第5話 不器用ですから
スグルさんが残したゲームを終えても、ゲタ姉さんは戻らなかった。もらったお金を使うのも忍びなく、しばらく画面に映るプロモーション映像を眺めてみる。屈強な男や、見目麗しい女の人が、己の実力を誇示するためにストリートでファイトしている。ぼくも、これくらい強ければ。そう思わずにはいられなかった。
そうすれば、きっとあいつらにだって。
考えるのをやめた。もう何巡したかわからない。スポーツ選手や格闘家、漫画映画の主人公。それらを見るたびに、ぼくは劣等感に苛まれた。自分には示す力も、誇るべき精神力も持ち合わせていないからだ。憧れた。嫉妬と言い換えてもいい。己を変える力がないばかりに、他の力が余計に眩しい。
最低だ。諦めっぱなしの人生。妬むだけの人生。今までも、そしてこれからも。
ぼくは、貰ったお金をポケットに突っ込み、ゲタ姉さん捜索に繰り出すことにした。あの人のことだから、トラブルに巻き込まれている可能性も捨てきれない。
まさか置いてかれたのでは。そんな一抹の不安がよぎる。いやいや、ぼくをここへ置き去りにするメリットがない。……デメリットもないけど。
お互い出身地はおろか、名前すら知らないのだ。屋上ダイブ志望の危ない中学生と、ジャージにゲタを履いた危ない女。危ないことしか共通点がないぼくらの関係は、二枚重ねのトイレットペーパーよりも薄い。
ため息が出た。今さら学校には行けないし、家に帰るには、ちょっと早い時間だ。まだ置いて行かれたと決まったわけではないけれど、どこか諦めの境地にいた。自分は、置いていかれても仕様がない存在なのだと。
すぐに捜索を諦めたぼくは、クレーンゲームコーナーに向かった。どうせなら件のぬいぐるみを取っていこう。そう思い立ったのだ。クラスで自慢できる相手はいないけど、自己満足はできる。軍資金もあるし、派手に使ってしまうことにした。
「もうちょい、右? いや左か。よしよしよしよし! ……あああああ!」
クレーンゲームコーナーに着くと、一人盛り上がっている憐れな危険人物がいた。間の悪いことに、件のぬいぐるみが置かれている機体の前だ。普通なら黙って回れ右なのだが。
「何ごとですか。ゲタ姉さん」
探し人がいたとあっては、見過ごせない。仮に素通りしたとして、誰もぼくを責めないと思うけれど。
「お、いいところに」
ゲタ姉さんは、こちらの姿を認めると、機体のサイドに立つよう命じてきた。奥行きがつかめないから、脇からタイミングを知らせて欲しいという。こちらを長時間放置したことに関しては、まったく意に介していないようだ。
「あとちょっとで取れそうなんだよ」
硬貨が入り、間の抜けた電子音が響く。ゲタ姉さんの「ちょっと」を測り兼ねた。ぬいぐるみの位置は、ぼくが見つめあっていた時と、ほとんど変わっていなかったからだ。半分まで注がれたコップの水を見て、まだ半分か、もう半分かという話があるが、彼女は間違いなく前者だ。
それよりもゲタ姉さんが、こういったぬいぐるみが好きとは予想外だった。ラフを通り越して、みょうちくりんな格好をしているのに、乙女チックな趣味もあるのだなと意外に思う。
タイミングと言われても、当然クレーンゲームもほとんどやったことがないため、困ってしまった。例によって、ゲタ姉さんにその旨を告げてみるのだが「勘だ」と無責任極まりないアドバイスが飛ぶ。仕方なく、合図を送り始めた。
「もう少しもう少し……あ、行き過ぎです」
尻尾を僅かにかすり、アームが虚しく空を切る。予想通りだ。わざと外させたわけではない。上手くいかないのが予想通りなのだ。ぼくの指示も不器用だが、ゲタ姉さんも相当不器用だった。
「無理ですって」
ぼくの言葉は無視され、また間抜けな電子音が響く。
「諦めたら試合終了だぞ」
「破産するよりマシです」
「いいからほら、定位置に戻れ」取り付く島もない。そこまで欲しいなんて、ひょっとして全国的に人気だったりするのだろうか。クラスメイトの会話を思い出そうとするが、失敗する。他人同士の会話なんて覚えているはずもない。
「ちょっと、やらせてください」
お札を一枚無駄にしたところで、ぼくが提案する。どうせ勘を働かすなら、正面からやってみよう。そう思ったのだ。ゲタ姉さんは、素直に譲ってくれた。彼女が機体のサイドに張り付いたのを見て、ぼくは硬貨を入れた。合図はいらないといったが、返事はなかった。
ゲタ姉さんは、ぬいぐるみの真ん中を狙い、がっちりホールドすることに苦心していた。しばらく観察したところ、本当に接合率ほぼほぼ百パーセントでない限り、その方法で取るのは難しいようだった。その微妙に取れそうで取れない加減が、お札をいたずらに消化させる原因だと睨む。それに加えて、ゲタ姉さんの下手さも目に余る。
ぼくは、あえて真ん中を外したところでアームを下ろすことにした。あとはぬいぐるみの巨体を活かし、あえてスライドさせる余裕を作ることで接合率を限りなく百パーセントに「次だな」ゲタ姉さんが、百円玉を置いた。信用なさすぎやしないか。
ため息混じりに抗議しようとしたとき、奇跡は起きた。
当初の狙いは外れたものの、アームは危ういバランスでぬいぐるみを持ち上げたのだ。少しでも振動が加わればすっぽ抜けてしまうくらい不安定に。
「これ、これ! 行けますよ」
「落ち着け、音を立てるな。慎重になれ」
慎重も何も、もう見守ることしかできない。二人でガラスに張り付きながら成り行きを見守る。あと少しあと少し。あと少し。
「おめでとおございまあす!」
突然の館内アナウンスに驚き、おでこをぶつけた。アームも驚いたように、ぬいぐるみを落とす。
「本日初めての大当たりが出ました。皆さん拍手を」
どうやら、メダルコーナーでめでたいことがあったらしい。まばらな拍手がそこここから聞こえてくる。当然、ぼくとゲタ姉さんは拍手しない。なんてはた迷惑なアナウンスだと苦情を言いたかった。だが、こうした工夫もゲームセンターを盛り上げるためには仕方がないことなのかもしれない。変に大人な考えがよぎり断念する。
ぬいぐるみは取れなかった。頭の部分だけは穴に達しているのだが、落ちることは叶わない。まるで落ちることを拒み、手をついて抵抗している姿に見えなくもない。
アームは、役目が終わったとばかりに元の位置に戻り、デフォルトの安っぽいメロディを奏ではじめた。
「くそ、揺らせば落ちないか」
ゲタ姉さんは、すぐに動きだし、本当に機体を揺らそうとしている。もちろん動くはずがない。「あんまりやると、店員さんが……」ぼくは、別の意味で気が気じゃない。
「ちょっと待ってろ」
もしかしたら下から取り出せるかも。そんな言葉を残してどこかへ行ってしまった。すぐに意味がわかってしまう自分が、恐ろしい。屋上フェンスをぶち壊してまで、ぼくを止めた人だ。最悪ガラスケースをぶち破るくらいしかねない。
「あら、これはもうオッケーですよお」
ゲタ姉さんを止めなくては。新たな使命と共に、ニューゲームを開始しようとした矢先だった。とつぜん背後から、女性店員が現れた。やけに語尾を伸ばし、一体どの器官から出しているのか、やたら高い声だった。
「どういうことですか」
彼女は答えず、さまざまな鍵がついた、いわゆるキーリングを取り出しガラスを開けた。「はい。おめでとお」そう言って、ぼくにぬいぐるみを渡し、「いいお姉さんね」と囁いた。地声だった。
「どういうことですか」ぼくは、また同じ言葉を繰り返す。
「あなたのお姉さん、さっきからずうっと、取ろうとしてたのよ。思わず話しかけちゃったくらい」
犬のぬいぐるみが好きなんですかって。店員さんは思い出すようにフフッと笑った。一体何がおかしいのかわからない。
「どういうことですか」懲りずに、ぼくは聞く。さっきからこの店員さん、質問に一切答えてくれていない。
「試しに、渡してみるといいわ。すぐにわかるから」
それだけ言うと店員さんは、業務連絡を受けたのか小さく手を振って去ってしまった。やはり質問には答えてくれていない。
「どういうことですか」
彼女の後姿を見送りながら、また呟いた。ここまで自然にスルーされてしまうと、いっそ清々しい。
「どういうことだよ!」
気づくと、ゲタ姉さんが少し小さめの傘を持って叫んでいた。一体あの傘で何をするつもりだったのか、想像に難くない。
「大丈夫ですよ。ほら」
ぼくは、慌ててゲタ姉さんに声をかけ、両手でぬいぐるみを渡そうとする。
「取れたのか」彼女は本気で驚いている。
「ええ、店員さんが」ぼくも驚いている。
「どういうことだよ」
「どういうことでしょう」
ぼくにもよくわからない。とにかく早く受け取ってくれないと、未練が残る。なんでこんなにモフモフしているのだ。憎いぞ、こいつ。ぼくは、どうぞという形で、ぬいぐるみを押し付けた。
「……いらない。あんたにやるよ」
驚いてゲタ姉さんを見やった。彼女はすでに次の目的地を考えているようで、ぬいぐるみを見ることさえしない。
「どういうことですか」
さっきから、ぼくは聞いてばかりだ。漫画や小説だったら手抜きだと思われてしまう。だがしかし、こればかりは諦めずに聞いてみる。
ゲタ姉さんは、頭をポリポリかくと、なんてことない風に言葉を返した。
なるほど。どうりで店員さんも笑ってしまうはずだ。不器用を通り越して、電波だよ。そう思いつつ、ぼくも笑ってしまった。
「あたしは、犬アレルギーなんだ」
諦めないことも、たまには悪くない。
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