第6話 いつもので

 ぬいぐるみを駅のロッカーに押し付け、再び街へ戻った。ゲームセンターとは逆方向の出口から出発する。

 今度はどこへ行くのだろう。ゲタ姉さんの迷いのない足取りを見る限り、またしても彼女の馴染み深いところだとわかる。「少し歩くぞ」ゲタ姉さんは、そう言ったきり口を開かなかった。ぼく自身もフレンドリーに話すような柄ではないので、黙って横を歩いた。



「なんだ、お前かよ」

 名前も定かでないクラスメイトは、ぼくの顔を見た途端、心底がっかりしたように言った。がっかりされることは日常茶飯事だった。話し相手を探して視線をうろつかせている人と、どういうわけか目が合ってしまうのだ。期待しているわけでも、話しかけて欲しいわけではないのに。ぼくは、ただ存在しているだけなのに。

 そのせいか、人に話しかけることもなくなった。それは同級生に限らず、次第に親や親戚にまで及んだ。

「ずいぶん静かになったね」

 たまに会う親戚から言われる。身長よりも、顔つきよりも、雰囲気よりも、口数の少なさが際立っているのだろう。ぼくは、その問いにすら声を出さない。ただ頷くだけだった。



「ずいぶん静かになったな」

 ゲタ姉さんは、足を止め、くるりとこちらを振り返った。カコンとゲタの小気味良い音が響く。

「もとからですよ」

 そう返すよりほかない。「そうかあ?」彼女は、首を傾げながら、またカラコロ音をたて始める。「けっこう、喋るやつだと思ってたけど」にわかに信じられないことを言ってくれる。

「たぶん、ぼくのドッペルゲンガーと会ったんですよ」

 彼女の下駄の音が、規則的なのでついぼくも合わせて歩いてしまう。

「あんたが本体ってこと?」

「ぼくもドッペルゲンガーかもしれません」

「お祓いでも行くか」

 なにやら、ドッペルゲンガーを勘違いしているようだ。ドッペルゲンガーは幽霊でもないし、不幸に見舞われるのは、自分のドッペルゲンガーを見た場合だ。もちろん、そんなことを口にしない。言わずとも、彼女のゲタの音は、規則的だった。本気にしていない。実にわかりやすいと思った。


「ああ、それだ」

 ゲタ姉さんは、また足を止めて、今度は体ごとこちらを振り返った。

「わかりやすいんだ、あんた」

 どうやら、ぼくの口チャックは、バカになっているようだった。そういえば、スグルさん相手にも口を滑らしていた。ひょっとして今まで考えていたことは、全てダダ漏れだったのではと不安になる。

「それもあるけど、顔に出やすいんだよ、あんた」

 思わず、口ごと顔を覆ってしまった。これ以上、わかりやすい動作はないと思うが、そうせずにはいられなかった。それを見て、ゲタ姉さんは笑う。再び歩き出したとき、心なしかゲタの音が柔らかくなっている気がした。

「実は、生き別れの兄弟で」

 弁解、もといでたらめを口にする頃には、もうゲタ姉さんは、はるか遠くにいた。


「着いたぞ」

 ようやく辿り着いた目的地は、何かの店のようだった。「少し」と言っておいて「かなり」歩かされた。しかも道中は、ほぼ住宅街だ。ゲームセンターとの落差が激しく、一体どこへ連れていかれるのか見当もついていなかったのだが。

 建物は、ややモダンな造りで、上にトンガリ屋根をつけたら、城と言い張ってもよさそうな趣だった。店の前には、駐車場が広がっており、隅には用途不明の薪が積んである。小さな看板が申し訳なさそうにたたずみ、洒落た筆記体の『STROKE』をおずおずと照らし出している。

「喫茶店、ですよね」聞いてみる。洋食屋の可能性も否定できなかった。

「洋食屋ではないな」

「……」


 店内に入ると、木とコーヒーが入り混じった独特の匂いがした。その香りは、兄がよく飲んでいる安物のインスタントコーヒーと一線を画するものだとわかる。

 店内は横に長く、左奥にお客さん用の席が六つほど備え付けられ、右奥は、古今東西すべてを網羅しそうな置物たちがひしめいていた。その間を縫うように目の前には、カウンター席がある。

「おう、いらっしゃい」

 カウンターの奥から主人と思しき男性が出てきた。面長で、メガネをかけた人の良さそうなおじさんだ。頭髪には白いものが目立つところから、そこそこ年配の人だと思われる。


「マスター、いつもので」

 ゲタ姉さんが、オーダーする。人生で一度は言ってみたいセリフだ。アリなのか。そういうことできるのか。ぼくは、ドキドキしながらマスターの反応をうかがう。

「あんだよ、いつものって」

 しかし、慈悲もないマスターの返事に、ずっこけてしまう。

「そこは空気読んでブラックコーヒーとか出せよ」ゲタ姉さんが抗議する。

「知らねえよ。大体お前、ブラックコーヒーなんて飲まねえだろ」そんなことを言いながら、用意を始めるのがおかしかった。「いつもの」は、確かに存在するようだ。まさに馴染みの店っぽい。

「そっちの坊主も同じのでいいかい」

 突然話を振られて、そのまま頷いてしまう。どうやら特定の人以外には、口のチャックはきちんと機能するようだ。


 店内に、お客の姿はなかった。お昼時なのに大丈夫かと、余計な心配をしてしまう。ぼくが知らないだけで、喫茶店とは往々にしてそういうものなのだろうか。

「これから増えてくんだよ」

 ゲタ姉さんが心を読んだように言う。今度は、口に出していないはずだ。ぼくは、口のチャックを確かめるように、顔をペタペタ触る。それに対し「見ればわかる」と恐ろしい言葉が続いた。

 先ほどは気づかなかったが、左最奥には、いわゆる暖炉があった。洋画なんかで見かけるものより、少し小さい気もしたが、それでも珍しい。外の薪はこのためかと合点がいく。他にも、スピーカーや、ピアノ、アコースティックギターなんかが並んでおり、チェーン店の喫茶店との違いをまざまざと見せつけられる。


 物珍しく店内を見回していると、奥さんと思しき女性がコーヒーを携えてやってきた。淡く茶色に染めた髪型は、自然と馴染んでおり、コップを置く所作に上品さが窺える。若い頃は、すごくモテたに違いない。つい見いってしまう。途端にゲタ姉さんが吹き出した。……また顔に出ていたようだと反省する。

「い、いただきます」

 ぼくは何事もなかったように、コーヒーを飲み始めた。何事もなく、だ。はい、どうぞと奥さんか優しく応じてくれる。ゲタ姉さんのニヤニヤ顔が非常に恨めしい。コップの中身はカフェオレだった。


「今日も、お願いできる?」

 奥さんは、ゲタ姉さんの方へ、小首を傾げて頼んだ。何だか可愛らしい。誰がやっても似合う動作ではない。

「うん。そのために来たからさ」

 ゲタ姉さんの返事に、奥さんは満足そうに頷いた。「ホットケーキはもう少し待ってね」それだけ言い残すと、また奥へと引っ込んだ。

「なにかあるんですか」

「ホットケーキがくる」

 違う、そうじゃない。

「すぐにわかるよ」ゲタ姉さんは、愉快そうにコーヒーをすすった。どうやら詳細を教える気はないようだ。こうなると、梃子でも教えてくれないだろう。

 ぼくは、いじけた気分でカフェオレをあおる。やはり兄が淹れる適当なインスタントコーヒーとはわけが違う。これが本格なのか。少し苦味が勝ったが、悪くない。これで、ぼくも大人の仲間入り。なんて。


「それでさ、あんた」

「はい?」

「なんで、いじめられてんの?」

 耳鳴りがした。足元から何かが崩れていく。ゲタ姉さんの目は、この上なく真剣だった。

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