十六話――机上探偵
――33
「そろそろ……結果が出る頃だな」
現在シロの自宅には、シロ、翔、みずきという――いつもの面々が集まっていた。
その理由は、現在自身が請け負った事件を終わらせ、その足でここにやってくる予定の木漏日あさがおを待つためだった。
「っていうかさ、本当なのかよ……あの話……」
「あぁ、当然だ。シロは嘘などつかないからなっ!」
翔の言うあの話……とは、シロだけが見抜いていた――木漏日あさがおの真骨頂とも呼ぶべき、ある特技のことだった。
「シロが言うなら、まず間違いないんだろうけどさ……なかなか信じられるもんじゃねぇだろ……あれは……」
その話題が持ち上がったのは、シロが事件の推理を終えた直後。
驚愕の真相を告げられたあさがおが、ぐったりと項垂れてしまった直後。
「「結末は、まだ決まっていない。お前が決めるのだ、あさがおっ!!」」
というシロの言葉から始まった。
「どういうこと……?」
あさがおは、当然のごとく疑問の言葉を口にした。
そんな様子のあさがおに、シロは優しく言葉を紡ぐ。
「事件の捜査は終わった。真相も解明された。けどな、あさがお。結末はまだ迎えていない。事件というのは、ここからが重要なんだ。いいか……よく聞け……」
シロが語ったのは、事件のこの先の展開だった。
ここからあさがおには、幾つかの選択肢が残されているのだと。
「まず一つ目に、真相を白日の下に晒し――小林灯火を警察に逮捕させること」
その準備はばっちりだと、待機していたみずきが左手に黒の携帯電話を持って現れた。
「そして二つ目、あさがおが直接灯火の元に出向き。真相を突き付ける。そして自首を進めてジエンドだ」
ごくり、あさがおは固唾を飲み込んだ。
そう、確かにシロの言う通り――事件は終わってなどいなかったのである。
むしろ、ここからが本番。
あさがおの仕事は、ここからだったのである。
生気を取り戻したあさがおのやる気に満ち溢れる目を見て、シロは満面の笑みを浮かべた。ここまでは予定通りだと。そして、ここからが一番の分かれ道。ここさえ突破してしまえば…………
「そして最後……これは、あさがおがすべてを決めるというやり方だ」
このまま真実を闇に葬り、なにもなかったと忘れ去っても良し。
警察に連絡するも良し、自首を促すのも良し、両親に打ち明けるも良し。
「そして、シロたちを頼ってくれても――もちろん良しだ」
そう――最初からこうなることは決まっていた。
それこそ、シロはそのつもりで、この事件の真相を解明したのだから。
もともと、この事件はあさがおの担当で。
小林灯火は、あさがおに助けを求めたのだ。
「なぁに大丈夫。シロたちがフォローするっ♪」
満面の笑みのシロを見て、すぐさま周りを見渡した。
すれば、いつものように澄ました表情を浮かべる翔。
綺麗な顔をくしゃっと潰して、とても可愛らしい笑みを浮かべるみずき。
そう、あさがおの周りには――既に優秀過ぎる程の仲間たちが、存在していたのである。
机上ですべての事件を解決する、白髪幼女の名探偵――シロ。
元怪盗チルドレン、現机上探偵の『足』――白鳥翔。
クール&ビューティ。情報を操る華麗なる『手』――黒鷺みずき。
おまけに、高身長刑事――あっくんさん。
一つの事件を解決するにあたっては、豪華過ぎる顔ぶれである。
いや、豪華すぎるということはないのだ。
このチームは、このチームで一つの探偵なのだ。
全員が揃って、それでこそ机上探偵として機能する。
そんな頼もし過ぎる集団を前に、あさがおは迷うことなどなかった。
「みんな。協力、お願いします!!」
やっとあさがおらしくなってきたと、翔は微かに微笑んだ。
みずきは携帯をぽっけにしまい、シロはすかさずあさがおに抱き着いた。
「じゃあ、さっそくだけど……お願いがあります……」
あさがおがそう言うと同時、行動は開始された。
あさがの望む結末の為に、みなが動き出したのである。
――34
目が覚めると、頬に沿って何か温かいものが流れていくのを感じた。
右手でその塊を確認すると、それはどうやら涙であると判明した。
「……ここは……保健室…………」
意識があった最後の記憶は……そう、国語の授業を受けていたのだ。
そして、先生に指名されて立ち上がったと同時――
「貧血で倒れたか……あぁ、確かに少し……くらくらする……」
言って、少年が自身に掛けられた毛布を捲ろうとしたした――その時
「うん、やっと目が覚めたみたいだね。おはよう」
半分だけ開けられた窓ガラスから吹き込む突風。
それにその長い髪を揺らされて、少女は少し困った表情を浮かべながら、そう言った。
「……あさがお…………さん……」
風に揺らされながら、しかし少女の視線は、少年の瞳を捉え続けていた。
激しく靡く髪が、少女の姿を、まるでフィクションのように演出する。
けれど、少年はその少女のことをよく知っていた。
なんせ、自身が事件を持ち掛けたのだ。
このタイミングで、少女が現れたということは――
少年はなにかを悟って、けれどそれを考えないよう、胸にしまった。
そして、心に蓋をして――いつもの調子で口を開いた。
「やぁ、あさがおさん。おはようではなく、こんにちわかな」
けれど、少女から返事はなかった。
ただ、少女はこちらをその綺麗な瞳で見続けている。
「あ、あの……あさがおさん……だよね?」
それでも、少女が口を開くことはなかった。
気まずい沈黙が、二人きりの保健室を包んでいた。
しかし、窓から押し寄せる風の波が止むと同時――少女はもう一度、その大きな口を開き、穏やかな口調でこう言った。
「おはよう灯火くん。体調はどうかな?」
「だから……おはようじゃなくてこんにちわだって……」
再び訂正するも、またもやここで、少女はその口を閉ざしてしまった。
しかしその瞳だけは、まっすぐにこちらを見続ける。
「ふざけて……いるのか?」
その問いかけにも、少女は答えることはなかった。
代わりに、少女は薄っすらと笑みを浮かべた。
「……な、なにがしたいんだ…………」
拳を握り、少し強めの口調で、少年はそう言った。
握られた拳には、少しの汗が混じっている。
「おはようって言ってるんだよ。灯火くん。まだ起きてないのかな?」
「だから……僕は起きてるし!! おはようじゃなくてこんにちわだって……」
今度はしっかりと、怒気を込めて言い放ったその言葉。
けれど少年のその言葉は、少女の氷のような口調で放たれた言葉によって、いとも簡単に掻き消されてしまったのだった。
「うるさいよ偽物。さっきから勝手に喋らないで。私は灯火くんに用があるんだ。お前みたいな化け物は、喋るな。黙れ」
「なっ……なにを…………」
依然としてこちらを見やる少女に、少年は完全に飲まれてしまっていた。
それというのも、少女が言ったひとこと。化け物。
そのひとことに覚えがあった少年は、胸に手を当て、いったん冷静になることに集中した。
しかし、目の前少女はそんな暇さえ――少年に与えることはなかった。
「私は灯火くんに頼まれたんだ。化け物はさっさと退場して、あの日の灯火くんを返せ。お前はもう、死んでるんだよ」
言われ、少年の動きは完全に停止した。
それを好機と、少女はさらに畳みかける。
「灯火くん。なにを怖がっているのか知らないけれど、早く声を聞かせてくれないかな。せっかく灯火くんの頼み、解決しようと思ったのに」
瞬間――少女があの日と同じ笑みを浮かべたその瞬間。
少年は、とうとう目覚めた。
「ははっ……だから……こんにちわだって、言ってるじゃないか……あさがおさん……」
――35
「おっけい。私は小林灯火の情報。小林灯火の生きてきた歴史の、出来る限りの情報を集めればいいんだね」
「そんで僕は、その情報を元に小林灯火の人格をコピーする。そんで成りきれるようにすればいいんだな」
「うんっ。あの……これは参考までに聞くんだけどね……どれくら……掛かりそう?」
一人の人間の生きてきた過去の情報を出来るだけすべて集める。
そしてその情報を使い、一人の少年の人格をコピー。
さらには成りきるなど、途方もない時間が掛かりそうなことではある。
なので、あさがおはあまり期待をせず尋ねてみた。
下手をすれば数か月……さらには年単位の仕事にもなり兼ねないのだから。
しかし、翔とみずき。
このカップルに、一般の常識など当てはまらない。
「半日ね」「半日だ」
自信満々にそう答えた二人を見て、あさがおは満面の笑みを浮かべた。
流石は机上探偵の『手』『足』。その性能も規格外である。
「さっすが、頼もしい限りですっ♪」
「あぁ……それは全然いいんだけど……それで、その後はどうすんの? 僕はいったいどうすれば……」
「あぁ……それはね……」
あさがおは、翔とみずきに計画を簡単に説明した。
その内容は――
「はっ?! 僕を本物の灯火に見立てて、予行演習をするって?!」
「そう、考えうる可能性すべてを考慮してね」
「そんなもん……いったい幾つあると思って……」
「大丈夫……予行演習は、灯火くんが被っている仮面を剥がすまで。その後は、私がなんとかするから」
そう言って、あさがおは翔の手をぎゅっと握った。
とても暖かいその手の感触は、翔の不安も心配も、すべてを消し去ってしまう程の力を宿していたという。
まぁ、あさがおが翔の初恋の相手に似ていたことが、一番の理由ではあるのだが。
「そして、シロちゃんにも協力してもらう。現在灯火くんが陥っている状況は、なんとなくだけどわかる。けど、細かいところまではやっぱりわからない。だから、シロちゃんにはそれを推理して貰いたいの。いい……かな?」
あさがおがシロにお願いをすれば、シロは待ってましたと言わんばかりに机の上へと駆け上がった。
そして、その瞳に冷気を宿し――
「よかろう。我は今から、あさがおの忠実な駒となろう」
そう言って、快活な笑い声を上げたのだった。
しかし、不安はなくとも謎はまだ残っているぜと、翔は二人の仲に割って入った。
「待てよ。確かに予行練習はいい手かもしれねぇ。けどよ、今回の場合パターンが多すぎやしねぇか? いくらシロが今の灯火の状態を推理して、それを僕の人格トレースと組み合わせても、日時状況場所によって人ってのは言動が変わるもんだ。確かに試行出来ない数ではねぇが……そんなもん、覚えられるのかよ。すべての可能性で試した受け答えを、あさがお一人で」
そんな翔の当然の疑問に、あさがおはくすっと小さな笑みを溢した。
机上に胡坐をかいて座るシロも、それに続くように笑みを浮かべる。
「な、なにがおかしい……」
そう、翔はなにもおかしなことは言っていない。
ただ、おかしいのはあさがおの方だったのだ。
あさがおは言った。
自信満々に、自身の唯一……けれど最強の特技の片鱗を。
「翔と私が出会ったから――二人の会話の中に、ひらがなの『は』は、何回登場したでしょーか」
「………………は…………?」
「ふふ、それで一個目……あとは? って、これもか」
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