五話――プロの空き巣


――10


 今回の事件の依頼人である小林灯火との出会い――そして別れまでの言動をすべてシロに話し終えた時、時刻は既に午後八時を過ぎていた。


 あさがおがシロの家にやってきたのが、おおよそ午後五時を少し過ぎた頃。

 自己紹介や翔とシロの喧嘩があったとはいえ、あさがおはより丁寧に、小林灯火の言葉を机上探偵であるシロへと伝えたということである。

 

 その様子を、机上探偵の足である白鳥翔はずっと見守っていた。

 時にコーヒーを淹れ、時にシロの肩を揉み、時にソファーで横になった。


 しかし、翔がソファーで横になってあさがおの説明を聞いていた時、その違和感は現れた――そう、あまりにも説明が長すぎるのである。


 確かに、シロは「依頼人である少年の言動を、すべて話せ」とあさがおに言ったが、そんなもの正確に覚えているはずもない。もしや依頼人の言動をあまり覚えておらず、言葉に詰まっているのかとも考えたが、あさがおの言葉が途切れることなど一度もなかった。まるで紙に書かれた台本を読むように、あさがおは休むことなく言葉を紡いでいたのだから。


 では、何故――あさがおは何をそんなに長々と話すことがあるのか。

 その答えを白鳥翔が知るのは、もう少し、後になるのだった。


「ふふっ……やはり我の推理は間違ってなどいなかったようだな」


「それじゃあ……」


「そう。依頼人の妹は、自殺などしておらぬよ。これは正真正銘――殺人事件なのだからなぁ」


「まさか……」


 事件の詳細を再度あさがおから聞いたシロは、自身の推理を真実だと確信したようだった。そう、この事件は自殺ではなく他殺であると。そして、その真犯人も同じように確信したのだった。


「その殺人事件の、真犯人とは…………」


 ごくり……あさがおは固唾を飲み込んでシロから放たれる事件の詳細を待ち望んだ。翔はというと、ソファーの上で寝た振りをして、あさがおと同様にその真相を待ち望んでいた。


 そして、運命の時はやってきた。


 机の上で事件を解決に導いてきた探偵のいい放つ真実――今まで、一度としてそれが外れたことなどなかった。

 そして、机上探偵が机上でいい放つそれに、証拠も証明もない。

 それはただの妄想で、想像で、机上の空論だった。


 だが、やはりそれは真実なのだとあさがおは確信した。

 机上で真相を披露するシロから感じる圧力は、それだけのものだったのだ。

 神よりも神々しく、悪魔よりも禍々しい雰囲気。

 そんな神か悪魔かわからない机上に佇む探偵は、とうとう口を開いた。

 その瞬間を、机上探偵との出会いを――あさがおは、一生忘れることはない。


「小林灯火――彼は依頼人であり、犯人だ」




――11



「まじかよ……」


 一番最初に口を開いたのは、ソファーに寝転ぶ翔だった。

 確かに、依頼人が実は犯人でしたというケースは多い。

 だがそれは、警察の捜査が困難を極め、自身が犯人だと疑われ続けている者に限った話である。探偵の捜査を誘導し、偽の証拠やアリバイを掴ませ、事件をはやく終わらせようとするのだ。


 だが、今回のケースにそれは当てはまらない。

 何故なら、あさがおの請け負った事件――小林火鉢自殺事件は、警察の中でも世間的にも幕を閉じたものだからだ。

 依頼人の母ですら『火鉢の自殺の理由を信じられない』だけで、自殺したこと――そのものを疑っている様子はない。


 そりゃあ、依頼人である小林灯火が嘘をついている場合もあるが、だからと言って根を掘り返すことなどするものだろうか。

 ただでさえ、木漏日あさがおは地元では有名な事件請負人で、そんな者に事件の詳細を話してしまば、犯人である灯火には損しかないはずだろう。

 

 そんな思考を巡らせる翔だったが、すぐにそれは止めた。

 自身の役割を、再度思い出したからだ。

 

 白鳥翔は机上探偵の足なのだから。

 思考を請け負うのはシロで、考えるのは自分の仕事ではないのだと。


「そんな――」


 少し遅れて反応を見せたのは、あさがおだった。


 自身に依頼をした張本人、そして事件の被害者である火鉢の実の兄である灯火が犯人だとは、まったく想像していなかったからである。


「どうしてっ?!」


 あさがおにしては珍しく、大きな声を出だした。


 その様子を、机上に座るシロは静かに見ていた。氷のように冷えきったその視線に少し仰け反るあさがおだったが、負けじともう一度言葉を連ねる。


「この事件を解決するように頼んできたのは、その灯火くんなんだよ? もし彼が犯人なのだとしたら、そんなことは言わないんじゃない?」


 ここまでは、翔の考えと同じだった。

 しかし、そんな言葉を意に介することもなく――シロはたったひとこと言葉を発した。


「シロの推理に間違いは無い。小林火鉢を殺害したのは、小林灯火。それは事実であり――真実だ」


 あまりも堂々と発せられたその言葉に、あさがおは黙るしかなかった。


 シロの言う、机上探偵の披露したその小さく強引な推理とも呼べない決め付けに、けれど――真実を垣間見てしまったからだった。

 数々の事件の解決を見届けてきたあさがおの故の直感が、その決め付けを真実だと認めてしまったのだ。


「まぁ、気持ちはわかるけどな。あさがおさん」


 そう言ってあさがおの肩を優しく叩くのは、先ほどまでソファーでこの推理を聞くだけの翔だった。

 その言葉に、あさがおはなんの言葉も返すことはなかったが、翔は小さな笑みを浮かべ、シロの方を見て言った。


「おーけーだ探偵さん。犯人は小林灯火、それは理解した。なら、僕達はどうすればいい? お前の足であるこの僕は、なにをすればいいんだ?」


 すれば、机上に佇む探偵は静かに言った。


「いつも通り。それでいい」


「そーかい。了解したぜっ」


 そんな短いやり取りを行うと、シロは静かに机上から降りた。

 途端に、いままで氷のような表情を浮かべていたシロも、歳相応の可愛らしい表情にその様子を変えた。

 そして、いまだ黙ったままのあさがおに駆け寄り、ひとこと――


「ここからは、あさがおの仕事だぞっ」


 無邪気な声でそう言ったシロの言葉を、あさがおは理解することは出来なかった。

 けれど、そんなあさがおをやる気にさせたのは、続いたシロのひとこと。


「小林灯火は言ったのだろう。『僕を……助けて……ください……』と」


 言われ、あさがおは思い出した。

 つい数時間前、鳴り響くチャイムの最中言われたひとこと。

 忘れることなど出来ない、灯火の悲痛の言葉。


 それに対して、自身が出した言葉。


『「はいっ……まかせなさい」』



――12


 

 そんな一連の流れを終えると、シロは眠いと言って就寝部屋へと去ってしまったのだった。なんでも、机上探偵モードになると物凄いエネルギーを使うとかなんかで、すぐに寝てしまうらしい。


 残されたあさがおと翔は、二人で再度これからの行動について整理することになった。そう、この事件の依頼人であり犯人――小林灯火を助ける為に。


「まぁ、まずは事件現場に行ってみるのが一番だろうな。シロはいつも通りにやれって言ってたからな、僕は僕なりに、この事件の証拠を集めることにするわ」


 翔はそう言ったが、この事件はとうに幕の閉じた事件。

 既に事件現場である火鉢の部屋は、警察によって調べられている筈である。

 証拠になりそうなものや、事件の手がかりである火鉢の遺書などは回収されてしまっているのではないだろうか。

 そんな当然の疑問をあさがおが口にするのは必然であった。


「あぁ、そうだろうな。だからそっちは、『手』の方に任せる。警察にも顔が効くなかなか優秀な奴だから、押収された証拠品も事件の記録も、あいつなら簡単に調達出来るってわけだ」


「あいつ? シロちゃんの言ってた、手足の一人ってこと?」


「そう、シロの言ってた手足ってのは、僕とそいつのことだ。シロ流に言うなら、僕は『足』でそいつが『手』ってわけ」


 ということは、これまでの事件はその『手』と呼ばれる人物と目の前の翔によって解決されてきたということだろう。

 警察にまで顔の効くというその『手』さんに、あさがおは興味が沸いていた。

 いったい、その人物の正体とは……


「あいつは僕の彼女だ。あさがおと同じぐらいの歳で、めっちゃ可愛くて空気の読める、最高の女だぜ」


 腕を組みそう言った翔の表情は、なんとも誇らしげであった。

 あさがおに言わせれば、翔もそうとうなイケてる顔面を持ついわゆる『イケメン』なのだが、その翔にここまで言わしめるその女性も、きっと素敵で可愛らしい女性なのだろうと想像がついた。


「まぁ、あいつには僕から連絡しとくから心配すんな。それより、大丈夫なのかよ」


「えっ?」


「えっ? じゃなくて、今回の主役はあさがお――お前だろ? シロも言ってたじゃんか、ここからは、あさがおの仕事だぞって」


「あぁ……うん……任せてよ」


「そうじゃなくてさ……自分で言うのもなんだけど……あれ……僕みたいな若い奴と一緒で大丈夫なのかよってこと」

 

 そう、翔が言っているのは、今日が初対面の自身とさほど歳の変わらない少女や少年のことを、本当に信頼出来るのかということである。


 これまでにシロを含めたこの三人は、数々の事件を解決へと導いてきた優秀な集団である。


 けれど、その幼さから最初から信頼されることは少なかったのである。

 それもその筈で、シロの行う推理は犯人を最初から断定し、その推理に基づいて証拠を集めていくという、なんとも信じがたいものだからだ。

 

 これを長年のベテラン探偵が行えば、流石は名探偵だと賞賛されることもあるだろうが、シロ達は違うのである。

 ただでさえ可愛らしい外見をした少女であるし、なにより普段の達振るまいが幼すぎるのだ。ただの探偵ごっこをする少年少女達――と決め付けられてしまうに違いない。


 そんな扱いを何度も受けてきた翔だからこそ、翔は不安だったのだ。

 あさがおが、自分達になんの不安も警戒もしていないことに。


「あぁ、そういうことね。それなら、一応聞いておこうかな、翔くんが、どうしてシロちゃんと出会ったのか……そして、何故シロちゃんの助手みたいなことをしているのか」


「……は? それを聞いてどうすんだよ?」


 予想外の言葉に、翔は驚いてしまった。

 それを聞いたところで、自分達のなにを信用出来るというのだろうか。

 

 しかし、あさがおは翔がそれを話すのを待ち望んでいる様子であった。


 出会った時から不思議な雰囲気を醸し出すと思っていたあさがおのことを、さらに不審がる翔だったが、ここは素直に話すことにした。

 あさがおがそれで、自分達のことを信用できるというのなら、別に隠すことでもなかったからだ。

 そう、翔がまだ――プロのをしていた、その時の話を。

 


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