第3話 天罰2

 煙草の臭いがそこここで漂っていたので、どうにもよろしくない人相の方々がうごめく場面を想像していた。しかし煙草を吸っているのは、年配の人や、暇つぶしのサラリーマンだけだし、それも決められたスペース内だけだ。それ以外の人たちは、常識の範囲内で遊びに興じている。昔の人たちは、外国人を生き血すする野蛮人だと誤解していたらしいが、ぼくの恐怖もそれと同じだったようだ。


 さすがに中学生はいないな。辺りを見回しながら、安堵する。先ほどからすれ違う大人たちが訝しげな視線で、ぼくを見ているが。通報されないことを、ただ祈るばかりである。


 クレーンゲームコーナーを抜ける途中、ふと巨大な犬のぬいぐるみを発見した。今、クラスメイトたちの間で人気を博しているマスコットだ。

 厳密にいうと人気があったのは女子の間だけだった。しかし、気になるあの子の気を引くために、人気者の男が便乗。たったそれだけ。たったそれだけでマスコットは、たちまちクラス全体で流行り始めた。まったく流行とはわからないものである。……ぼくは前から好きだというのに。


 ガラスケースの向こうで、つぶらな瞳が悩ましげに見てくる。まるでペットショップにでもいる気分だ。ごめんよ、ぼくの財力ではきみを連れ帰ることはできないんだ。


「おーい、次はこっちで殴り合うぞー」

 しばし見つめあっていると、ゲタ姉さんの声が聞こえた。大声で物騒なことを叫んでいる。ぼくは、ぬいぐるみに別れを告げ、急いで声のするほうへ向かった。


 やはりというべきか、当然というべきか。直接殴り合う場はなかった。代わりにアーケード台がずらりと並ぶスペースに辿り着いた。その端っこでゲタ姉さんが手を振っている。またしても彼女は席を勧め、二席分のお金も入ってぬかりがない。画面には、人気格闘ゲームのタイトルが躍っていた。


 勝ったほうは、タダで続けられるんだ。そう言って、ゲタ姉さんは文字通り腕を鳴らしている。ぼくが勝っても負けても、お金を負担するのは彼女なのだが、そこは頭にないようだ。得意満面に「ここも、あたしの圧勝だな」と自分の勝ちを信じて疑わない。ぼくは、反応せず黙って席に着いた。


「あんた、イカサマしてない?」

 一ゲームが終わって早々、いちゃもんをつけられた。格闘ゲームでどうしたらイカサマができるのだろう。機械の細工なんてできないし、相手が動けなくなる、いわゆるハメ技も使っていない。正々堂々、ぼくの圧勝だ。

 何か言おうと思ったけれど、すぐニューゲームが始まり、慌ててレバーを握った。


 この格闘ゲームは、駄菓子屋で散々やりこんだ経験があった。まさに青春といっても過言ではないゲーム機なのだ。型は、二つくらい古かったけれど、操作方法は、ほとんど変わっていなかった。


 小学生のころ、お金のないぼくにとっては、駄菓子屋は格好の暇つぶしスポットだった。学校が終わり、家に帰ってすぐ駄菓子屋に繰り出す。ささやかな日課だった。

「あら、またきてくれたのね」

 店主のおばちゃんは、いつ訪れても、そう言って迎えてくれた。特に多くを話したりはしなかったけど、内緒で麦茶や季節の果物を出してくれるのは、嬉しかった。

 また、駄菓子を買って当たりくじを引くと、ゲームのプレイが一回無料という特典も、駄菓子屋常駐に拍車をかけた。今思えば、限りなくグレーゾーンなサービスだ。

 お客は少なく、同級生も滅多に来なかった。彼らは皆、最新型のゲーム機に夢中だったし、そうでなければ公園で汗を流すのが普通だった。自分には関係ない。ぼくは、そう言い聞かせ黙々とレバーを動かし続けた。一人アーケードゲームに興じるのは嫌いじゃなかったのだ。


「たまには、お友達連れてきてもいいのよう」

 ある日、おばちゃんが言った。悪気は無かったのだと思う。ここを友達作りのきっかけに。そんな老婆心もあったのかもしれない。だけど、ぼくはショックを受けた。どういうわけか急に自分が惨めで恥ずかしくなってしまったのだ。すぐに店を飛び出し、家へと逃げるように帰った。

 ぼくの強がりは、駄菓子屋という空間に危うくも支えられていたらしい。もう何年も前の話だ。それから一度も駄菓子屋には行っていない。

 

 五ゲーム目まで全勝を飾ったころ、ついに招集がかかった。

「ここ座れ」

 ゲタ姉さんは、自分が座っていた席を勧める。まるで説教の前兆だな、と思いつつ大人しく座った。身構えてみたが、すぐにゲタ姉さんはどこかへ行ってしまい拍子抜けする。また両替でもするのかもしれない。

 台の上には、残された百円玉が五枚ほど積み上げられている。今か今かと出番を待っているように見えた。


 まさか半分も使うとは思っていなかっただろうな。少し申し訳ない気持ちになるが、レースゲームのことを考えるとおあいこだ。いや、それにしても、ぼくの運転は酷かった。将来、免許の取得は無理なのではと不安になる。ブライダルカーも乗れそうにない。そもそも結婚が。そこまで考えて、一人笑えてくる。

 「将来」なんて、屋上にいる自分にとって、もっとも遠い考えだった。将来を考えたくないから、屋上に立ったというのに。

 ひょっとしたら一度は飛び降りていて、代わりに別の生命でも宿ったのではないか。それくらい、屋上の自分とは別人だと思った。意外と自分は図太いのか。しかしそんな鋼のメンタルであれば、そもそも屋上に行ったりしないわけで。我ながら矛盾した心に混乱する。ぼくは一体なにがしたいのだろう。


「よう、頼もうか」

 途端に、意識が引き戻された。きついタバコの残り香が鼻孔をかすめる。見れば向かいに人がいた。見るからに危険な男が立っている。

「……」

 長めのまばたきをしても、男は消えなかった。少し絵心のある人に「人相の悪い男」を描くよう依頼すれば、目の前の男になるのではないか。それくらい模倣的な「ワル」だった。金髪に逆立てた髪型。真っ赤なシャツにはだけた胸元には、鈍く光る貴金属。どこに出しても恥ずかしくない「ワル」だった。威圧するような視線は、少し本気を出せば、ぼくを殺しかねないほど鋭い。実際、ぼくは気絶しそうだった。

 タノモウ、とは何か。彼が発した言葉を反芻してみる。考えなくてもわかった。お金を無心されているのだ。だが、ぼくはお金を持っていない。台の上の五百円は、ゲタ姉さんのものだし、仮に渡してもこれっぽっちのお金で納得してくれるとは思えない。

 おまけに、ぼくがいる場所は、ちょうど奥まったところにあり、店員の目は届かない。不幸にも他の客は見当たらない。この大音量のなか、助けを呼んでも聞こえそうにない。ないない尽くしの悪環境に、ワンパンチで沈みそうな中学生が一人。これはもう、カツアゲしてくださいとお願いしているようなものだ。


 ゲタ姉さんは、戻らない。男に立ち向かう勇気もない。ぼくは愛想笑いを浮かべようと頬をつりあげようとするが、「ふひ」と変な声が出るだけでうまくいかない。


 サボりの天罰かな。ぼんやりと屋上の風景が頭をよぎった。

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