十話――薄暗い夢の中で


――22


×月〇日(☆曜日)


 今日は久しぶりに、お兄ちゃんと一緒に遊びに出掛けた。


 あたしがテニスの大会で優勝したから、そのお祝いに大好きなアイスをご馳走してもらうことにしたのだ。


 美味しかった。お兄ちゃんと食べるアイスは、やっぱり格別だった。

 

 また何か理由を見つけて、どこか美味しいものを一緒に食べに行こう!!



△月□日(◇曜日)


 今日はお母さんの誕生日だった!!


 あたしとお兄ちゃんは、二人で買いに行ったプレゼントとケーキをお母さんに手渡したのだ!

 

 お母さんはとても喜んでくれて、それを見たお兄ちゃんも凄い笑顔で、あたしもとっても嬉しかった!!

 この時撮った写真は、あたしのお気に入りになったのでした!!


◎月〆日(π曜日)


 今日は友達と海に出掛けた。


 でも、泳ぐのはあまり好きじゃないから、ずっと浮き輪を使ってプカプカ海の上で浮いていた。


 あまり楽しくはなかったけど、お土産をたくさん買った。


 家に帰ってそれをお兄ちゃんに手渡した時が、なんだかんだ一番楽しかったのかも!



Σ月α日(±曜日)


 明日から部活の合宿が始まる。


 この日記を持っていこうか悩んだけれど、結局持っていかないことにした。


 日記は毎日書くものだけど、これはしょうがない気がする。


 どうせ書くこともないからね。うん、しょうがない。


 あぁ、これから四日間も、お兄ちゃんと会えないのか……



――通算にして四十五ページ。

 日数に換算すると、約半年程になる火鉢の日記を読み終えて、あさがおは驚愕を隠せないでいた。


 読み始めた時は、ありきたりな、普通の女子中学生の日記だと思っていた。

 けれど、違った。


 そう、この日記のどのページを抜粋しても……

 どの曜日、どの日にちを抜粋しても、そこにはある人物の名前が記されていたのだ。


 お兄ちゃん――小林火鉢のお兄ちゃん。

 そう、小林灯火の名が、そこには記されていたのである。


「気持ち悪い…………」


 あさがおの率直な感想は、そうだった。


 気持ちが悪い。気味が悪い。不気味。


 ただのお兄ちゃん好きな女子中学生というには、それはいささか常軌を逸していたのだ。


 この調子ならば、きっとまだまだ見つかるだろう。

 そう、この日記はおそらく――二十三冊目なのだから。


 その証拠に、この日記の表紙にはこう書かれていた。


『火鉢の秘密日記~23~』


「こんなものが……まだ二十二冊も残っているの……?」


 この事件の証拠を集める為には、それを探し出し中身を確認する必要があるだろう。

 被害者の日記には、思わぬ証拠や手掛かりが秘められているものである。


 けれど、あさがおはそれをしなかった。

 出来なかったのだ。


 その理由は単純で、これ以上――常軌を逸したこの日記を、読みたくはなかったのである。もしこのまま読み続ければ、あさがおは正気を保てないだろうから。


「少し……休もう……」


 膨大な狂気の片鱗へんりんに触れてしまったあさがおは、ひとまず休息を取ることに決めた。


 火鉢の部屋には、木で出来た少し大きなサイズのベッドがあったのだが、あさがおはそこを避け、床に寝そべり仮眠を取ることに決めた。


 きっちりと、火鉢の日記を視界から排除して。



――23


 その頃――机上探偵であるシロはまだまだ夢の世界にいた。


 遠いあの日、自身の初のパートナーである、白鳥翔と出会ったあの日の夢の世界にいたのだった。


 その頃の翔は、怪盗チルドレンとして巷を賑わせる空き巣だった。


 誰にも見つけることの出来なかったその怪盗を、初めてその目に映した人物こそ、紛れもない――まだ机上探偵となる前のシロなのであった。


 怪盗チルドレン――そして机上探偵が出会ったその日。


 物語は、机上探偵から放たれた、この言葉から始まるのである。


「……おまえは、だれだ?」


 月明かりが雲に隠れた、薄暗い深夜。

 

 シロは自身のお気に入りの机の上で静止する、ある一人の男を発見した。


 男はシロに声を掛けられると、瞬く間にその姿を隠そうと辺りを見渡した。

 けれど、その部屋に隠れる場所など無かった。


 それもその筈で、その部屋にはその机の他に、小さなおもちゃ箱しか存在していなかったのだから。


「なにをそんなに慌てているのだ。はやくシロの質問に答えろ」


 そんな不審な男に、シロは怯むことなく言葉を掛けた。


 すると、観念したその不審な男は、ゆっくりと――震える声で言葉を発した。


「……か……か……怪盗……チルドレン……」


「……はい?」


 テレビを碌に見たことのなかったシロは、巷を賑わすその怪盗のことを知るわけもなかった。

 なので、そう名乗られたところで、理解することなど出来なかったのである。


 しかし――そこは幼くとも机上探偵。


「少し待て、今、考える……」


 言って、シロは未だ怪盗の居座る机上へと足を運んだ。

 まだ幼いシロのその動作は、なんとも拙いものであったが、いったん領域に入ってしまえば、シロはその様子を急変させた。


「ふふ、挨拶が遅れてしまったな怪盗チルドレン。初めまして、我が名はシロ。この机上の主であるぞ」


「……………はい……?」


 今度は男の方が、なんとも間抜けな声でそう言った。


 しかし、そんな様子の男を置き去りに、シロの思考は加速する。


「なるほど……新品の靴に、体臭とは異なる匂いの洋服……。指紋を残さない為の黒の手袋に……ふふ、メッセージ付きの小さな封筒。なるほどなるほど、理解したぞ大怪盗……」


 自身の体を入念にチェックする、謎の幼女。

 抵抗することも出来たのだろうが、何故か男は、そうしなかった。


 否、出来なかったのである。


 薄暗い月明かりに照らされた、その純白の髪に、その視線を釘付けにされてしまったから。

 この世の物とは思えない光景、そして現状に、男の理解は既に追い付いていなかったのだ。


 そんな男に、理解を終えたシロは声を掛けた。

 怯えないように慎重に、けれど大胆に、声を掛けた。


「おい大怪盗……せっかく話相手が出来たと喜んでおるのだ。いつまでも呆けておらんで、なにか言ってみたらどうだ?」


 男の頬をゆっくりと撫でて、机上のシロはそう言った。


 その姿は、まるで幼い子供のものとは思えなかったという。


 けれど、この時――男は瞬時に悟ったという。

 自分が長年探し求めていた、同類。


 その存在との遭遇を、瞬時に理解した。


 そして、焦る気持ちを押し殺して、ある質問を口にした。


「君は、大人たちをどう思う?」


 その質問に対して、机上のシロは目を丸くした。


 けれど、その質問の意図を瞬時に理解し、言葉を返した。

 

 まるで、当たり前のことのように。

 男の予想を裏切るように、残酷に。

 けれど愉快そうに、声を弾ませて、言った。


「知らん。大きかろうが小さかろうが、人は――人だろうに」


 数秒の静寂の後、声を発したのは男の方だった。


「そっか、そりゃ……そうだよな…………」


 何かを悟ったかのような、心のどこかで抱えていた――答え合わせが済んだような清々しい表情になった男は、続けて口を開いた。


「君は…………シロは、僕が悪者だと思うかい?」


 その、本日二度目の質問の意味をきちんと理解していた机上のシロ。

 答えはとっくに用意していた。

 というか、その質問を待っていたシロは、嬉しそうに声を上げた。


「もちろんだ!! なんせ、貴様は我の領域に……土足で侵入した不届き者なのだからなっ」


 そう言ってシロは、机上で立ち上がり男の腹を思いきり両手で押した。

 いくら幼女の筋力とはいえ、机上というバランスの悪い場所で腹を押されてしまえば、男はバランスを崩して床に倒れてしまう。


 そんな間抜けな男を机上から見下ろし、続けてシロは口を開いた。


「……だが、これで貴様は悪者ではない。元・悪者だなっ」


 机上で快活に笑い声をあげるシロを見上げて、男はぽかんと口を開いたままでいた。今まで自身がしてきた行為を、台無しにされたような気がして、ほんの少しだけ腹が立った。


 けれど、それと同時に感じたのだった。


 今まで自身がしてきた行いは、間違っていたのだと。


「うむ……なにを勝手に自己完結しているのかは知らんが……我の話を聞いていたのか貴様は。我は話相手を欲しているのだ。いつもでもそうして伸びていないで、とっとと靴を脱いでそこに座るといい」


 言われ、男は態勢を立て直し両手を上げた。


「わかったわかった……降参だ名探偵……言う通りにするよ……」


 シロの言った通り、男は靴をしっかりと脱ぎ、指定の場所に腰を下ろした。


 そしてそれと同時に、二人の雑談は始まったのだった。


「よしっ、舞台は整った。大怪盗、まずは貴様の真の名を聞こうかのう。いつまでも大怪盗やらチルドレンやら呼びたくはない。面倒だし、なによりダサい」


「……んなっ……チルドレンはともかく……怪盗はカッコいいだろう……」


「馬鹿を言うな……怪盗は最後――探偵に捕まってお縄を掛けられると、相場が決まっているのを知らんのか」


「はっ、とんだ皮肉だな。まるでそれは、今の僕じゃないか」


 ここで男は、初めて心からの笑みを浮かべた。

 自嘲気味だが、それは確かに、男が浮かべた真実の笑みだったのだ。


「白鳥……白鳥翔。気軽に翔って呼んでくれ」


「うむ、白い鳥は空を翔ける……と――いい名だ!! 両親に感謝するがよい!」


 ここで、男は白鳥翔と正体を明かしたのだった。

 

 そこからの会話は、取るに足りない――傍から聞けば退屈極まりないもであった。

 けれど、二人はとても楽しそうに、その会話を楽しんでいた。


 二人は会話に夢中になるにつれ、時が進むのを忘れていった。

 経過した時を把握したのは、外が少しだけ、明るくなってきた頃――


「やべっ……もうそんな時間かよ……」


「うむ、シロの体内時計に狂いが無ければ……今はおおよそ五時くらいか……」


「まずい……僕としたことが、完全に忘れていた……」


「なにが『僕としたことが』だ。シロに見つかった愚か者の癖に」


「な、なんだと……確かに僕はシロに見つかったが、決して愚か者というわけでは……」


 その時、翔の声がほんの少しだけ大きくなったその時――


 突如として、その存在は現れた。


 そう、シロと翔が出会った瞬間から……天井裏で隠れて動向を伺っていたその存在は、天井をぶち破り姿を現したのである。


「おおっと! 大きな声を出しては駄目だぞ翔くんっ!! そんなことでは、悪い大人に見つかってしまうかもしれない!!」


 それはまるで、ヒーローの登場シーンのようだったという。

 具体的に言えば、天井裏から落下した衝撃を床に受け流し――柔道の前回り受け身を取り、尚且つそのエネルギーを利用し直立し、さらにボクシングの構えのポーズを取って、ゆらゆらとその身を揺らしていたのである。


「おいおい、ご近所全域に響き渡る程の爆音を伴って現れた、先生には言われたくはないと思うぞ。なぁ、翔」


 粉々になり舞い上がる白の天井を、まるで霧のように身に纏うその存在を横目で見ながら、シロは冷静にそう言った。


 対する翔はというと、状況の整理に頭の容量をすべて使っていた。

 というか、それでも理解出来るわけがないのである。


 突如として、人が天井裏から降ってくるなど。


「あっはっは。それもそうかもしれないね! けれどシロちゃん。先生の言いつけを守らずに、夜遅くに部屋を抜け出す悪い子さんにも、先生をそんな目で見る権利は無いんだからね?」


「うぅっ……それは……だな……」


 なにを当たり前のように会話を進行しているんだこいつらは。


 そんな翔の心中を察した、この騒動のど真ん中に位置する謎の存在。

 その存在は、ゆっくりと翔へと歩みを進めた。


 舞い上がる煙から抜け出し、やがてその全貌が露わになる。


「……きれい…………だ…………」


 腰まで伸びる煌びやかな黄金の髪。

 碧い瞳を伴うその相貌は、大きく丸く――見る者を安堵させた。


 その豪快な登場とは裏腹に、すらっと伸びる細い腕に、美脚の二文字を宿す両足は女性特有の柔らかな印象を相手に持たせた。


 腰に巻きつけられたエプロン――そしてその膨れ上がった胸部に付けられた『園長』という二文字が書かれたプレートを見て、翔は悟った。


 今宵怪盗が目を付けた児童施設。

 その孤児院に、職員はたった一人だったのだから。


「あら、ありがとう翔くん。その言葉は、何度言われても悪い気はしないわねっ!!」


 その職員こそ、机上探偵を育てたその人であり――


 この孤児院のたった一人の園長という肩書の職員であり――


 白鳥翔がした――初恋の相手でもあったのだ。





 「……すき……です…………」


 





 

 


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