十一話――秋刀魚
――24
「えっ……なにっ……?!」
謎の物音で目を覚ましたのは、捜査の途中で居眠りをしてしまった木漏日あさがおその人だった。
あさがおは事件の被害者である小林火鉢の部屋に残された、火鉢の日記を読み終えると、その不気味な内容から気分を悪くし、部屋の床で眠ってしまっていたのだった。
「おっ、ようやく目を覚ましたか。待ちくたびれたぜ、まったく」
そんなあさがおの背後から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
振り向けば、そこには白鳥翔の姿があった。
何故かその手には
「え、えっと……これは…………」
あさがおは状況の把握を試みた。
自身が眠りについたのは、確かにここで間違いない。
火鉢の部屋の床で間違いない。
では、翔はどうだ。
確か、翔はあさがおにこう頼んで姿を消した。
『内側から扉と窓のカギを掛けて密室を作れ』と。
慌てて扉の鍵と窓の鍵を確認するも、それは掛けられたまま。
では何故、翔は今こうして、あさがおの目の前で七輪でサンマを焼いているのだ。
自身が目を覚ました謎の音の所在。
そして、密室の筈だったこの部屋に翔が侵入した経路。
さらに、その翔が七輪に置かれたサンマを団扇で扇いでいる理由。
この三つの謎が、あさがおの寝起きの頭をぐるぐると渦巻いてしまった。
そんなあさがおに助け舟を出すように、サンマが焼きあがるまでのいい時間潰しを見つけたと言わんばかりに、翔は得意げに声を発した。
「落ち着け。順番にこの僕が解説してやる。ありがたく思え」
「あ、ありが……とう……?」
戸惑うあさがおを置き去りに、どや顔を浮かべる翔は空いている左手の人差し指をぴんと立てた。
「まず、一つ目。僕がどうやってこの部屋に侵入したか。答えは簡単。上の階から窓を綺麗に割って侵入した。以上――これだけ」
「上の階から……って、えっ?!」
あさがおが驚くのも無理はない。
小林家が済むこの部屋はマンションの八階。
しかも、火鉢の部屋の外にはおおよそ人の立つ場所などなく――そこにはマンションの壁面が並ぶだけなのだから。
「そんな顔するなって……僕だってもっとアクロバティックな……あさがおが驚き叫ぶような突飛な方法で、この部屋に侵入しようと思ったんだぜ? けどさ、みずきの奴にそれは止められててな。僕やあさがおに危害が加わる可能性のあるものは、試したら駄目だって……残念でならねぇ……」
いやいや、なにを言ってるんだこの人は。
そんな意味を込めて、あさがおは翔を半眼で見つめるも、その意思は翔には届いていないようであった。
まぁ、それは置いておいて。
もっとアクロバティックな方法もあった――ということだが、まず八階に位置するこの部屋に、九階からガラスを割って侵入する方法がわからないのだが……
そんなあさがおの疑問は、きちんとあさがおの口から翔に届けられたので、翔は当たり前のように、その質問に答えをくれた。
「まぁ、上の階からロープを垂らしてだな。そのロープと体を結び付けて慎重に窓から壁を伝って降りてくる。そしたら、ちょちょっと音を立てないように窓ガラスを割ってこの部屋に侵入。後は残された窓ガラスをこれまたちょちょっと音の立たない方法で粉々にしてこの七輪に入れる。最後に、もともと用意して吊るしておいた新しい窓を外から引き揚げて、それを壁に取り付けたら出来上がり――ってわけ。な、つまんないだろ」
「………………はぁ……そう……なのかな?」
それが果たして『つまらない』のかは、密室に侵入を試みたことのないあさがおにはわからなかったが、方法は理解した。
けれど――
「あぁ、これは現実的じゃねぇ。元プロの空き巣の僕だったからこそ、この侵入方法は出来たんだ。普通の高校生の灯火には、こんな芸当出来るわけがない。まぁ単純に、この方法だと外からも上の住人からも丸見えで、そもそも試す価値もなかったんだがな……」
そう言ってサンマの焼け具合を気にする翔は、どこか寂しそうに見えたという。
けれど、とりあえず、これで一つの事実が発覚したということである。
「そう、この僕が妥協して選んだこの案でさえ、現実からはかけ離れた絵空事だ。つまり、灯火が外部からこの部屋に入った可能性はゼロ。そういうことだ」
最初から分かりきっていたことではないのか。
そんな当然の疑問があさがおの中で浮上するが、今回の捜査の根本。
そう、机上探偵の推理の特質を思い出し――押し黙った。
机上の上の推理はすべて空論。
妄想で、空想で、絵空事。
だからこそ、翔とみずきは存在しているのだ。
机上探偵の机上の空論を、確かな推理とする為の『手』と『足』。
彼らは、実際に行動しなければならないのだ。
どんな馬鹿げた可能性でも、試すのが『足』なのだ。
それでこそ、シロの推理は完成される。
この時あさがおは、如何に机上探偵にとって――『手』と『足』が重要なのか、理解したのだった。
「わかったら、次は二つ目――僕が何故サンマを焼いているのかだが……こんなもんは説明するまでもない、腹が減ったからだ」
その時、窓の外から
烏が鳴いたら帰りましょう。
その言葉の通り、窓の外には薄暗い夕焼けが沈みかけていた。
あさがおと翔が朝食も兼ねた昼食を取ったのが、おおよそ十二時頃。
火鉢の部屋に置かれた時計を見れば、現在時刻は午後五時半を少し過ぎた頃。
翔が言うように、お腹が空いても仕方がないだろう。
「だろう? っていうか、これは最後のあさがおの疑問とも繋がるんだよ」
「……と、いうと……?」
あさがおの最後の疑問。
それは、あさがおが起きた時の謎の音だった。
あさがおはその謎の音に驚き、目を覚ましたのだ。
いったい、その謎の音の正体とは……
「お前の寝言だよっ、ね・ご・と」
「……はいっ…………?!」
「『サンマっ!!!!!』これ、あさがおの寝言な。多分あさがおが想像してるより、遥かに大きい声で言ってたぜ? ずっと死んだみたいに静かに寝てたのによ、いきなりそんなこと言うもんだから、正直お前より僕のが驚いたくらいだ」
「…………ま……まじ…………か…………」
なんと、あさがおは自身の寝言に驚き目を覚ましていたのだった。
しかも、その寝言の内容は……『サンマっ!!!!!』文字の後ろに五つもエクスクラメーションが並ぶ程、その三文字は大きな声で放たれたのだ。
「……知らなくてもいい真実って…………あるんだね…………」
項垂れるあさがおだったが、そんなことよりもサンマの焼き上がりにご満悦の翔は、嬉々として焼き上がった二尾のサンマを手に取り、その内の一尾をあさがおに向けて差し出し、口を開いた。
「まぁ、いいんじゃね。それより、焼き魚は嫌いか? せっかく上の階の人から貰ってきたんだ。冷める前に、食っちまおうぜ」
「上の階の人って……あ、そういえば……」
そうである。
翔はこの部屋に侵入する際、この家の一つ上――マンションの最上階のお宅へ足を運ばなければならいのであった。
「どうやって潜入したの?! まさか……不法侵入……」
あさがおが目を細くして翔を睨むと、対する翔は慌てて反論を口にした。
「なわけねぇだろ! 家主さんと話をして、しっかりと了承を得てからしたに決まってんだろ。じゃなきゃ、このサンマも七輪も存在してないだろうが」
「どっちも盗んだのかもしれないじゃん…………」
「馬鹿言え、僕は元プロの空き巣でも――怪盗チルドレン。誇り高い子供たちの代表だったんだ。今も昔もこれからも、人様の物を盗んだりはしねぇよ」
そう言ってサンマに噛り付く翔を見て、なんだかとても安心してしまったあさがおは、翔に伝えなければならない――大切なことを思い出したのだった。
「そういえば翔っ……! 伝えたいことが……」
「ん? 火鉢に関することか……?」
こくり……あさがおは無言で頷いた。
その真剣な面持ちに、翔も口に含んでいたサンマをいったん喉に流し込み、あさがおの言葉を聞くことに集中した。
「実は……ね……」
言って、あさがおは自身が見つけた一冊の日記を、翔へと手渡した。
それは勉強机の下で見つけた火鉢の日記で、その中身を読んだあさがおは、そこに書かれていた数々の狂気により、気分を悪くしたのだ。
そんなものを翔に見せるのは気が引けたが、当の翔はあっさりとそれを受け取り、すぐさまその中身を確認した。
「なんだこりゃ……狂ってやがる……」
「やっぱり……そう思うよね」
中身をすべて確認した翔は、あさがおと同じような反応をした。
それも無理からぬ話で、この日記をすべて読み終えた者は、すべからくこの二人と同じような反応をするだろう。
そう、この日記を書いた張の本人である――小林火鉢を除けば。
「表紙に書かれた数字……23ってのは、おそらくこの日記が二十三個目の日記だってことだろうな。そんで、これだけお兄ちゃんのことを書きまくってる狂った女が、この二十三個目の日記にだけ、こんな内容のものを書いているとは思えねぇ……まぁ、憶測で物を言うのは駄目だけどよ……今回は……いいだろう……なぁ」
「うん、私も……そう思う」
日記を視界の届かない場所に放り投げた翔は、とりあえず気を紛らわせる為、本来の役目とは違う――それは本来シロの役目であるはずの、推理まがいの考察を始めたようであった。
「これは本来僕の役目ではないが……ここからはみずきの到着を待つしかないからな。暇つぶしがてら、気分を晴らすがてら、頭の体操といこうか」
言って、翔はあさがおにもわかりやすいよう、現段階で判明した情報から可能性の候補を上げた。
「えーと、まず確定していること――これは小林灯火が犯人だということ。そして次に、犯人の妹である小林火鉢は、自殺ではなく他殺。そしてそれを行ったのが、犯人であり……火鉢の大好きなおにいちゃん……ってことだ」
「だいすきな……」
好きは好きでも、それは遥かに常軌を逸しているということは、火鉢の日記を読んですぐに判明した。
「その事実を加味して考えてみる。この日記の日付から、火鉢が死んだごくごく最近まで、火鉢はおにいちゃんのことを好きでいた。それは確かだ」
そう、先程翔が投げ捨てた――おそらく二十三番目となる火鉢の日記の最終ページに記されていた日付は、火鉢が亡くなったその日の前日……つまりは亡くなった前夜まで、あの不気味な日記は続いていたのである。
「ということは、二人の間に何か……仲が悪くなるような何かは起きていないということになる。おにいちゃんを大好きなあの妹が、おにいちゃんと喧嘩でもしたなら日記に書かない訳がないからな」
「確かに……そうかも……」
「でだ、だとしたら……ここで一つの可能性が浮上する。灯火の妹殺害は、計画的なものではなく、突発的な……それこそ、当日の朝に起きた何かしらによるものの可能性があるということ」
それを言うなら、日記を書き終えた段階から――当日の朝までがその範疇である。
しかし、もしも日記を書き終えた後すぐ、あの兄弟の間に何かしらの事件が起きたのなら、それは日記に残っている可能性が高い。
すれば、翔の言ったように――事件が起きた朝に、何かしらの突発的な喧嘩のようなものが起きたというのが、一番有力な説であった。
「その線が一番筋が通っている……が、ここで一つの障害がその可能性を否定するんだ。そう、事件当日の朝――灯火は両親に言われ妹の火鉢を起こしに行った。そして、その時に火鉢が発したあいさつの声を、両親はしっかりと聞いている。そこから部屋にあった練炭に火をつけ、火鉢の意識を奪い、さらに両親の前にしれっと顔を出すなんて、可能なのか……?」
確かに、どうしても両親の証言が、この可能性を否定してしまう。
「いくら火鉢が兄である灯火のことを、病的に好いていたとしても、殺されそうになったら抵抗の一つもするだろうしな……。この可能性は、いったん却下だ」
では次に、と言って、翔はもう一つの可能性を提示した。
「先の可能性を否定することになるが、この事件が計画的に……超長期的に仕組まれた事件だったという可能性」
「超……長期的……?」
「そう……途方もない程……長期的」
言って翔は、突如として顔を手で覆い、なにやらぶつぶつと呟き始めてしまった。
「か、かける…………?」
突然のことに、あさがおは翔の名を呼んで肩を揺すった。
すれば、翔はゆっくりと両手を広げ、その整った素顔を見せた。
しかし――
「僕はいったい……誰なんだ……」
翔は、記憶を失っていた。
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