最終話 サボってしまえ!
駅での一件以来、学校に行っても、あいつらは何もしてこなかった。仮にしてこようとも関係なかったけれど。
ただ 、あいつら以外からの嫌がらせに関しては、止む気配がなかった。一度便乗してしまえば、主犯格がいようがいまいが関係ないのだ。手を出せば、全てが加害者。明確なきっかけでもない限り、歯止めは利かないのだろう。
ぼくは気にしていなかったのだが、ある日ぱたりとなくなった。はて、何かきっかけが? その答えはすぐにわかることになる。
「お前、スグルさんと仲良いってマジ?」
帰り支度をしていると『私は校則を破り続けます』と高らかに宣言していそうな同級生に話しかけられた。側頭部に音符を思わせる寝癖がついている。確か同じクラスの人間だ。名前は忘れた。ほとんど見かけないし、登校している時は猫に勝るとも劣らないくらい眠りこけている奴だ。思えば、今日も日がな眠り続ける愉快な置物があった気がする。寝癖は、そのときのものだろう。
「まあ」
無視する理由もないので、ぼくは、鞄に教科書を詰めながら遠慮がちに言った。
あれから、もう一度スグルさんの所を訪れていた。今度は純粋にリベンジするためだ。借りていたお金も返さなければならなかった。
彼は、こちらに気づくなり笑み見せ、席を勧めてくれた。借りてたお金も、一応は受け取ってくれたのだが。それはそのまま、ぼくの軍資金に変わる。
返しに行ってはゲームをし、返しに行ってはゲームをする。気づけば、そんな日課が出来上がっていた。相変わらずゲームには勝てなかったけど。
「うん、友達かな」
鞄を閉め、口にしてみる。予想外に恥ずかしい。スグルさんは、わりとためらいなく言ってて凄いなと感心する。
「へええ。やるなあ」
音符くんは、謎の賞賛を口にし、頼んでもいないのにスグルさんのことを話始めた。
彼曰く、スグルさんは、この界隈では、めっぽう怖いと噂らしい。空手は有段者で、ボクシングの大会もいくつか優勝しているほどの実力者だとか。おまけに、族のヘッドだとか、「や」の人とつながっている、マフィア専属の情報屋、はたまた殺し屋などなど、次々好き勝手な情報が飛び出て、ぼくを驚かせた。
これは、スグルさんも頭が痛いだろうなと苦笑したくなる。同時に、嫌がらせが止んだ理由もわかった。どうやらぼくはスグルさんの舎弟ということになっているらしい。
ぼくは当然、舎弟ではないし、スグルさんも、ごく普通の一般人だ。族に属してもないし、アウトローな付き合いもない。殺しどころか、蚊だって潰さない。
あの物騒な見た目にだって、昔、いじめを打破しようと、格好から入った結果だ。これが驚くほどハマり、見事いじめっ子たちは恐れおののいたらしい。だが、もともと仲が良かった友人にも敬遠されてしまったとか。
それから彼は、暇な時間を一人寂しくゲームセンターで過ごすようきなり、気づけば、今のような認知を受けるようになったという。
そんなバカな。はじめに聞いたときは、そんな風に思ったものだが、スグルさんは至って真剣な顔だったため、信じることにした。
ちなみに有段者と、ボクシングのことは本当だ。恰好だけでは、さすがにこんなレッテルは張られない、と困ったように笑っていたが。しかしまあ、中身は気の良いお兄さんなのだ。
「スグルさん、ホント強いよね」
ゲームの話だった。リアルファイトは見たことがない。できれば、一生見たくない。
「まあな。でも俺より強い人もいるぞ」
「いつだか言ってた人?」
スグルさんは、頷いて遠くを見る仕草をした。「一生勝てないな」と呟く。そんな強者がいるとは。井の中の蛙だった自分を恥ずかしく思う。
「どんな人だったの?」
「変な人だったよ」
変な、と言われれば、ぼくのイメージはあの人しかいない。ぼくは冗談交じりに言ってみたのだが。
「ゲタを履いていたとか」
「何で知ってるんだ?」
「……」
やっぱり強かったのかよ。あの人。
「なあ、俺たち友達にならねえ?」
音符くんは、身を乗り出し提案してきた。さすがにぼくも一歩引いてしまう。
「いあ、スグルさんのこともあるけどよ。お前もなかなか強そうじゃん」
邪気のない笑顔だった。ひょっとしたら彼は、ぼくの教室での地位を知らないのかもしれない。
「そんなこと、ないよ。喧嘩だってしたことない」
あいつの顔が頭に浮かんだ。邪気もなく、差し出された片手の感触は、今でも忘れない。だから本気で否定した。
「そんなん、見ればわかるっての。明らかに、もやしっ子じゃねえか」
そう言ってカカカと笑った。遠慮ないな、こいつ。「いや、それに教室では」
ぼくは、自分で書いた覚えのない文字で埋まった教科書を見せてやる。いじめっこは、どうして他人の死を願うのが好きなんだろうな、と苦笑できるくらいには、眺められるようになった。さすがにこれで察するだろう。そう思った。
だけど意に反して、音符くんは、へたな字だなと切って捨てるだけだった。
「関係ねえよ。お前、生きてるじゃん」
生きてりゃ勝ちだよ。そう言いながら、捨てちまえこんなのと、本気でゴミ箱に向かうものだから慌てて止めた。
「それにな、俺が言ってるのは、ソウルのことよ。魂。わかる?」
「わからない」
わからなかったけど、なんだか愉快だった。
「なんだかさあ。お前見てると姉ちゃんを思い出すんだよな」
「お姉さん?」
「弟の俺から見ても変な姉ちゃんでさ」
「つまり、ぼくも変なやつだと」
口を挟むと、音符君は怒るな怒るなと、遠慮なく背中を叩いてくる。なんだか、覚えのある痛みだ。
「そのお姉さんってさ」
ぼくは、ある可能性を考え、また、そんな話があるわけないと思いつつ、聞かずにはいられなかった。
「ゲタを履いている、とか?」
今日も、いい日になりそうだった。
――――――――――――――――――――――――
少年は、この世に絶望した。彼のボキャブラリと人生経験を鑑みれば、絶望の文字以外、言葉が見つからなかったのだろう。遺書も書いていた。後は、この世とおさらばできれば言うことがなかった。
フェンスを超え、いよいよ飛び出そうとしたその時だ。
「おい。新学期早々屋上ダイブとか、どんだけ学校嫌いなんだよ」
ぼくは少年に声をかけた。フェンスごと人を倒すなんて、荒業はマネできそうもなかったから。
少年は驚いたように目を見開いている。それはそうだ。こんな時間に、こんなところで、こんな人間に出くわすとは思いもしないだろう。ぼくは、遠慮せず彼に近づいていく。
「深くは聞かない。つい魔が差して屋上に来るなんてこと、誰でもある」正直そんなにいないと思うけど。
とにかく、今にも崩れ落ちそうな彼にかける言葉はもう決まっていた。我ながら笑ってしまうし、実際に笑った。だってこんな愉快な日はないだろ?
「とりあえずさ。人生を終わらせるくらいなら、ひとまず、ぜーんぶ棚上げにして」
ぼくは、息を吸い未成年の主張も欠くやと言わんばかりの声量で叫ぼうとする。
あの日、助けられ、繋がった出会いを思った。
屋上に立ち、全てを投げ出そうとした時は、予想もしていなかった。あの人がいたから。ゲタ姉さんがいたから、今のぼくはここにある。あの人のようになれるかは、わからない。
でも大丈夫だ。ぼくが大丈夫だったんだから。きっと君も大丈夫に違いない。
だから、安心して――
「サボってしまえ!」
(了)
サボってしまえ! 津田梨乃 @tsutakakukaku
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