、どうして翔は突如として、あさがおを抱きしめたのか。

 そしてどうして、あんな口にするのも恥ずかしい台詞を吐いたのか。


「なるほど、確かにそれは、解決編には必要な項目かもしれないわね。けど……あさがおさん……」


 そう言って、みずきは両手で頬杖をついて、口をにぃと広げた。


「もうわかってるんじゃないの? なぜ、私の彼氏がそんなことをしたのか。その理由を、すべて」


 悪戯好きな天使がいるのなら、きっと今のみずきのことを指すのだろう。

 

 あさがおにそう思わせる程、この時のみずきの表情は純粋で、そして邪悪に満ちていた。


 まるで、今まで本性を隠していたかのような。

 これが、黒鷺みずきの真骨頂なのではないかと、そう思わせてしまう程、それは純粋で透明なものだったという。


 けれど、それは悪であって悪でない。

 言うなれば、童心の頃に抱く好奇心のようなものだと、あさがおはすぐに理解した。

 机上探偵の『手』として情報を集める彼女も又、シロや翔同様――やはり特殊な人種なのだった。


「はは、私はシロちゃんではないですから……そんな証拠もない推理を披露するつもりはないです………………けど…………」


「けど…………?」


「翔は誰よりも純粋な人ですから。守りたいものがあれば、そのものの為に自分さえ偽れてしまう――そんな純粋な翔だからこそ、人を愛する……好きだという気持ちを隠すことは、なによりも……それこそ、翔の大得意な演技よりも、得意なんじゃないかと思います」


 そんな特技を披露する絶好のタイミングを与えられて、翔は無意識の内に、あのような行動に出てしまったのではないだろうか。

 それが、木漏日あさがおの披露した推理であった。


 根拠も証拠もない――ただのあさがおの勘による推理。

 

 しかし、その推理が正しいかどうか……それは今のみずきの満面の笑みを見れば、一目瞭然なのであった。


「合格……っていうか、及第点を軽々超えてくるんだもんなぁ……はぁ、シロちゃんはこんな子を、どこで見つけてきたんだか……」


「えっと……なんの話……」


 なにやらぶつぶつと言っているみずきに、あさがおはそう声をかけたが――


「解決編はこれで終わりってこと! そして、あさがおちゃんはとってもいい子だ!! ってこと♪」


 みずきはそう言って、あさがおの頭を思いきり撫でるのであった。


 その行為には、極度のツンデレともとれる行動をする自身の恋人を、これ程までに理解してくれる者の出現に対する喜び。そして、みずきが数年をかけて理解した翔の心情を、出会った数日で見抜いてしまったあさがおに対する、小さな嫉妬を隠す意味が、込められているのだった。


「さぁ、やっと本番だよあさがおちゃん。あぁ、これからはあさがおちゃんって呼ぶから、あさがおちゃんも私のこと、さん付けは無しだからね?」


 そう言って店を出た二人が、店内でいまだ正座をする翔の存在を思い出すのは……二人が既に、目的地である犯行現場に――辿り着いた時だったという。


 

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