十二話――王子様とお姫様


――25


「僕はいったい……誰なんだ……」


 突如として自身の存在を問いだした残念なイケメン――その名も白鳥翔。

 彼は自身すら偽る嘘の天才で、その演技はトップ俳優すら凌駕する程だ。

 

 本人よりも本人らしく、本物よりも本物らしく。

 そんな最高級の演技を目指す翔がする演技を、あさがおは一目で見抜いた過去を持っている。


 けれど、そのあさがおは驚愕していたのだ。


 今の翔は、演技などしていないのだから。


 心から、本心から――自身の存在を忘れている。

 

 そんな翔を見て、あさがおが驚かない理由などないのだ。


「どうしちゃったの……翔……」


 そこからあさがおは、出来る限りの方法を試し、翔の記憶を取り戻そうと奮闘した。


 体を揺らしてみたり、頭を叩いてみたり、抱き着いたり、みずきの名前を叫んでみたり、お腹をくすぐってみたり、抱き着いたり――


 しかし、翔の記憶が戻ることはなかった。


 どころか、自身に危害を加える存在と……あさがおのことを怯えた目で見る様子である。これでは、事件の捜査どころではない。あさがおが諦めて、先程連絡先を好感したみずきにSOSを送ろうと、携帯を取り出したその時、突如として、翔の腕がそれを阻止した。


 そして、ひとこと――


「大丈夫……いま……戻った……いって……」


 もう片方の手で頭を押さえ、悲痛な表情でそう言った翔は、元の……あさがおの知る白鳥翔に戻っていたのだった。


「翔!! 記憶が戻ったんだね!!」


「あ、あぁ……心配掛けたな……」


 ふらふらとした動作で、部屋に置かれたベッドに腰を下ろす翔。

 見るからに様子のおかしい翔に、あさがおは先程翔から渡されたペットボトルの水を手渡した。


 翔はそれを無言で受け取ると、ぐびぐびと、豪快にそれを飲み干してしまった。


「はぁ……はぁ……はぁ……ありがとな……あさがお……もう大丈夫……だ」


 先程よりは、少し顔色がよくなった気もしたが、あさがおは念の為にと無理やり翔をベッドに寝かしつけた。


「なにをしたか知らないけど、今はせめて横になってて。話なら、その状態でも出来るでしょう」


「あぁ、そうだな……」


 ふぅと一息ついて、翔はゆっくりと瞼を閉じた。


「なにが……起きたの?」


 翔の呼吸が落ち着いたタイミングで、あさがおは口を開いた。

 そう、先程まで翔は、自身の存在を忘れてしまっていたのだ。

 あのタイミングで、たまたま記憶喪失になったなどと思える筈もないあさがおは、当然の疑問を口にした。

 

 そんな様子のあさがおを安心させようと、翔は口をゆっくりと口を開いた。

 そう、先程までの――とある手品のタネ明かしを始めたのである。


「自己催眠って……知ってるか?」


 自己催眠とは、自己暗示やイメージトレーニングの一種のことである。

 自身はこうなのだ。自身は実はこんなに凄かった。

 ということを、自身に信じさせることが出来る代物である。


 巷では自己啓発の一種だと思われがちだが、どちらかというと催眠術に近いものであり、それ故の危険性が隣り合わせで存在している代物でもある。


「その自己催眠を極限まで極めたものが、さっきの代物ってわけ……」


 翔の場合、普段から多少の自己催眠を自身に施して生活をしているのだ。

 己の心さえ操るその演技は、文字通り……自身に施した催眠によるものだった。


 そして、それを極限まで機能させれば、先程のような……自身の存在さえ消し去ることも可能なのである。


 だが、この完璧な自己催眠にはデメリットもあり……まず長くは持たないという点、そしてその催眠が解けた後、極度の頭痛と眩暈に襲われるというのだ。


 これは、この完璧な自己催眠が脳に膨大な負荷をかけることから起こる症状で、これを何度も行えば、日常的に自己催眠を自身に掛けているという翔でさえ、ただでは済まない。


「具体的には、本当に記憶喪失になっちまうってこと。あんまりにも短期間にこれを行えば、脳が誤作動を起こして、本当にすべての記憶を消しちまいかねない」


「こ、こわい…………」


 まぁ、そんな代物を翔が使わざるを得ない状況などほぼ無いので、その心配はほとんど無いと言っていいのだが……


「問題はここからで、それをもしかして……灯火の奴が無意識の内に使っちまってる可能性があるってことだ」


 そう、もう一つの可能性。


 小林灯火は超長期的に、妹である火鉢の殺害計画を練っていた可能性だ。


「僕の完全催眠には及ばないだろうが、灯火がこの自己催眠を使っていた可能性は充分にある。灯火は小さな頃から妹である火鉢を殺したい程憎んでいて、けれどその気持ちを自己催眠により押さえつけていた。しかし、そんなものがいつまでも続くはけもなく……とうとう……長年心の奥底で密かに企んでいた火鉢殺害を、あの日実行したという、無くはない可能性だ」


 それならば……と、あさがおは思い出す。


 あの日、あさがおを頼ってきた小林灯火の言葉と、その表情。

 小林灯火が助けを求めたあの状況を思い出し、もしや……と思うあさがおだったが、翔はこの可能性に、あまり信憑性を感じていないようであった。


 それと言うのも……


「だが、この可能性にも無理はかなりあるけどな。まず、そんな状況でまともな日常生活を送っていられるわけがねぇ。恋人の前で仮面を被り続けるのとは、今回は訳が違う。なんたって、ほぼ毎日顔を合わせる妹の前で、ずっと仮面を被り続けなきゃならねぇんだからな。そんなもん、正気を保っていられたとして……いいとこ一月だろうしな」


「うーん、演技のスペシャリストの翔がそう言うなら、そうなんだろうけど……」


「なにか引っかかるのか?」


「うーん、そうだなぁ……」


 確かに、翔の言うことはもっともで、あさがおもこの可能性は限りなく低いと思っていた。

 けれど、なにか真実の片隅を通り過ぎたような。

 そんな予感が、あさがおの頭の中に違和感として現れていたのである。


「もしも私が灯火くんの立場だったとしたらね。もしもそうなら、こんな手段は取らないと思うんだ……」


 あさがおはあまり頭の回転がいいわけではなかった。

 なので、翔のような――論理的に事件を推理することが出来ない。

 

 けれど、あさがおは誰よりも得意だったのである。

 他人の気持ちになって、当事者の目線に立って、事件を考察する能力が。


「人が人を殺すって、とっても異常なことだと思うの。それも今回は、自分の家族である妹さんを……ってことは、もしも……もしも灯火くんが犯人だったとしたらね……そこにはとっても深い……怨念みたいな感情があったと思うの」


 もしも火鉢が憎かったのならば、家を出るなり親に言うなり、殺す以外の選択肢があった筈である。というか、そちらを選ぶのが正常である。

 けれど、灯火はそうしなかった。

 否、出来なかった。


 その理由は――


「自分の手で殺したかったから。他の誰でもない、自分自身の手で……命を刈り取りたかった」


 優しさの塊のような存在のあさがおから放たれた、その言葉に翔は思わず固唾を飲み込んだ。

 しかし、確かに言われてみればその通りかもしれないと、この時翔は思った。


「まぁ、確かにそうかもしれねぇな。この日本で人を殺そうとするだけでも常軌を逸してやがんのに、その相手が実の妹ときた。それが実際行われたとしたら、犯人が抱く殺意はそれこそ未知数ってわけだ」


「そう、でもね……だとしたら納得出来ないの……それなら何故、こんな回りくどい方法を選んだのか……」

 

 火鉢の死因は、一酸化炭素中毒による窒息死である。


 体に目立った外傷もなく、縛られた形跡すらない。


「計り知れない殺意を持て余した犯人が、そんな悠長な……実際に死に際を見れるわけでもない、手を下すわけでもない……言い方は悪いけど、スカッとしない殺し方をするとは、どうしても思えないの」


「……なるほどねぇ……それは……確かに……」


 ここで、二人の推理ごっこならぬ状況整理は沈黙を迎えた。


 考えうる可能性はすべて挙げた。

 けれど、どれもいまいち繋がらない。


「なんか、おしい所までは来てる気がするんだけどな……」


 あさがおはそう言ったが、対する翔は諦めモードであった。


 なんせ、今二人が求めている答えは、すぐ傍にあるのだから。


 そう、机上探偵が夢から覚めれば、嫌でも発覚するのである。

 この事件の真実が、否が応でも。


「っていうかさぁ、シロちゃんはなんで犯人を言い当てるだけで、真相までは教えてくれなかったの? 推理の内容をすべて伝えておいた方が、翔もみーちゃんも捜査しやすそうじゃん?」


「あぁ、確かにそうなんだけどなぁ……シロが言いたがらねぇんだ。なんでも、それだと僕たちが先入観を持って推理するんだと。先入観を持って集めたピースではダメ。全力ですべての可能性を考えて手に入れたピースでないと、シロの推理は完成しない――だそうだ。よくわかんねぇわ」


 なるほど、確かによくわからない。


 けれど、それで今まで数々の事件を解決へと導いてきたというなら、その方法は、やはり正しいのだろう。

 そう思って納得するしかないあさがおであった。


「ってか……完璧な自己催眠なんて実演するんじゃなかったぜ……頭くらくらする……」


 ここで、強がっていたのだろう翔が、眉間を押さえ弱音を吐いた。


「まったく……仕方ないなぁ……」


 ここで先程から翔に膝枕をしてあげていたあさがおは、気を利かせて部屋の換気の意味も兼ねて、窓を開ける為にベッドから立ち上がった。


 そして、地上八階からの景色を少し楽しんだ後、その取り付けられたという窓を思いきり――助走のような溜めを作り、思い切り開ける動作をした。


 その瞬間、翔は何かを思い出したかのように目を開け、ベッドから飛び起きた。


「あぶねぇバカ!! そいつは――」


 翔の声に驚いたあさがおは、けれど溜めてしまった力を制御することが出来ず、そのままの勢いで空回りをしてしまった。


 そして、そのまま背後からその取り付けられた窓へと倒れてしまう。


 すれば――


「………………………へ…………?」


 背中に伝わる、とても薄い感触は、ガラスのそれとはまるで違っていた。


「ばかっ!! 張り替えた窓はサランラップだ!!」


 時既に遅し、張られたサランラップはみるみるあさがおの体重で引き裂かれ、あさがおの上半身はみるみる内に、窓の外へと放り出されていた。


「な、なんでぇぇぇぇぇ?!?!」


 目を丸くして驚くあさがお。

 既に右足一本で踏み留まっている状態で、体の重心はこの時既に上半身にあった。

 後は、人間の体の中でもその比重の大きい頭部を先頭に――地上八階からスカイダイビングである。


「さ、させるか…………よっ……」


 間一髪というタイミングで、まるでそのタイミングを演出したかのような絶妙なタイミングで、翔はあさがおを引き戻した。


 そして、引き戻したあさがおの力の勢いを殺すように、くるっと一回転――あさがおを持ち上げたのだった。


「あ、あぶねぇなぁ……このやろう…………」


「か、翔が先に言わないから……」


「見てわかるだろ……ったく、大丈夫か?」


 大丈夫か……そう問われたあさがおは、どう答えればよいのか迷っていた。

 何故なら、確かにあさがおは無傷で済んだ。

 地上八階から身を投げ出すこともなく、事件は未然に防ぐことが出来たのだから。


 そういう意味で言えば、確かに大丈夫だろう。


 しかし、この状況。


 今あさがおが置かれている状況は、果たして大丈夫と呼んでいい状況なのだろうか。


「……お……お……おひめ……さま…………」


「ん? なんか言ったか?」


「だ、だから……おひめさま……だっこ……」


「あぁ……そういえば……そうやって呼ぶんだよな……これ……」


 そう、翔はあさがおを助ける為、咄嗟にあさがおをお姫様抱っこしたのだった。


 いくらあさがおが、異性のことを好きになったことのない――未だ恋というものを知らない少女だとしても、これには……このすべての女子が夢見るシチュエーションの前では、流石に照れてしまっていたのだ。


 今まではなんとも思っていなかった翔が、まるで白馬に乗った王子様のように、カッコよく見えてしまった。心臓は破れんばかりにその鼓動を増し、頬は真っ赤に染まり、吐く息は熱でもあるかのように熱くなっていた。


「おまえ、大丈夫か?」


 翔のそんな呼びかけも、今のあさがおの耳には届いていない。

 

「はやく……ぉろし……ぇ……」


「んあ? おろし? あぁ、大根おろしが食べたいのか?」


「ちがぅ……ばかぁ…………」


 いつも演技ばかりしている翔だが、実は誰よりも純粋で、誰よりも天然ボケなのであった。従って、下心のない純粋なその言葉は、今のあさがおにはクリーンヒットなのである。


 しかしその時、またもやもう一つの事件が起きていることを、二人は知らない。


「ねぇえ…………はやく開けてくれないかなぁ…………」


 そう、翔はおろかあさがおまでも、彼女の存在を忘れていたのである。


「開けてくれないならぁ……こっちにも考えがあるのよっ……」


 扉を通したその声が止んだと同時、金属の鍵がきぃきぃと、耳につんざく悲鳴を上げ始めた。そう、扉の向こうの彼女は、強引に鍵のかかった引き戸をこじ開けようとしているのだ。


「や、やめろみずき!! 女の子の力じゃ無理だ――」


 翔が声を上げたと同時、その音は鳴り響いた。


 ガキンっ――と、金属の鍵が真っ二つに折れてしまったのである。


「こ、こわい…………」


 あさがおが小さな悲鳴を上げるも、彼女の進行は止まらない。


 少しづつ、少しづつ、その時は迫っていた。


 そして、ゆっくりと――その歪んだ扉は開けられたのであった。


「遅くなってごめんね二人とも……それとも……もうちょっと遅く来た方が……よかったかしら……?」


 

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