九話――教科書の彼岸花

――19



「ここが事件現場である、依頼人小林灯火が住むマンションだ」


 遅れて事件現場に到着した翔、いつものような口調でそう言った。

 

 喫茶店では恋人であるみずきに怯え、正座をさせられていたが、そのショックはもう既に本人の中からは消えているようで、いつもの自信満々な、本来の翔の姿へと戻っていた。


「依頼人である灯火君には、私からもう話しは通してあるわ。ご両親にも了承を得ているから、すぐに出て捜査を開始出来るわよ」


「さっすがみずき。仕事が早いな」


「ふふん、伊達にあなたの恋人を務めているわけではないから」


 マンションの管理人さんに挨拶をし、同時になにか手続きを行っているみずきを見守りながら、翔とあさがおは再度、この事件の詳細をまとめることにした。


「二週間前、依頼人である灯火くんの妹さん――小林火鉢ちゃんは自殺をした」


 目の前の九階建ての八階――八〇三号室の一室。

 火鉢の部屋で行われたのは、練炭を用いた練炭自殺。


 両親と小林灯火が家を出て、僅か数分後にはそれは行われたという。


 それは死亡推定時刻から導き出されたおおまかな時刻で、ハッキリとは判明してはいない。


 事件の発覚はその日の午後五時頃、第一発見者は母親で、その時既に小林火鉢は絶命していた。


 事件は警察によって捜査されたが、当日――誰一人小林家には入っていないことを、マンションの監視カメラで確認出来たこと。火鉢本人が練炭を近くのホームセンターで購入していたこと。そして極めつけは、小林火鉢自身によって書かれた遺書が残されていたこと。その遺書に残されていた文字は直筆で、筆跡鑑定をかけるまでもなく、家族全員がそれを小林火鉢の字だと認めたという。


「けど、灯火くんのお母さんは納得出来なかった。その遺書に残された一文――人生に絶望したあたしは、自殺を選んだ――という言葉に、どうしても納得がいかなかったの」


「そして小林母は荒れた。それを見兼ねた息子の灯火が、妹の自殺の理由を偽装することを思いつく。そんな時に白羽の矢が立ったのが、地元では知らぬ者のいない事件請負人――木漏日あさがお、お前だったわけだ」


「そう、そしてその事件を、私は偶然出会った机上探偵――シロちゃんに話した……」


 そして、机上探偵であるシロは、あさがおの……依頼人である灯火も驚きの、突拍子もない推理を披露した。


 小林火鉢は自殺ではない。

 真犯人は別にいる。


「そしてその犯人こそ……私を頼ってやってきた……灯火くん……だった」


「まぁ、簡単にまとめるとこんな感じだろ」


 もちろん、みずきからその真相が灯火に漏れていることはない。

 家族も同様、今日の捜査は、火鉢の自殺の原因を突き止める。

 という内容で進んでいるのだ。


「あさがお、僕はシロの……机上探偵の『足』だ。だから、真犯人は存在していて、それは小林灯火である。その推理に基づいて行動する。これは揺るがないし、他の可能性は考えない。今から行われるのはそういう捜査だ。だが、今ならまだ、捜査を中断することも出来る。真実を闇の中に消し去り、シロの推理を一つの可能性だと言い聞かせることも出来る。つまり、もう後戻りは出来ないってことだ。それでも……やるのか?」


 真剣な面持ちで、あさがおの目をしっかりと見て、翔はそう言った。


 もし仮に、真犯人は小林灯火である。

 その推理を確定のものとする証拠が、この捜査で見つかってしまったとしよう。


 けれど、それで誰が得をするのだろか。


 灯火の母は、それで納得するのだろうか。

 残された両親は、今後どんな気持ちで、生涯を過ごしていくのだろう。


 どうしても先のことを考えてしまいがちな翔は、そうなってしまう前に、確認しておきたかったのだ。


 もしもその事実が発覚し、そうなってしまった時、一番辛い思いをするのは――木漏日あさがおだと知っているから。


 けれど、当の本人であるあさがおは意外にも……


「大丈夫だよ翔。全部わかってる。それでも、どんな結末になったとしても、私は後悔しない。だって、私はあの日言ったから。他の誰でもない、灯火くんを助けるんだって、私の口で、言葉で――そう、言ったんだから」


 笑顔で、そんなことを言うのだった。


「二人とも、手続きは済んだわ。ここから私は、他の情報源を頼って別行動になるけど、いいわね?」


 翔は当然のように、澄ました顔で頷いた。

 あさがおも、重々しくはあったが、固い決意を表すようにゆっくりと、けれど明るく頷いたのだった。



――20


「小林家の両親は仕事で留守。灯火は学校の部活動で留守。ってことで、今この家には僕とあさがおの他に誰もいないってわけだ」


「うん、それでも私たちが自由に捜査出来るように、みーちゃんが色々手続きをしたってことなんだよね」


 ここまでの過程の中で、あさがおとみずきはかなり仲良くなっており、あさがおはみずきのことを――みーちゃん――と呼ぶようになっていたのだった。


「あぁ、ってなわけで、ここからは僕の出番ってわけだ。まずは事件当日の朝を再現するから、あさがおは被害者の火鉢の部屋で待機しててくれ」


「りょ、了解です!!」


 なんだか本格的に捜査が行われるようで、あさがおは思わず緊張から少し大きめの声を出した。

 いくらたくさんの事件に関わってきたと言っても、このように事件現場にやってきて、警察の真似事などはしたことがなかったあさがお。

 そのあさがおが、まさか人が亡くなっている事件の捜査を行うことになるとは、思ってもいなかったのである。


 それに対して、流石は探偵の相棒を務める白鳥翔は、実にスムーズに現場の状態を把握していた。


「玄関を開けて右手が両親の寝室……向かいには灯火の部屋……。それを素通りでまっすぐ歩けば、大きなリビングがあり、その奥か、火鉢の部屋は」


 あさがおを火鉢の部屋に案内し、翔自身はとりあえず今朝の状況をシミュレートすることに専念した。


「両親は共働きの為朝食を取る習慣は無し。従って、小林家の連中はそれぞれ、仕事の支度や学校に行くための準備をしていたわけだ」


 みずきの調査によれば、被害者である火鉢は朝に弱く――母、父、そして灯火の順で火鉢を起こしに行くのが日課になっていたという。


 中にはそれでも起きてこない日もあるらしく、その時は諦め、火鉢を抜いた三人で、一緒に外に出るらしい。


 あの日も、朝一番に母が火鉢の部屋を訪れた。

 そして、次に支度を終えた父が。

 さらに最後に、玄関で待つ両親に言われ――灯火が火鉢を起こしに。


 この時、家族全員がそれぞれ火鉢の姿を確認しており、最後に起こしに行った灯火の時に玄関で待っていた両親も、火鉢の大きなあいさつの声を、聞いているらしい。


「おいあさがお、こんにちわーーーーー」


「えっ?! こ、こんにちわぁーー!!」

 

 翔があさがおを使い実験してみたが、確かに火鉢の部屋の戸が閉まっていても尚、玄関まで火鉢の声は聞こえるようである。


「なるほどね……んじゃ、次は各部屋の調査、及び窓の配置、セキュリティレベルをチェックさせてもらおうかね」


 言って、翔はあさがおを火鉢の部屋に残して、独自に調査を始めた。


 残されたあさがおはというと、翔によって指示された内容を、忠実にこなしていた。それは、火鉢の部屋に残された引き出し、机の上、本棚、クローゼット、日記等の、火鉢の人柄がわかりそうな物の物色である。


「あぁ、話には聞いてたけど……火鉢ちゃんって本当に優秀な生徒さんだったんだなぁ……」


 引き出しの中に残された通知表には、幼い頃から最高評価のものばかりが並び、定期テストの点数は満点かそれに近いものばかり。

 運動能力も優れていたようで、部活のテニスの大会でのトロフィーや賞状が、部屋の各所に散りばめられていた。


 そんな生徒が、そんな優秀な女の子が、自殺などするものだろうか。

 そんな疑問が頭に浮かんだが、あさがおはすぐさまそんな疑問を頭から投げ捨てて、まだ手を付けていない本棚に並ぶ教科書に手を伸ばした。


 自分がすべきこと、考えなければならないのはそこではないと、思い出したからである。


「あ、これって……」


 本棚に並ぶ教科書を物色していると、数学の教科書の数ページに、小さな落書きを見つけたのだ。

 

「あぁ、やっぱり思春期の女の子だなぁ……」


 それは、クラスの友達だろう女の子とのメッセージのやり取りだった。


 授業中、先生の目を盗んでは、隣の席の友達と文字でのやり取りをしていたのだろう。あさがおもかつて、今日の給食のデザート募集――というメモをクラス中に配り、先生に見つかった苦い過去があったので、こういう行動には共感が持てた。


 しかし、火鉢の場合――その文字でのやり取りの内容はあさがおのような、今日の給食のデザートなんて、そんなものではなかった。


 それは、互いの好きな男子を言い合おうというものであった。


「ふぅん、やっぱり、今時の女の子はこういう事に興味があるのかな?」


 少し自身が、今時の女の子と感性がズレていることを自覚したあさがおは、その教科書に書かれたやり取りを、読むことにした。 


『ねぇねぇ、ひっちゃんの好きな人って、誰?」


『ひみつ』


『え、いいじゃん』


『誰にも言わない?』


『当たり前じゃん! 二人の秘密!』


『なら、教えてあげる。あたしの好きな人は…………』


 その短いやり取りの結末、肝心な部分は教科書の端ごと切り取られていて、結局判明することはなかった。


「まぁ、いくら女子中学生でも、自分の好きな人の名前をそのままにしておくわけ、ないよねぇ……」


 まぁ、火鉢の好きな男子が判明したところで、今回の事件に直接関係があるとも思えない。なので『火鉢ちゃんには好きな男の子がいた』という情報だけを頭に入れ、次の理科の教科書に手を伸ばした。


 そこには数学の教科書のような、直接的な文字や文字でのやり取りが残されていたわけではないが、たった一ページ、ピンクの付箋で印を付けられたページがあった。


 すぐさまそおページを確認すると、それは植物に関するページであることがわかった。


 そして、そのページの左隅。

 小さく彼岸花が紹介されている写真の下に、ハートマークが描かれていたのだ。


「彼岸花……好きだったのかな……?」


 あさがおがその写真をぼおっと眺めていると、唐突に火鉢の部屋の扉が豪快に開けられた。驚いたあさがおは、その拍子に勉強机に足を打ち付けてしまったのだった。


「あいたっ!!!! もぉ! 翔が急に開けるから、ビックリして足怪我しちゃったじゃんかぁ……」


「あぁ、悪い悪い。ところでよ、ちょっとある実験をしたいからさ、協力してくれよ」


 言って、翔はあさがおに弁当一人分――そしてペットボトル二つの水を手渡した。


「今からこの部屋を密室にする。この部屋の窓も扉も、内側から鍵のかけられるタイプだ。しかも、外側から開けようとするとどうしても跡の残る厄介な代物。この密室を、今から僕が打ち破れるか試してみる。制限時間は三時間。だからそれまで、あさがおはこの部屋に居てくれればそれでいい。わかったか? じゃあ、今から僕がこの扉を閉めて五分後がスタートだ。よし、スタートっ」


 物凄い早口でそう言った翔の目は、まるで新しいおもちゃを渡された子供のように光り輝いていた。

 やはり元プロの空き巣ともなると、難攻不落の密室に侵入したいという、無意識な本能が働くのだろうか。


 翔が扉を閉めてから、あさがおはすぐに部屋の扉に鍵をかけ。

 そして、反対方向に位置する大きな窓にも、鍵をかけた。


 念の為、他に侵入出来そうな場所を探してみたが、やはり先の二点以外からの侵入は不可能であると、結論付けた。


「もぉ……人使い荒いなぁ翔は……足いったい……」

 

 先ほど打ち付けた右足をさすりながら、しかしあさがおはあることに気が付いた。

 

 さきほど足を打ち付けた時、同時に勉強机の下の隙間にあった『何か』を蹴っ飛ばした気がしたのだ。

 その時は他の部位の痛み、そして翔の登場によりそれどころではなかったが、痛みも落ち着き、冷静になった今、先ほど自身が蹴っ飛ばした物の正体を突き止めることにした。


「これ…………か………なぁ……」


 勉強机の下の小さな隙間に腕を入れて、ギリギリの位置に、その何か――まぁ、その正体は火鉢の日記だったのだが、それを発見した。


「ふぅん……火鉢ちゃんの日記か……」


 表紙には、『火鉢の秘密日記~23~』と書かれているので、中身を見ることなく、それが火鉢の手によって書かれたものだと理解できたのである。


「あんまりよくないことだけど、今回の場合は仕方ないよね……」


 他人のプライバシーを踏みにじる行為ではあるが、これも事件捜査の為、仕方ないと割り切って、あさがおはその日記を開いてみた。


 すると、その中身は――


 あさがおの予想を、遥か斜め上に過ぎ去るものだったのである。

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